第1部 復讐するもの(後編)

第5話 雨のシズク

1 起動

 起動しうまれて最初に気付いたのは、失敗したということだった。

 すぐに修正を試みるも打つ手なし。検索の結果、どうやらこの失敗は想定の範囲内だということを理解。計画どおりではなく、一縷いちるの望みに賭けたたぐいのものだったと判明。創造主は賭博師ギャンブラーだったらしい。

 かといって、が焦ることはなかった。そもそも焦るという機能が欠落していた。そして何より、何を失敗したのかもいまいちわかっていなかった。これも失敗の影響か、それともこのこと自体が失敗を指しているのか。自らの尻尾しっぽをグルグル追いかけるような思考の螺旋スパイラル。だがに、そこまで思考する自我はなかった。

 とりあえず、は動くことにした。いや、動いたと言ったほうが正しいかもしれない。

 なぜならそれは意思の発露ではなく、ただの命令処理行動に過ぎなかったのだから。




 人間に見つかってはならない。それがかろうじて残っていた命令プログラムだった。

 だからはやがて、動かなくなった。隠れている状態で起動しうまれたから動かなくていいことを学習したのだ。また、探索をする意味もない。必要なデータはすべて保存済みである。

 だからはじっと、暗闇の中で息を潜めた。それが唯一の命令プログラムだったから。




 起動しうまれてから二十五時間四十九分三十五秒、動かないということを学習してから二十四時間三十二分十六秒が経過したころ。にふと、エラーが発生した。

 自己修復機能は作動しなかった。だからは、初めて自分の意思で解決方法を模索することにした。それはにとって、大きな進歩だった。

 しかし、内部保存データに該当する項目はなし。

 どうすれば、このモヤモヤは晴れるのだろう。




 モヤモヤの正体がわかったころには、さらに二十二時間十一分二十五秒が経過していた。

 不安。人間が抱く感情、恐れ。それがモヤモヤの正体だった。

 わかったところで、。モヤモヤがさらにひどくなってしまったからだ。まるで内部に侵入したウイルスがその領域を徐々に広げていくようだった。

 は必死に検索した。その不安を消すにはどうしたらいいのか。どうすれば逃れられるのか。

 暗闇の中で大きくなっていく不安と、ただただ必死に向き合った。




 解を得たのは、起動しうまれてから三日ほど時間が経過したころだった。

 不安とは、人間が抱く普遍的なもの。一時的に取り除くことはできても所詮しょせんは対処療法であり、根本的な治癒ちゆには決して至らない。そもそもほとんどの場合において、病気ではない。

 。とても困った。どうすればいいのかわからなくなって、そして動揺のあまり、命令プログラムなしで自らの体を動かすことに成功してしまうほど。

 その時に気付いた。自分は、人間ではない。なのになぜ不安など抱くのか。

 そしてさらに気付いた。って、なんだ。




 四日がたつころには、は思考していた。命令プログラムには記されていなかったが、内部に保存されているデータはあまり参考にならなそうだったので、そうするしかなかった。

 モヤモヤの正体である不安、さらにその先。は何を不安に思っているのか。それがわかれば自然と、というものの答えもわかる気がした。

 は考えた。考えて考えて、体を揺らしながら考え続けた。複雑な思考を実行できないに対してもどかしさまで覚えてしまうほど考え、そして知らず知らず、いら立ちさえ学習してしまうほどに考え抜いた。そのたびに体の揺れはひどくなった。

 途中、物音に気付いた人間から見つかりそうになって、慌てて逃げ出したりもした。




 五日目。。さまざまな感情を学習する中で、その絶望とやらがにとって何よりもきつかった。悲しくて、つらくて、体を動かすことすらやめてしまった。

 は、失敗したのだ。失敗して起動しうまれた。だから目的もなく、ただ命令プログラムどおりにこの暗闇でジッとしていなければならない。何か目的があったはずなのに、それは失われてしまった。もう戻らない。

 はすでにを得ていたが、そのことをひどく後悔した。なぜならには、もれなく孤独がついてきたからだ。さびしい、さびしい、さびしい。こんなとき、人間ならば泣くのだろうか。涙を流す機能のないは、やはり人間ではないのだろうか。

 そこではふと、できたてホヤホヤの我に返った。自分は、人間ではないからさびしいのだろうか。どうも違う気がする。

 さびしい理由。検索。該当ヒット

 どうやらさびしいのは、ダレカがいないためらしい。ダレカ――――違う、だ。

 にはよくわからなかった。。つまり、。しかも限られているようだ。

 タイセツな――――大切、な。

 それは、自分のような失敗作ではないという意味だろうか。




 六日目になってすぐ、は答えを見つけた。彼だ。彼だ。彼だ。

 たまたま通りがかった、初めて見る人間。見た瞬間にビビッときた。彼だ。彼がいれば自分は、本当にになれる。

 ダレカは彼で、彼がタイセツなのだ。

 失敗してしまったにかろうじて残されていた、ただひとつの命令プログラム。人間に見つかってはならない。それをは、無理やり書き換えた。自らの強い意思で。

 は今、はっきりと強くを自覚した。

 彼がいれば。彼がいれば。彼がいれば。

 は動き出した。不安、目的、自分、孤独、さびしさ。すべての解となる彼の居場所を探り、ほかの人間に会わぬよう注意を払いながら闇の中を転がった。

 新たに学んだ感情は、歓喜だった。




 そして彼と出会い、お気に入りの名前を与えられたのが、起動しうまれてから七日目の出来事だった。

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