6 盗み聞き

 雨が降り出すその前に、ケイトへ胸の内を明かす。ずっと抱えていた醜い嫉妬だ。

 すると彼女は「本当にタイプじゃない」と嫌そうに口にした。力説された内容によると、どうも同族嫌悪に近いものを感じているらしい。こちらの不安を晴らそうと真剣に言葉を選んでくれる辺り、ますますスヴェンと似通っていて説得力が増していた。

 しかしこの二年間ずっと、どうもスヴェンに固執しているような気が。そんな疑問を素直にぶつけると、ケイトは言葉をにごした。「色恋沙汰そういうのじゃない」とだけぼやいたが、ではなんなのか。フィーは興味をもって問い詰めようとした。

 だが、そこで時間切れ。頬にピチョンと雨粒が落ち、急いで室内へ引き返すことになって話は有耶無耶うやむや、胸はもやもや。

 けれどケイトに「お似合いだよ、あんたたち」と頭をポンと叩かれ、フィーは霧が晴れたような気分で彼女を医務室へと送った。ずっと待ちぼうけだったサラと合流し、煙たがられながらいっしょに医務室から退散。

 その、帰り道だった。




「――――どういうことですかっ!?」

『っ!?』


 ケイトと交わした会話に興味津々なサラの詰問をかわしながら、慣れ親しんだ寮へと歩を進める道中。雨が本格的に降り出して足早になる二人の肩を跳ねさせた大声は、隣の壁の向こうから。もっと正確に言えば、少し開いていた換気用の足元の窓から。

 魔杖機兵ロッドギアの格納庫。二つ並んだ大きな三角屋根の建物。その間のアスファルトの道を、なるべく雨にぬれないよう壁際に沿って歩いていた足を止め、フィーはサラと顔を見合わせた。


「今の声……ジン?」


 少し怯えたサラの答えに、うまく同意できず。

 なぜなら自分の知る、そしてスヴェンの親友であるジン・ヘンドリックスは、常に余裕をもって人をからかういたずら好きの少年のような男であり、決してこのように声を荒げることはないからだ。

 けれど、その声を聞き違えることはない。紛れもなくジンだ。


「何かあったのかな…?」

「……確か、スヴェンとケンカ別れしちゃったんだよね?」


 足元の小窓を見ていたサラが顔を上げ、心配そうな表情で灰色の壁を見つめる。フィーも同じ方を向き、壁の向こう側にいるジンを見通そうとした。

 軒下のきしたまで響き、強まる雨音。声が遠くなる。


「うん、そうみたい。理由は教えてくれなかったけど」


 けれど、ジンの激しい声はまだかすかにもれ聞こえていた。いったい何事だろうか。不安に襲われ、フィーは無意識にサラの腕へすがりつこうとしたが、彼女がそれを避けるように身を屈める。

 そして、乾いたアスファルトへと四つんいに。


「ちょっ、ちょっとサラ…!」


 シッ、と人差し指を口へ立て、手を小窓へ伸ばすサラ。窓には侵入防止用の柵。隙間へ慎重に差しこみ、横へとゆっくりスライド。そのまま「おいでおいで」と招く。盗み聞きのお誘いらしい。


「ねぇ、まずいんじゃない…? 私たち、もう一般人なんだし…」


 基地にまだ待機しているものの、訓練部隊からは先日付で正式に除隊。

 フィーのような軍に属する道を選ばぬ者たちは普段の仕事からも解放され、今は迎えがやって来るのをただ待つ身。それとは対照的に、ジンなどはすでにこの基地の魔杖機兵ロッドギアパイロットとして働いており、まったくと言っていいほど顔を合わせる機会がない。

 一般市民と軍人。その隔たりをどこかさみしく思い、また同時に居心地の悪さも感じていたフィーは、サラの誘いにおくした。何かしでかしても懲罰ではなく、もう犯罪として罰せられてしまうのではないだろうか。

 そんな不安をぬぐうように、サラがいつもの調子で言う。


「大丈夫よ。魔導技師マギナーの資格さえあれば一応、マスター階級相当の扱いなんだし。大抵の一般兵士よりは偉いはずでしょー?」

「いや、でも……サラは試験に落ちたよね?」

「だからヨロシク、魔導技師マギナー殿」


 人を和ませる朗らかな笑顔。常に浮かべるその微笑は、時に誰も抗えない圧力となる。教官の怒声のほうがまだましだったり。

 フィーはしぶしぶ、共犯兼責任者としてサラの隣で四つんいになった。もちろん黒幕にまんまと乗せられただけではなく、やはりジンが心配だったという理由も大きい。

 サラが小声で言う。


「誰かと話してるねー…」


 巨大な機体が並ぶ広大な空間。魔賊との戦闘で損傷した白い魔杖機兵ロッドギアを整備する音が響く中で、より近くから二つの声。見渡すと、格納庫の隅で黒ローブを着た男が二人、向かい合っている。


「――――んで、そん――――……話が違うっ!」


 こちらを向く一際大きいジンの声はよく聞こえたが、背中を向けている黒ローブの男の声はほとんど聞こえない。どうやらジンが一方的に興奮しているようだ。


「というか、あれって……」

「バウマン教官じゃない?」


 サラの答えに、今度はうなずく。

 白髪混じりの頭髪をした大男。その黒ローブは胸に簡素な紋章ワッペンが刺繍されているジンのものと違い、より上の階級だと示す神秘文字ルーンの紋様が全身に刺繍されている。

 ブレン・バウマン大師たいし。自分たちの元教官であり、ジンの現在の上司だ。


「なんか、いつもと逆だねー。なんでジンが教官を怒ってるんだろ?」


 身を乗り出そうとするサラの腕をつかみ、そのまま後ろへ引っ張る。


「もう、見つかったらどうするのよ」

「フィーが怒られるんじゃない?」

「た、他人事みたいに…! 私、かばってあげないからね…!」


 落とした声で調子だけ荒げるも、元よりそんな権限があるかさえ定かではない。不安になって辺りをキョロキョロ見渡していると、サラは大人しく窓から身を隠してくれた。

 互いに耳を澄ます。ちょうどよく倉庫内の修理音が途切れ、雨音に紛れながらも二人の会話がより鮮明に聞こえた。


「――――迎えが来ないなんておかしいでしょ!? いったいフィーたちをいつまでこの基地に置いとく気ですか!?」


 急に名前を呼ばれてビクッと反応。こちらへ視線を投げかけるサラへ「私…?」と自分を指差しながら首を傾げる。

 彼女も首を傾げたところで、バウマンの落ち着き払う声が聞こえた。


「まだこの辺りを魔賊の残党がうろついているかもしれん、と説明したはずだ。何度も言わせるな」

「だから、迎えが来るのは今日だったはずだ! もう二週間以上たってるんですよ!?」

「用意していた車が故障したそうだ。明日には直るらしい」

「だったらこっちから車でもなんでも出せばいいでしょ! 今すぐにでも!」


 いつものジンじゃない。まるで別人のような剣幕に、フィーは思わず身震いした。サラも心なしか顔色が悪い。

 どうやら自分だけの話をしているのではなく、サラも含めたすでにこの基地を去っているはずの者たちについての話のようだが、いまいち事情がわからない。


「ねぇ、私たちってそんなに邪魔なのー…?」

「そんなことは……そりゃ、備蓄の食糧なんかは減るだろうけど…」

「でも、私たちだってここに居たくて居るわけじゃないしー……あんなに邪険にしなくてもー…」


 サラが声をひそめ、難しげな顔をする。彼女の言うとおり、自分たちだって早く帰りたい。なんなら今すぐにだって帰れる準備は整っているのだ。

 しかしバウマンが説明したとおり、しばらくは危険だということでこの基地で過ごしていた。皆が納得できた理由。ジンだってそこに異は唱えていなかったはず。さすがに半月も居座られて嫌気がさしたという可能性もあるが、それは自分のよく知る彼の人物像に当てはまらないし、それに様子がどうもおかしい。

 あれは、自分たちにいら立ち、怒っているというよりも――


「――何をそんなに焦っている、ヘンドリックス」


 頭の中に浮かんだセリフを口にしたのはバウマンだった。

 サラとうなずき合い、より一層の聞き耳を立てる。


「おそらく魔賊はもういない。それは索敵班として任務についたお前が一番わかっているはずだ」

「俺は今、そんなことを話してるんじゃない!」

「ではいったい、お前はんだ?」

「っ! それ、は……」


 語気の弱まりへつけ込むように、バウマンは言葉を重ねた。


「安全は保証された。予定は遅れるが、全員が無事に帰れる。アルフレッドも、先に別れたもう一台の車に乗っていた者たちも含めてだ。これ以上いったい何を望む?」


 え、と声を出したのは隣のサラか、はたまた自分か。

 見つかったんだ、アルフレッド。それに、魔賊に襲われた時に別れてしまったというもう一台の車も。フィーは胸をなでおろした。後者の知らせはケイトに教えたら悔しげな感想が聞けそうだ。「あ、生きてたんだー…」とこぼす今のサラみたいに。

 そして、ジンはまた違う感想を抱いたらしい。


「その情報は、ストラノフ大師正たいしせいからのものですか?」

「? そうだが?」

「事実なんですか?」

「何?」

「もしかしたら、彼女はウソをついているかもしれない」


 推論のようだが、その声音は確信に満ちていた。だが、そんなの言いがかりだ。だってウソをつく理由がない。彼女にとっては弟とその仲間たちの安否なのだから。


「……ヘンドリックス、お前はどうかしている」


 ジンに背を向けたバウマンがこちらへ歩いてきたので、フィーはサラといっしょに少しだけ身を隠した。


「道理でリーの様子もおかしくなっていたわけだ」

「待ってください、まだ話は…!」

「聞かないでおいてやる」


 カツカツと、こちらへ歩いてくるバウマン。のぞいていた小窓から顔を引っこめ、とっさに壁へ張りつく。隣のサラも遅れて同じ状態に。軒下のきしたにまで届かぬ雨がいつの間にか強まり、アスファルトを打つ音が周囲を支配していた。

 しかし、すぐそばを歩くバウマンに追いすがったジンの声は、よく聞こえた。


「迎えを遅らせているのも彼女の仕業しわざでは? そもそも、ここでみんなが足止めをくらっているのも、全部あいつが――」

「ヘンドリックス」


 カツン、と間近で鳴る靴音。


「それ以上は厳罰を免れん、もう口を開くな。私でもさすがに見過ごせんぞ」

「ですが大師たいし……もう少しだけ、俺の話を聞いてください」

「ストラノフ大師正たいしせいが、我々に何かするつもりだとでも言いたいのか?」


 立ち止まったらしい二人の会話に、ゾッとした。隣のサラはわけがわからない様子だったが、フィーはそうはならなかった。

 ふと頭をよぎったからだ。あの夜に見た、狂気的な瞳が。


「バカげている。そもそも理由がない」

「理由は、あのガキを見たからだ」

「? リズと呼ばれていた少女のことか?」

「あいつはたぶん、見ちゃいけないものだったんだ…」

「おい、話が見え……ヘンドリックス?」


 振り返る気配。戸惑い。

 雨音が、さらに強まる。


「あいつは、もしかしたら本当に、渡しちゃいけないものだったのかも…」

「気をしっかりもて、ヘンドリックス。少し冷静になったほうがいい」

「俺は冷静です! 後になって、冷静に考えて、それで…!」

「お前は妄想にとらわれている。現実を見ろ。私たちは今、ここでこうしてピンピンしている。彼女が何かするつもりだったのなら、もっと早くやれたはずだ」

「それ、は……」

「それに、だ。食糧などの物資と引き換えにではあるが、大師正たいしせいの部隊が魔杖機兵ロッドギアの部品を融通ゆうづうしてくれていなければ――」

「隊長!」


 新たな声がバタバタと駆け寄る足音とともに聞こえ、同時に二人は押し黙った。


「ホワイト小隊機、ナイト、ビショップ、ガンバンテイン。すべて修理完了しました!」

「ご苦労」

「はっ! って、あの……どうかしました? そっちの新入り、顔が真っ青――」

「試運転は三十分後、そのまま哨戒しょうかい任務にあたる。すぐに調整を始めろ。駆け足っ!」

「はっ!」


 げきを飛ばされ、まるでしつけられた犬のように駆け出す足音。

 そしてバウマンは声色を優しいものに変えて続けた。


「確かにお前の言うとおり、この基地で全員待機するよう命じたのは彼女だ。しかしそれは先ほども言ったように、あの魔賊たちの残党を警戒してのこと。それにもしそうだったとして、わざわざこちらの機体を修理するための部品も時間も与えてくれる理由はなんだ?」


 その言葉に、ジンは沈黙してしまった。


「……疲れていると妙なことばかり考えてしまうものだ。初任務、ご苦労だった。今日はもう休め」


 そして一呼吸を置き、重い足音が遠ざかる。追随する足音は聞こえない。置いてけぼりのジン。

 フィーはサラと顔を見合わせたが、お互いにその場から動けなかった。不穏な会話。知り得ぬ事情。それを盗み聞いたことへの罪悪感――――後悔。すくむ足元を、アスファルトで弾けた雨粒がぬらす。

 壁越しに、ドサッと座りこむ気配。


「妙なこと、妄想……本当に、そうなのか…?」


 思い詰めたような声が続ける。


「どうすりゃいい…? こんなとき、スヴェンが――――っ」


 親友の名をつぶやいた直後、彼は息をのんだ。

 そして、小さく笑った。


「……そばにいてくれたことに感謝するのは――」


 強く響く雨音の間を縫う、聞いたことのないジンの声。

 泣きそうな声。


「――俺のほう、だったかな…」


 そんな彼に声もかけれず、フィーは灰色の空を見上げた。大粒の涙をこぼす重たい雲は、遠い恋人へと続く空をさえぎっていた。

 だから彼女は最近ついたくせで、ただ静かに、左手にはめた腕時計の時を刻まぬ短い針へ視線を落とした。

 彼の在処ありかを示すその短針を、泣きそうな思いでジッと見つめた。

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