8 VS.エレファント①
それは、いつもどおりの捕り物劇になるはずだった。
脚本家が変わったのか、
いずれにせよ、ギムリア魔導帝国北方治安維持部隊に所属するジャック・ベイカー
無論その状況では、整備された
だが、実際はその逆。彼は森の奥めがけてがむしゃらに走っていたのだ。できるだけ被害の少ない奥地へと、汗だくになりながら駆けていた。
そして、彼を追っているのもただの獣ではない。
――ズシィンッ、ズシィンッ……!
迫り来るは
そして、もう一人。この絶体絶命の状況を共にする若者――――同じ部署の後輩であるアレックスが弱音を吐く。
「ベ、ベイカー
ドドドドッと並走しながらの物言いに「走れてんじゃねぇかこの野郎!」とは口にせず、ベイカーはM字になっている生え際ごと汗をぬぐい、大量に水分を吸う軍服を脱ぎ捨てながら返答した。
「バカ野郎、ひき肉にされちまうぞ! 今夜の食卓に並びたくなきゃ根性見せろっ!」
「魔賊って人肉ハンバーグ食うんすか!?」
「食うわけねぇだろ! 俺のユーモアだよ!」
「いつもの親父ギャグよりつまんないっす!」
同じように暑苦しい軍服を脱ぎ捨て、色気づいた茶色の長髪をたなびかせるアレックスのその言葉に、ベイカーの心は傷を負った。
町の
頼りにしてきたのは足と勘。支えてくれたのは酒とタバコと妻と子と、心を潤す親父ギャグ。もしかして今どきの若い部下はみんなアレックスと同じように思っているのだろうか。
などと不安になっている場合ではない。
「アレーックス! それがおめぇの最期の言葉だ! 生きて帰ったら覚えとけよ!」
「生きて帰れる気がしましぇぇぇんっ!」
「うぐっ…!」
泣きべそをかいての絶叫に思わずうなる。それは、自分もそう。
ベイカーはパンパンに張った足を必死に動かしながらも、チラリと後ろを見遣った。
――ズシィンッ、ズシィンッ……!
(ええいくそったれ! どうしてこんなことに!)
木漏れ日をさえぎる
窃盗や暴行を繰り返し、ついには殺人にまで手を出したとある魔賊グループ。捜査の段階で、彼らが所持する
というわけで、現在に至る。
「あんなデカブツ隠してやがったなんて…! つーか誰だ、
「ドキィッ! ダ、ダレナンデショウネ、イッタイ!」
「……アレックス、おめぇってやつは…!」
「なぜばれたし」
木々の間を縫って走る無表情へ殺意の眼差しを送ると、テヘッと笑ってペロッと出る舌。走りながらも頭をコツン。
殺そう。ベイカーは一瞬、本気でそう思った。
「おめぇそんな余裕あんなら
「冗談きついっすよ! だいたいあいつ、完全にベイカー
「はぁ!? なんで俺だよ!?」
「あいつらの仲間のほとんどをお縄にかけたの、あんたでしょうがっ!」
倒れていた太い幹を飛び越えると、それに続いてアレックスも飛び越える。着地と同時に「ハッ! むしろ俺巻き添え!?」と気付く声を聞きながら、ベイカーは納得した。なるほど、だからこんなに熱狂的なわけだ。
「モテる男はつれぇなちきしょーっ!」
「え、なんか言いました!? 幻聴聞こえたんすけど!?」
「バカ野郎お前、こう見えても俺だって若い時はな――」
お決まりのセリフで始まるありがちな武勇伝は、地の底からの声にかき消された。
――ドシィィィンッ!
「っ!?」
「ウワワワッ!?」
縦揺れの地震に足を取られ、二人そろって転倒。四つん
「
「ま、まさか…」
そろりと動きを合わせて振り返る二人が見た光景は、大地を強く踏みしめた鋼鉄の巨象が長い鼻を持ち上げる姿。
「やべぇっ!」
「ウソでしょ!? こっち二人だけっすよ!?」
それは、エレファントの内蔵兵装。市街地の制圧などに有効な、広範囲拡散型の無差別攻撃の合図。
「逃げろ! いや、隠れろ!」
「どどど、どっち!? そんでどこに!?」
「ええい、こうなったら……」
そしてその長い鼻から、まるで本物の象が水をまき散らすように、二人が潜む森の周辺めがけて――
「逃げて隠れて神に祈れっ!」
「とっておきみたいに言っといて神頼み!?」
――光のシャワーが、弧を描いて降り注ぐ。
(! 来やがった!)
ベイカーは慌てて木の陰に隠れ、頭を抱えて体を伏せた。アレックスがどうしたかは確認する余裕がない。なぜなら次の瞬間、辺りが光と激しい音に包まれたからだ。
――ガガガガガガッ!
その証拠に、蜂の巣になった周りの木々が、散らされた葉っぱをクッションにして倒れていき、ベイカー自身が隠れていた太い幹もガリガリと削られていく。やばい、耐えられない。終わりだ。
そして心の中で女房と一人娘に謝っていた時に、突然終わりはやってきた。彼は見事に耐え凌いだのだ。
「……ハ、ハハハ、悪運つえぇな俺…」
健気に守ってくれた背後の大木がゆっくりと倒れて大きな音を立てるも、ベイカーは放心した表情でそうつぶやいた。そして辺りを見回し、口元が引きつる。
焼け野原、ではないが、あれだけ高く生い茂っていた緑がほとんど
(これが、市街地の制圧に有効って……こんなの町に降らされた日にゃ、建物も人も…)
ベイカーが息をのむと、すっかり忘れていたアレックスの元気な声が響いた。
「なんじゃこりゃー!? だ、誰か、環境保護団体に連絡してーっ!」
死んでなかったか、とふざけたセリフに殺意が湧くのも、彼が生きているからこそ。ベイカーは遠くの穴からひょっこりと顔だけ出すアレックスへ声をかけた。
「おい、よく無事だったな」
「なんかちょうど
「そこはせめて『生きてたんすか』にしとけよおい…!」
「いや、死んでたら空に『娘さんのことは俺に任せてください!』って誓おうと思ってて……ちなみに、死にかけだったりしません?」
「あいにくピンピンしてるよ! 何を期待してやがんだおめぇは!」
互いの悪運の強さをたたえ合う憎まれ口の
――ズシィンッ!
座りこんでいた
しかも、それだけではない。
――パオォォォ――――ッ!
長い鼻を高く上げ、ふさいだ耳すら貫通する本物の象のようないななき。
「うるさ――――って……え!?
もちろんそんな無意味な機能などあるわけがない。だが、耳を軽くやられていたベイカーはアレックスの言葉がよく聞き取れず、彼に返答できなかった。
代わりに口をついて出たのは、かつて
「暴走だと…!?」
「? 暴走って――――あ、
「立て、アレックス! 逃げるぞっ!」
そう言って、ベイカーは脇目も振らずに
しかし、確かなことが一つあった。それはその暴走が、
だから帝国は
暴走した
そしてベイカーは、一度だけその暴走する
それは、治安維持部隊の新人だったころ。
「なるほど! でも今そんなこと聞かされたって、状況はたいして変わんないすけどね!」
倒れた幹を飛び越え、折れた枝を蹴散らし、葉っぱで覆いつくされた地面に足を滑らせながら、開けっぴろげな森をともに逃げるアレックスが言う。むしろ状況は悪くなっているだろう。
しかし、そういうことではない。
「理性なんざねぇんだ! 俺に復讐して終わりってわけにはもういかねぇんだよ! ここで時間を稼がなきゃ、破壊のかぎりを尽くすぞあれは…!」
「えぇ!? それじゃ最終手段が使えないじゃないすか!」
「なんか奥の手あったのか!?」
「いや、
「わかんねぇように言ったつもりだろうけどバレバレだからな!?」
「てへっ」
繰り返される歴史、永久不滅の迷ゼリフ。これだから今どきの若いやつは。
ベイカーが言葉を失うほどの怒りに襲われた時、空気を震わせていた
数回続いた縦揺れの地震に二人仲良く転倒し、同じ倒木をソファーにして悲鳴を上げる。
「
「さ、最初から応援に呼んどけば良かったじゃないっすかーっ!」
「うるせぇっ! 元はといえばおめぇが適当な仕事を――」
――ズシンズシンズシン――――ッ!
断続的な地響き。青空を背に迫る巨体。遠くからでもわかるその光景に、ベイカーは観念した。
ついに余裕を失った隣の青年へ声をかけながら、妻と娘を想う。
「よぉ、アレックス。残念なお知らせだ」
「こんなおっさんと死ぬなんていやだぁっ! チェンジで! かわいこちゃんとチェンジで!」
「そのことなんだけどよ」
通常の
小遣いをちっとも上げてくれなかった妻。反抗期を過ぎてもケンカが絶えなかった娘。
二人とも、愛していた。
「うちの娘、彼氏ができたみたいでな」
「え、マジすか――――って今!?」
「だからおめぇさん、どうせ生き残っても無駄だったぜ」
「最期の言葉がそれでいいのかあんた!?」
「ダハハハハッ! おめぇにやるよりゃ百倍ましだな!」
けれど最後に、
(中途半端な男じゃなけりゃ、いいんだけどな…)
揺れる地面の上で、腰を抜かしながら必死に逃げようとする隣の若者を見るに、それも期待できない。今どきの若いやつらなんてみんなこんなものだろう。ベイカーは皮肉げに笑い、目が赤くなっている鋼鉄の巨像を硬い木のソファーにもたれながら見上げた。
もうすぐ、人生が終わる。あっけないものだ。腹をくくって達観する中で願うのは、この暴走を止めてくれる者。
(神様にはさっき助けてもらったから、もうネタ切れだろうしなぁ…)
だから、誰でもいい。どうか自分の故郷を。そこに住む人々を。
そしてどうか、自分の愛する家族を守ってほしい。
「死ぬときは俺、かわいこちゃんの膝の上って決めてたのにっ! ひき肉はいやぁぁぁ――――っ!」
貧乏くじを引かせてしまった新人に悪く思いながら、ベイカーは静かに目をつむった。間近に迫る轟音。届く砂ぼこりに、ひどくなる縦揺れ。そして、陽の光が完全にさえぎられた気配。
巨大な足の影に入ったのだと理解し、恐怖で目を開けてしまいそうになりながらも必死につむっていると――
――ガシャァァァ――――ッ!
――風が吹いた。ベイカーはふと、目を開けた。
「ヒィィィッ! 俺なんか食べてもおいしくないだろうけどせめておいしく調理し……って、あれ?」
相変わらず日差しはさえぎられており、駆け抜けた突風はすでに過ぎ去っている。
それでもまだ生き残っている彼が目にした光景は、己よりも大きな足の裏を支えて踏ん張る巨人。
「……青い、
青く輝く全身鎧に、
ネタの出し惜しみとは、意地のわりぃ神様だ。
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