4 君は今ごろ
各所の扉の横に設置された四角い板。それは
スヴェンはまだ新人だからか――それともほかに理由があるのか――
ただ、その少ない場所を歩くだけでも、スヴェンはこのハールバルズという部隊のおかしい点に気付いていた。
出会うのは白いローブを着た学者ばかりで、制服を着た軍人などは滅多に見かけられず。戦闘どころか見張りに割ける人員すらなく、これではまるで研究室。特殊実験機兵部隊というのも名前負け感がある。機材の充実具合を見るに、人件費をかけたくないというところだろうか。
そんなふうに自分を無理やり納得させ、監視カメラに映りながら無人の
そしてタルボを抱えたスヴェンはやがて、二階
月のない夜。星明りの近い空。雲を船底に、凍てつく空気を切り裂く船が一
無数の
船の地階
船の後部にある
そしておもむろに、重ねた
重たく弾んで止まり、うなるモーター音。回転、
その先には柵が。
――ドカァッ!
「……何やってんだか、まったく」
はしゃいでいるのだろうか、あれは。スヴェンは呆れて声をかけた。
「落ちんなよー。拾いになんて行ってやらねぇからな」
返事代わりに再起動するモーター音。大きな屋敷の中庭ほどはあろうかという広さを駆けまわり、時にはスピン、時にはジャンプ、そしてドリフト走行まで披露。まるでダンスフロアーだ。というか今さらだが、どういう仕組みで
(ほんと意味わかんねぇな、あいつ。ずっと
もしや、四足歩行が気持ち悪いと言われたのを気にしているのだろうか。そんなことをふと思ったが、あれはたぶん楽しんでいるのだろうと思い直す。ここは監視カメラもないので自由だ。
邪魔しないよう気をつけながらダンスフロアーを横断し、腰より高い落下防止用の柵へと背中を預けて寄りかかる。そしてふと見上げれば、そこには四角い箱の形をした
整然と並ぶ帝国兵を真下に従え、スピーチを始める指揮官。想像した絵図のモデルはもちろん、ハールバルズ隊隊長アナスタシア・ストラノフ
スヴェンは白い衣を羽織るいつもの彼女の姿――主にあの短いタイトスカートと黒いストッキングに覆われた長い足――を思い描きながら、まるで写真を撮るように指で四角を作った。切り取る妄想の角度は斜め下から。もちろん
そんな自分をさらに斜め下から撮影する、本物のカメラ。
「……何見てんだよ」
ひょっこりと出た
「俺はただ、帝国兵の士気高揚の
「タル?」
「……ま、お前にはわかんねぇか」
ホッとしながら両手をポケットへしまう。それを合図に、タルボが再び周囲を駆けまわる。今度のモーター音はやや穏やか。しかし、
それもおかしな話だ。
(いったいどうなってんだか…)
ゆっくりとまぶたを閉じ、視覚以外の感覚へと身をゆだねてみる。
冷たい風。肌を刺すようなものではなく、それは内側へとしんみり染みこむような、どこか物悲しさを思わせるもの。こんな雲の上を飛んでいるというのにだ。
それと、もうひとつ。スヴェンは
(出発する時はもっと爆音だったけど……今これ、どうやって飛んでんだ?)
まるで穏やかな寝息。手を振るフィーの姿を一目見ようとここへ出てきた際には、立ってられないほどの風と耳をつんざく風切り音がしていたのに。今はプロペラの羽根の形さえ見て取れる。
(竹とんぼみたいなもんだと思ってたけど、なんで落ちないんだろうなぁ…)
回転が弱まってゆっくり落ちる竹とんぼを思い浮かべていると、足元に軽い衝撃が走った。タルボだ。ガツガツと、
「なんだ、遊んでほしいのか? それとも気が済んだのか?」
「タル」
どっちだよ、とスヴェンは思った。問いかけたのは自分だが。
こちらが言葉を重ねる前に、タルボが頭と手足をひょっこり出す。そしてそのまま体を器用によじ登ってきた。
「……おいコラ」
落ち着いた先は、自分の後頭部。
フードは足場。手でこちらの頭を掴み、
「お前、本当にスパイだったってオチだけはやめてくれよ」
物珍しさに見物しているだけだと願いながら、スヴェンは力なく手すりに頬杖をついた。プロペラの回る
そして思い出したのは、リズとあの
(スパイ、か…)
彼女たちもこの船、ナグルファル号に収容されている。スパイ容疑のかかったレインに至っては収監だ。
それとなく話を聞いたところによると、エイル・ガードナーが東方連合のスパイである
だが、それだけで十分。つまりジンの説は正しかったのだ。
すると次に気になってくるのは、リズという存在。
――あいつは、バケモノだ。
ジンはそう言った。
そして、エイル・ガードナーの最後の願い。
――渡すな、フリズスキャールブを。
点と点でつながるわけではない。しかし、同じ問題なのは確実。
(渡すなってたぶん、この部隊にってことだもんなぁ…)
さらに言うならたぶん、あの女。アナスタシア・ストラノフに渡してはならない。それはジンの説ではなく、実際に彼女と対峙した自分の勘だ。
これで、本当に良かったのだろうか。
(面会を頼んでも、取りつく島もなかったし……そもそも、そんなこと俺に頼まれてもどうしようもねぇし……だいたいジンだってかかわんなって言ってたし…)
言い訳を並べ立てる頭に痛みが走り、そこへさらに追加されるジンとのケンカという事案。
ストレスばかりの新生活。その頭痛の種のひとつでもある
スヴェンはローブの袖を少しだけまくった。
(会いてぇなぁ…)
落とす視線の先。肌身離さず手首にはめる、シンプルな腕時計。
今すぐフィーに会いたい。その想いへ
自分の、帰るべき方角。
「……今ごろ、何してんのかなぁ――――」
※
「――――とか、考えてなーい?」
スルリと耳へ入ってきた声に意識を奪われ、フィーは手首にはめていた腕時計から視線を外した。
昼飯時。がやがやと騒がしい基地の食堂。そんな中で声をかけてきたのは、四人掛けのテーブルで隣に座る女性。ウェーブがかった茶色い髪を邪魔にならぬよう耳へかけるサラだ。
フィーは申し訳なく尋ねた。
「ごめん、聞いてなかった。何?」
「あぁ、愛しの彼は今ごろ何してるのかしらぁ、とか考えてるのかなーって」
「……か、考えてないっ!」
「間があったね、今」
違う女性の声による追撃。真向いに座るケイトだ。
空になった食器へスプーンを置き、彼女は後ろでくくった黒髪を揺らして鼻で笑った。
そんなケイトを横目にサラが言う。
「フィー、敗れた恋敵の前でそんな勝者の雰囲気を出したらダメだよー」
「あっ…」
「あって何よ、あって」
気まずげに視線を下ろせば、不機嫌そうな声が降りかかる。ただ、後に続くその
食器へ移されたベイクドビーンズの缶詰。豆を煮るのにトマトソースを使ったタイプ。
スヴェンが好きだったものだ。
「それにしてもしつこいわね。あんなやつ、私の好みじゃないって言ったはずだけど?」
「もう、素直になりなよー。結果はどうあれ、人を好きになるのはいいことだよ? ケイトだって私たちと同じ女の子なんだしー」
「ハッ。相変わらずピンクの花が頭ん中で咲きほこってるね、あんた」
「ピンク、かわいいでしょ?」
「全然。趣味わるっ」
バチッ、と散る火花にも気付かず、スプーンを食器と口の間で忙しなく往復。
図星だった。さらに詳しく言えば、スヴェンは今ごろ何食べてるかな、などと考えていた。彼の好むベイクドビーンズに端を発し、身につけるようになった腕時計の短い針へボーッと目をやっていた事実。習慣になったそのくせを最近よく指摘されるので恥ずかしい。
ごまかすように急いでかきこむと、こちらの食事終わりに合わせて二人の
「フィーってば、そんなに急いで食べると体に悪いよー?」
「腹がふくれりゃなんでもいい、って言いたいところだけど、貴重な食糧は味わって食べなよ」
珍しく意見の合う二人。思わぬ強力タッグ。
何も言えずにいると、ケイトが机へ手をついて不自由そうに立ち上がる。そして、そばにある一本の松葉杖をわきに挟んだ。
フィーは素早く立ち上がった。
「食器は私が持つよ」
「いいって、このぐらい。もう慣れたから」
「ダメ」
横からパッと食器をかっさらう。
「これぐらいさせてよ。私たちがいる意味なくなっちゃう」
「いや、誰も介助なんて頼んでないし。それに……」
ケイトは横目で不機嫌そうに、座ったままのサラを見た。
「こいつに借りを作るの嫌なんだけど」
「えー、命の恩人にひどーい」
「恩着せがましい。共倒れせずに済んだだけでしょ」
「ま、そうだねー。それにしおらしくケイトからお礼言われても……気色わるっ」
間を空けてからの言い回しは、先ほどのケイトのまね。隣からピキッと青筋の立つ――なんならそのわきに挟んだ松葉杖を今すぐ振り回しそうな――気配を感じたが、慌てて間に入らなければいけない事態にはならなかった。
「じゃあお願い、フィー。さっさと行こう」
「あ、うん」
「え。ちょ、ちょっと待ってよー。私まだ食べてるんだけどー?」
残っている食事をアピールするサラ。そんな彼女へ肩越しに
「じゃあお願い、フィー。さっさと行こう」
「……う、うん」
「あーもー、待ってってばケイトー!」
食事ペースのピッチを上げたサラに気後れするが、松葉杖をつきながらでも
それにしても、だ。
(なんか、仲良くなってない?)
流れる空気にちょっと違和感。しかしフィーは怒られるだろうと思って、決してそれを口にはしなかった。
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