第8話 「魔法使いの恋」その2
「んー、なんかよく寝たな」
ジョッシュはすっきりした気分で目を覚ました。もともと眠りは深い方だが、それにしても頭の中がいつになく冴え渡った感じがする。まるで一度死んで再び甦りでもしたかのようだ。
気分よく伸びをしようとして、だがジョッシュは思わぬ事態に直面した。
「あれ?」
体が動かない。手足どころか、指先さえ自由にならない。
一瞬縛り上げられているのかと思ったが、肌や肉に食い込む痛みはない。むしろ上に掛けられた覆いはさらさらと心地良く、下の台は体を安らかに支えてくれる。ものすごく上等な寝具だ。ジョッシュが家で使っているのとは全然違う。
昨夜自分はどこぞの大金持ちの娘にでも招かれたのだったか。
確かな記憶にたどり着く前に、ジョッシュは眩しさに目を眇めた。そして暫し唖然としてしまう。
天井が穴だらけだ。
屋根は萱でふかれているようだが、造りがあり得ないぐらい雑だった。そこら中に隙間が空いており、日の光が燦々と射してくる。
「笑える。ひでーボロ屋」
「ボロ屋ゆうな」
独り言のつもりが、間髪を容れずに文句が返る。枕元に誰かいたらしい。完全な不意打ちだったが、警戒はしない。まだ幼い感じがする声だった。
未だ起き上がれないまま、どうにか首だけを横に向ける。予想通り、十代初めばかりの少女がいた。寝台の脇に置いた椅子に座り、不機嫌そうにジョッシュを見下ろしている。知らない子だ。可愛い顔立ちに不釣り合いなほど、深紫色の瞳の圧が強い。
「えっと、ここってどこ? ちびっ子の秘密のお城?」
少なくとも普通に人が住んでいる家とは思えなかった。こんな屋根では雨が降ったらダダ漏れだ。けれど子供の遊び場にしては睡眠環境が充実し過ぎている。正直わけが分らない。
「誰がちびっ子よ。あんたこそまだガキじゃないの」
少女が怒って言い返す。しかし耳まで赤くしているさまがまたいっそう子供っぽくて、ジョッシュは思わず吹き出した。少女がいっそう機嫌を損ねる。
「なに笑ってんのよ。吹っ飛ばされたい?」
「ははっ、悪い。お前があんまり可愛いもんだからさ。で、ちびっ子の名前は?」
「か、かわいい……って、だからちびっ子ゆうなし!」
「だけど名前が分らなかったら、ずっとちびっ子のままだぞ」
少女は視線を逸らした。どうやら名前を隠しておきたい理由があるらしい。たとえば今家出の最中で、素性がばれて連れ戻されるのを恐れているとか。ジョッシュとしては無理に聞き出す必要もない。適当に話を変えようかと思った時。
「……ミレイユ。あたしの名前はミレイユよ」
どこか拗ねたような声音で、少女は名乗った。
ミレイユ・ブラン。夜の闇のような漆黒の髪と、夜明けの空を想起させる深紫の瞳から〈暁の魔女〉と称される、世界最高にして最強の魔法使いである。
幼少期より魔法の才を発揮し、十二歳にして伝説の魔法使いの奥義を継承、さらに独自に研鑽を積むこと一年余、ついに魔法の極意を体得する。
十五歳の年には、当時の世界を破滅の危機に陥れていた災魔を封印、名実共に魔法使いの頂点に至った。
しかしその暫くのちに忽然と姿を消してしまい、今では行方を知る者もない――。
ミレイユはひそかに少年の様子を窺った。自分の名声はあまりに知られ過ぎている。実年齢は二十三だが、魔法を極めたことに伴い肉体が年を取るのをやめたため、十年前から容姿は全く変わっていない。もしどこかで出来のいい似顔絵でも目にしたことがあれば、簡単に気付けてしまうはずだ。
この気楽そうな少年も、ミレイユが〈暁の魔女〉だと分れば、途端に態度を変えるのだろうか。
例えばある者は富と力を欲し卑しい笑いを浮かべてすり寄った。またある者は奇跡の如き御恵みを賜わろうと神のごとく崇め奉った。そしてある者はミレイユの怒りに触れてしまうことを恐れ一方的に遠ざかった。
ミレイユは人と交わることにほとほとうんざりしていた。この少年の反応如何によっては、住処をどこか他の僻地へと移さねばならない。
「ふうん、ミレイユか。おれはジョッシュだ。それじゃミレイユ、改めて訊くけど、ここってどこなの?」
表面上、少年の態度に変わりはない。ミレイユはなおも疑り深く観察したのち、ようやく相手は潔白だと判定した。
別におかしなことではないだろう。ミレイユが災魔を封印した時、ジョッシュはまだ小さな子供だったはずだ。そしてこの地域に点在する集落は、どれも世間から取り残されたような鄙びた村ばかりである。さすがに〈暁の魔女〉の存在は知っていたとしても、まさかこんなところに隠れ住んでいるとは思うまいし、目の前の人物と結び付けられなくても不思議はない。
ミレイユはひとまずジョッシュの疑問に答えてやることにした。
「あたしの家。森の中で倒れてたあんたを見つけて運んでやったの」
「嘘つけ」
「本当よ!」
ミレイユが憤慨すると、ジョッシュは信じられないというように隙間だらけの天井を見上げた。それからそっと目元を伏せる。
「……そっか。貧乏なんだな」
「黙んなさい。住心地は申し分ないの」
なにせミレイユが自ら苦心して建てた小屋である。細かい部分の仕上げに若干の難があるかもしれないが、朝昼晩、春夏秋冬いつでも快適に過ごせるよう、魔法でごりごりに強化してある。
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