5 フィーとケイト

 魔賊の襲撃による負傷。戦線への復帰は不可能。

 それが、ケイトに下された判断だった。


「でも、日常生活にはそこまで支障ないんでしょ?」

「リハビリ次第だってさ。それでも、杖が手放せなくなりそうだけどね」

「……そっか」


 どんよりとする雲に覆われた空の下。乾いた地面へ腰を下ろし、病室の裏の枯れ井戸にフィーは背中を預けていた。ごつごつした石造りの井戸のふちに腰掛けるケイトを横目で盗み見ながら、聞こえないよう小さなため息。

 食堂からの帰り道。二週間ぶりにベッドから出られたケイトがそのまま病室へ戻るのを良しとせず、一雨きそうだったが外の空気を吸いたい、ということになっての運び。おそらく、何かと世話を焼きたがるサラから逃げたかったのもあるだろう。今ごろサラは空っぽの病室で困惑しているはず。

 しかし、こちらはこちらで困惑していた。


「……ねぇ」


 ビクッ、と震える肩。背中に当たる井戸のごつごつ。

 やや挙動不審になりながらも問い返す。


「な、何?」

「いや、そっちこそ。さっきからそわそわしてるけど、何か言いたいことでも?」

「……て、天気、いいね」

「? くもり、好きなの?」


 灰色の空とこちらを見比べ、首を傾げるケイト。確かに、一般論ではどう見ても今日は悪い天気であり、自分もその一般論者に当てはまる。気まずさのあまり口をついて出ただけだ。

 よく考えると――いや、よく考えずとも――ケイトと二人きりで話すなど初めてのことだった。

 一層そわそわしてしまうも、ケイトは普通に話を広げた。


「意外だね。あんた、どう見たって晴れ女のくせに」

「そんなこと言われたの初めてなんだけど……それ、ほめてる?」

「ううん、バカにしてる」


 あっさりと言うケイト。一瞬ポカンとするも、すぐにふくらむ頬。

 少しだけ緊張は解けていた。


「へぇ、そうなんだ」

「怒んないでよ。冗談だって、冗談」


 カラカラと笑うケイトの珍しい表情に、フィーはどこか空虚さを覚えた。空元気というやつだ。

 膝を抱えるようにして体を丸め、横目でうかがいながら尋ねる。


「足、やっぱり痛い?」


 視線は自然と、隣で伸びていた彼女の右足へ。

 黒い肌着シャツとカーキ色の軍用ズボン。一般兵士の服装は自分とおそろいだが、そのズボンの下の目に見えない素肌には、今も包帯がグルグルと巻かれている。骨は折れていないようだが軽傷では済まなかったらしい。


「痛み止めが効いてるから、今はそんなに」

「……そっか」

「なんであんたが私より落ちこんでんのよ。変なの」


 ケイトは笑い飛ばそうとしたようだが、頬は引きつっていた。あまりこの手の会話に慣れていないのだろう。無理に笑おうとしているのがバレバレ。

 フィーはそれに、気付かないふりをした。


「そうだね、私が落ちこんだって仕方ないし。リハビリ頑張ってね、きっとまた元どおりに歩けるよ」

「ん? あー、そうだねー…」

「……? やっぱり、不安?」


 歯切れの悪さに首を傾げるも、縦にも横にも首を振らないケイト。肩を落とした彼女の姿が、後ろの暗い枯れ井戸の穴へと吸いこまれそうで怖くなった。


「どうだろうね……まぁ、不安ではあるかな」


 それはそう。当たり前のことを聞いてしまった。フィーが気まずげに顔を伏せると、ケイトが続ける。


「でもたぶん、あんたの想像とは違うよ」

「え?」

「不安の種類ってやつ? そもそも、これが不安なのかどうかも……いや、ごめん、なんでもない。忘れて」


 ヒラヒラと手を振り、顔を背けるケイト。一瞬だけうかがえた口元には皮肉げな笑み。フィーはその表情の変化を見て、スヴェンに告白した日の一場面ワンシーンを思い出した。



――お前みたいにぬくぬく育ったやつにはわかんねぇんだよ!



 そうだ。きっと、彼女も。


「……私なんかに、わかるわけない?」

「っ!」


 驚愕する顔。浮かぶ文字。。そして、ばつの悪い表情。

 あぁ、やっぱり。


「きっと、スヴェンならわかるんだろうね」


 やや捨てばち気味に言う。

 ケイトは「ハァ?」と不快感をあらわにした。


「なんでそこであいつの名前が出るわけ?」

「だって似てるもん、二人」

「最高の嫌味をどーも」


 嫌味などではない。むしろ嫉妬しっとだ。

 深い溝。越えられない境界線。拒まれたことが悲しく、そしてきっとその向こう側に二人はいるのだと思うと、胸が締めつけられるようだった。

 そんな自分が、恥ずかしかった。


「ごめんね」

「そんな本気で謝んないでよ」

「うん……でも、ごめん」


 ケイトが何に苦しんでいるのか、自分にはわからない。それよりも彼女への嫉妬しっとが胸の中で渦巻いていた。なんて独りよがりで、そして醜い感情なのか。それが申し訳なくて、恥ずかしくて、フィーは抱えた膝に顔をうずめた。

 短くも長い沈黙。気まずい空気が張りつめる中で聞こえたのは、小さなため息。


「別に、見下してるとかそんなんじゃないよ。ただ、あんたには関係ない……あー、いや、今のもなし」


 ふと見上げると、ケイトが髪ゴムを外して頭を軽く振っていた。

 あまり手入れのされていない黒髪が、彼女の頬を覆い隠すようにパサリと落ちる。


「足のことも、そりゃ気掛かりなんだけどさ。けどそれだけじゃなくて……私、クビにされちゃったでしょ?」

「クビ?」

「兵士としては戦場に戻れないって」

「あぁ、そうだったよね……」


 手持ちぶさたに髪ゴムをいじる姿を見て、言葉に詰まる。ケガのおかげで戻らなくて済んだことを喜ぶべきなのか、また戻れるように励ますべきなのか。

 そんな自分の悩みは、そのまま答えだったようだ。


「正直、助かったと思う自分もいる。だけど急にそんなこと言われても、どうすればいいのかわからない。心にぽっかり穴が穴が開いたみたい」

「どうして? そんなに戦争が好きなの?」

「そんなわけない。こりごりだよ、本当に。だけど私は……ほかの生き方を知らない。そんなの、教わらなかった――――」


 それからケイトは、短い身の上話を始めた。自分が戦災孤児だったこと。そういった子どもたちと一緒に、兵士として職業訓練を受けていたこと。東方系人種イースタニアンであるスヴェンと似た境遇ではあるものの、どちらかといえばジンのような生い立ちに近いらしい。

 拾われた時点で選択の自由はなく、選ぶ意思も生まれない。だから自分は、ほかの生き方を知らないのだと彼女は言った。


「それに訓練って言っても、エリートどもと違って大したものじゃない。戦場での動き方や、ちょっと銃の扱い方を教わるだけ。それも魔杖機兵ロッドギアみたいな魔導技術マギオロジー戦の前じゃなんの意味もないし、ただ飯を食わせてやるから将来は戦場で死ねって言われてるようなものよ。下っ端としてね」

「……そんな」


 顔から血の気が引いていくのがわかった。


「そんなの、聞いたことないよ。軍人ってみんな望んでやるものじゃないの?」


 東方系人種イースタニアンは強制的に徴兵される、という話は聞いたことがある。ジンにしても、行き場がなくて軍に志願したのだと彼自身が言っていた。

 しかし彼女の話を聞くかぎり、親を失った子どもたちを強制的に戦わせているように聞こえる。


「あんたさ、東の生まれじゃないよね?」

「え? う、うん。都会からはだいぶ離れてるけど、地理的には北に入るかな?」

「だろうね。ほかのところじゃそれが普通なの。支配地域を治め、内乱の脅威を抑える戦力。亡国のレジスタンスや、魔賊みたいな犯罪者を相手にすることがほとんど。でも、東方ここじゃ違う」


 ケイトはゆっくりと曇り空を見上げた。ボサボサの黒髪が背中にかかり、隠れていた横顔があらわになる。


「私たちは、ここで――」


 いつもの険しさはない。


「――戦争、してるんだ…」


 そこにはまるで、がらのような表情だけがあった。


「……そっか」

「そうなの……あんまり、ピンと来ないかもしれないけどさ」


 生気の戻った表情に再び浮かぶ、皮肉げな笑み。自嘲じちょう的でありながらもこちらを嘲笑ちょうしょうしているように感じたのは、彼女の言葉どおりだったからだ。

 自分は何も知らない。すべて遠い世界の出来事。日常とはつまり平和なことで、遠くから伝え聞く非日常それに心を痛めることがたまにあるだけ。

 けれど、フィーは理解した。


非日常それが、ケイトのだったんだ…)


 突然、別の世界へ放りこまれたような感覚。未知なる世界に抱く恐怖。二週間前、仲間が魔賊に襲われたと聞いた時、自分もそうなった。

 もちろん置かれた状況はまったくの逆だ。片や危険からの解放、片や危険との遭遇そうぐう。なのに、フィーはケイトの心境を理解できた。

 奪われた。たとえそれが、平和でなくとも。


「……これから、どうするの?」


 視線をそらしながら尋ねると、あきれた声が返ってくる。


「それがわかんないって話をしたつもりだけど?」

「そ、そうだよね、ごめん…」

「謝ってばっかだね、あんた」


 重くのしかかる深いため息。責められていると感じるのは完全に被害妄想だが、どうしてもそう思ってしまう。これは、自分が恵まれていることへの罪悪感だ。スヴェンに対してはあれほど威勢よく啖呵たんかを切れたというのに。

 落ちこむほどに小さくなり、体を丸めるフィー。その赤毛頭に、ピシッ、と髪ゴムの弾丸が飛んできた。ちょっと痛い。

 ケイトが地面に落ちた髪ゴムを拾い、付いた砂を手で払う。


「だから、あんたが落ちこむことじゃないって言ってんでしょ。悪かったわよ、変な話して」


 そう責め立てるように謝ったとたん、彼女が疲れた色を見せる。自分のせいかな、と思ったが、どうやら違うようだ。


「ごめん。私もちょっと、誰かにぶちまけたい気分だったかも。サラ以外に」

「? サラはダメなの?」

「あいつ、変なふうに諭してきそうだからさ。しかも余計なお節介つき」


 苦虫をかみ潰し、それを吐き出すかのように舌を出したケイトを見て、フィーは思わず小さな笑いをもらした。世話好きのサラなら想像にたやすい。

 すると、貴重な発見でもしたかのようにケイトは声を弾ませた。


「お、やっと晴れたね」


 え、と思い空を見るも、相変わらずの曇り空。

 すぐに訂正が入る。


「空じゃなくて、あんた」


 驚いて視線を戻すと、髪を縛り直すケイトの姿がそこにはあった。

 ギュッと束ねられる黒髪。同時に、厳しく引き締まる顔つき。


「笑ってるほうがお似合いなんじゃない? あんたは」


 そう言った彼女はどこか冷たく、まるで怒っているかのようだったが、やっぱりスヴェンに似ていると思った。少し気障きざなセリフも、どこか素っ気ない感じも――――そして、本当は優しいところも。

 湿った空気に雨の予感を抱きながらも、フィーはまた、その顔に晴れやかな笑みをこぼした。

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