第13話 永遠の恋

 はなの機嫌はかなり悪かった。

 原因の一つは単純に肉体の疲労だ。進級して間もないこの日、花の通う高校の恒例行事であるマラソン大会が行われたのだ。


 なんで春休みが終わって早々に何キロも走らなければいけないのかと思う。普通に授業を受けている方がよっぽどいい。何と言っても座ってられるし。

 そう。人間、座っている方が楽ちんなのだ。痛む足を休めるためにも、ここは是非とも座りたい。


 ホームに着いた時にちょうどやって来た電車に乗り込み、一つだけ空いていた座席に目を付けて、ためらわず直進する。だがそこで問題が発生した。


「うげっ」

 思わずはしたない声が洩れてしまう。女子にあるまじきだが、許してほしい。だってそれほど不快だったのだ。


「なんでいるのよ」

「こっちのセリフだ」


 息をするように憎まれ口を叩き合う。同じクラスの新川しんかわまことがそこにいた。

 顔も体も細っこくて見るからに草食系、実際普段はいつも穏やかで大人しいのに、花を相手にする時だけ言動が妙に荒っぽくなる嫌な奴。


 たぶん徹底的に相性が悪いのだろう。なのに不思議なまでに縁がある。なにしろ小一から数えてこれまで十一年連続で同じクラスになっているのだ。


 お互いなるべく関わらないように、目も合わせないようにしているが、それでもしばしばバッティングしてしまう。

 まさに今もそうだった。たった一つだけ空いた席を前にして睨み合う。


「あたし、疲れてるんだけど」

「俺だって疲れてるさ」

「でしょうね。あんた、体力ないもんね」


 その辺りも見た目通りだ。虚弱体質とまではいかないが、昔からちょいちょい体調を崩して学校を休んでいた。マラソン大会の順位も下から数えたほうが早いのは確実だ(ちなみに花は真ん中よりちょっと速いぐらい)。


 しょうがない。譲ってやるかと考える。いやいや違う、相手を思いやってなんかじゃない。こうして顔を突き合わせているぐらいなら、疲れを我慢した方がましだからだ。花は誠をその場に残して場所を変えようとした。


「いいよ。座れば」

 だが花が動き出す前に誠が言った。その顔には愛想笑いの一つもない。

「いらないわよ、あんたが座……」

 花は口先で断ろうとして、だが体は正直だった。まるで吸い寄せられるように座席に納まる。どうやら思った以上に疲れているしい。


「……ありがと」

「ん」

 ぼそりと礼を言えば、さらにぶっきらぼうな返事が来る。それっきり誠は別の車両に行ってしまう、てっきりそう思ったのに。


 いったい何を考えているのか、誠はそのまま花の前に居残った。しかし特に用や話があるわけでもなさそうで、視線は真っ直ぐ窓の外に向いている。

 気まずいというより意味がわからない。花と誠は十年来の犬猿の仲のはずなのに。どうして一緒にいる必要があるのだろう。

 一言の会話もないまま次の駅に到着する。花の隣の席が空いた。


「座んなよ」

 花はほとんど呟くみたいにして言った。聞こえなかったならそれでいい。あえて座ってほしいわけじゃない。


 誠は少々の間を置いたのち、花の隣に腰を落とした。もともとそんなに広いスペースじゃない。わずかならず体が触れ合う。

 意外と嫌じゃないのが我ながら変だった。今までいがみ合ってきたのが嘘みたいだ。

 ちらりと横目で窺う。誠も案外リラックスした様子だ。それはそれで少しむかつく。女子がこんな間近にいるのだ。もっと緊張すればいいのに。


「ねえ」

 何の話題も思いつかないまま、衝動的に声を掛ける。誠がこっちを向いた。

「きゃっ」

 その刹那、花は悲鳴を上げていた。電車が急ブレーキをかけたのだ。花は前につんのめった。その先には誠がいる。けれど止まれない。顔と顔とが急激に近付いて。


 唇が触れ合った。

 それはあくまで事故だった。深い意味など一つもない、全くの偶然の産物。しかしその衝撃は花の想像を超えていた。


 脳の中の鍵が外れてしまったみたいだった。秘められていた記憶がすごい勢いであふれ出す。これほど多くの出来事を、いったいどうして忘れていたのか。

 ううん、そうじゃない。こうして思い出せたことの方が奇跡なんだ。

 世の中のたいていの人は、前世のことなんて何も知らないんだから。


 そうだ。花と誠は前世で生涯を共にした仲だった。しかも前世だけじゃない。前前世も、前前前世も、その前も、ずっと、ずっと。

 いつしか時を超えた時が過ぎて、二人の唇は離れた。


「今の……見た?」

「……ん」

 花がためらいがちに問うと、誠はゆっくりと頷いた。とうてい信じられないような体験だった。けれど否定するのは不可能だった。二人にとっては絶対的な真実だった。


「どうする? わたし達、これから」

 答えは聞くまでもなくわかっている。それでもはっきり言葉で告げてほしかった。

 たとえ何百年、何千年もの歳月を重ねた恋人でも、この人生では十年来いがみ合ってきた仲だ。新しい関係を始めるためには大事なことだ。

 花はロマンチックな期待を込めて、永遠の恋人を見つめた。


「まあ、考えとく」

「……は?」

 瞬間、唖然としてしまう。草食系にも程がある。


 憤慨して相手を睨みつけ、しかし文句は口からこぼれなかった。

 誠の顔が真っ赤だった。まさに照れまくりという感じだ。

 ――かわいい、かも。

 花の胸がトクンと高鳴る。


 正面を向いて座り直しながら、別にいいか、と素直に思った。

 焦る必要なんてどこにもないのだ。ゆっくりやっていけばいい。

 だってこれから二人はずっと一緒なんだから。

 現世も来世も来来世も来来来世も、その先も、ずっと、ずっと。

 永遠に。

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