9 VS.エレファント②

 鋼鉄の巨象の、こちらを踏み潰さんとする大きな前足。それを足の裏から持ち上げる青い魔杖機兵ロッドギア。ほぼ同程度か、やや足のほうが太いぐらいだというのに。しかもよく見れば、両手に持った斧槍ハルバードの柄で支えているようだ。すげぇ。

 目の前の光景をあんぐりと口を開けたまま観察していると、オレンジのモヒカンを揺らして青い機体が振り返った。


『ボケッとすんなそこのおっさん二人! 早く逃げろ!』


 外部スピーカー。若い声だ。

 生意気な、と思う間もなく、ベイカーは弾かれるように立ち上がった。


「……え!? 今、俺のこともおっさんに含め――――グェッ!?」

「行くぞこのバカッ!」


 何やら物申そうとしていたアレックスの襟首えりくびを引っ張り、無理やり立ち上がらせて逃走再開。命拾いした感動も、魔杖機兵ロッドギア同士の戦闘区域から離れるまではいったんお預けだ。

 それにしても、あの機体はいったい。


「おい、アレックス! 対魔賊特殊機兵部隊ミスティルテインズにあんな機体あったか!?」


 通常の魔杖機兵ロッドギアのように重心の低い寸胴体型ではなく、細身で流線形。足も長く、どこか軽量型のナイトにも似ていたが、より人間らしい容貌フォルム。青い鎧に派手なオレンジ色のモヒカン兜、そして持っている斧槍ハルバードまで加味すると、まるで古代の軍団兵士のようだ。いや、あの威光は将軍か。

 もちろんどちらも違う。あれは友軍、帝国が所持する魔杖機兵ロッドギアのはずだから。

 しかし、あんな機体は見たことがない。


「新型でも導入されたんじゃないすか!? そこまでいちいち把握してませんよこっちも!」

「……おめぇさん、何怒ってんだ?」

「こちとらまだ二十代なんですけど!?」


 二十代後半に差しかかった三十代手前アラサー男性の主張に、自分に言われてもな、と思う。『おっさん』基準は年代それぞれだろうに。流れる汗の中に一筋、生温かい別の汗がこぼれる。

 そしておっさんの長さで余裕があったベイカーは、その青い機体のパイロットにかなりの若さを見出し、走りながらチラリと後ろへ目をやった。

 すると彼は、思わずギョッとした。


「なっ……何してんだあいつ!?」

「ちょっと導師補どうしほ! 前、前!」


 振り返ってしまった体を前へ向き直すと、進行方向に大きな倒木。アレックスはすでに回りこんでいる。

 ややまごつきながらも勢いそのままに手をついて乗り越え、再びアレックスと合流。そのまま禿げ上がった森を並走。今度は前方に余裕があるのを確認して振り返る。

 先ほどまでとやはり、体勢は変わっていない。


(冗談だろ、あんなデカブツ相手に真っ向勝負でも挑むつもりか!?)


 足の裏を見せていたはずの巨象は四肢を大地につけており、こちらに背を向けて斧槍ハルバードを構えた青い機体がそれと対峙する。互いに足から根が張ったかのように動かない。

 今にも飛びかかりそうな雰囲気のエレファントはいいとして、あの青いほうは何をやっているのか。身軽そうなのは見せかけだけか。


「うわー……マジで人と象ぐらいのサイズ差ありますね、あれ」


 同じく後ろを振り返ったアレックスの言葉に、ベイカーは苦みばしった顔で前を向いた。


「くそっ! ただでさえ一機じゃ厳しいってのに、なんで力比べみたいな空気出してやがんだあのパイロット!」


 獣型けものがた一体に対し、必ず四機小隊で当たるのが不文律。しかも今回、敵は超ド級サイズ。暴走中のおまけ付き。二個小隊、三個小隊どころか、対魔賊特殊機兵部隊ミスティルテインズの全戦力を投入してでも止めるべき相手だ。ベイカーの脳裏にもはや根付いてしまったかのような呪いの言葉がよぎる。


(これだから今どきの若いやつはっ!)


 そして、戦いの音と地響きが背後から伝わってきた時、ベイカーは奥歯をかみ締めて速度を上げた。もう決して振り向かず、一歩でも遠くへ。自分たちが生き延びて時間を稼ぐしかない。

 だというのに、アレックスがついて来ない。


「おい、アレックス! 余裕ぶるのもいい加減にしろ!」

「いやいや、自分ずっと真面目なんすけど……まぁそれは置いといて」


 早朝ジョギングのようなペースになっていたアレックスと目が合う。すると彼は「あれ、あれ」と後ろへ親指を向けた。もう弾き飛ばされでもしたのかと慌てて振り返る。

 すると、ベイカーも思わず走る速度を落として、アレックスと並びながらその光景に見入ってしまった。



――ガインッ、ガインッ、ガインッ!



 ムチのように襲いかかるエレファントの長い鼻。それを迎え撃つ大振りの斧槍ハルバード



――ガァンッ、ズザザザッ……!



 大質量の前蹴りを受け止めて後退するモヒカン頭。しかし、槍の石突きで巨大な足をかち上げる。



――ガキィィィンッ!



 巨象がややバランスを崩してたたらを踏んでいるその間に、後退した分だけ前進。そしてゆっくりと元の位置へ戻り、仕切り直し。転じる攻勢。

 それは文字どおり、一進一退の攻防だった。


「マジかよ……なんだ、あれ…」

「あれ見てたら、熊を素手で倒す人間ぐらいいるなって信じちゃいそうっすねー」


 それもすごいが、こちらのほうが難易度は高そうだ。なぜならよけもせず、攻撃をすべて受け止めているのだから。いくら魔杖機兵ロッドギアとはいえ――しかも相手も魔杖機兵ロッドギアだというのに――こんな芸当が可能なのか。


(機体性能だけじゃねぇ。操縦センスとか戦闘経験というより、あれは……めちゃくちゃしてやがる)


 パイロットではないので正確なことはわからないが、そんな印象を受ける。特に、劣勢な状況へ常に身を置いてきたような部類だ。少しだけだが確信もあった。しかし、同時に疑問も湧く。

 なぜ回避行動を取らない。



――ガツッ!



 振りかぶろうとした前足を、斧槍ハルバードの槍の部分で牽制けんせい。バランスを崩すエレファント。その隙を見逃さず、さらに前進する青い機体。しかしムチのようにしなる長い鼻に弾き飛ばされ、後退を余儀よぎなくされる。


「あっぶなー。なんであいつ、あんな耐えてんすかね?」


 同じ疑問が浮かんだようだが危機感は見受けられない。「応援が来るの待ってんすかね?」と付け加えたアレックスは、すでに一仕事終えた気でいるらしい。かくいうベイカー自身も、彼のジョギングペースに合わせながら後ろの戦闘を見続けていたが。

 しかし、次の言葉にハッとする。


「つーか迷惑っすよね。あいつが弾き飛ばされたら後ろにいる俺らまで危ないと思いません?」


 そうかもしれない。しかし、そうとも言い切れない。

 もしも下手に動き回って、自分たちを巻きこんだら。自分たちを見失って、助けたつもりがいつの間にかペシャンコにしていたら。

 そうなるぐらいなら、この背中から出さない。死んでも引かない。もしも、あの若いパイロットがそう考えていたら。

 禿げ上がった森に別れを告げ、木漏れ日の差す緑の道へ戻ると、ベイカーは立ち止まって振り返った。その答えを、あの大きな青い背中へ求めて。


「おっとと……導師補どうしほ?」



――ガキィッ!



 そしてすぐに、腹は決まった。


「行くぞ、アレックス!」

「へ? わ、ちょっと!?」


 乱暴に首根っこを掴み、強制的に進路変更。目指すは森と地続きの小さな山。おそらく戦闘区域外ギリギリの地点。

 まっすぐ森を突き進めば安全圏内だというのにだ。


「どこ行くんすかベイカー導師補どうしほ!? さっさと離脱しないと巻きこまれ――」

すんだよ!」

「――はい? いや、援護って…」

「いいから登れ! 根性見せろっ!」


 ベイカーは懸命に坂道を登った。「ウオォォォ――――ッ!」とこだまする声が木々の葉擦れを起こし、遠くからでも彼の足跡がたどれるほどに砂ぼこりが上がる。いわゆるギャグ漫画のてい。ちなみに何よりのオチは、それほど必死だったというのに軽くアレックスに追いつかれたという点。山頂の一番大きな木にたどり着いたころには、タバコやめようかな、と思うほどには息を乱していた。

 膝に手をつき、ゼーゼーと苦しげな呼吸を吐き出すベイカーへ、軽く息を整えただけのアレックスが声をかける。


「援護って、急にどうしたんすか? 後はいつもどおり特殊機兵部隊あいつらに任せときましょうよ。どうせ邪魔者扱いされるだけ――」

「登るぞっ!」

「――いやだから、今登ってきたじゃないすか…」

「今度は木だ!」


 再び、ベイカーは「ウオォォォ――――ッ!」と叫びながらカサカサカサーッと高い木の上にまで登った。そのころにはもう未開の大海原へと旅立つような一大決心で、禁煙することを決めていた。

 後から仕方なさそうについてきて別の太い枝へ腰かけたアレックスの肩に、ポン、と手を置く。


「……叫べ…」

「はい?」

「こっから、叫べ…」


 限界を悟り、ベイカーは後を託した。そしてさえぎるもののない景色へ目を向ける。

 晴天の空。眼下に広がる緑。そして、禿げた森は戦場に。

 気持ちの良いはずの風は鉄の響き合う騒音に邪魔され、軽い地響きが自らのいる宿り木にまで届く。ここもまだ危険かもしれない。それでもこの山頂ならば、いきなりペシャンコになることはないだろう。

 高低差による仮の安全圏。これで、だ。


「さっさと、退避完了を、あのパイロットに伝えろ…!」

「そ、そんなこと言われても、叫んで届くわけないじゃないっすか」


 器用に枝の先でまたがるアレックス――ベイカーは根元で幹にしがみついていた――が困惑しながらも、ズボンのポケットから手のひらサイズの小型通信機を取り出す。アンテナを伸ばしてマイクテスト。

 しかし、彼は首を傾げた。


「あれ? 対魔賊特殊機兵部隊ミスティルテインズ周波数チャンネルじゃない……未登録の魔力波長マナパターン?」


 ベイカーが肩で息をしながらせっつく。


「おい、何やってんだよ…!」

「ちょっと待ってくださいって! 対魔賊特殊機兵部隊ミスティルテインズじゃないならどこの部隊だ? 前線部隊がこんなところにいるわけないし……中央の帝都警備隊フィヨルニルズ? いや、まさかそんな……」

「ええい貸せっ!」

「あ、ちょっと!」


 しびれを切らして奪い取るも、こちとらアナログ人間。使い方はさっぱり。それでもベイカーは二個のつまみをグリグリと回し、カチカチカチカチといくつかのボタンを連打しながらスピーカーに向けてつばを飛ばした。


「こちら北方治安維持部隊第二支部所属、ジャック・ベイカー導師補どうしほだ! 聞こえるか!?」


 沈黙の代わりに、戦場の音が鳴り続ける。


「だから聞こえないんですって!」

「こちらは退避完了! 退避完了だ!」

「ちょっと、壊さないでくださいよ!? 天引きするなら導師補どうしほの給料からお願いします!」


 鉄と鉄がぶつかり合う音。よく見れば、均衡は崩れていた。青い機体が押されている。


「くそったれ! さっさと応答しやがれってんだちきしょーっ!」

「ちょちょちょ!? 揺らさないで! あと備品を叩かない……あ、導師補どうしほあれっ!」

「――――っ!」



――ズシィィィンッ!



 派手に後ろへ転ぶ青い機体。立ち上がるすきを与えず、踏みつけよりも素早く繰り出せる長い鼻ムチの攻撃を選んだエレファント。


「あれ、やられちゃうんじゃ…」

「おいコラふざけんなっ!」


 持ち上がった鼻が叩きつけられ、盛大な砂ぼこりが舞う寸前。

 ベイカーは聞き逃した。



――ザザッ…。



 その、砂嵐のような音を。


「さっさと起きろ! 寝てんじゃねぇぇぇっ!」



――ダガァァァ――――ッ!



 それはまるで爆発のようだった。

 勢いよく叩きつけられた長い鼻に地面が絶叫を上げ、まるで血反吐ちへどを吐くように周囲の木や土、石や岩を宙へと撒き散らす。大量の砂ぼこりにさえぎられ、青い機体の影すら見えない。最悪だ。

 あれでは、もう――


『寝てねぇよ』


――聞き覚えのある若い声。通信機から。ベイカーは耳を疑い、そして目も疑った。


『眠そうなのは――』


 砂の煙幕から姿を現したのは、疾駆する青い影。


『――生まれつきだっ!』


 意味のわからないセリフだったが、ベイカーは視線を釘付けにされてそれどころではなかった。

 青い機体の疾走。地表から地表へ、ではなく、その行く先は空中へ。正確に言えば、地面に叩きつけたままだっだエレファントの長い鼻の上を、まるで綱渡りの要領で駆け上がっていた。そのまま鋼鉄の巨象の背中へ足を乗せる。


「エ、エレファントに乗っちゃった!?」


 アレックスの驚く声に、内心で舌を巻くベイカーも無意識にうなずいた。生身の軽業師かるわざしでも、象の鼻を伝って背中に乗りこむなんて曲芸は難しいだろう。

 しかし、終わらなかった。

 激走するモヒカン頭の終着ゴール地点は、背中ではなかった。



――ズダァンッ!



 エレファントのに着地。ちょうど、尻の部分。尻尾しっぽと後ろ足のすぐそば。

 そしてそのまま青い機体は、両手に持つ大きな斧槍ハルバードを横にひらめかせた。



――ズガシャッ!



 まるで足首の裏側――人間でいうとアキレス腱だろうか――が弱点だと最初からわかっていたかのように、斧槍ハルバードをもう一閃。エレファントの後ろ足を両方とも切断。

 淡い緑光の血煙ちけむりがあふれ出す切断面を引きずったまま、前足だけでなんとかその不自由な巨象は振り返ったが、逆をついた青い機体が滑るような動きで回りこむ。

 たどり着く無防備な前足。先ほどの繰り返し。

 しかし今度は、二太刀いらず。



――ズバガシャ――――ッ!



 象の真下を高速で潜り抜けながら放たれた斬撃が、一つの軌跡で二つの前足を切り裂いた。一閃二足、合わせて三閃四足。

 四足歩行の獣型けものがたがそのすべての足を失えば、必然――



――ドシィィィンッ……!



 地に伏せるエレファントを、真正面へ舞い戻ったモヒカン頭が距離を取りながらも静かに見据える。パワーだけではない。先ほどから、なんてスピードだ。


「あ、あっという間に、片付けちゃった…」

「たぶん、ナイトみたいに軽量化してるわけじゃねぇ……そもそも馬力が違うんだ」


 かみ合わぬ言葉を交わした瞬間、全身の力が抜ける。緊張の糸が切れたのだ。これで助かる。自分も、街も、人々も。そして愛する家族も。

 ベイカーは木から落ちそうになったので、慌てて幹へとしがみつき、別の太い枝へ居座るアレックスを見た。彼もどうやら緊張が解けたらしく、肩を深く落としていた。疲れがドッと押し寄せてきたのだろう。こちらも同じくだ。

 そして、あちらのパイロットも同じはず。そう思い、通信機を口へかざしながら青い機体へ目を向ければ――


「! まだだっ!」


――エレファントの長い鼻から、淡い緑光がもれていた。


「やばっ、さっきの…!」

「逃げろ小僧こぞうっ!」


 真正面で悠長に立つ青い機体へ警告するも、すぐに動く気配なし。パイロットから『あ?』と生意気な返答が聞こえただけ。小僧こぞう呼びが気に入らなかったようだ。

 その一瞬が命取りだった。


「ダメだ、間に合わねぇ…!」

「つーかあれこっちまで届きません!?」

「……あ」

「いやぁぁぁっ! 死んだ、百パー死んだっ!」


 泣きわめく若者。

 そして、楽しげな小僧こぞう————もとい若造わかぞう


『あんたさっき、環境保護団体がどうのって叫んでたよな?』

「はひ?」


 鼻声での間抜けな返答に戸惑うことなく、若い声が秒針を進める。


環境保護団体そいつらにはないしょにしてくれよ』


 狙いを定めた長い鼻に合わせて、なぜか天を斧槍ハルバード

 体は横向き。足の開きスタンスは肩幅。握りグリップは刃の反対、石突き部分を両手でギュッ。腰をひねって腕を後ろへ振り上げるテークバック

 頂上トップで輝く先端の槍が陽光をキラリと反射させると、エレファントの長い鼻から水が噴射するように、幾千いくせんにもなる光の石つぶてが青い機体へ襲いかかる。

 同時に、地面へ強烈な振り下ろしダウンスイング



――バガァンッ!



 大地を裂き、振り切られる斧槍ハルバード。その振り切った後フォロースルーの体勢から、土石流が前方へと勢いよく飛ぶ。生き残っていた木々や砕けなかった倒木をも巻きこむ質量と速度。

 これで、エレファントの広範囲拡散型の無差別攻撃を相殺そうさい――


「ナ、ナイスショット!?」

「いや、足りねぇ!」


――するまでには至らず。しかし、そうなることも織りこみ済みだったか。



――ブンブンブンブンッ……。



 土石流とぶつかり、数と速度の減った攻撃。それでもなお襲いかかる光の奔流ほんりゅうへ、振り上げた斧槍ハルバードを頭上で回転させてからの、研ぎ澄まされた横薙よこなぎ一閃。



――ブゥンッ!



 刃のつゆを払うように弾き飛ばし、残ったわずかな小石をその身に受けながら残心ざんしんする青い巨人の戦士。ただ呆然とするしかなかったこちらも含めて被害なし。

 そしてベイカーが驚きの声を上げる間もなく、青い機体はそのオレンジ色のモヒカンを揺らして、死にたいの巨像との間合いを一気に詰めた。

 高々と上がる両腕。背中に隠れる斧槍ハルバード。先ほどの洗練された横薙よこなぎとは違い、乱暴で荒々しい上段斬り。



――バギャ————ッ!



 振り下ろされた斧の刃が眉間みけんに達し、派手にかち割られた頭とともにその赤く猛っていた眼光がしずまる。

 それが、決着の合図だった。

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