7 始まりの場所①


 かつて、見たことがある。


「――――伏せろっ!」


 必死な顔。いつも眠たげな仏頂面を焦りと恐怖で歪ませ、押し倒してくるところまで同じ。

 あれはそう、死にかけのエイル・ガードナー博士に撃たれて――



――バキャッ!



「っ!?」


 フィーはこちらを押し倒すスヴェンの肩越しに、岩肌の壁がえぐられるのを見た。自分の頭があった場所。あの時と同じ、魔素粒子エーテルの弾丸。記憶が刺激され、瞬時に状況を理解。撃たれたんだ。

 背中はつけずにズザザッと横滑り。凶弾からも硬い地面からも、スヴェンがかばってくれた。しかし、これでは二射目が。


「! スヴェンッ!」


 さらにかばうためか、腕の中へ閉じこめてくる彼の名を悲鳴交じりに叫ぶと、サラの回転式拳銃リボルバーが頭上へ転がっていった。

 それをすぐにスヴェンが掴み、寝返り打って狙い撃つ。


「――――ざけんなっ!」



――パンッ!



 耳をつんざく銃声。当たったとは思えない。フィーは仰向けになったスヴェンへ覆い被さった。

 守る。彼が死ぬのは嫌だ。それに自分が取り残されるよりも、そっちのほうが生き残れる可能性は高い。と、そこまで思考が及ぶほど時間があることに気付き、少しぬれた首筋へ押しつけていた顔をおそるおそる上げた。

 伸ばされた腕の先で、緑色の煙を上げる銃。壁にかかって揺らめくかがり火。静かな洞窟内。


「……撃ち返して、こないね…?」


 ポカンとするフィーに、これまたスヴェンがポカンと返す。


「なんか、当たったっぽい…」

「えぇっ!?」


 思わず身を起こし、馬乗りの体勢へ。

 ホッとしたが胸中は複雑。彼にまた人殺しをさせてしまった。

 もちろんそれは、口にすべきでない。


「射撃、得意だったっけ?」

「知ってんだろ」

「だよね。じゃあもしかしたら、サラが助けてくれたのかも」


 そうだったらいいな、とフィーは心から思った。

 そして、かばってくれた礼を言おうとしてスヴェンを見下ろすと、何やら眉をひそめていた。


「ごめん、重かったよね」


 浮かしかけた腰を彼の手が止める。ちょっとドキッとするも、相手は配慮デリカシーに欠けがち――個人調べ第一位――な男。


「いや、ちょうどいい」

「ウソでも軽いって言えないわけ…!?」


 無駄にした心拍数を返せ。

 フィーは下敷きにするスヴェンの胸ぐらを掴んで持ち上げたが、軽くないのは事実――このついてしまった筋肉が憎い――なので、胸ぐらを離してさっさと立ち上がった。

 スヴェンはすぐには起きなかった。


「? スヴェン?」


 まるで宙を掴もうとした彼の手が、グッ、パッ、と形を変える。そしてまた上の空。そういえば、胸ぐらを掴んだ時も反応が鈍かった。様子が変だ。

 フィーはそばへ膝をついた。


「大丈夫? どこか打った?」

「……いや、なんでも――――って、場合じゃねぇ…!」


 こちらの心配をよそに勢いよく立ち上がり、首に下げていた何かを外すスヴェン。長いひもがくくり付けられた、小指程度の木工品。呼び笛だろうか。

 そばで立ち上がった自分の首へ、それを掛けながら彼が言う。


「すぐに引き返せ」

「! 引き返せって、そんな…!」

「こんだけっても追ってこないってことは、もう基地あっち側の敵は全滅してる可能性が高い。それよりもヤバいのはこっちだ。一人だけだから待ち伏せされてたわけじゃなさそうだが、第二陣か連絡係、後方で待機してた連中か……くそっ、ツイてんだかツイてねぇんだか…!」

「あっ、ちょっと待って!」


 腕を引っ張られ、開いたばかりの岩肌の口の中へ押しやられる。足を踏ん張って抵抗。


「無理だよ! 今度こそスヴェンがもたない!」


 彼の魔力はまだ回復し始めたばかり。全快には少なくとも一晩、先ほどの道を無事に抜けるにはおそらくあと一、二時間はかかる。

 それがわかっていないのだと思った。しかし、そうではなかった。


「いいか、フィー。戻ったらすぐにこれを吹け」


 肩を掴み、真正面から向かい合ったスヴェンが、フィーの首に下げられた呼び笛を目の前へ掲げる。


「犬笛みたいなものらしい。万が一、敵の残党がいても聞こえないから安心しろ。身を隠してたら俺の仲間が駆けつけてくれるはずだ」


 まるで自分がそこにはいないかのような言い草。

 いや、違う。彼は最初からそう言っているではないか。


「大丈夫、信頼できるやつだから。きっと助けてくれる」


 ケイトの時と同じ。

 ここで、お別れ。


「……スヴェンは、どうするの?」

「安心しろ、はある」

「ウソ」

「ウソなもんか。確実じゃないけど本当に――」

「ウソだよ。だってスヴェン、ウソつくとき鼻がピクピクするもん」

「っ!?」


 安易な引っかけにだまされ、鼻をとっさに隠す素直な彼の隙を突き、その胸へ飛びこむ。

 もうごめんだ。


「もう離さないって、言った」


 ケイトの時のような思いは。


「嫌だって言っても、もう離さないって。スヴェン、私に言ったよね?」


 それに、決めたのだ。赤子のように泣きわめく彼を抱きしめた時に。


「だからお願い」


 絶対にこの人を独りにしない。


「私を、離さないで…」


 代案も何もなく、無為むいに流れる時間。固めた決意だけが手に宿り、スヴェンの背中をギュッと強く掴むと、押しつけていた頭がポンと優しく叩かれた。見上げた先には険しい顔つき。しかしその射殺すような眼差しは、こちらを向いてはいない。

 行き止まりの先に開いた淡い緑光のもれる道ではなく、頼りなげに灯るかがり火のさらに向こう。

 敵が撃ってきた方向だ。


「別に、基地あっち側が絶対安全かどうかなんてわからねぇよな」


 厳しさを増す表情。


「ならいっそ、イチかバチか、か……」


 何か考えがあるらしい。固唾かたずをのんで次の言葉を待つ。

 しかしスヴェンはふと表情を緩め、やがて悩ましげに眉をの字にした。


「最近イチかバチかこんなんばっかだな、俺…」


 最近とやらの詳細はわからなかったが、フィーは思わず吹き出した。

 そして、呆れ半分に言う。


「それは、今に始まったことじゃなくない?」

「うっ…!」


 図星を突かれてうめく彼。そんな恋人が愛しくなり、彼女は笑みの形に刻んだ顔をますますほころばせた。




 スヴェンの考えた策は面白いほどにはまった。


「――――それで、標的は!?」

「奥だ! 傷を負ってる! 虫の息みたいだが気をつけろ!」

「了解!」


 隠し扉の開いた音、そして銃声を聞きつけてやってきた二人の敵兵士が遠ざかる。これですれ違った数は計五人。道の真ん中を堂々と歩いており、隠れてやり過ごしているわけではない。

 スヴェンは運良く倒した敵の装備――防弾チョッキにヘルメット、それに魔素粒子銃エーテライフル――をはぎ取って身に着け、代わりに死体へローブを着せた。生きていると思わせるために物陰へ座らせ、あとは即席兵士――軍支給のズボンと肌着シャツはそっくりだったので、少し小さいがケイトの上衣ジャケットを貸し与えるだけで出来上がり――として自分を連行。なのでフィーは手を後ろでひねり上げられながら、うつむき加減で歩いていた。使い古された手段ではある。

 それでも今のところ上手くいっている理由は、薄暗いせいでよく見えないというのもあるが、何よりもスヴェンの影響が大きかった。

 例のテストパイロット。基地を制圧したはずの仲間を全滅させた、正体不明のバケモノ。そんな触れこみだったらしく、深手を負って隠れているという口から出まかせは効果てきめん。

 しかし、一様に緊張感と殺気をみなぎらせて兵士が過ぎ去るたび、スヴェンはやや複雑そうだった。「たぶん、俺一人でやったわけじゃねぇんだけどな…」という言い分らしい。ならば、先ほど言っていた仲間が協力したのだろうか。

 そんなことが気にかかった時にちょうど一本道を抜け、フィーは見覚えのある開けた場所へ出た。

 魔杖機兵ロッドギアが入るほど大きく、がらんとしたドーム状の空洞。二つの松明たいまつがごうごうと燃え盛る右手には、かつてマーシャルが鎮座していた祭壇。左手には、逃げこんだリズを追って自分たちがかつて下った階段。

 戻ってきた。郷愁きょうしゅうにも似た感覚に襲われ、フィーは呆然と顔を上げた。痛ましい演技をやめてふと思う。

 今までの悲劇は、すべてここから始まったのではないだろうか。

 そしてまた、ここで――


「――フィー、おいフィー…! 止まるな、怪しまれちまう…!」


 背後でささやかれてハッと歩き出すも、一歩遅かった。


「おい、その女はなんだ?」


 呼び止めたのは、そこにいた五人の兵士のうちの一人。水路——マーシャルを運び出す時にも使われた大きなもの——に浮かんだボートへ機材を積む四人から離れ、こちらへやってくる。フィーは慌ててうつむいた。

 自分たちの反対側から、ドーム状の空間を敵がまっすぐ横切る前に、スヴェンが演技開始の口火を切った。


「はっ! どうやら基地から例のパイロットと逃げてきたらしく、ほかに生き残りがいないか口を割らせようと連れてまいりました!」


 すれ違った兵士たちにも使った言い訳だが、おそらく上官だと判断して丁寧な報告にしたのはスヴェンの機転だ。背後で敬礼もしている様子。

 どうやら正解だったようだが、その後は台本なしノープラン


「そうか。しかし、作戦は終了だと先ほども伝えたはずだ。これだけ被害が出てしまってはな……。女はもう殺して、さっさと撤退準備を手伝え」


 上官が背中を向けて戻る。さて、どうするか。ここまでは勢いで乗り切ってきた感があるが、さすがに頭を使う場面だ。

 ささやき声で話し合う。


「ねぇスヴェン、あっちの階段使えないかな…?」

「ダメだ、扉が閉まってる…。たぶんあいつらが閉めたんだろうな…」


 後方拠点。奇襲を警戒して経路ルートを一つにするのは定石じょうせきだろう。リズが開けた隠し扉も、古い認証装置が使われていて何もできずに開けっぱなしだったはずだが、彼らが積みこむ最新鋭の機器を見れば簡単に操作できたと予想される。

 しかしそもそも、なぜ閉まっているとわかるのか。


「確かに真っ暗だけど、閉まってるかなんて行ってみなきゃわかんないでしょ…?」

「バカ、空気の流れが途絶えてんだろうが…」


 わかるかそんなの、とムキになりかけたフィーを連れ、スヴェンが動き出す。向かうのは却下されたはずの階段だ。


「ちょっとスヴェン、どうするの…?」

「これ以上は怪しまれる……ほかに道もないし、やってみるしかねぇ…!」


 フィーはスヴェンの言わんとしていることをおそらくだが理解した。

 先ほど彼は、同じ階層フロア魔力波長マナパターン認証装置を誤認させている。ならばこちらも開けられる可能性が高い。

 そういう腹積もりなのか、確認は取れなかった。


「? おい、どこへ行く気だ?」


 見とがめる声にビクリと反応。バレやしないかと挙動不審になったが、処刑前という役柄のおかげでまったく疑われない。

 スヴェンも平然と演じる。


「目につきやすいところに死体を転がすのもどうかと思いまして。外ですぐしてきます」


 涼しげに口八丁。やるなぁ、とこっそり感心。

 しかし、綱渡りのやり取りはなおも続く。


階段そっちは行き止まりだぞ」

「あ、そうでした。では登った先で……できれば、開けていただけますか?」

「どういうことだ?」

「退却間際に血の臭いで気分を悪くさせるのもあれですし。それに、つまらぬ慈悲心ですが、最期さいごぐらい外の景色でも見させてやろうかと」

「そうじゃなくて、なんで開けれないんだ? 装置は行き渡っているはずだが」

「先ほど、例のテストパイロットに撃たれた際、壊されてしまいまして。もちろんこちらはやつの肉体を壊してやりましたが」


 ハラハラしてきた。さすがにしゃべりすぎな気が。相手も無言になり、すごく怪しんでいる。苦し紛れの言い分という自覚はあったのか、スヴェンもこっそりサラの銃を握っていた。張り詰める緊張の糸。

 それをたゆませる含み笑いに、フィーは嫌悪感を抱いた。


「あぁ、なるほどな…」


 舐めるような視線が、スヴェンではなくこちらへ。ゾッとしたが見てみぬふり。

 すると敵兵は階段のほうへ歩み寄り、何かをポケットから取り出した。それをピッと操作したとたん、どこからか小さな地響きが。おそらく隠し扉の開く音。

 遠隔操作リモートなのかと衝撃を受けたが、それよりも驚いたのはあごでしゃくりながらの相手のセリフだ。


「さっさと行け」

「は?」


 あまりのとんとん拍子にスヴェンから声がもれる。フィーは我慢した。


「脅威を排除できたのはお前の手柄みたいだからな。ほうびだ、ストラノフ大師正たいしせいには黙っててやる」

「? なんの話――」

「あぁいい、みなまで言うな。、してきたいんだろう?」


 ピクッ、と背後から伝わる震え。


「声を中にまで響かせるなよ。口はふさいでおけ。ほかのやつにバレたら退却時間が遅れるからな」


 やけにニヤニヤしているな、と上目遣いでうかがっていたフィーを促すように、スヴェンが背中を押してくる。

 歩みは慎重に。ゆっくりと、階段のほうへ。


「……では、お言葉に甘えて」


 ニヤつきが収まらない兵士の横を、怪しまれない程度に距離を開けながら通り過ぎると、背中へ声をかけられた。


「おい、なるべく早くな。私が行くまでに終わらせておけよ」

「……それは、どういう意味で?」

「フンッ、わかりきったことを……先にさせてやるだけありがたく思え。なかなかいい女だしな」


 フィーは思わずカッとなった。もちろんそのぞくなほめ言葉に照れたわけではない。

 の意味がわかったからだ。


「ろくな仕事じゃなかったし、これぐらいの役得はな」


 身を震わす羞恥しゅうちと怒り。怯えているように見えたのか、楽しげな笑い声が響く。はずかしめられた気分だ。フィーはギュッと目を閉じ、今この瞬間だけでも恋人の前から消えてしまいたかった。よりによって、こんな、スヴェンの前で。

 しかし彼は、自分以上に怒っていた。


「ゲス野郎が」


 凍りつく一瞬の間。サッ、と血の気が引く。今のは、聞こえてしまったのでは。

 さっさと行こうとするもやはり、階段の入り口付近で呼び止められた。


「おい止まれ! 貴様、上官に向かってその口の利き方――――いや、待て……」


 渡りきったと勘違いして綱から飛び降りるような、あまりにも軽率な行為。

 なぜならここにはもともと、敵が十人――倒した数も入れれば十一人――しかいないのだから。


「……お前、誰だ?」


 ここまでが奇跡的で、そうなるのが必然。しかも自ら落ちた渡り手に同情の余地などない。それでもフィーは、スヴェンを責める気にはどうしてもなれなかった。

 そして、いずれにせよこうなる運命だったのだと告げるように、仮初かりそめの上官の通信機から大きな音声がもれた。



――ザザッ…。



『偽物だ! こちらのスヴェン・リーは偽物! 本物が女を連れてそっちに――』


 聞こえたのはそこまで。

 スヴェンはひねり上げていたフィーの腕を放し、腰に下げていた通信機ごと相手へ回し蹴りを放っていた。かなりの早業はやわざ。フィーが振り返った瞬間にはすでにの字状態。泡を吐きながら吹き飛ぶ敵兵。

 そこへさらに、スヴェンの脱いだヘルメットが全速力で飛んでいく。



――パカァンッ!



「殺されねぇだけありがたく思え」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る