※おまけ

タイトル回収

※こちらは、一部のエピローグになるはずだったのに、二部のプロローグへ押し出された序盤のタイトル回収回です。




 青年は歌っていた。



――神は昔をなつかしみ、その黄金おうごんに名を与えん…。



 小高い丘にある岩場へ腰掛け、晴れ渡る夜空を見上げながら。



――帰りし二人に語りし時を、まだかまだかと待ちわびて…。



 明るい星々に祝福され、輝く長い銀髪。夜風になびく、地上のほうき星。



――変わりし駒はかつての友。過日かじつの父に、かたき…。



 心を掴む一枚の絵画。荘厳そうごんな壁画。そんなものを見ている気分になる。



――くして盤は、埋まれども…。



 しかし、必ず最後には——



——彼方かなたの君には、もう会えない…。



——彼はいつも、深い悲しみを帯びるのだ。




「……盗み聞きかな? やぁ、コレヨシ」


 夜空を見上げる青年に指摘された男————是能これよしは、大雑把おおざっぱな総髪頭で強調される額にしわも作らず、またその太い眉を一ミリも動かさず、平然と丘の上へ歩を進めた。

 草履ぞうりに着物。はだけた胸元。袖へ通さぬ片腕を前襟まええりでだらしなくぶら下げ、無精ひげを生やした顔の左目には大きな傷跡。それを隠す、髪色と同じ真っ黒な眼帯。

 やや荒っぽい印象を受けるが、その静けさをはらんだ右目からは聡明さがうかがえ、まるで軍略に優れた兵法者へいほうしゃのような雰囲気が醸し出されており、そして腰に差した見事な装飾の刀が似合うその姿からは気位の高さまでもがうかがえる。

 そんな彼はすぐに岩場へたどりつき、まったく悪びれず言い返した


「ほざくなよ、アスブライン。お主のそれは叩き売りだ。盗み聞きと称したいのなら、もっと密やかに歌え」

「うん、それもそうだね」


 柳に風。銀髪の青年————アスブラインは、軽く脅しつけるこちらの声音をあっさり受け流し、自身の長い銀髪を悠々と後ろでくくり始めた。

 低い位置で簡単にまとめてしなやかに揺らし、身を包む灰色のマントをわずかにひるがえす。


「それで、僕に何か用かい?」


 透けるほどの白皙はくせきの肌。はかなさを伴う、端正な顔立ち。消え入りそうなほほ笑み。

 なのに、圧倒的な存在感。

 薄く開かれた翡翠ひすいの瞳に視力はない。自分の左目のように傷を負ったわけではなく、生まれつき盲目らしい。それでもまっすぐ、まるですべてを見通すように、彼は岩の上からこちらを見下ろしていた。

 その姿は、神秘そのものだった。

 それでも是能は平伏することなく、慣れたものとばかりに静けさをたたえる右目でにらんだ。


「何か用、ではない。お主が皆に用意しろと言ったのだろ? 準備はすべて整ったそうだ」

「? それは良かったけど……なぜ、君が報告に? ササリナは?」

「代わってもらった。多少、無理を言ってな」

「————あぁ、そういうことか…」


 何かを察してうれう声。さすが、話が早い。

 アスブラインが腰掛けていた岩からフワリと飛び降り、音もなく着地。そして足元の草むらの揺れが収まるまで、たっぷりと間を置いてから言った。


「ここで、お別れなんだね…」


 是能はゆっくりと片側だけの視界を閉じた。

 十年余り。彼に命を救われてから、今まで。

 恩義にはもう報いた。彼の剣となり、良き相談相手となった。かしずくことしか知らぬ周りの者に成り代わって、気楽な話し相手も勤めてきた。それだけだと言い切るには年月を重ねすぎたが、それでも自分はあくまで客人。彼もずっとそのつもりでそばに置いてきたはず。

 だが、それも今宵こよいまで。


「君がいないのはつらい。戦力としてはもちろん、何より心情的に。それはきっと僕だけじゃない。今はもう、君を慕う者も大勢いる。ササリナだって表面上はずっとあの調子だけど、本当は……でも、そうだね」


 さみしげな含み笑いを耳にしても、固く目を閉じ続ける。


「君には、帰るべき故郷いえがあるのだからね…」


 けれどもう、限界だった。


「クッ……」

「? コレヨシ?」

「クククッ…」

「……君がそんなに笑うとこ、初めて見たよ」


 気分を害した声音ではない。純粋に驚いているようだ。長い付き合いの中でもおそらく初めてだろう、彼を驚かせたのは。

 そして、なんでもお見通しなこの男をだませたのも。


(まぁ、ただの勘違いではあるがな)


 是能は皮肉げな笑みを崩さぬまま、ゆっくりとその右目を開いた。

 視界に映る、不思議そうに首を傾げた不思議な青年。よわい四十に届こうとする自分の、半分しか生きていなさそうななりをして、自分よりも長く生きる高き者。

 新しき、我が主君あるじ


「西の作法は知らぬ」


 腰から鞘ごと刀を抜く。

 金の稲穂をかたどる紋様が施された、黒塗りの鞘。納まる刀のは————御雷稲握みかづちいねつか

 ヤマト十二神剣のうちの一振りにして陰陽十二将が一人、青龍将軍の証。十二氏族が筆頭、武御門たけみかど家に代々受け継がれし宝。


「受け取れ」


 そして、さむらいの魂。


「……コレヨシ、それは——」

「その名は捨てよう。だ。これからはそう呼べ」

「——本気、なのかい?」

「無論」


 是能――――ゼノはひざまずき、きちんと袖を通した両手で刀を差し出した。

 こうべを垂れながら地面に向かって言う。


「それとも、鞍替えの忠義は受け取れぬか?」

「そうじゃないよ。だけどそれは……別に、このままだって…」

「いよいよいくさを始めるのだろう? これは区切りけじめだ。それに、晴明はるあきら様はおそらく承知のうえ」

「ハルアキラ————セーマンか。陰陽府のおさが、君の裏切りを許していると?」

「少し違う。あの御方はかつてこう言われた。『君はいずれ、運命に出会うだろう』と」

「星読み、か……それにしても運命とはね。僕の一番嫌いな言葉だ」

「そうだったな」


 決して人前では出さぬ彼のいら立ちを受け止め、ゼノはうつむいたままの顔に笑みをたたえた。ずいぶん信用されたものだ。


「気にすることはない。結局は、おのが心に従ったまでのこと。そうでなくば、とうの昔にここから去っている」

「……確かに。たった一度の恩なんて、君が僕を救ってくれた回数に比べれば、ね。それに気付いていながら、僕はどうしてそのことをずっと黙っていたと思う?」


 フ、と手にかかっていた重みが消える。

 両手のひらから離れる鞘。わずかに揺れる草むら。星明りの影。

 刀身が鯉口こいくちをこする、聞き慣れた音。


「ただ君に、そばにいてほしかったからさ」


 そして、抜き身となった己の魂が、肩にスッと置かれた。


「……軟弱な主君あるじだ」

「そんな口をきいていいのかな?」

「以後、慎みまする」

「なるほど、これは気分がいい。おもてを上げよ」


 楽しげな声に従って顔を上げると、盲目の瞳がまっすぐこちらを見下ろしていた。

 肩から離れる切っ先。鞘に戻る刀。

 それを片手で横に持ち、アスブラインがこちらへ差し出す。


「最初の命令だ、ゼノよ」


 ゼノは両手でうやうやしく、彼のものとなった己の魂を受け取った。


「なんなりと」

「では————これからも、いつもどおりヨロシク」

「……何?」


 ピクリと跳ねる太い眉。

 光なき翡翠ひすいが、笑みの形に細まる。


「ただし、ゼノとは呼ばせてもらうよ。ずっと呼びにくかったんだよねー、コレヨシって」


 なんて今さらな話を。刀を両手で持ち、ひざまずいたまま動けずにいるゼノを見て、アスブラインは笑った。一見して邪気のない、すべてを受け入れる彼の静かなほほ笑みだった。

 だがわかる。十余年の付き合いは伊達だてではない。

 これは、意趣返しだ。


「お主、そんなに勘違いしたのが気にくわなかったのか?」

「君が紛らわしいんだよ。すぐに言ってくれればいいものをさ」


 アスブラインはこちらの肩をポンと叩き、そのまま横を通り過ぎた。立ち上がりはしたものの、その場で呆然と見送る。

 丘を下る小さな背中。自分よりも背が低く、体も細い。

 なのにとても、かないそうにない。

 ゼノは小さく笑いながら愛刀を腰へ戻した。


御意ぎょいに…」


 袖へ通した片腕を再び引っこめ、前襟まええりでだらしなくぶら下げる。スタスタと隣に並んで歩く。

 それが、主君あるじの望みなれば。


「……して、先手はどう打つ? まだ盤面の駒をそろえただけだぞ」

「そうだね、まずは北へ」

「北? というと、あの赤毛の狼……因縁いんねんにひとつ、決着けりをつけようというわけか」

「というより、彼が執念深すぎてね。最初にやらなければ、後々こっちがやりづらくなるかもしれない」

「いまだにお主を捜しておるようだしな。の者を使って……」


 ゼノは自らの顔に手を伸ばした。触れるのは、左目の眼帯。縦に裂かれた隠せぬ傷跡。

 アスブラインがあっけらかんと言う。


「君の因縁いんねんの相手もいるといいね、いっしょに」

「冗談はよせ。俺は――」

「アスブライン様ーっ!」


 ピタ、と同時に立ち止まる二人。大声で会話に割りこんだのは、丘を下ったところで待ち構えている人物。

 ランタンを掲げながら手を振るその姿を認め、ゼノは眉をひそめた。


「――女は、苦手なのだ…」


 ピクッ、と揺れる

 遠く、硬い女の声を夜風が運ぶ。


「それは奇遇ですね、私もアスブライン様以外の男は苦手です。特にあなたのような野蛮で偉そうな男はねっ!」

「……聞こえたか」


 地獄耳だということを忘れていた。

 つい及び腰になってノロノロと歩き出す横で、アスブラインが「君たちホントに仲いいね」とはなはだ理解に苦しむことをのたまいながら、スタスタと坂道を下りていった。


「やぁササリナ、迎えに来てくれたのかい?」


 ゼノがやや遅れて追いつくと、土をならした道の真ん中で待つ女――見慣れた若草色のワンピースに茶色いマントを羽織っている――がこちらをキッとにらんでから、目の前のアスブラインへすまし顔を向けた。


「はい、夜道は足元が危ないので」


 長い金髪。真っ白な肌。身長は変わらないがそのはかなげな美貌で、アスブラインの隣に立てばなんともお似合いな二人に。両者とも中身はだが。

 などと失礼なことを考えていたら、アスブラインが水を向ける。


「だってさ、ゼノ。良かったね、心配してもらえて」

「ア、アスブライン様? 私めはあなた様の心配を…」


 そして、をひくつかせる女性――――女エルフであるササリナの慌てように、ゼノは深いため息をついた。すでに語るに落ちている。


「だって僕、目が見えないじゃないか。それでどうして夜道の心配を?」

「……あ」

「なんなら、夜の足元は君らより自信がある。君がそのことを知らぬはずがない。つーまーりー?」


 妙にゴキゲンな主君あるじが、盲目かどうか疑わしくなるほどの正確さでウインクをよこした。故郷くにを捨てたのは早計そうけいだったかもしれない。


「おい、いい加減にしろアスブライン。お主がこやつをからかうと決まって――――っと…」


 言わずもがな、とばかりに飛んできたランタンを無事にキャッチ。掲げながらアスブラインを指差す。


「どうせ無駄だろうが、いちおう教えてやる。今からかったのはこやつで、お主が投げるべきはこっちだ」

「アスブライン様がお怪我されたらどうするつもりですか!?」

「俺がいわれなき傷を負うのはいいのか?」


 などと言ってもやはり無駄か。そうげんなりする横で、アスブラインはほほ笑んでいた。


「照れ隠しもほどほどにね、ササリナ」

「て、照れてなどいません! 私はただ、その……帰りが遅いから、ついにこの男がアスブライン様へ牙をむいたのかと!」


 十年たっても信用を得られないのはおそらく、よわい百を超えた老婆ろうばのくせにまるで童女どうじょのような彼女にとっては、十年だからなのだろう。


「まったく、というやつは…」

「私はハーフエルフです!」

か」

「な、なんですってー!?」

「……君たちそれ、毎日やってない? よく飽きないよね。ま、僕もだけど」


 じゃれ合う子らを見つめる親のような、いつくしみの表情。ふとそんな顔を見せ、アスブラインは背中を向けた。

 土がならされた道から外れ、わざわざ草むらを行く後ろ姿を追いかけると、振り返らぬまま彼が言葉を投げかける。


「夜道ではないんだろう、ササリナ?」

「はい?」

「君の心配の種さ」


 唐突になんだと思ったが、どうやら図星を突いたらしい。

 スカートをたくし上げ、必死に自分の前を歩こうとしていたササリナの足がピタリと止まる。ゼノは眉根を寄せ、ランタンの明かりを彼女へ向けた。

 頬に赤み。透き通る白い肌で、よく目立つ紅潮こうちょう。「何見てるんですかっ!」と湧いた怒りだけでは説明できない真っ赤な顔。

 立ち止まった二人に付き合わず、歩きながらアスブラインが続ける。

 今度は、ゼノへ向けて。


「叩き売りはそのとおり。だけど、盗み聞きは君のことじゃない」

「? どういうことだ?」

。君をそう呼んでも、彼女は不思議な顔ひとつしなかっただろう?」


 ハッとしてササリナを見ると、彼女もこちらを見た。視線が絡まり互いに硬直。

 白く細い首筋から長い耳の尖った先まで、みるみると真っ赤に。


「精霊に悪事の片棒を担がせるのは感心しないけど、君が少しは素直になれるなら、大目に見ようかな」


 そう言い残して立ち去るアスブラインを、両者ともに追えず。その場は彼の手のひらの上だった。

 そしてゼノは、声にとげを含ませた。


「ずっと、聞いておったのか? わざわざ式鬼しきまで使って?」


 自分にとっては神聖な儀式。それをのぞかれては多少、思うところもあるというもの。そんなゼノの小さな怒りを感じてか、いつも威勢の良いササリナもさすがに肩身が狭そうだった。

 しかしそれでも彼女は、その長い耳と髪を揺らして————プイッ。

 

「私、なんて使ってないもん…」

「だから精霊……いや、それはいい。お主、いったいどういうつもり――――お、おい、なぜ泣く…!?」


 雷神にして、軍神。

 そう称される男は今、女エルフの涙ひとつ――というにはポロポロ泣きすぎだが――でみっともなく慌てふためいていた。怒りなど、女の涙のつゆと消えにし。

 ササリナが嗚咽おえつをこらえながら言う。


「だってあんな、深刻な顔して……これで、最後みたいに…。だから私、つい…。アスブライン様も、きっと止めてくださると思ったのに、すんなり受け入れてて……だから、だから私……っ!」


 それ以上はこらえきれなかったのか。彼女はワッと泣き出し、その美しい顔を両手で覆ってしまった。事情を察して無精ひげをなでる。つまり、アスブラインと同じか。

 なればこそだ。


「勘違いだったのだから、そんなに泣かずとも良いのでは…?」

「そういう問題じゃないっ!」


 雷神のお株を奪う雷がピシャリ。どういう問題なのかすらわからず、涙を止める手立てなし。まさに無為無策むいむさく。軍神の名折れ具合はもう複雑骨折バッキバキである。

 深いため息をつき、ゼノは正直な気持ちを吐露することにした。


「俺とて尻込みしていたのだ。実のところ、今も本当にはらが決まっているのか怪しい」

「え? じゃあ……」

「いちいち泣くな、泣きたいのはこっちだ。故郷くにを捨てるのだぞ?」


 グッ、と再び泣き出すのをこらえたササリナが、腕を通していないほうの着物の袖を掴んだ。


「そんなの、いつでも帰れるでしょう? あなたの故郷は私の森と違って、消えたりしないのだから」

「いや、帰らぬ。帰れぬ。いずれこの身が朽ち、塵芥ちりあくたになったとてな」

「意味がわかりません。なんでそんな、意地を張って…」

さむらいが忠義に背くとは、そういうことなのだ」


 それを、アスブラインは理解してくれていた。だから彼はあんなに動揺したのだ。己の命の危機にすら顔色を変えぬ、あの男が。

 それに少しだけ救われた。さむらいとして。


「……あなたはいつもそう。サムライサムライって、そればっかり」

「そうか、自覚がなかった。今後は気をつける。すまなかった」

「べ、別に謝ってほしいわけじゃ…」


 口ごもるササリナ。泣きやんではくれたらしい。無意識だろうか、着物の袖はいじいじと離してはくれないが。

 ゼノはそのまま連れ立って歩くことにした。「あ、ちょっと!」と彼女が袖を離さぬまま追いすがる。今度はおそらく意識的に。

 草むらに伸びた影だけ見ると、まるで腕を組んで歩いているようだった。


「……ねぇ」

「なんだ?」

「さっき言ってたのは、ホント?」

「どれかわからん」

「だから、その……自分でも怪しいとか、なんとか…」


 ゼノは手元のランタンを遠くへ向けた。アスブラインは————いた。

 やけに明るい崖ぎわで、自分たちを待っているようだ。


「陽は善にあらず、陰は悪にあらず。ただそれだけのこと」

「どういう意味? またサムライ?」

「これは陰陽師だ。要するに、故郷くにに帰りたいと思う己がいることもまた、俺は認めるべきなのさ」

「そう、なんだ…」

「だからそんな顔をするなというに。俺が今さら帰るはずなかろう。それに、我が忠義は此度こたびいやしくとも拾われたのだ。なればこそ必ず貫かねばならん。それが————……」

「あっ」


 影ぼうしの長耳がピコンッと跳ね、弾む歩調が草をかき分ける。

 そして、長い髪を耳にかけながらニコリとのぞき込んでくるのは、美しき妖精。


「それが、?」


 したり顔に、ぐうの音も出ず。舌の根すら乾かぬうちに。


「……すまん」

「いいですよ。別に、イヤじゃないです」


 むしろ楽しそう。機嫌は良くなったようだが、複雑だ。ゼノは顔を渋くさせた。

 すると遠くで、アスブラインが振り返った。


「……それに、あの…」


 夜が明けるにはまだ遠い。なのに彼が立つ崖のそばは、まるであかつきの地平線のようだった。


「私、あなたのことも……」

「ん? 何か言ったか?」


 その光景に気を取られていたゼノが聞き返すと、ササリナはなぜかうつむいてしまった。ヘナヘナとしおれる長耳。しかしよく見れば、その耳は先ほどより真っ赤だ。もはやタコ。

 ゆでダコならぬ、ゆでエルフ。


「————私、のことも……イヤじゃない、です…」


 そんな無礼な想像が一瞬で消し飛び、目を丸くする。くした左目すら見開かれた気さえした。

 ゼノはわずかに口元を緩ませながら、胸を張って言った。


「この未来さきはともに歩こう、ササリナ」

「……へ?」

「お主にずっと、そう言いたかったのだ」


 客人としての身分。それを一番気にしていたのは、おそらく自分。

 やっと言えた。彼女にも認めてもらえた。新たな名を呼んでくれた。くした故郷ものは大きくとも、きっと手に入るものも多いはず。

 たとえば、自分がいなくなるだけで泣いてしまうらしい、の素直さなど。


「……い、今のはっ、ど、どどどっ、どういう意味――」

「あー、エッヘン」

「なぜ偉ぶった?」

「いやせきこんだつもりなんだけど?」

「――アスブライン様っ!?」


 なぜここに、と言わんばかりのリアクション。だいぶ前、しかもこちらから彼へ歩み寄ったにもかかわらず。


(そういえば、ずいぶんとフワフワ危なっかしく歩いていたような…?)


 全治五か月ほどの名折れ中である軍神が首を傾げる横で、長い耳をピンッと張る真っ赤なゆでエルフ。そして、眉間のしわをつまんで難しい顔をする、掴みどころのない主君あるじ

 そんな三者三様で対峙する中、パチンッ、とアスブラインが指を鳴らした。


「君たち、そのまま回れ右。もう一往復してきなさい」

「なんの罰だそれは」

「罰じゃないよ。ね、ササリナ?」

「えっ!? あ、あの……っ!」


 答えを求めて見つめれば、ササリナはずっと掴んでいた着物の袖を乱暴に放し、脱兎だっとのごとく逃げ出した。


「結構ですぅぅぅ――――っ!」

「……あーあ」

「なんなのだ、あやつは」


 手でひさしを作って見送るアスブラインのため息に同調したつもりが、向けられたのはジトッとした目。なんなのだ、こやつも。


「それにしても、まったくあの子は……人間の寿命が短いことをまだよく理解していないなー」


 アスブラインが背中を向けると、くくった銀髪がまるで手招きするように揺れた。

 それに誘われるように彼の隣へ立つ。


「まるで自分が人間ではないような言い草だな……やはり、お主もなのか?」


 暗い夜、ランタンらずの明るい崖ぎわ。切り立った斜面は角度も高さもあまりないが四方を取り囲んでおり、すぐ下の地面を窪地くぼちにしている。

 そしてそこには、夜の星々に負けず劣らずの、いくつものかがり火があった。


「僕の耳、とんがって見える?」

「いや」

「でしょ?」


 それぞれの火を囲む人の群れ。バラバラな服装。様々な人間が入り乱れ、肩を寄せ合う光景。

 それは、この世界に抗う者たちの縮図。


「ならばお主は何者なのだ? アスブライン・ヘイズ・ゴダ・ギムリアよ」


 派手な服装をした名のある北の魔賊たちが踊り、酒を飲む。


「……それ、答えだよね?」

「そうだな。現皇帝、オーディソン・ブランファズィール・ゴダ・ギムリアの弟君おとうとぎみよ」


 きちんとした身なりの、国を追われた西の騎士たちが高らかに歌う。


「なんなんだい、急に。それでいいじゃないか。そもそも、どうして今さらそんなこと…」

「今だからこそだ」


 毛皮を被り、ササリナと似た格好をした南の森の狩人たちが、楽器を奏でる。


「俺はもう揺るがぬ。友よ、


 そして東のさむらいは、新たに定めた自らの主君あるじの前で、強くる。

 世界各地の戦士が集いし場所。勇猛なる景観。

 そこは、勇者たちの楽園。

 アスブラインが崖のぎりぎりに立ち、高みからそれを見下ろす。


「……いずれ、すべてを知る日が来る」

「そうか」

「だからその日まで……何も聞かず、そばにいてはくれないだろうか――――友よ」

「承知した」


 間髪入れずにそう言って、ゼノは固く口を閉ざした。アスブラインは面食らっていた。

 そして、吹き出してからほほ笑む。


かなわないなぁ、君には」


 楽園で騒ぐ勇者たちを背景に、彼は右手を差し出した。


「まだ言ってなかったよね。改めて――――ようこそ、『勇者の楽園の勇者たちヴァルハラガーデンブレイブス』へ」


 ゼノは黙って着物の袖へ片腕を通し、彼の右手を固く握った。細く笑む翡翠ひすい

 それが、強い眼差しに変わる。


「それじゃあ行こうか。運命などない……僕たちの、白紙の未来を取り戻しに」


 返事はらない。そう言いたげにすぐ右手を離し、背中を向けて歩き出すアスブライン。その姿に自分への信頼を感じながら付き従う。

 そして、隣に並ぶ直前。


「……今度こそ、取り戻してみせる――」


 さむらいは、最初のめいを果たせなかった。


「――待っててくれ、兄上…」


 歩調を落とす。ゆっくりと彼の背後うしろで、片側だけの視界を閉じる。

 ゼノは夜風が拾ったその言葉をそっと胸の内にしまった。

 それが、友の願いなれば。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る