8 VS.エレファント①

 それは、いつもどおりの捕り物劇になるはずだった。

 脚本家が変わったのか、演者キャストをねじ込まれたのか。もしくは「うーん、ちょっとマンネリじゃないですか?」と刺してくる編集者のテコ入れか。

 いずれにせよ、ギムリア魔導帝国北方治安維持部隊に所属するジャック・ベイカー導師補どうしほにとっては迷惑極まりない話だった。そのおかげで彼は昼間でも薄暗いような深い森の奥を、年甲斐としがいもなく全力疾走するはめになっているのだから。

 無論その状況では、整備された人気ひとけの多い街道を目指しているのだと万人が思うだろう。きっと獣にでも襲われているに違いない、と。

 だが、実際はその逆。彼は森の奥めがけてがむしゃらに走っていたのだ。できるだけ被害の少ない奥地へと、汗だくになりながら駆けていた。

 そして、彼を追っているのもただの獣ではない。



――ズシィンッ、ズシィンッ……!



 迫り来るは獣型けものがた。魔賊が操る魔杖機兵ロッドギアだった。

 そして、もう一人。この絶体絶命の状況を共にする若者――――同じ部署の後輩であるアレックスが弱音を吐く。


「ベ、ベイカー導師補どうしほ! 俺、もう走れないっす!」


 ドドドドッと並走しながらの物言いに「走れてんじゃねぇかこの野郎!」とは口にせず、ベイカーはM字になっている生え際ごと汗をぬぐい、大量に水分を吸う軍服を脱ぎ捨てながら返答した。


「バカ野郎、ひき肉にされちまうぞ! 今夜の食卓に並びたくなきゃ根性見せろっ!」

「魔賊って人肉ハンバーグ食うんすか!?」

「食うわけねぇだろ! 俺のユーモアだよ!」

「いつもの親父ギャグよりつまんないっす!」


 同じように暑苦しい軍服を脱ぎ捨て、色気づいた茶色の長髪をたなびかせるアレックスのその言葉に、ベイカーの心は傷を負った。

 町の巡回兵おまわりさんから苦節二十余年。叩き上げでソルジャー階級の最高位である導師補どうしほにまで上り詰めた。マスター階級への昇進話もあったが、北の故郷を自らの手で守りたかったので断り、ずっと身近な人々の生活を守り続けてきた。出世など、すればするほど雁字搦がんじがらめになるものなのだ。

 頼りにしてきたのは足と勘。支えてくれたのは酒とタバコと妻と子と、心を潤す親父ギャグ。もしかして今どきの若い部下はみんなアレックスと同じように思っているのだろうか。

 などと不安になっている場合ではない。


「アレーックス! それがおめぇの最期の言葉だ! 生きて帰ったら覚えとけよ!」

「生きて帰れる気がしましぇぇぇんっ!」

「うぐっ…!」


 泣きべそをかいての絶叫に思わずうなる。それは、自分もそう。

 ベイカーはパンパンに張った足を必死に動かしながらも、チラリと後ろを見遣った。



――ズシィンッ、ズシィンッ……!



(ええいくそったれ! どうしてこんなことに!)


 木漏れ日をさえぎる鈍色にびいろ。高く生い茂る緑葉の隙間から見えるのは、森の木々をなぎ倒す鋼鉄の巨象。帝国が把握している獣型けものがたの中でも最大級の巨体を誇る『エレファント』だ。

 窃盗や暴行を繰り返し、ついには殺人にまで手を出したとある魔賊グループ。捜査の段階で、彼らが所持する魔導技術マギオロジー兵器の中に獣型けものがたはないと分析されていた。だから特殊機兵部隊エリートどもはいらない、治安部隊おれたちだけで事足りる。そんな対抗意識で踏み切った一斉検挙は功を奏し、見事にその魔賊グループを壊滅へと追いこんだ。あとは残党狩り。簡単な仕事だ。新人のアレックスにもこなせるだろうし、いっちょ現場の経験でも積ませてやるかぁ。

 というわけで、現在に至る。


「あんなデカブツ隠してやがったなんて…! つーか誰だ、獣型けものがたの影はないだなんて適当な報告しやがったやつはちきしょーっ!」

「ドキィッ! ダ、ダレナンデショウネ、イッタイ!」

「……アレックス、おめぇってやつは…!」

「なぜばれたし」


 木々の間を縫って走る無表情へ殺意の眼差しを送ると、テヘッと笑ってペロッと出る舌。走りながらも頭をコツン。

 殺そう。ベイカーは一瞬、本気でそう思った。


「おめぇそんな余裕あんならおとりにでもなんでもなってこい! 年長者を走らせんじゃねぇ!」

「冗談きついっすよ! だいたいあいつ、完全にベイカー導師補どうしほ狙いじゃないすか!」

「はぁ!? なんで俺だよ!?」

「あいつらの仲間のほとんどをお縄にかけたの、あんたでしょうがっ!」


 倒れていた太い幹を飛び越えると、それに続いてアレックスも飛び越える。着地と同時に「ハッ! むしろ俺巻き添え!?」と気付く声を聞きながら、ベイカーは納得した。なるほど、だからこんなに熱狂的なわけだ。


「モテる男はつれぇなちきしょーっ!」

「え、なんか言いました!? 幻聴聞こえたんすけど!?」

「バカ野郎お前、こう見えても俺だって若い時はな――」


 お決まりのセリフで始まるありがちな武勇伝は、地の底からの声にかき消された。



――ドシィィィンッ!



「っ!?」

「ウワワワッ!?」


 縦揺れの地震に足を取られ、二人そろって転倒。四つんいのまま顔を見合わせる。


導師補どうしほ、今のって…」

「ま、まさか…」


 そろりと動きを合わせて振り返る二人が見た光景は、大地を強く踏みしめた鋼鉄の巨象が長い鼻を持ち上げる姿。


「やべぇっ!」

「ウソでしょ!? こっち二人だけっすよ!?」


 それは、エレファントの内蔵兵装。市街地の制圧などに有効な、広範囲拡散型の無差別攻撃の合図。


「逃げろ! いや、隠れろ!」

「どどど、どっち!? そんでどこに!?」

「ええい、こうなったら……」


 そしてその長い鼻から、まるで本物の象が水をまき散らすように、二人が潜む森の周辺めがけて――


「逃げて隠れて神に祈れっ!」

「とっておきみたいに言っといて神頼み!?」


――光のシャワーが、弧を描いて降り注ぐ。


(! 来やがった!)


 ベイカーは慌てて木の陰に隠れ、頭を抱えて体を伏せた。アレックスがどうしたかは確認する余裕がない。なぜなら次の瞬間、辺りが光と激しい音に包まれたからだ。



――ガガガガガガッ!



 いにしえの戦場もかくやと降り注ぐ矢の雨。光の軌跡。一発一発が人間用の魔素粒子銃エーテライフルの弾丸を圧縮したもので、炸裂はしないが重さを伴うもの。矢の雨というより、それは何千発もの凶悪な投石に近い。もちろん肉体などたやすく貫通するだろう。

 その証拠に、蜂の巣になった周りの木々が、散らされた葉っぱをクッションにして倒れていき、ベイカー自身が隠れていた太い幹もガリガリと削られていく。やばい、耐えられない。終わりだ。

 そして心の中で女房と一人娘に謝っていた時に、突然終わりはやってきた。彼は見事に耐え凌いだのだ。


「……ハ、ハハハ、悪運つえぇな俺…」


 健気に守ってくれた背後の大木がゆっくりと倒れて大きな音を立てるも、ベイカーは放心した表情でそうつぶやいた。そして辺りを見回し、口元が引きつる。

 焼け野原、ではないが、あれだけ高く生い茂っていた緑がほとんど禿げ上がっていた。倒れていない木々もボロボロになり、地面には逃げ遅れた鳥や隠れていた野生動物の死骸しがいが並んでいる。それらがかなり広く、そして遠くまで続いていた。森は消えて視界良好、見晴らし抜群。憎たらしいほどの快晴だ。


(これが、市街地の制圧に有効って……こんなの町に降らされた日にゃ、建物も人も…)


 ベイカーが息をのむと、すっかり忘れていたアレックスの元気な声が響いた。


「なんじゃこりゃー!? だ、誰か、環境保護団体に連絡してーっ!」


 死んでなかったか、とふざけたセリフに殺意が湧くのも、彼が生きているからこそ。ベイカーは遠くの穴からひょっこりと顔だけ出すアレックスへ声をかけた。


「おい、よく無事だったな」

「なんかちょうどほりみたいなところがあって……ってあれ? 導師補どうしほ死んでないんすか?」

「そこはせめて『生きてたんすか』にしとけよおい…!」

「いや、死んでたら空に『娘さんのことは俺に任せてください!』って誓おうと思ってて……ちなみに、死にかけだったりしません?」

「あいにくピンピンしてるよ! 何を期待してやがんだおめぇは!」


 互いの悪運の強さをたたえ合う憎まれ口の応酬おうしゅう。それに待ったをかける、横槍ならぬ縦揺れ。



――ズシィンッ!



 座りこんでいたけつが浮き、倒れかけだった木々がとどめを刺され、背後でバキバキッと森が踏み潰される。そろりそろりと、二人は再び動きを合わせて振り返った。もちろんそこには、はるか高みで目を光らせる鋼鉄の巨象がいた。

 しかも、それだけではない。



――パオォォォ――――ッ!



 長い鼻を高く上げ、ふさいだ耳すら貫通する


「うるさ――――って……え!? 獣型けものがたって鳴けるの!?」


 もちろんそんな無意味な機能などあるわけがない。だが、耳を軽くやられていたベイカーはアレックスの言葉がよく聞き取れず、彼に返答できなかった。

 代わりに口をついて出たのは、かつて遭遇そうぐうしたことのある苦い思い出。


だと…!?」

「? 暴走って――――あ、導師補どうしほ!?」

「立て、アレックス! 逃げるぞっ!」


 そう言って、ベイカーは脇目も振らずに禿げ上がった森の中を駆け出した。

 魔杖機兵ロッドギアの暴走。それはつまり、同調している霊的人工知能SAIに主導権を奪われるということ。ちなみに原因は解明されていない。なぜなら霊的人工知能SAIの仕組み自体が、初代皇帝にしての始まりの魔導技師マギナーであるガーディによってもたらされたものであり、五百年たった現在でもなお仮説ばかりで、その領域にはまだまだ謎が多いほどなのだ。運用することに躊躇ちゅうちょしても不思議ではない秘密の箱ブラックボックス

 しかし、確かなことが一つあった。それはその暴走が、獣型けものがたによってのみ引き起こされるということ。

 だから帝国は獣型けものがたの開発をやめ、人型の魔杖機兵ロッドギアを大量に生産する方向へかじを切った。逆にまた、異端者たちは強力な一個体を求めて獣型けものがたを作り出すようになった。

 暴走した魔杖機兵ロッドギアのパイロットは廃人になる。そんなリスクを背負ってまで乗る魔賊たちの背景はさまざまだ。中には覚悟をもって臨む者もいれば、ただ力におぼれただけの者もいる。簡単に暴走するのは特に後者だろう。

 そしてベイカーは、一度だけその暴走する獣型けものがた遭遇そうぐうしたことがあった。

 それは、治安維持部隊の新人だったころ。対魔賊特殊機兵部隊ミスティルテインズの活躍もあってなんとかその暴走はしずめられたが、街の被害は甚大じんだいだった。この巨大なエレファントが暴れたら、被害はその時の比ではない。街が一つ消える可能性だってある。


「なるほど! でも今そんなこと聞かされたって、状況はたいして変わんないすけどね!」


 倒れた幹を飛び越え、折れた枝を蹴散らし、葉っぱで覆いつくされた地面に足を滑らせながら、開けっぴろげな森をともに逃げるアレックスが言う。むしろ状況は悪くなっているだろう。

 しかし、そういうことではない。


「理性なんざねぇんだ! 俺に復讐して終わりってわけにはもういかねぇんだよ! ここで時間を稼がなきゃ、破壊のかぎりを尽くすぞあれは…!」

「えぇ!? それじゃ最終手段が使えないじゃないすか!」

「なんか奥の手あったのか!?」

「いや、導師補エサをやれば落ち着いてくれるかなーって」

「わかんねぇように言ったつもりだろうけどバレバレだからな!?」

「てへっ」


 繰り返される歴史、永久不滅の迷ゼリフ。これだから今どきの若いやつは。

 ベイカーが言葉を失うほどの怒りに襲われた時、空気を震わせていた勝鬨かちどきがついに終わりを迎え、そして興奮したような巨大な足踏みが大地に悲鳴を上げさせた。標的補足ロックオンの合図。それはそう、森の隠れみのはもうないのだから。

 数回続いた縦揺れの地震に二人仲良く転倒し、同じ倒木をソファーにして悲鳴を上げる。


対魔賊特殊騎兵部隊ミスティルテインズのやつらはまだ来ねぇのかちきしょーっ!」

「さ、最初から応援に呼んどけば良かったじゃないっすかーっ!」

「うるせぇっ! 元はといえばおめぇが適当な仕事を――」



――ズシンズシンズシン――――ッ!



 断続的な地響き。青空を背に迫る巨体。遠くからでもわかるその光景に、ベイカーは観念した。

 ついに余裕を失った隣の青年へ声をかけながら、妻と娘を想う。


「よぉ、アレックス。残念なお知らせだ」

「こんなおっさんと死ぬなんていやだぁっ! チェンジで! かわいこちゃんとチェンジで!」

「そのことなんだけどよ」


 通常の魔杖機兵ロッドギア一体分はありそうな四肢。一瞬で踏み潰されるだろう。

 小遣いをちっとも上げてくれなかった妻。反抗期を過ぎてもケンカが絶えなかった娘。

 二人とも、愛していた。


「うちの娘、彼氏ができたみたいでな」

「え、マジすか――――って今!?」

「だからおめぇさん、どうせ生き残っても無駄だったぜ」

「最期の言葉がそれでいいのかあんた!?」

「ダハハハハッ! おめぇにやるよりゃ百倍ましだな!」


 けれど最後に、つらを拝みたかった。そして言ってやりたかった。うちの娘はお前にやらん、と。


(中途半端な男じゃなけりゃ、いいんだけどな…)


 揺れる地面の上で、腰を抜かしながら必死に逃げようとする隣の若者を見るに、それも期待できない。今どきの若いやつらなんてみんなこんなものだろう。ベイカーは皮肉げに笑い、目が赤くなっている鋼鉄の巨像を硬い木のソファーにもたれながら見上げた。

 もうすぐ、人生が終わる。あっけないものだ。腹をくくって達観する中で願うのは、この暴走を止めてくれる者。


(神様にはさっき助けてもらったから、もうネタ切れだろうしなぁ…)


 だから、誰でもいい。どうか自分の故郷を。そこに住む人々を。

 そしてどうか、自分の愛する家族を守ってほしい。


「死ぬときは俺、かわいこちゃんの膝の上って決めてたのにっ! ひき肉はいやぁぁぁ――――っ!」


 貧乏くじを引かせてしまった新人に悪く思いながら、ベイカーは静かに目をつむった。間近に迫る轟音。届く砂ぼこりに、ひどくなる縦揺れ。そして、陽の光が完全にさえぎられた気配。

 巨大な足の影に入ったのだと理解し、恐怖で目を開けてしまいそうになりながらも必死につむっていると――



――ガシャァァァ――――ッ!



――風が吹いた。ベイカーはふと、目を開けた。


「ヒィィィッ! 俺なんか食べてもおいしくないだろうけどせめておいしく調理し……って、あれ?」


 相変わらず日差しはさえぎられており、駆け抜けた突風はすでに過ぎ去っている。

 それでもまだ生き残っている彼が目にした光景は、己よりも大きな足の裏を支えて踏ん張る巨人。


「……青い、魔杖機兵ロッドギア?」


 青く輝く全身鎧に、オレンジ色のモヒカン頭。その後ろ姿を見上げながらぼんやりと思う。

 ネタの出し惜しみとは、意地のわりぃ神様だ。

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