10 『あの子の好きな』

 その後、ベイカーはアレックスと二人で脱ぎ捨てた軍服を回収し、のんびりとエレファントの残骸ざんがいへと足を進めていた。青い機体に乗る若いパイロットが敵の魔賊を捕らえてくれたからだ。

 つながった通信によると、魔賊の男は意識不明。といっても重体ではない。搭乗席コックピットにもそこまでの被害はないのに、と不思議がる若いパイロットの声が印象的だった。暴走状態になった獣型けものがたのパイロットの末路を知らないらしい。きっと意識を取り戻しても廃人状態となっており、回復することはないだろう。

 そのことを説明してもいまいち理解できなかったのか『とにかく縛り上げとく』と通信を切った若いパイロットの元へ、犯人の受け取りに向かう。どうやら手柄を渡してくれるようで、アレックスなどは今にもスキップでもしそうなほど足取りが軽い。プライドはないのか、プライドは。

 そんな冷めた目を送りつつ、ベイカーもどこか浮足立つ自分がいることを自覚していた。

 所属も階級も、名前すら告げず。しかも自らのしたことを誇るでもなく、いの一番に謝ってきたパイロット。他人の仕事を奪ってしまったことに後で気付いたらしい。そのおかげでこちらは助かったのだから責めるなどとんでもない話だったが、ベイカーはいったんその謝罪を、目を点にしたまま受け取った。そして俄然がぜんと興味が湧く。

 いったいどんなやつなのか。自分の仕事ではないということは、対魔賊特殊騎兵部隊ミスティルテインズではない。声は若い気がしたが、雰囲気は落ち着いていた。いやしかし、とっさの反応からは幼さがにじみ出ていた気がする。そして何より、あの強さ。

 おそらくそういった興味を隣のアレックスも抱いていたのだろう。「どんなやつなんすかね」と話題に出しながら互いに歩を進める。途中、おっさん扱いされたことを思い出したのか、眉をひそめる場面もあったが。

 とにもかくにも。

 そんな密かな楽しみを胸に抱きつつ、倒れ伏す鋼鉄の巨像の元までたどり着くと、その若いパイロットが姿を現した。


「よぉ、お疲れさん」


 エレファントの背中の上から投げかけられる声。通信越しよりも鮮明で、より若さがうかがえる。

 しかし、逆光で顔がよく見えない。


「あんたら巡回兵おまわりだろ? 後は任せてもいいよな? さっさと戻れって先生……上司がカンカンでさ」


 とっとと話を切り上げたいらしいその声にベイカーは焦った。まだ何も、礼すら言えていないのに。

 顔を上げ、まぶしさに負けぬよう必死に目を凝らす。

 すると、そこにいたのは――


「――あ……」


 ベイカーは言葉をのみ込んだ。

 片足をかけてこちらを見下ろす、見覚えのない部隊章――どうやら渡し守をかたどった紋章のようだ――を左胸につけた黒ローブ姿の男。照りつける太陽の下で、フードは外れていた。

 明るい昼間の世界で浮くような漆黒しっこくの髪。眠たげながらも鋭利な眼差し。そして、黄色い肌。

 その特徴をとらえ、とっさに浮かんだその単語を、隣のアレックスはのみ込めなかった。


東方系人種イースタニアンじゃん――――イダッ!?」


 見下すような響きにパカンッと手が出る。予想どおり若いが相手は命の恩人で、しかも魔杖機兵ロッドギアパイロットということはマスター階級であり上官だ。後頭部とかんだ舌の痛みだけで済ませてくれればいいが。

 小僧こぞう呼ばわりした自分を棚に上げるその心配は、すぐ杞憂きゆうに終わった。


「知ってるけど?」

『……は?』


 隣で頭を押さえるアレックスと異口同音に驚く。それだけか。呆気に取られて言葉が続かない。さらにおかしなことに、その場の沈黙を助けたのは軽く言ってのけた本人。青年は目を丸くし、まるで自らの口からもれた言葉に驚いているようだった。

 そして彼はなぜか、時間を確認した。左手にはめた腕時計をゆっくりと見下ろし、優しげな笑みを浮かべた。時間に追われているにしてはなんとも幸せそうな表情。

 その腕時計にそっと触れてから、青年は立ち上がった。さわやかな青空とまぶしい太陽を背景に、優しげな笑みを消して皮肉げに言う。


「見りゃわかんだろ、おっさん」


 それはどこか飄々ひょうひょうと。そして、あまりにも堂々と。

 だから、流し目とともに送られた不敵な笑みにも見入ってしまい、胸を張って去るその後ろ姿にもしばし呆然。「ま、またおっさん扱いを…!」と動き出したアレックスの頭を無理やり押さえつけ、ベイカーは急いで声をかけた。まだ大事なことを聞いていない。


「あんた、誰だ?」


 ピタッ、と止まる歩み。


「いったい何者なにもんだ?」


 青年は振り返らなかった。


「だから、ただの東方系人種イースタニアンさ」

「そういうことを聞いてんじゃねぇ」

「そっちが言ったんだろうが」


 そして彼は、軽く肩をすくめてこう答えた。


「スヴェン・リー。ただの……スヴェン・リーさ」


 階級も、所属先も告げず、名前だけを告げて青年は再び歩み始めた。ベイカーはその遠ざかる背中へかける言葉が見当たらず、近くに座していた青い機体へ彼が乗りこむまでずっとその後ろ姿を見送っていた。不思議と、目が離せなかった。

 砂ぼこりを上げながら発進する青い機体を追いかけて「俺はまだ二十代だーっ!」と叫ぶアレックス。その滑稽こっけいな姿を見ながら、ベイカーはくしゃくしゃになっていたタバコをポケットから取り出し、口にくわえて火をつけた。


「ただの……スヴェン・リー、ね」


 根付いた習慣を急にやめる場合、何よりも大切なのは無理をしないこと。一度に二つもやめるなどはいただけない。


(妙な間があったけど、なんて言いたかったのかな、あいつ)


 だからベイカーはタバコをやめるという一大決心をいったん取り下げ、むやみやたらに若者を見下す習慣のほうをひとまずやめようと決めた。ガキのように飛び跳ねてプリプリ怒るあの後輩を、今どきの若者代表として見るのはかなりの偏見だろう。あんな骨のありそうな若人わこうどもいることだし。


小僧こぞう呼びは悪かったかな……それに、礼も言えずじまいだ)


 だが、彼にはきっとどうでもいいことなのだろう。ベイカーは紫煙をくゆらせて小さく笑った。


「こんにゃろー! 次会ったら覚えとけよーっ!」


 害ある煙と間の抜けた敵意は風に吹かれ、どこまでも広い青空へと消えていった。




 それ以降、ジャック・ベイカーがスヴェン・リーと出会うことは二度となかった。

 堂々と胸を張り、不敵な笑みを浮かべ、颯爽さっそうとした後ろ姿を見せる――――フィー・ヴァレンタインが好きになった、スヴェン・リーには。




【復讐するもの(前編)〜了〜】

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