9 VS.エレファント②
鋼鉄の巨象の、こちらを踏み潰さんとする大きな前足。それを足の裏から持ち上げる青い
目の前の光景をあんぐりと口を開けたまま観察していると、
『ボケッとすんなそこのおっさん二人! 早く逃げろ!』
外部スピーカー。若い声だ。
生意気な、と思う間もなく、ベイカーは弾かれるように立ち上がった。
「……え!? 今、俺のこともおっさんに含め――――グェッ!?」
「行くぞこのバカッ!」
何やら物申そうとしていたアレックスの
それにしても、あの機体はいったい。
「おい、アレックス!
通常の
もちろんどちらも違う。あれは友軍、帝国が所持する
しかし、あんな機体は見たことがない。
「新型でも導入されたんじゃないすか!? そこまでいちいち把握してませんよこっちも!」
「……おめぇさん、何怒ってんだ?」
「こちとらまだ二十代なんですけど!?」
二十代後半に差しかかった
そして
すると彼は、思わずギョッとした。
「なっ……何してんだあいつ!?」
「ちょっと
振り返ってしまった体を前へ向き直すと、進行方向に大きな倒木。アレックスはすでに回りこんでいる。
ややまごつきながらも勢いそのままに手をついて乗り越え、再びアレックスと合流。そのまま
先ほどまでとやはり、体勢は変わっていない。
(冗談だろ、あんなデカブツ相手に真っ向勝負でも挑むつもりか!?)
足の裏を見せていたはずの巨象は四肢を大地につけており、こちらに背を向けて
今にも飛びかかりそうな雰囲気のエレファントはいいとして、あの青いほうは何をやっているのか。身軽そうなのは見せかけだけか。
「うわー……マジで人と象ぐらいのサイズ差ありますね、あれ」
同じく後ろを振り返ったアレックスの言葉に、ベイカーは苦みばしった顔で前を向いた。
「くそっ! ただでさえ一機じゃ厳しいってのに、なんで力比べみたいな空気出してやがんだあのパイロット!」
(これだから今どきの若いやつはっ!)
そして、戦いの音と地響きが背後から伝わってきた時、ベイカーは奥歯をかみ締めて速度を上げた。もう決して振り向かず、一歩でも遠くへ。自分たちが生き延びて時間を稼ぐしかない。
だというのに、アレックスがついて来ない。
「おい、アレックス! 余裕ぶるのもいい加減にしろ!」
「いやいや、自分ずっと真面目なんすけど……まぁそれは置いといて」
早朝ジョギングのようなペースになっていたアレックスと目が合う。すると彼は「あれ、あれ」と後ろへ親指を向けた。もう弾き飛ばされでもしたのかと慌てて振り返る。
すると、ベイカーも思わず走る速度を落として、アレックスと並びながらその光景に見入ってしまった。
――ガインッ、ガインッ、ガインッ!
ムチのように襲いかかるエレファントの長い鼻。それを迎え撃つ大振りの
――ガァンッ、ズザザザッ……!
大質量の前蹴りを受け止めて後退するモヒカン頭。しかし、槍の石突きで巨大な足をかち上げる。
――ガキィィィンッ!
巨象がややバランスを崩してたたらを踏んでいるその間に、後退した分だけ前進。そしてゆっくりと元の位置へ戻り、仕切り直し。転じる攻勢。
それは文字どおり、一進一退の攻防だった。
「マジかよ……なんだ、あれ…」
「あれ見てたら、熊を素手で倒す人間ぐらいいるなって信じちゃいそうっすねー」
それもすごいが、こちらのほうが難易度は高そうだ。なぜならよけもせず、攻撃をすべて受け止めているのだから。いくら
(機体性能だけじゃねぇ。操縦センスとか戦闘経験というより、あれは……めちゃくちゃケンカ慣れしてやがる)
パイロットではないので正確なことはわからないが、そんな印象を受ける。特に、劣勢な状況へ常に身を置いてきたような部類だ。少しだけだが確信もあった。しかし、同時に疑問も湧く。
なぜ回避行動を取らない。
――ガツッ!
振りかぶろうとした前足を、
「あっぶなー。なんであいつ、あんな耐えてんすかね?」
同じ疑問が浮かんだようだが危機感は見受けられない。「応援が来るの待ってんすかね?」と付け加えたアレックスは、すでに一仕事終えた気でいるらしい。かくいうベイカー自身も、彼のジョギングペースに合わせながら後ろの戦闘を見続けていたが。
しかし、次の言葉にハッとする。
「つーか迷惑っすよね。あいつが弾き飛ばされたら後ろにいる俺らまで危ないと思いません?」
そうかもしれない。しかし、そうとも言い切れない。
もしも下手に動き回って、自分たちを巻きこんだら。自分たちを見失って、助けたつもりがいつの間にかペシャンコにしていたら。
そうなるぐらいなら、この背中から出さない。死んでも引かない。もしも、あの若いパイロットがそう考えていたら。
「おっとと……
――ガキィッ!
そしてすぐに、腹は決まった。
「行くぞ、アレックス!」
「へ? わ、ちょっと!?」
乱暴に首根っこを掴み、強制的に進路変更。目指すは森と地続きの小さな山。おそらく戦闘区域外ギリギリの地点。
まっすぐ森を突き進めば安全圏内だというのにだ。
「どこ行くんすかベイカー
「援護すんだよ!」
「――はい? いや、援護って…」
「いいから登れ! 根性見せろっ!」
ベイカーは懸命に坂道を登った。「ウオォォォ――――ッ!」とこだまする声が木々の葉擦れを起こし、遠くからでも彼の足跡がたどれるほどに砂ぼこりが上がる。いわゆるギャグ漫画の
膝に手をつき、ゼーゼーと苦しげな呼吸を吐き出すベイカーへ、軽く息を整えただけのアレックスが声をかける。
「援護って、急にどうしたんすか? 後はいつもどおり
「登るぞっ!」
「――いやだから、今登ってきたじゃないすか…」
「今度は木だ!」
再び、ベイカーは「ウオォォォ――――ッ!」と叫びながらカサカサカサーッと高い木の上にまで登った。そのころにはもう未開の大海原へと旅立つような一大決心で、禁煙することを決めていた。
後から仕方なさそうについてきて別の太い枝へ腰かけたアレックスの肩に、ポン、と手を置く。
「……叫べ…」
「はい?」
「こっから、叫べ…」
限界を悟り、ベイカーは後を託した。そしてさえぎるもののない景色へ目を向ける。
晴天の空。眼下に広がる緑。そして、
気持ちの良いはずの風は鉄の響き合う騒音に邪魔され、軽い地響きが自らのいる宿り木にまで届く。ここもまだ危険かもしれない。それでもこの山頂ならば、いきなりペシャンコになることはないだろう。
高低差による仮の安全圏。これで、あいつは自由だ。
「さっさと、退避完了を、あのパイロットに伝えろ…!」
「そ、そんなこと言われても、叫んで届くわけないじゃないっすか」
器用に枝の先でまたがるアレックス――ベイカーは根元で幹にしがみついていた――が困惑しながらも、ズボンのポケットから手のひらサイズの小型通信機を取り出す。アンテナを伸ばしてマイクテスト。
しかし、彼は首を傾げた。
「あれ?
ベイカーが肩で息をしながらせっつく。
「おい、何やってんだよ…!」
「ちょっと待ってくださいって!
「ええい貸せっ!」
「あ、ちょっと!」
しびれを切らして奪い取るも、こちとらアナログ人間。使い方はさっぱり。それでもベイカーは二個のつまみをグリグリと回し、カチカチカチカチといくつかのボタンを連打しながらスピーカーに向けてつばを飛ばした。
「こちら北方治安維持部隊第二支部所属、ジャック・ベイカー
沈黙の代わりに、戦場の音が鳴り続ける。
「だから聞こえないんですって!」
「こちらは退避完了! 退避完了だ!」
「ちょっと、壊さないでくださいよ!? 天引きするなら
鉄と鉄がぶつかり合う音。よく見れば、均衡は崩れていた。青い機体が押されている。
「くそったれ! さっさと応答しやがれってんだちきしょーっ!」
「ちょちょちょ!? 揺らさないで! あと備品を叩かない……あ、
「――――っ!」
――ズシィィィンッ!
派手に後ろへ転ぶ青い機体。立ち上がる
「あれ、やられちゃうんじゃ…」
「おいコラふざけんなっ!」
持ち上がった鼻が叩きつけられ、盛大な砂ぼこりが舞う寸前。
ベイカーは聞き逃した。
――ザザッ…。
その、砂嵐のような音を。
「さっさと起きろ! 寝てんじゃねぇぇぇっ!」
――ダガァァァ――――ッ!
それはまるで爆発のようだった。
勢いよく叩きつけられた長い鼻に地面が絶叫を上げ、まるで
あれでは、もう――
『寝てねぇよ』
――聞き覚えのある若い声。通信機から。ベイカーは耳を疑い、そして目も疑った。
『眠そうなのは――』
砂の煙幕から姿を現したのは、疾駆する青い影。
『――生まれつきだっ!』
意味のわからないセリフだったが、ベイカーは視線を釘付けにされてそれどころではなかった。
青い機体の疾走。地表から地表へ、ではなく、その行く先は空中へ。正確に言えば、地面に叩きつけたままだっだエレファントの長い鼻の上を、まるで綱渡りの要領で駆け上がっていた。そのまま鋼鉄の巨象の背中へ足を乗せる。
「エ、エレファントに乗っちゃった!?」
アレックスの驚く声に、内心で舌を巻くベイカーも無意識にうなずいた。生身の
しかし、そこでは終わらなかった。
激走するモヒカン頭の
――ズダァンッ!
エレファントの背後に着地。ちょうど、尻の部分。
そしてそのまま青い機体は、両手に持つ大きな
――ズガシャッ!
まるで足首の裏側――人間でいうとアキレス腱だろうか――が弱点だと最初からわかっていたかのように、
淡い緑光の
たどり着く無防備な前足。先ほどの繰り返し。
しかし今度は、二太刀いらず。
――ズバガシャ――――ッ!
象の真下を高速で潜り抜けながら放たれた斬撃が、一つの軌跡で二つの前足を切り裂いた。一閃二足、合わせて三閃四足。
四足歩行の
――ドシィィィンッ……!
地に伏せるエレファントを、真正面へ舞い戻ったモヒカン頭が距離を取りながらも静かに見据える。パワーだけではない。先ほどから、なんてスピードだ。
「あ、あっという間に、片付けちゃった…」
「たぶん、ナイトみたいに軽量化してるわけじゃねぇ……そもそも馬力が違うんだ」
かみ合わぬ言葉を交わした瞬間、全身の力が抜ける。緊張の糸が切れたのだ。これで助かる。自分も、街も、人々も。そして愛する家族も。
ベイカーは木から落ちそうになったので、慌てて幹へとしがみつき、別の太い枝へ居座るアレックスを見た。彼もどうやら緊張が解けたらしく、肩を深く落としていた。疲れがドッと押し寄せてきたのだろう。こちらも同じくだ。
そして、あちらのパイロットも同じはず。そう思い、通信機を口へかざしながら青い機体へ目を向ければ――
「! まだだっ!」
――エレファントの長い鼻から、淡い緑光がもれていた。
「やばっ、さっきの…!」
「逃げろ
真正面で悠長に立つ青い機体へ警告するも、すぐに動く気配なし。パイロットから『あ?』と生意気な返答が聞こえただけ。
その一瞬が命取りだった。
「ダメだ、間に合わねぇ…!」
「つーかあれこっちまで届きません!?」
「……あ」
「いやぁぁぁっ! 死んだ、百パー死んだっ!」
泣きわめく若者。
そして、楽しげな
『あんたさっき、環境保護団体がどうのって叫んでたよな?』
「はひ?」
鼻声での間抜けな返答に戸惑うことなく、若い声が秒針を進める。
『
狙いを定めた長い鼻に合わせて、なぜか天を
体は横向き。
同時に、地面へ強烈な
――バガァンッ!
大地を裂き、振り切られる
これで、エレファントの広範囲拡散型の無差別攻撃を
「ナ、ナイスショット!?」
「いや、足りねぇ!」
――するまでには至らず。しかし、そうなることも織りこみ済みだったか。
――ブンブンブンブンッ……。
土石流とぶつかり、数と速度の減った攻撃。それでもなお襲いかかる光の
――ブゥンッ!
刃の
そしてベイカーが驚きの声を上げる間もなく、青い機体はその
高々と上がる両腕。背中に隠れる
――バギャ————ッ!
振り下ろされた斧の刃が
それが、決着の合図だった。
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