エンドロール
気がつくと、外に立っていた。
白む空。地平を染める朝焼け。静かな荒野に嵐の
そして足元には、バウマンが転がっていた。
「……起きてくださいよ、教官」
うつ伏せになった遺体のそばで、目を覚まさない恋人を抱えながらうつむく青年。そんな光景を見下ろしているマーシャルは、ジンのガンバンテインの隣で同じように打ち捨てられ、岩を背にして座っていた。だが、損傷の程度は比べるべくもない。ほぼ無傷。おそらくただのエネルギー切れだろう。
「いつもみたいに『
それにしては、バウマンの体はひどいものだった。
「……あぁ、そっか」
腕はあらぬ方向に曲がり、ローブからはみ出る手の甲も、無事な左目を上にした無念そうな横顔もひどくただれている。
おびただしい血。清涼な空気に混じる異臭。
「俺、もう、軍人じゃないですもんね…」
スヴェンは横抱きにしたフィーと昇ったばかりの朝陽が織りなす歪な十字架の影を、眠るバウマンへと差しこませた。
「階級呼びなんて、しなくていっか…」
話しかけても意味はない。フィーと同じように、彼も死んでいるのだから。
これで、みんな死んだ。
「ねぇ……そうですよね、教官…」
スヴェンはその場に立ち尽くした。何か言葉を投げかけたような気もするが、何を言ったか自分の声なのに遠くてよくわからなかった。いい加減、涙も干からびる頃合いだ。
「教官、教官……俺…」
その時、背後に気配を感じた。敵の残党だろうか。
「まだ、奥さんと娘さんの墓参り……連れてってもらってないですよ? ねぇ、教官……」
ちょうどいい。
「……起きろよ」
このまま、撃ち殺してくれ。スヴェンはそんなことを願った。
「起きろよ、バカやろぉ……」
力なく肩を落とし、無防備な背中をさらす。目をつむり、冷たいフィーの寝顔へ額をぶつける。
期待する痛みは、訪れてはくれなかった。
――ツンツンッ。
背中を指で刺したのはリズだった。
視界の端で揺れる長い金髪に驚き、振り返ってはその
ツンツンッ、と再び突かれ、仕方なく顔を上げる。うつろな顔に、期待外れを通り越した絶望さをにじませ、のろのろと視線を向ける。
そんなこちらの様子などおかまいなしに、少女は小首を傾げた。
「会いたい?」
いつかも、聞いたセリフ。いつだったか。すぐに答えが出てこない。
眠たげな
「スヴェン、会いたい?」
会いたいよね、とせがむように。そこで初めてひどい違和感を覚えた。
なんでこいつは、こんなにいつもどおりなのだろう。
「? スヴェン、会いたくない?」
まるで、フィーとバウマンの死になど、まったく興味がないようだ。
それはそれでありがたい気もしたが、わずらわしかった。消えてほしかった。
ひとりに――――自分たちだけに、してほしかった。
「……
目線を外せば黙りこみ、戸惑いがちにその場で足踏み。しかしすぐ、ペタペタとぬかるんだ地面を
チラリと見ただけで、フイッと視線を前方へ。大きな石ころを見かけた程度の関心の薄さ。
そして、怒りに任せて叫ぼうとした瞬間、スヴェンは呆気に取られた。
(――――え…?)
それはまるで、絵本の
少女がスッと片手を上げただけで、見たこともない風景が目の前に広がっていた。
(! あれ、は……)
差しこむ暖かな夕暮れ。白い百合の花畑。その間の小道を歩き、ポツンと建った小さな家を目指す三人家族の後ろ姿。リズよりもはるかに小さな女の子がはしゃぎ、どこか見覚えのある優しげな女性が幸せそうにほほ笑んでいる。そんな美しい黒髪の
幼い娘をそのたくましい片腕で担ぎ、仕事道具を代わりに持った妻の手を自らの手ですっぽりと覆う、岩のように大きな背中をした男。
会いたい人。
(教官――――)
スヴェンは思わず呼び止めようとしたが、とっさに声を押しとどめた。家路に着いた彼をもう、引き止めてはならない。
しかし少女が、無感情に命じる。
「————おいで」
総毛立った。
夕暮れに染まらず、百合の花を揺らしもしない不吉な淡い緑の風が、妻と娘を阻むように男へ絡みつく。立ち止まる大きな背中。わけがわからない様子で、パニックになりながら父へしがみつく幼い娘。
リズは緑の風の尾を掴むように拳を握った。そして軽く、引っ張るような仕草をした。彼をこちら側へ連れてくる気だ。なんのためらいもなく。
優しげな表情を悲壮なものに変えた妻が、夫の腕にしがみつきながら振り返る。
かち合う視線。目に飛びこむ、口の動き。
――ヤメテ。
共鳴する絶叫。
「――――やめろぉぉぉっ!」
そう叫んだとたん、周囲は一瞬にして元どおり。朝陽の照らすさみしい荒野へと戻っていた。
(……い、今のは…?)
幻。白昼夢――――いや、悪夢だ。
大きく肩で息をしながら、スヴェンは先ほどと変わらずに眠り続けていた腕の中のフィーを見下ろし、そして、リズへとおそるおそる視線を移した。少女がこちらを向き、小首を傾げる。
あの不吉な風と同じ色をした
「……なんで?」
ゾッとした。
体中から、冷や汗が吹き出た。
「スヴェン、泣いてる。会いたいって、泣いて——」
「黙れっ!」
理解が追いつかない。言葉にできない。
先ほどの光景も。
平然とする、目の前の少女の薄気味悪さも。
「なんだよ、お前っ…! なんなんだよっ!」
だから、その語気の強さに慌てたのは第三者だった。
「待って!」
割って入る、シノビ装束を着たくノ一。
シズクはリズの肩を抱いてかばいながら、あごの
「違うんです! この子はただ、あなたに良かれと——」
「うるせぇっ!」
どうしてこの場に。いつから。そんな疑問が
混乱は怒りへ。転じた矛先は、相手と焦点。
「今ごろ、のこのこ現れやがって! お前さえ……お前さえさっさと来てれば、フィーは死なずにっ…!」
「それは……」
あんまりな言い分にもかかわらず、シズクが申し訳なさそうに黙りこむ。その姿を見てスヴェンの心は二つに割れた。
小さいほうの
「……笛の音が聞こえて、急ぎはしたんですが、こちらも少し立てこんでて…」
スヴェンの背後へ目をやるシズク。感じ取る、複数の気配。おそらく協力者だろう。マーシャルをそのまま運転して東方へ運ぶなどというずさんな計画、このくノ一やあの天才と呼ばれるエイル・ガードナーが立てるわけない。冷静に考えればわかること。
しかしスヴェンは冷静になるどころか、なおも激情に身を任せた。
「言い訳してんじゃねぇぞ…!」
荒れ狂う内心。片隅ですすり泣く、小さな
違う。
「お前のせいだ……お前のせいで、フィーは死んだんだっ!」
「返せよっ!」
「俺のフィーを、返せっ…!」
スヴェンは恨みがましい目を向けた。色を失った様子のシズクに、その瞳の揺らぎは見えなかったことだろう。フィーを横抱きにする腕へ力を込めると、やや乱暴に胸元へ寄せた彼女の顔はそれでも
奥歯をかみ締める。眠る彼女へ頬を寄せる。冷たい。温もりはどこにもない。それでも思わず探してしまう。
すると、大きくなる声。
——
グッと息が詰まり、せき込むように吐き出すと、ちょうどそこへ見覚えのある
「……タル、ボ…」
「————てめぇ、よくもぉっ…!」
空気を歪に震わせると、タルボが慌てて逃げ出そうとする。
それをスヴェンは踏み抜いて止めた。
「言ったよなぁ、この人を死なせるなって…! なのになんで、てめぇはまだ動いてんだ…!? 教官は、もう動かないのに……たかが
ググッと地面へめり込むほど踏み潰すも、
募るいら立ちに
「————お前のせいだっ! お前のせいだっ! お前のせいだっ!」
壊れていったのは、スヴェンだった。
ひび割れる心。増える
「————黙れぇぇぇっ!」
金切り声が朝の空気を切り裂くも、すぐに沈黙が訪れる。踏みつけるのもやめ、耳に届くのは自分の荒い息づかいだけ。
静かだった。
そこに映る小さな己は、
けれど、あぁ、なんてことだろう。
「————あ、あぁ…」
みんなを殺した
「違う、違う違う、チガウ……」
スヴェンは青ざめた顔を振り、無意識に足を上げた。
それを止めようとしたくノ一の動きごと釘を刺す、少女のよく通る声。
「ダメ」
ハッとして、静かに足を下ろす。視線を向ける。
「いじめちゃダメ」
バウマンやフィーには、なんの反応も示さなかったくせに。
「……元はといえば、お前だろうが」
スヴェンは足元のタルボを蹴りつけた。ゴロゴロと無体に転がされた
そのなんでもない仕草ひとつですら、
「お前が……お前の、せいでっ…!」
リズを強くにらむと、息をのみながらシズクが前へ出る。しかし少女はなんの気負いもなく、そのかばう背中の横からピョコッと顔を出した。何を追及されているのか、わからなかったらしい。
口にしたのは意味不明な回答。
「これしか、会えないよ?」
スヴェンは固まった。意味がわからずに、ではなく、リズがバウマンを指差したからだ。
ブンブン、と少女が首を振る。
「それには、スヴェン、会えない」
次にその指が差したのはこちら。自分ではなく、フィー。それだけは理解できた。のどが詰まり、声が震える。頭の奥がしびれる。バウマンとフィーを、これだの、それだの。
自分の、師と恋人を。
シズクが慌てて口をふさごうとするも、リズはスヴェンの絶句する様子を見てうまく伝わらなかったと思ったのか、自らを守ろうとする腕へ捕まりながらたどたどしく説明した。
「これと、あれだけ……特別? で、それとかは……普通? だから」
疑問符で詰まり、カタコト調も抜けぬが、珍しく長い口上。
あれ。たぶん、ガンバンテインの中で眠るジンのことだろう。
それとか。フィーも含めた、みんな。
特別。普通。
もう――――うんざりだ。
「……みんな、死んだ…」
たとえばそれは、あごの下に生える一枚だけ逆さになった鱗を無邪気に引きはがされたような。もしくは、固い鱗が生えなかった背中の一点へ転んだ拍子にナイフを突き立てられたような。
そんな、悪意ではなく、ひどい痛みに対する激しい怒り。
「お前が、現れたからだ…」
よろめきながら一歩だけ近付く。声は聞こえなかった。
外からも、内からも。
「お前さえ、ここに逃げてこなきゃ……みんな、まだ、生きてたんだ…」
なのに、砕けた心が一斉に叫ぶ。
また一歩、近寄る。
言い聞かせる。
「全部、全部、お前のせいだっ…!」
スヴェンはその眠たげな
「この……」
そしてその、白く細い首筋へ、両手を――
「バケモノ――」
――パンッ。
乾いた音。ぶれる世界。頬に熱、痛み。
少女がその首を、まるで細枝のようにたやすく
そのくノ一は、青年の頬を張った自らの手を痛そうに隠した。
「どうして……」
シズクは震えていた。泣きそうな顔。
「なんで、あなたが…!」
どこかで見たことがある。あれはそう、
そして、冷めた頭の中でまたもや響く。
「……
「! ちがっ…! 私は、ただ……」
ほかの感情の入る隙間がなくなっていく。
「ありがとよ、止めてくれて。さらに寝覚めが悪くなるところだった」
茶化してみせるも、シズクが黙ってうつむく。そんな様子にさえ思考が割けない。
スヴェンはあまりにもおかしくて、笑い出しそうだった。
「ついでと言っちゃなんだけど、しばらく放っといてくれるか?」
「……はい、わかりました」
リズと手をつなぎ、
「もちろん俺が用済みだってんなら、そのままどこへなりと消えてくれてもかまわないぜ」
立ち止まる足音。
ささやきを運ぶ、乾いた風。
「あなたは、どうするんですか…?」
答えられなかった。どうするか、だなんて。
笑いをこらえようとして口元が歪んだ。
「……叩いて、ごめんなさい」
しおらしい声。沈黙。
そして、別人のようにはっきりと。
「待ってます」
クッ、とスヴェンは小さく笑った。その皮肉げにもれる息は聞こえていただろうに。
「私は、待ってますから」
それでも彼女はそう言い残して、複数の気配とともに去っていった。
やがて、こちらが見えぬ距離になってから――なんてことを考えている余裕はなかったが――スヴェンは笑った。
「――――クッ…」
後から後から笑いが込み上げてきて、バカに広い空を見上げた。
「クククッ……クッ…!」
おかしくておかしくて、たまらなかった。
「クッ…ハッ……ハッハッハッハ――――ッ!」
ひどく乾いた笑いだった。腹からではなく、のどを痛めつけながら空気を震わせているだけ。だって本当は、何もおかしくなかったから。なのに笑いが止まらない。
その間も、ずっと声は響いていた。
「ハッ、ハハッ……アハハハハハハッ!」
内側から響くその声に耳をふさげず、また一際大きな笑い声を上げる。
「アーッハッハッハッハッ!」
まるで悪の親玉だな。そう
唱和する声。
頭が、おかしくなる。
「ハハッ、ハッ、ハッ……――――ッ!」
スヴェンは尽きかけた息を継ぎ、また笑い始めた。そうでもしていないと、本当におかしくなりそうだから。
けれど、もう手遅れ。
それは大きな声だった。
――そうだよ。
幻聴と呼べるものですらない。ただ一言、そう考えただけ。
ただそれだけで、歪な笑いがピタリと止まる。
――
頭の中のざわめきが消える。ひとつになる。砕けた心がまとめられる。
まるで、ゴミのように。
――悲劇のヒロインぶってごまかしてんじゃねぇよ。少なくとも……。
スヴェンは崩れ落ちた。ぬかるんだ地面へと膝をつけた。
ガクッと首を落とし、腕の中で眠る恋人を静かに見下ろす。
――フィーは救えた。
まばたきすら忘れ、見開く目。
――刺される前に、すぐ叫ぶべきだった。フィーと離れるべきじゃなかった。
震えるのど。声ならぬ声。
――もしくは、洞窟へ引き返させていれば助かった。敵は全滅してたんだからな。
ポタリとこぼれ落ちる涙。
――そもそも、
――ほぅら……
どこか
ダラリと力なく落ちてしまうフィーの首を腕で支える。顔にかかる赤毛を震えた指でこわごわと払う。少しだけ口の開いた、きれいな死に顔。瞳は閉じていた。自分が手で閉じたのだ。
耐えられなかった。自分のせいで死んだのだと――――家に帰りたいと、その光を失った瞳に責められている気がして。
そしてスヴェンは、ついに口にした。
「……俺の、せいだ…」
すると、
待ってましたと、言わんばかりに。
――だけどさぁ、
ただの思考。声色などない。
なのにそれはねっとりとしていて、とてもいやらしく響いた。
――
空を見上げる。
――あいつらが来なければ。そもそもフィーが、
消えた星々。帰らぬ鳥。
紫色に染まる薄雲。
――な? 全部じゃあないだろぉ? それにさぁ、
土の上に転がる師。鉄の
ニタリと、声の主は
――一番悪いのは……ダレダ?
それは、スヴェン・リーの敵。
誰もいない朝焼けの空へ向かって、スヴェンは
ただひとつ。己の敵の、その名だけを。
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