4 君は今ごろ

 各所の扉の横に設置された四角い板。それは魔力波長マナパターン認証装置と呼ばれる、扉の開閉を操作する機械だ。

 魔力波長マナパターンとは指紋のようなもので、体の周囲を漂う魔素粒子エーテルの流れはそれぞれ一定ながら、同一のものはない。それで個人を――または木や石、有機物か無機物かを問わず――判別できる。つまり魔力波長マナパターン認証装置とは、それをドアの開閉に利用したアクセス制御装置だった。

 スヴェンはまだ新人だからか――それともほかに理由があるのか――魔力波長マナパターンは登録されているものの、アクセス権限が限られていた。散歩すら自由にできない身の上。行けるとしたら自室と食堂、だだっ広い一階甲板デッキに、残るは二階甲板デッキぐらい。

 ただ、その少ない場所を歩くだけでも、スヴェンはこのハールバルズという部隊のおかしい点に気付いていた。

 出会うのは白いローブを着た学者ばかりで、制服を着た軍人などは滅多に見かけられず。戦闘どころか見張りに割ける人員すらなく、これではまるで研究室。特殊実験機兵部隊というのも名前負け感がある。機材の充実具合を見るに、人件費をかけたくないというところだろうか。

 そんなふうに自分を無理やり納得させ、監視カメラに映りながら無人の廊下ろうかを進む。光源は床をほのかに照らす魔素灯エーテライトのみ。左右の壁の足元、床と並行して描かれた薄い光の線がしるべとなり、ほんのりと照らされる暗い道。

 そしてタルボを抱えたスヴェンはやがて、二階甲板デッキへとたどり着いた。




 月のない夜。星明りの近い空。雲を船底に、凍てつく空気を切り裂く船が一そう

 無数のオールではなく一対の羽を生やした帆船だが、巨大な四本の金属製帆柱マストにはいずれも帆が張られていない。その代わり、取りつけられたいくつものプロペラが水平にゆっくりと回っていた。

 船の地階甲板デッキに敷かれているのはアスファルトの道。魔杖機兵ロッドギア専用の滑走路だ。中央の帆柱マストを境に二体は並んで走れるであろう幅と、勢いをつけるに十分な長さ。改めて見ても大きい。

 船の後部にある艦橋室ブリッジルームの真下、広い露台バルコニーのような二階甲板デッキから船の全容を見下ろして、スヴェンは感嘆かんたんの息をついた。何度でも圧倒されそうなのだが、いつか慣れる日が来るのだろうか。そんなどうでもいい不安を抱きながら鉄板の上をゆっくりと歩く。

 そしておもむろに、重ねた前襟まええりの中へと手を突っこんで取り出したのは、ジョッキサイズの鈍色にびいろたる。それをポイッ。

 重たく弾んで止まり、うなるモーター音。回転、疾走しっそうするたる

 その先には柵が。



――ドカァッ!



「……何やってんだか、まったく」


 はしゃいでいるのだろうか、あれは。スヴェンは呆れて声をかけた。


「落ちんなよー。拾いになんて行ってやらねぇからな」


 返事代わりに再起動するモーター音。大きな屋敷の中庭ほどはあろうかという広さを駆けまわり、時にはスピン、時にはジャンプ、そしてドリフト走行まで披露。まるでダンスフロアーだ。というか今さらだが、どういう仕組みでたるのまま走っているんだ。


(ほんと意味わかんねぇな、あいつ。ずっとたるのままだし)


 もしや、四足歩行が気持ち悪いと言われたのを気にしているのだろうか。そんなことをふと思ったが、あれはたぶん楽しんでいるのだろうと思い直す。ここは監視カメラもないので自由だ。

 邪魔しないよう気をつけながらダンスフロアーを横断し、腰より高い落下防止用の柵へと背中を預けて寄りかかる。そしてふと見上げれば、そこには四角い箱の形をした艦橋室ブリッジルーム。窓からは死角だが、こちらを見下ろせる足場が周りに取り付けられていた。ここで兵士への激励などが行われているのかもしれない。

 整然と並ぶ帝国兵を真下に従え、スピーチを始める指揮官。想像した絵図のモデルはもちろん、ハールバルズ隊隊長アナスタシア・ストラノフ大師正たいしせい

 スヴェンは白い衣を羽織るいつもの彼女の姿――主にあの短いタイトスカートと黒いストッキングに覆われた長い足――を思い描きながら、まるで写真を撮るように指で四角を作った。切り取る妄想の角度はから。もちろん焦点ピントは、彼女がひけらかす美しい足。

 そんな自分をさらに斜め下から撮影する、本物のカメラ。


「……何見てんだよ」


 ひょっこりと出たカメラ。ジーッと見上げてくるタルボ。慌てて妄想のカメラを壊し、スヴェンは取り繕うように言い訳をした。


「俺はただ、帝国兵の士気高揚の秘訣ひけつに迫ってただけさ」

「タル?」

「……ま、お前にはわかんねぇか」


 ホッとしながら両手をポケットへしまう。それを合図に、タルボが再び周囲を駆けまわる。今度のモーター音はやや穏やか。しかし、艦橋室ブリッジルームから人が出てきたら見とがめられるのではないだろうか。そんな不安をあざ笑うかのように、辺りは静謐せいひつな空気で満たされていた。

 それもおかしな話だ。


(いったいどうなってんだか…)


 ゆっくりとまぶたを閉じ、視覚以外の感覚へと身をゆだねてみる。

 冷たい風。肌を刺すようなものではなく、それは内側へとしんみり染みこむような、どこか物悲しさを思わせるもの。こんな雲の上を飛んでいるというのにだ。

 それと、もうひとつ。スヴェンは艦橋ブリッジへと背を向けて目を開いた。冷たい手すり越しに見やるのは、静かなうなり声を上げて回り続ける帆柱マストのプロペラたち。


(出発する時はもっと爆音だったけど……今これ、どうやって飛んでんだ?)


 まるで穏やかな寝息。手を振るフィーの姿を一目見ようとここへ出てきた際には、立ってられないほどの風と耳をつんざく風切り音がしていたのに。今はプロペラの羽根の形さえ見て取れる。


(竹とんぼみたいなもんだと思ってたけど、なんで落ちないんだろうなぁ…)


 回転が弱まってゆっくり落ちる竹とんぼを思い浮かべていると、足元に軽い衝撃が走った。タルボだ。ガツガツと、たるのまま何度もぶつかってくる。


「なんだ、遊んでほしいのか? それとも気が済んだのか?」

「タル」


 どっちだよ、とスヴェンは思った。問いかけたのは自分だが。

 こちらが言葉を重ねる前に、タルボが頭と手足をひょっこり出す。そしてそのまま体を器用によじ登ってきた。


「……おいコラ」


 落ち着いた先は、自分の後頭部。

 フードは足場。手でこちらの頭を掴み、カメラで周囲を見回すタルボ。撮影でもしているようだ。


「お前、本当にスパイだったってオチだけはやめてくれよ」


 物珍しさに見物しているだけだと願いながら、スヴェンは力なく手すりに頬杖をついた。プロペラの回る帆柱マストをぼんやり眺める。

 そして思い出したのは、リズとあの世話係メイド、レインのことだった。


(スパイ、か…)


 彼女たちもこの船、ナグルファル号に収容されている。スパイ容疑のかかったレインに至っては収監だ。

 それとなく話を聞いたところによると、エイル・ガードナーが東方連合のスパイである世話係レインと共謀して少女リズを誘拐、新型マーシャルを強奪。内密にと念を押され、それ以上の詳しい話は聞かせてもらえなかった。

 だが、それだけで十分。つまりジンの説は正しかったのだ。

 すると次に気になってくるのは、リズという存在。



――あいつは、バケモノだ。



 ジンはそう言った。

 そして、エイル・ガードナーの最後の願い。



――渡すな、フリズスキャールブを。



 点と点でつながるわけではない。しかし、同じ問題なのは確実。


(渡すなってたぶん、この部隊にってことだもんなぁ…)


 さらに言うならたぶん、あの女。アナスタシア・ストラノフに渡してはならない。それはジンの説ではなく、実際に彼女と対峙した自分の勘だ。

 これで、本当に良かったのだろうか。


(面会を頼んでも、取りつく島もなかったし……そもそも、そんなこと俺に頼まれてもどうしようもねぇし……だいたいジンだってかかわんなって言ってたし…)


 言い訳を並べ立てる頭に痛みが走り、そこへさらに追加されるジンとのケンカという事案。KОノックアウトだ。腕を枕にし、倒れこむように手すりへとしなだれかかる。

 ストレスばかりの新生活。その頭痛の種のひとつでもある元凶タルボが、まるで敗者を踏みつけるように頭へとのしかかってきた。怒りより先にうずくのは、懐郷病ホームシック

 スヴェンはローブの袖を少しだけまくった。


(会いてぇなぁ…)


 落とす視線の先。肌身離さず手首にはめる、シンプルな腕時計。

 今すぐフィーに会いたい。その想いへこたえるように、時を刻まぬひとつだけの長針がかすかにぶれ、変わらず彼女のいる方向を示し続けた。

 自分の、帰るべき方角。


「……今ごろ、何してんのかなぁ――――」







「――――とか、考えてなーい?」


 スルリと耳へ入ってきた声に意識を奪われ、フィーは手首にはめていた腕時計から視線を外した。

 昼飯時。がやがやと騒がしい基地の食堂。そんな中で声をかけてきたのは、四人掛けのテーブルで隣に座る女性。ウェーブがかった茶色い髪を邪魔にならぬよう耳へかけるサラだ。

 フィーは申し訳なく尋ねた。


「ごめん、聞いてなかった。何?」

「あぁ、愛しの彼は今ごろ何してるのかしらぁ、とか考えてるのかなーって」

「……か、考えてないっ!」

「間があったね、今」


 違う女性の声による追撃。真向いに座るケイトだ。

 空になった食器へスプーンを置き、彼女は後ろでくくった黒髪を揺らして鼻で笑った。

 そんなケイトを横目にサラが言う。


「フィー、敗れた恋敵の前でそんな勝者の雰囲気を出したらダメだよー」

「あっ…」

て何よ、て」


 気まずげに視線を下ろせば、不機嫌そうな声が降りかかる。ただ、後に続くその矛先ほこさきは隣のサラへ向かったので、フィーはそそくさと目の前にある残りの昼食を片付けてしまうことにした。

 食器へ移されたベイクドビーンズの缶詰。豆を煮るのにトマトソースを使ったタイプ。

 スヴェンが好きだったものだ。


「それにしてもしつこいわね。あんなやつ、私の好みじゃないって言ったはずだけど?」

「もう、素直になりなよー。結果はどうあれ、人を好きになるのはいいことだよ? ケイトだって私たちと同じ女の子なんだしー」

「ハッ。相変わらずピンクの花が頭ん中で咲きほこってるね、あんた」

「ピンク、かわいいでしょ?」

「全然。趣味わるっ」


 バチッ、と散る火花にも気付かず、スプーンを食器と口の間で忙しなく往復。

 図星だった。さらに詳しく言えば、スヴェンは今ごろ何食べてるかな、などと考えていた。彼の好むベイクドビーンズに端を発し、身につけるようになった腕時計の短い針へボーッと目をやっていた事実。習慣になったそのくせを最近よく指摘されるので恥ずかしい。

 ごまかすように急いでかきこむと、こちらの食事終わりに合わせて二人の舌戦ぜっせんも終わっていた。


「フィーってば、そんなに急いで食べると体に悪いよー?」

「腹がふくれりゃなんでもいい、って言いたいところだけど、貴重な食糧は味わって食べなよ」


 珍しく意見の合う二人。思わぬ強力タッグ。

 何も言えずにいると、ケイトが机へ手をついて不自由そうに立ち上がる。そして、そばにある一本の松葉杖をわきに挟んだ。

 フィーは素早く立ち上がった。


「食器は私が持つよ」

「いいって、このぐらい。もう慣れたから」

「ダメ」


 横からパッと食器をかっさらう。


「これぐらいさせてよ。私たちがいる意味なくなっちゃう」

「いや、誰も介助なんて頼んでないし。それに……」


 ケイトは横目で不機嫌そうに、座ったままのサラを見た。


「こいつに借りを作るの嫌なんだけど」

「えー、命の恩人にひどーい」

「恩着せがましい。共倒れせずに済んだだけでしょ」

「ま、そうだねー。それにしおらしくケイトからお礼言われても……気色わるっ」


 間を空けてからの言い回しは、先ほどのケイトのまね。隣からピキッと青筋の立つ――なんならそのわきに挟んだ松葉杖を今すぐ振り回しそうな――気配を感じたが、慌てて間に入らなければいけない事態にはならなかった。


「じゃあお願い、フィー。さっさと行こう」

「あ、うん」

「え。ちょ、ちょっと待ってよー。私まだ食べてるんだけどー?」


 残っている食事をアピールするサラ。そんな彼女へ肩越しに一瞥いちべつをよこすだけで、ケイトはまったく意に介さず同じセリフを吐いた。


「じゃあお願い、フィー。さっさと行こう」

「……う、うん」

「あーもー、待ってってばケイトー!」


 食事ペースのピッチを上げたサラに気後れするが、松葉杖をつきながらでも颯爽さっそうと歩く背中に自然と引かれ、後ろをついて歩く。

 それにしても、だ。


(なんか、仲良くなってない?)


 流れる空気にちょっと違和感。しかしフィーは怒られるだろうと思って、決してそれを口にはしなかった。

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