6 洞窟にて

 石畳の道の先は行き止まり。立ちはだかるのは、落書きのような線で傷つけられた岩肌の壁。

 それを見てすぐにフィーが言う。


『これ、扉だ』


 魔導技術マギオロジーが隆盛を果たす以前の初期に作られた、魔力波長マナパターン認証装置の原型という話らしい。魔導技師オタクが出て喜々とするフィーは半信半疑なスヴェンそっちのけで、周辺の魔素粒子結晶エーテクリスタルまで掘り出して無心に扉を調べ始めた。手伝いは無理そうなので座ってその姿をながめていると、やがて問題発生。

 思ったより調査が難航したこと。そして、もうひとつ。


「? スヴェン、どうしたの?」


 自身の体調の悪化だ。

 うなだれて座りこむスヴェンのそばへ、フィーが作業をやめて膝をつく。


「大丈夫? 顔色悪いよ?」

「……大丈夫だ、ちょっと休めば…」

「ずっと休んでたでしょ? なんでそんな……」


 彼女の言うとおりだった。

 休めば休むだけ――――時間を重ねれば重ねるほど、体調がひどくなっている。


「もしかしてケガしてた? それとも疲れ?」

「痛みや疲れは、大して変わってねぇ。ただ……」

「? ただ?」

「……腹が減ったような、のどが渇いたような、そんな感じがする」

「お腹が空いたの?」

「いや、そうじゃなくて……」


 スヴェンは言葉選びに迷った。


「なんていうか、さっきも感じてたけど……、みたいな…」

「? だから、お腹が空いてるんでしょ?」

「違う。何かもっと、体の奥のほうが空っぽな感じで……それがひどくなって、だんだん寒気までしてきて、なんか、心細く…?」


 疑問で消え入る言葉尻。困らせたに違いない。邪魔にならぬようにと黙って耐えていた苦労が水の泡だ。そうやって自身を責めていたスヴェンは、何か思い当たる様子のフィーを見ていなかった。


「もしかして、これがうわさの魔素粒子エーテル酔いだったりな。俺、一度もなったこと――」

だよ…」


 一瞬の空白。理解の間隙かんげき

 、とは。


「それ、じゃ…?」


 過剰な魔素粒子エーテルで引き起こされる魔素粒子エーテル酔い。その逆、魔力切れ。魔素粒子エーテルがほぼ尽きている状態を指すらしい。いにしえの魔法使いが、魔法の使い過ぎでなっていた症状とのこと。現代ではありえないというお墨付き。

 説明を聞き、スヴェンは鼻で――息切れの合間に弱々しくも――笑った。


「つまり俺は、現代に誕生したいにしえの魔法使い様ってわけだ」


 茶化した口調で言ってすぐ、心当たりが浮かんだ。

 それは、ここに来るまでの道のりのこと。正確に言えば、あの倉庫からこの洞窟の途中まで――――チャックが殺されてから、フィーが生きているのをこの目にするまでの間。

 別人のように動く体と、素手で人を引き裂いてしまうほどの膂力りょりょく。湧き上がる、バケモノのような力。

 もしや、あれは魔法だったのだろうか。


(って、んなわけねぇか)


 火とかをボワッと出す。魔法に対してそんな貧弱なイメージしか湧かなかったスヴェンには、己が為したことと魔法の行使がどうにも頭の中で結びつかなかった。自分のはただの暴力だ。

 そう自己完結したところで、説明し終えてからフィーがずっと黙りこくっていることに気付いた。


「……おい、どうした?」


 様子がおかしい。

 凍りつく空気。絶句する表情。それはまるで――あくまで想像だが――死にかけのケイトを見た時の自分と、同じ。


「お前、俺よりも顔が青いんじゃ――――ムグッ!?」


 突如、視界が真っ暗に。フィーに頭を抱えこまれたのだ。

 顔面で感じる柔らかさに男心が歓喜する間もなく、悲壮な声が響く。


「絶対に私から離れないで!」


 戸惑いに重なる息苦しさ。返事の前にまずは呼吸だともがけば「もっとくっついて!」と鼻が押し潰される。なんなんだ、いきなり。


「どうしよう、どうしよう…! とにかくここから早く出なきゃ…!」


 頭は解放されるも、すぐさま腕へと絡みつき、そのまま引っ張り上げてくる。無理やり体を動かされてスヴェンは顔を歪めた。


「おい、こっちは立つのもひと苦労なんだぞ…!」


 そんな文句に聞く耳もたず、フィーが調査を再開。扉の前まで自分をひきずり、大小さまざまな魔素粒子結晶エーテクリスタルを両手でとっかえひっかえ。中央に描かれた上向きの弧線へ近付けているようだ。意図はわからない。

 そしてこの、他人の腕にしがみつきながら作業するというのも意味不明。


「フィー、せめて理由を…!」


 岩壁に手をついてよろめく体を支えると、フィーは手元に集中しながらもつらつらと語った。


「魔力切れ自体は大したことないの。魔素粒子エーテル酔いと同じか、むしろその初期症状ぐらいの気分の悪さで収まるはずだから」

「だったら何をそんなに焦ってんだよ」

「問題はこの洞窟」


 フィーが両手に持つ魔素粒子結晶エーテクリスタルをこちらへ見せつける。


「これがあるってことは、大地の霊極性の影響下にない証拠。つまり、魔素粒子エーテルがない空間。大気や地中、海中にまで通っているはずの魔力の流れから外れた場所なの」


 なんのこっちゃ、と思うも「魔素粒子エーテルがない空間」というのはおかしい。


「だったらお前が持ってるのと、こいつらはなんだ?」


 スヴェンはぞんざいにあごで周囲を示した。

 そこかしこで淡い緑光の輝きを放つ結晶クリスタル。こうなる原理はわからないが、これも一種の魔素粒子エーテルのはず。

 しかし、フィーは首を振った。


「これも確かに魔素粒子エーテルだけど……ひとつ事例を挙げるなら、集合墓地がたまたまそういう場所だったことがあるの。すると長い年月を経て、そこで魔素粒子結晶エーテクリスタルが発見されるようになった。大地の魔力マナかえるはずの死体に残る魔素粒子エーテルが残留してできたってわけ。そんなふうに、なんらかの理由があって迷いこんだ魔素粒子エーテルが霊極性からはぐれて集まったもの、流動体でなくなったものを魔素粒子結晶エーテクリスタルって呼ぶの。こうなったらもう、いったん手を加えないと魔力を構成する魔素粒子エーテルには戻れない。迷子というより、いわば死骸しがいね」

「……すまん、チンプンカンプンだ」


 スヴェンは手をついていた岩壁へ額もつけた。過熱気味の頭に心地良い冷たさ。

 冷静になった思考でまとめてみる。


「とにかくこの、魔素粒子エーテルがない空間に、魔力切れの状態で長くいるとまずいってことか?」

「まずいなんてもんじゃないっ!」


 顔色を変えて叫ぶも、すぐにハッとして作業へ戻る姿から伝わってくる。

 時間がない、と。


「今のスヴェンは、なの」

「垂れ流してる、だけ?」

「霊極性による魔素粒子エーテルの循環。そこには少しだけど吸収と放出の要素も含まれていて、魔力切れを起こすと吸収の力が強まるの。個人差はあるけど、一定の魔素粒子エーテル量まで戻ろうと自然に働く力。でもここには、吸収すべき流動体の魔素粒子エーテルがない。あるとしたら私から放出されるものだけ」


 ギュッ、と腕にしがみついていた力が強まる。


「だから絶対、私から離れないで…!」

「お、おい、ちょっと落ち着けって」


 スヴェンはフィーの手を取って作業を中断させた。わずかだが体調がましになっている気がしないでもない。


「つまり今、フィーからの魔素粒子エーテルを吸収して、俺の魔力切れを治してるってことか? だったらこのままでいればいいだけだろ」

「ダメ。無理。それでも放出量のほうが多い。一刻も早くここから出なきゃ」

「って言われてもな…」


 どうもピンとこない。スヴェンは重ねて尋ねた。


「そもそも魔力切れって、魔素粒子エーテルがないことなんだろ? 吸収できるもんもないのに、俺は何を放出というか、垂れ流してるんだ?」

「それは……」


 ゴクリ、と出かけた言葉をのみこむフィー。

 そして彼女は、目を泳がせながらつぶやいた。


「魂…」

「……は?」

「ただの仮説だけど、魂が、削れてるの…」

「魂ってお前…」


 そんなオカルト、とは笑い飛ばせなかった。


「その仮説の、信憑性は?」

「ゼロ。証明なんてできないから」

「な、なんだよ、驚かせ――」

「けど、確実に死ぬことだけはわかってる」


 詰まる息にぶつかる吐き気。安堵からの驚愕きょうがく

 しかし、そこまで衝撃的ではない。


「プツンって、糸が切れたみたいに急に意識が途絶えるの。心臓も止まる。発作なんかじゃなく、まるで最初から動いてなかったみたいに」


 頭では理解できずとも、心のどこかで感じていたのかもしれない。ひどく焦る彼女を見ているうちに、自ずと悟っていたのだ。

 たぶんそうなんだろうな、と。


「魂がすり減って消えると、肉体と精神の結びつきも消える。そしてどちらも、個では成り立たない。死ぬのはその結果だって、ただの、仮説だけど…」


 力が抜けてフィーの手を放したとたんに気分が悪くなり、得も知れぬ不安が内側に広がるも、慌てて胸へしがみついてきた彼女のおかげでなんとか正気をたもつ。

 スヴェンは上を向いて大きく息を吐いた。

 

「ただの仮説だけど、死ぬのは確実ってわけだ。詳細な死に方までわかってるほど」

「……昔、軍に所属する魔導技師マギナーが実験したらしいの。魔力切れに関する文献の記述を確かめようとして」

「やることがえげつねぇな」


 人体実験。アナスタシアのような人間はどの時代にもいたということか。


「ちなみに、魔力切れが勘違いの可能性は? 魔法の使いすぎでなるもんなんだろ?」

「そのはずなんだけど……たぶん、間違いないと思う。スヴェン、心細いって言ったでしょ? 症状も、言ってることも、そっくりだから…」

「……あとどれぐらいとか、わかるか?」


 真下にある肩がビクリ。どうやらわかるらしいが、聞きたくなくなった。

 フィーが何かを言おうとする前に「やっぱいい」と首を振る。


「ここを開けれないなら……引き返すって選択肢は?」

「! 絶対ダメ! 間に合わない!」

「だったら、やるしかねぇか」


 肩を掴み、グイッと突き放してから手をつなぐ。重なる手のひらと絡み合う指。ぞくに言う恋人つなぎ。

 呆然とするフィーを今度はスヴェンが引っ張り、その場にしゃがみ込んだ。足元には魔素粒子結晶エーテクリスタルがいくつも転がっていた。


「俺に手伝えることは?」

「……あ、じゃあ、さっき私がやってたみたいに石を近付けて。ここ、真ん中辺り。私もいっしょにやるから、何か反応があったら教えて。震えたとか、熱くなったとか冷たくなったとか、なんでもいいから」

「わかった。けど、邪魔だったら言ってくれ。両手でやったほうが効率的だろ?」

「ううん、このままでいい」


 フィーは交差する腕を持ち上げ、固く握り合った互いの手を目の前へ掲げた。


「大丈夫、きっと間に合わせてみせる。だからスヴェンも頑張って」


 戻る落ち着き。みなぎる活力。彼女がうなずくのに合わせ、スヴェンもうなずき返した。




 それからは指示どおりに、魔素粒子結晶エーテクリスタルを近付ける単調作業の繰り返し。微妙に遠ざけたり、別のものに持ち替えて組み合わせを変えたり、直接ぶつけてみたりと試行錯誤。

 しかし、いずれも反応なし。フィーの口数も少なくなっていった。


「そういえば、ここってお前に悪影響はないのか?」

「……違う、これも…」

「おい、聞いてるか?」

「え? あ、うん。長居したらダメだけど、暮らしたりとかそういう単位の話だから……」


 上の空で考えこみ、焦りを募らせるフィーに比べ、スヴェンは落ち着いていた。マーシャルの歴代パイロットが死んでいると聞かされた時ほどの恐怖はない。スヴェンはそれがなぜだろうと考えてみた。

 もうじき死ぬのに。もっと、動揺したっていいのに。


「――――ダメだ……もしかして、作られた時代がもっと初期の…。でもそうなると、未発見のものってことに…」

「フィー、少し休むか?」

「ううん。スヴェンこそ、しばらく休んでて。思ってたより複雑な魔力波長マナパターンじゃないかもしれないから、一個だけで試してみる。それに具合も悪いでしょ?」

「もう慣れた。けど、お言葉に甘えるかな」

「手は離しちゃダメだからね」


 コクリとうなずき、いまだ開かぬ岩肌の扉へ立ったまま寄りかかる。そしてその真剣な横顔を盗み見ると、すぐに先ほどの答えは出た。

 自分はもうのだ。


「……ねぇ、スヴェン。お願いがあるんだけど」

「なんだよ。あんま見んなって?」

「ううん。なんかしゃべっててくれないかな?」


 全部果たした。


「なんで?」

「……不安、だから」

「こうやって手をつないどきゃ、いきなりポックリっちまってもわかるだろ」

「茶化さないで。お願い」


 バウマンの命令も。親友ジンの願いも。


「……わりぃ。あー、なんだ、その……魔法って、本当に現代にはないのか?」

「え……いや、ないでしょ? 魔法使いの子孫とかは実際いるけど、別に魔法が使えるわけじゃないし。というかそんなの、考えたことすらなかった」

「でも最近、それっぽいのけっこう見てる気がすんだよなぁ…。一回目はお前もいっしょに見てたぞ」

「? なんの話?」


 そして、恋敵ケイトとの約束も。


「リズだよ。ほら、手をかざしただけでマーシャルの搭乗席コックピット開閉部ハッチ、開けちまっただろ?」

「あれは……確かに、魔法みたいではあるけど…」

「俺も使えないもんかね。確か、こんな風に――――ハッ…!」


 フィーを救えた。自分の命より大事なものを、助けられた。

 それだけで、スヴェンはもう満足していたのだ。


「……うんともすんとも言わねぇな」

「満足した? 自称魔法使い様」

「もうちょい笑えよ。場を和ませる冗談――」


 たとえ己が死のうとも、彼女さえ生きてくれればそれで――



――カッ!



『――っ!?』


 二人が同時に反応したのは、扉の輝きに対して。

 光源は小さな文字。傷の中から浮かび上がる文字列ルーンライン。ずっと調べていた弧を描く線と、その周辺の落書きのような線の中に刻まれた文字列ルーンラインが、いきなり発光し始めたのだ。

 その光が収まったのは、スヴェンが岩肌につけた手を弾かれたように遠ざけてから数瞬たってのこと。


「な、なんだよ今の…」


 ウソから出たまこと。まさか、本当に魔法が。しかし手をかざしたのはともかく、さっきも同じような体勢だったはずなのに。混乱して後ずさると、しっかりつないだままだった手がグイッと引っ張られ、手のひらにまた岩肌の冷たい感触。

 その場所はずっと彼女が調べていた、中央付近にある弧を描いた線。その始点。

 光とともに再び浮かび上がる文字列ルーンラインにスヴェンはうろたえた。そんな彼へフィーが迫る。


「そのまま逆向きの弧を……魚を描くみたいに、スッと手を動かして! こうスッと!」

「スッてなんだよ。ていうか、魚?」

「さっさとするっ!」


 鬼の形相ぎょうそう。死ぬかもしれないと告げられた時よりも恐怖を感じたスヴェンは「サカナ…?」と頭をひねりながらもおそるおそる手を動かした。

 同じ始点から出発し、上向きの弧とは反対に下向きへ。岩肌なのに思いのほかサラリとした感触。サカナ、と思い出して終点を目指さず、最後に線をまたぐ。囲んだ部分は体、バツ印のようになった終点は尾びれ。そんなイメージ。

 するとすぐに、手でなぞった場所から文字列ルーンラインが浮かび上がってきた。それが線となり、上向きの弧線と重なる図は――――なるほど、魚に見えなくもない。

 などと感心していると、岩肌の扉が大きな音を立ててゆっくりと横へ動き出した。



――ゴゴゴゴゴッ…!



「キャーッ! やったやった、開いた!」


 んなアホな、と呆気に取られるスヴェンの腕を抱きしめ、横でピョンピョン飛び跳ねるフィー。

 尋ねたのは期待半分。


「これは、俺の魔法というか……眠れる力が目覚めた的な?」

「ううん、全然っ!」


 本日最高きょういちの笑顔だった。


「誤認したのよ! 古いから精密さがそこまでなくて、たまたまスヴェンと似た魔力波長マナパターンの人が登録されてたみたい!」

「あっ、そう……ん? けど俺、魔力切れなんだよな? 魔力波長マナパターンって読み取れんのか?」

魔力波長マナパターンっていうのはそもそも霊極性の波形、魔素粒子エーテルの動線の形や速度を指してるんであって、吸収と放出時で微細な誤差が生じる魔素粒子エーテル量を計測するよりそっちのほうが簡単なの。東方ではまとめて『霊力』って呼ばれてるぐらいで、向こうでは霊極性とかの概念がない代わりに生命体以外の魔力を『気』って区分してて――――ムグッ!?」

「わり。長くなりそうだと思って」


 片手でフィーの口をふさぎながら、スヴェンは納得した。もちろん右から左へ聞き流した今のうんちくのことではない。

 ピッキング。自分も手伝ったあの単調な作業は古い魔力波長マナパターン認証装置を誤認させようと行われたものであり、つまりは鍵穴へ針金などを差しこむような行為だったわけだ。


「けど実は、俺が合鍵を持ってました、と。灯台下暗とうだいもとくらしというかなんというか、なんだったんだよさっきまでの時間……」


 口から手を離しながらため息をつくと、フィーが恨めしそうにこちらをねめ上げる。

 だが、やけに近い。


「本当は滅多にないんだよ、こんなこと。いくら古くても何千、何万分の一の確率だし。それに、なんだったんだはこっちのセリフ」


 ピッタリとひっつく体。腕を挟む胸。伝わる鼓動。ジトッとしていた目を大きく見開き、ジッと上目遣い。

 とがった口振りのくせに、なんだ、誘っているのか。


「……もう大丈夫、だよね? 死んだりしないよね?」


 違った。

 フィーへ近付いていた自身の顔をガッと片手で覆う。


「なんか、すまん…」

「な、なんで謝るの? まだ心細い感じする?」

「ちょっと死にたくはなった」

「えぇっ!?」


 跳び上がらんばかりに驚いたフィーが「ウソ、まさかこの先も…!」と顔を青くし、まだ音を立てて動いていた扉の向こう側へと慌てて飛びこんでいく。勘違い。おそらくだが、もう大丈夫。そう言って止める暇すらなかった。

 パンを一口かじった程度、コップ一杯の水がゆっくり注ぎこまれている感覚ぐらいならあるのだ。少しだけ魔素粒子エーテルが流れこんできているのかもしれない。

 そして、勘違いして偵察に出かけた彼女の声を、ちょうど開ききった扉が音を立てて邪魔することはなかった。


「スヴェン、大丈夫だよ! 普通の洞窟みたい!」


 口を開けた岩肌の横からニュッと顔を出し、うれしそうに手招きするその姿を通して、スヴェンは自身の未来を見た。いろいろと、振り回されることになりそうだ。

 しかしそれはまだ、あくまで不確定の未来。

 口元を緩めながら過去の遺産をくぐる青年。その開かれた視界に飛びこんでくる現在は、先ほどよりも広々とした洞窟と、優しげな緑光の代わりに灯る細々としたかがり火。


「――――っ!? 伏せろっ!」


 そして、遠くから彼女を狙う、銃口のきらめきだった。

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