3 タルボ②

 その奇妙なたると出会ったのは、着任して初日の晩だった。

 早朝から魔杖機兵ロッドギアを使っての資材運び。続いて模擬戦、みんなとの別れ。そして感傷に浸る間もなく、部隊と船内施設の長々とした説明。詰めこまれた内容はほとんど覚えていないが、この魔杖機船ロッドシップが『ナグルファル号』という名前であることと、この特殊実験機兵部隊ハールバルズにはもう一人パイロットが所属していることだけは把握した。どうやら今は面会謝絶の深手を負っているらしい。

 新しい環境への適応もままならず、自室へ通されたとたんに着の身着のままベッドへダイブ。夕飯を食いっぱぐれるほど、心身ともに疲れ果てていた。

 そしてそのまま朝までぐっすり――――とは、いかなかった。



――ツンッ。



 一発。



――ツンツンッ。



 二発。



――ツンツンツンッ。



 三発。

 そこでようやく、頬に刺す痛みが現実だと認識。

 うっすらとまぶたを開けば、カメラの一つ目レンズが間近でこちらをジーッととらえていた。夢うつつだった意識が急激に覚醒し、思わず手を振り回す。拳に確かな手応え。

 その後に展開されたのは、ジョッキサイズのたるが部屋の天井と壁に跳ね返り、床に墜落する光景。何が起こったのかわからずにしばらく沈黙を保っていると、信じられないことにたるから頭と手足が生えてきた。



――カシャンカシャン、カシャン!



 枝のように細い金属の骨格フレーム。それが手足となり、そして一つ目レンズのカメラを支える長い首となる。

 そのままこちらへと、四足歩行でカシャカシャと迫りくる謎のたる。あまりの意味不明さと気持ち悪さにスヴェンはその日、人生で初めて恐怖による悲鳴を上げた。




 部屋まで駆けつけてくれたレオンに事情を話すも、信じてもらえず。その謎のたるが部屋から忽然こつぜんと姿を消したからだ。しかもなんと、自分の幻覚扱い。そんなはずはないと言い募るが、研究者レオンの興奮する姿を見てそんな気も失せる。医者でもあるのに幻覚を見た患者で喜ぶな。

 腹立たしい気持ちと気味の悪さにその日は眠れず、そして次の日。早速とばかりに待つ仕事へとスヴェンは寝不足で挑んだ。

 マーシャルに乗るだけの簡単な仕事だと思っていたが思いのほかきつかった。機体の調整――自分専用に調整してくれるという話だった――だけなら良かったものの、F型魔杖機兵ロッドギア専用武器との同調シンクロ具合まで確認し始めたのだ。霊的人工知能SAIと長時間つながり続けて、肉体よりも精神的な疲労がスヴェンにのしかかった。そのおかげで、後に遭遇そうぐうした魔賊のエレファントを倒せたのだが。

 そして前日と同じく、疲れ果ててベッドへダイブ。昨晩のことなどすっかり忘れて夢の世界へ突入――――とは、やはりいかなかった。



――ツンツンツンツンツンツンッ!



 思わず、スヴェンはぶん殴った。怒りに身を任せた。もはやそこに、夢かうつつかなどは関係ない。裏拳バックナックル会心の一撃クリーンヒットに合わせて『タルゥッ…!』と妙な反響音エコーが部屋中に響く。

 不機嫌に身を起こすと、床に昨日のたるが転がっているのが目に入り、手の甲の痛みも忘れて急いで捕獲した。どうやら亀のように手足と頭を引っこめる暇もなく、もろに直撃して目を回したらしい。

 しかし、そこでスヴェンは衝撃を受けた。目を回すのか、こいつ。

 金属製のたるから伸びる機械仕掛けの手足と首。間接部位アクチュエータには小さなモーターらしきものまで。頭部を模した一つ目レンズのカメラも合わせて、見るからに玩具おもちゃの――趣味の悪い――人形だ。それがまるで、生き物のように目を回している。これも魔導技術マギオロジーのなせるわざなのだろうか。

 とにかくレオンを呼ぼう。幻覚ではなかったという証拠にもなるし、もしかしたら製作者にも話が聞けるかもしれない。スヴェンは初めて見る玩具おもちゃに少し目を輝かせながら、部屋に備えつけの通信機へと手を伸ばした。

 それにハッとした謎のたるが手足と頭を引っこめ、手元でギュルルと高速回転。危険を察し、慌てて捕らえていた手を放す。だが攻撃はしてこない。

 その謎のたるは器用に通信機の前へ降り立つと、二足歩行の姿でこう言った。


『タルッ!』


 さっぱり意味がわからなかった。




 どうやら他人の目に触れたくないらしい。身振り手振りでその意図を読み取るも、理由がわからない。それを聞いても『タル?』とカメラを傾けるだけ。人間らしい仕草。それに、言葉を理解している。

 次に疑ったのは操作されているのではないかということ。このカメラを通して、誰かが遠くからのぞいているのではないか。

 しかし、それも違った。と断言できるほどの確信もなかったが、少なくとも紙とペンを渡して意思疎通を図ろうとしたところ、相手は文字を書かなかったのだ。出来上がったのは妙に精巧な自分の似顔絵。無駄にプレゼントされた。

 くしゃくしゃに丸めた自画像をポイッと捨て――自信作だったらしく『タルッ!?』と驚いていた――ふと、気付く。たるふちに何か文字が刻まれている。と書かれていた

 名前なのか、と尋ねてみる。


『タル』


 なんだ、やっぱりたるか。


『タル!? タルタルタルッ!』


 え、違うのか。そんなすれ違うやり取りをいくらか交わし、最終的にへと落ち着いた。

 なぜ名前を付けているのだろう。目の前でどこかうれしそうにカシャカシャ動く四足歩行のタルボを見ながら、スヴェンは頭を抱えた。




 タルボは決して人前に姿を現さなかった。

 自分が部屋を出てもついてこず、レオンのカウンセリング時には音も立てずに逃げ出す徹底ぶり。どうやら元から部屋に住み着いていたわけではなく、通気口から出入りしているらしい。そして夜、就寝時間になるとカシャカシャ戻ってくる。

 怪しすぎた。疑うには十分だった。それとなくレオンにもたるの人形やについて聞いてみたが、心当たりすらない様子。けれど魔導技術マギオロジーなのは間違いない。もしかしたら魔賊か、もしくは東方連合の魔の手か。

 しかし、スヴェンは報告しなかった。

 タルボに敵意がなく、行動にも一貫性が見られない。ただ足元をウロウロするだけ。無害なオブジェクト。全部、言い訳だった。

 本当は、野良犬になつかれたような気分であり、ないしょでペットを飼っているような心持ち。そんな心境であり状況。無自覚なホームシックにかかっていたスヴェンにとって、タルボはありがたい存在だったのだ。

 だから、連れていかれるのは少し嫌だった。だからズルズルと、秘密を抱えたまま今日こんにちに至った。




 しかし、睡眠時間を奪われるのは我慢ならない。

 寝ている頬をツンツン刺してくる存在を無視すると、さらにツンツンツンツン加速してくるその痛みに耐えられなくなったスヴェンはカッと目を見開き、取っ手のないたる型ジョッキを片手で掴んで持ち上げた。


「おいタルボ、いい加減にしろって昨日も言ったよな…!」

「タルタル! タルッ!」

「痛い、じゃねぇんだよ。このまま握り潰してやろうか?」


 あくまで自己解釈。それにとてもではないが、握り潰せるほどタルボはやわではなかった。

 ふたは開けられないが、中身はやや空洞のようで軽い。しかし、その外殻がいかくの硬度に見合った重さが片手にかかる。それでも簡単に持ち上げられる重さだが。

 タルタルうるさいのでスヴェンが仕方なく放り投げると、空中で引っこめていた手足と頭を解放し、見事に床へと着地。四足歩行でいつくばるタルボが、ドヤ顔のように一つ目レンズをこちらへ向ける。

 スヴェンは肘をついて寝そべり直した。


「前から言おうと思ってたけど……お前のその虫みたいな歩き方、気持ち悪いぞ」

「タルッ!?」


 頭部を模したカメラが揺れる。ショックだったらしい。二足歩行へ切り替え、カシャンカシャンと歩きづらそうにうろつくその姿をぼんやり見ながら思う。

 言語の理解だけではない。こいつには、感情がある。ある程度の思考が可能だからこそ簡単なやり取りもできるのだろう。それがどれほどなのかはわからないが、夜毎よごとに意味もなく部屋を徘徊はいかいしているあたり、明確な意思や目的までは持っていないような気もする。

 だからといって、こんなに油断するのはいかがなものか。

 魔導技術マギオロジーには詳しくないが、かなり高度な技術のはず。それが理由もなく、こんな場所に転がっているわけがない。魔導技師マギナーが多く所属しているこの実験部隊が作り出したという線は、アナスタシアの第一助手であるレオンが知らないという時点でほぼ消えている。

 ならばなぜ。自分になついているという点も含め、謎だらけだ。


(やっぱり、報告するべきだよなぁ…)


 バランスの悪い二足歩行を諦め、タルボが亀のように手足と頭を引っこめる。そしてたるの形になったままコロコロと静かに揺れるしょんぼりした様子に、ついため息がこぼれた。これもこちらを油断させる策なのだろうか。


(緊張感なくすんだよな、こいつ見てると)


 スヴェンは頭をかきむしった。とりあえず、明日にでもレオンに相談してみよう。さすがにそろそろ対応を任せるべきだ。

 そしてやや引け目を感じながらタルボへ目を向けると、たるのまま扉へとガンガンぶつかっていた。まるでこちらの考えを察して逃げ出そうとしているようだ。まさか、人の心を読む機能まで。

 一瞬だけ焦ったものの、そこまで必死な様子でもない。ただ気まぐれに外へ出てみたくなったペットのよう。ベッドから下ろした足で長靴ブーツを履き、スタスタ近寄りヒョイッとたるを持ち上げる。


「通気口から外に出れないのか?」


 ウィンッと出てきたカメラを傾けて「タル」と言うタルボ。たぶん「無理」なのだろう。

 スヴェンは注意を重ねた。


「お前、誰にも見られたくないんだろ? 廊下の監視カメラに映るけどいいのか?」

「……タル?」


 よくわからない時はこの反応だ。スヴェンは肩をすくめ、タルボを上へと軽く放り投げた。ポーン、ポーン、とリズミカルに続ければ、それに合わせて回転やひねりなどを入れる鈍色にびいろたる。これしきで上機嫌とは。


(もしかしたらずっと室内にいて、ストレスたまってんのかもな)


 そう考えてすぐに気付く。それは、自分のことだ。

 実験動物モルモット扱いは百歩譲って良しとして、この軽い軟禁状態は耐えられない。タルボをもてあそぶのをやめて薄暗い部屋の天井をジッと見上げていると、幻聴ではないが『タルどうしたの?』と聞こえた。


「……ちょっと、散歩にでも行くか」


 渡し守をかたどる部隊章――かいを斜めに持って小舟の先に立つ老人の姿――を左胸に付けた黒ローブを手に取り、そのまま羽織る。下に着る黒い肌着シャツとカーキ色のズボンを合わせれば、ハールバルズ隊の正式なパイロット姿。うろついてもそこまで不審には思われないだろう。

 スヴェンはローブの前襟まええりを掛け合わせてベルトで留める前に、タルボに向かって片方を開いてみせた。すると、どこか弾んで聞こえる機械的な音声。


「タルッ!」


 胸に飛びこんできた利口なたるをわきに抱え、隠すように前襟まええりを留めたベルトへ青い鍵杖キーロッドを差す。ついでにフードを目深に被って、準備完了。

 そして魔導師然とした出で立ちの青年は、扉の横に設置された四角い板へと手をかざし、魔法のように自然と開いた扉の外へと足を踏み出した。フードの陰から出た口元に、彼の親友にも似たいたずらっ子のような笑みを浮かべながら。

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