2 タルボ①

 特殊実験機兵部隊、通称『ハールバルズ』に配属されて早くも二週間。訓練とは名ばかりの、怪しい器具を体へ付けた実験動物モルモット扱いにもようやく慣れ、数人の顔もなんとか覚え始めた今日このごろ。

 スヴェン・リーはいまだ船上の人――――海ではなく、空の上で過ごしていた。


「レオン先生、この船いつまで飛んでるんですか?」

「部隊の行軍予定など私のあずかり知るところではない」


 ほかの魔導技師マギナーと同じく、白のローブとボタンシャツ、そして動きにくそうなスラックスと革靴を履いた気難しそうな男性。自分の担当医師でもあるらしいマルクス・レオンはそう言い、押し上げた眼鏡をキラリと光らせた。


「リー導師、まさか船から降りたいとでも言うつもりか?」

「まぁ、地上で生活したいなーとは」

「君は何もわかっていないようだな。この魔杖機船ロッドシップ、ナグルファル号がいかに先進的で、素晴らしいものであるかを――――」


 後に続いた語り草を、でこが広いなぁ、と思いつつ聞き流す。きっちりとオールバックにした彼の黒髪は、生え際がやや後退していた。まだ二十九歳という話なのに。

 己の未来に不安を抱いたスヴェンは――失礼極まりない話だが――髪をかきあげ、周囲へ目をやった。

 ハールバルズ隊の移動拠点、魔杖機船ロッドシップ内にあてがわれた自室。ベッドと水場、それにシャワールームのある一人部屋。ステンレス製の机にはそれとおそろいの座り心地が冷たそうな椅子が二つあるが、片方はレオンが使用中。あとは軍の支給品のシャツだけかかっているハンガーラックなど。

 そんな、シンプルながらに少し豪華――とも言えないが、スヴェンは一人部屋に住んだことがなかった――な部屋の中でお目当てのものを見つけ、ベッドの上であぐらをかいていたスヴェンは体を傾けた。椅子に座るレオンの向こう側に見えたのは手洗い場。

 鏡に映った己の生え際に。とりあえず安心。将来はわからないが。

 その様子を、レオンが見とがめる。


「おい、リー導師。人の話を聞いているのか?」

「え? あぁ、快適ですよね。揺れて眠れないと思ってたのに全然揺れなくて、毎晩ぐっすりです」

「全然聞いていないではないかっ!」


 違ったか、とスヴェンは耳の穴をふさぎながら思った。それにしてもうるさい先生だ。


(まぁ、だいぶ慣れたけど)


 スヴェンにとってレオンは、この部隊で一番顔を合わせている人物だった。朝昼晩と連日、怪しげな器具を使った健康診断とカウンセリングをしに部屋へやって来る。今はそのカウンセリングの最中だった。

 といっても、毎回この調子。


「まったく! 君ときたらいつも、寝てるのか起きてるのかいまいちわからないような顔をして…! だいたいこの前も人の話を聞かず飛び出して、あまつさえ魔賊と勝手に戦闘を――――」


 小言に説教、ちょっとした嫌味。これが一日三度で二週間。カウンセリングとはいったいなんなのか。

 しかし、スヴェンは彼が嫌いではなかった。掃除をうんぬん、洗濯のルールがどうのこうの、果ては食べ方があぁだこうだ、いちいち細かくて口うるさいこの男が。

 学者肌らしく、偉そうにしても上官らしさを感じないというのも理由のひとつだろうが、何より彼は自分を色眼鏡で見ていないとスヴェンは感じていた。自分を、東方系人種イースタニアンというれ物として。

 そんなことに関心はなく、単純に彼はバカが嫌いらしい。


「――――ということだ、わかったかねリー導師! 少しはその空っぽな頭に叩きこんでおきたまえ!」

「叩きこめないから空っぽなんすけどね」

「開き直るんじゃないっ!」


 ガタッと椅子から立ち上がるレオンを、あぐらをかいたまま見上げる。体はゆらゆらと左右へ。

 スヴェンは暇だった。体を動かす訓練がないうえに、マーシャルを起動するだけでその日の仕事が終わってしまう日々。一度、デカブツの獣型けものがた相手にストレス発散したが、それが終わればやはり暇。

 なのでレオンをからかうのは、単なる暇潰しだ。悪いとは思うが、彼の反応リアクションの良さが拍車をかけてなかなかやめられない。


「ハァ、まったく……君はいつもそうなのか?」


 ドサッと椅子へ座りなおし、レオンが机へ肘をつく。

 スヴェンは首を傾げた。


「と、言いますと?」

「年長者――――というより、上官にもそういう態度なのかと聞いている。それでは軍人どもの鼻につくんじゃないのか?」

「あー、どうでしょう……生意気とはよく言われてましたけど」


 考えてみれば、これほど積極的にコミュニケーションを図ろうとした記憶がない。もしや不安になっていたのか。新しい部隊で、右も左もわからないまま放置されて。

 何せここには、他人との間をうまく取り持ってくれる相棒はもういないのだから。

 スヴェンはそんな自分に気付いて苦笑し、やんわりとごまかした。


「レオン先生こそ、よくからかわれたりしません?」

「む。どういう意味だ?」

「そのまんまですけど。からかいがいがあるっていうか…」

「失敬な! これでも私はストラノフ博士の第一助手で、彼女の研究の補佐をする立場に……」


 ストラノフ博士――――アナスタシア・ストラノフのことか。聞き慣れない呼び名を頭の中で変換していると、レオンが黙りこむ。視線をそらし、横顔に満ちるは苦渋くじゅうの色。心当たりのある表情だ。

 ふと頭に浮かんだのは、アナスタシアが彼をからかう光景。なんだか妙にしっくりくる。


「……もういい、今日はここまでだ」


 レオンは大きなため息をつき、机の上に置いていた器具を救急箱のようなものへしまい始めた。聴診器はあるが薬はなく、中身はごちゃごちゃした機械ばかり。


「この後、俺はどうすれば?」


 スヴェンはわずかな期待を抱いて尋ねたが、予想どおりの返答だった。


「いつもと変わらない。体調に変化があればすぐ知らせるように。それまでは自室待機だ」

「あー……そうですか…」


 ガックリ、と首を落とす。具体的な希望があったわけではないが、何か変化が欲しい。これではまるで軟禁だ。


「マーシャルにはもう――」

「一日に二度も乗らなくていい。危険性は説明したはずだ」

「そう言われても実感なくて……あ、食堂とか――」

「食べたばかりだろ。無駄に出歩くんじゃない。夕食も、私が検診のついでに持ってきてやる」

「……トイレ――」

「自室についてるだろ」


 食い気味でことごとく先回り。やってられない。


「至れり尽くせりで、どうもすみませんね」


 救急箱と食事用のトレイを持って立ち上がるレオン――その昼食も彼が持ってきた――へと投げやりに言い、スヴェンはベッドの上へと寝転がった。

 上等な枕とふかふかなシーツ。身を沈ませ、だらしなく伸ばす両手足。そのまま天井を見上げていると、やや控え目な声が降ってくる。


「君は、カレーとハンバーグ、どちらが好きだ?」

「? 急になんですか?」

「いや……夕飯は、君の好きなものにしてやろうと思ってな」


 ドアの前で立ち止まる背中を見て、目が点になる。きっと根がお人好しなのだろう。

 だが、それはそれとして。


「なんでその二択なんですか?」


 好きなものと言うわりにずいぶん狭い選択肢だ。疑問を感じてスヴェンが尋ねると、レオンは「あっ」と何かを思い出し、わざとらしくせき払いをした。


「今のはなしだ、忘れたまえ」

「え。あ、ちょっと――」

「くれぐれも部屋から出ないように」



――プシュッ。ガー、ガチャン。



 そそくさと出ていく白衣の背中。手を伸ばすも、固く閉ざされる鉄の扉。

 その体勢のままポツリと言う。


「ハンバーグカレー…」


 合わせ技一本の新たなる選択肢。先に言えば良かったと悔やんでも、すべては後の祭りだった。




 それからスヴェンは部屋の中で体を動かした。暴れ回ったという意味ではない。体がなまらぬよう自主的に訓練し、冷たい床を流れ落ちる汗でぬらしたのだ。食事を運んできたレオンにそれが見つかり、彼が「いくつか本を置いていただろ」と呆れるも、難しくてわからないと返せばさらに呆れられた。

 そして食事が終わり、いつもの診察。カウンセリングとは名ばかり、本日最後のお説教。置いてある本の内容を説明しようとしてくれたのだが、聞いているうちに睡魔に襲われ、彼は癇癪かんしゃくを起こした。「そんな知識でどうやって魔杖機兵ロッドギアを動かしているんだ!?」との問いには「なんとなく?」と答えた。

 怒って帰る彼を見送り、シャワーを浴びる。後は就寝のみ。ここ最近、ほぼ同じサイクル。

 そのサイクルの中で毎晩、スヴェンは奇妙な目にっていた。




――カシャカシャカシャカシャ……。



(……またか)


 それは、夜の恒例行事イベント

 眠りにつく直前、奇妙な音が部屋の中で響く。虫がいずりまわる音にも似ていたが、それは間違い。そのことをスヴェンは初日の晩からよく知っていた。

 毛布をどけて半身を起こし、部屋の明かりをつける。


「おい。いい加減にしろよ、


 まるで同居人がいるような物言い。しかしその部屋に、スヴェン以外の人物は見当たらない。

 それでもなお彼は続ける。


「毎晩毎晩カシャカシャうるせぇ。お前、玩具おもちゃのくせに夜行性なのか?」


 射すくめるような視線を冷たい床へ。そこに、はいた。



――カシャカシャ、ガシャン。



 たるが立つ。そうとしか言いようのない光景。

 胴体の中央部が少し膨らんだ円筒形の酒樽さかだる――表面は光沢こうたくのある鈍色にびいろで、材質は木ではないようだ――というより、サイズ的にジョッキ。そしてジョッキの取っ手代わりに、枝のように細い手足がついていた。「たるが立つ」とはゴロゴロと横向きで転がるたるが縦に置かれたわけではない。それは文字どおり、四足歩行で床をうごめいていたたるが二足歩行で立ち上がったのだ。

 そして、ふたに当たる部分とつながる突起物。頭なのかどうなのか、細長いカメラの一つ目レンズがこちらを向き、ウィーンと縦に揺れる。


「タル」


 たぶん、うなずいたのだろう。


「いやだから、うるせぇっつってんだよ」

「タル」


 タルしか言わねぇ。いら立ったスヴェンは足元のタルを両手で持ち上げ、クルリと逆さまにして頭のほうを床へ向けた。


「タルッ!?」


 瞬時に危機を察したのか、まるで亀のように頭と手足を引っこめる謎のたる。そしてそのまま床に置き、タルタルうるさい通信越しのような音声に耳をふさぎながら、スヴェンはしばらくの間そのたるを踏み続けた。

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