2 遠吠え

――バキッ!



 調子が良いどころの話ではない。スヴェンは上段蹴りハイキックで敵が構えていた銃を吹き飛ばしながらそんなことを思った。

 切り離された思考、流れるようにつなぐ連撃。

 同じ蹴り足での前蹴り。


「ゲフッ――――!」


 敵を吹き飛ばし、後ろからこちらを狙い撃とうとしていた銃の遮蔽しゃへいに。

 とはいえ、横へよければ射線の確保は可能。狭い廊下だとしてもその程度の幅は十分にある。しかしその敵兵は、吹き飛んでくる仲間を受け止めようとしていた。バカが。

 死体から奪っていたナイフを思いきり右側の窓へ投げつけ、左側の壁へと体を躍らせると同時に――



――ガシャンッ!



 派手に割れる窓ガラス。安物だったか。壁を蹴って高く跳び上がる最中さなか、スヴェンはそんなことを考える余裕があった。

 フェイクに引っかかった敵兵が窓へ向けたライトを正面に戻しても、そこにはもう誰もいない。天井すれすれの頭上は光の範囲外。

 夜のとばりの向こう、意識外からの一撃。



――ドカッ!



 飛び蹴りをくらわせた頭からヘルメットが宙に舞い、床へとその身を投げ出した持ち主よりもさらに遠くへカラカラと転がっていく。遅れて着地した足元には、仲間に受け止めてもらえず、腹部を抱えながら意識が朦朧もうろうとする男。

 スヴェンは己自身に何が起きているのか、理解できていなかった。

 いつもよりも自然な体さばき。キレのある動き。みなぎる力。火事場のバカ力と呼ぶにはあまりに冷静で、アドレナリンで疲れを感じないにしてもこれほどまでに体が軽いと、どこかで別の体と入れ替わってしまったかのような妙な気分になる。そう、まるで別人だ。

 そんなことを強く思ったさらなる原因は、落ちていた銃を素早く拾い、ためらわずに相手の頭を撃ち抜く自身の精神状態。



――パシュッ。



 一人。



――パシュッ。



 また一人。

 ここへ来るまでにも、着実に増やしていた殺しの数。格納庫内での虐殺ぎゃくさつも含め、いずれも己の内側を波立たせるものではなかった。

 人を殺すことに対する耐性でもあったのかと聞かれたら、そんなことはない。この極限状態で追いこまれたせいか、精神的に何か強くなったのかと聞かれてもいなだ。

 言葉どおりの別人。己で操っていると思っているは単純に、。そんな感覚。いて例えるならマーシャルに乗っている時の万能感にも似ていた。

 戸惑いは薄かった。純粋にありがたい。


(これなら……)


 手のひらを握り拳に。そしてまた開き、また握る。軽く息を切らしながら、自らの意思の下で行われる所作を繰り返し確認。夢うつつながらにはっきりと覚えている格納庫内での状態とはほど遠いが、これならやれる。フィーを救える。わからないことは後回しだ。

 たとえこれが、悪魔に魂を売った卑怯な結果だとしてもかまわない。スヴェンは握りしめていた銃を放り投げ――銃器の扱いに関しては別人のようにとはいかなかった――暗い廊下をまた走り出した。左手にはめた腕時計の、恋人の在処ありかを示すその長針に従って。

 そして、ふと思い出す。



――まるで、不正チートだ…。



 はるか遠い昔に感じる研究者レオンの言葉。まさに今の自分を指しているよう。しかし、それは予言というわけではなかったはず。

 彼はなぜ、そんなことを言ったのだったか。スヴェンはさらに記憶をたどろうとしたが、その前に新たな足音が聞こえ、意識を敵への対処に切り替えた。

 疾走する闇の中で息を切らし、彼は再び拳を固く握った。




 そしてまた三人ほど、仲間の無念を晴らしたころに、スヴェンはと出くわした。

 勢いをなくして固まる体。激しさを増す動悸どうき、息切れ。ゆっくり視線を落とせば、時を刻まぬ長針が暗い廊下の先を指し示していた。その闇の真ん中にポツンと浮かぶ、を。

 ドクンッ、と心臓が跳ねる。

 死んでしまったバウマンの娘と同じ名前の花。浮かんで見えたのは、その下に輪郭りんかくを持つ闇があったからだ。それは、倒れている人影だった。

 供えられた白い花。手足をはみ出させながらも被っているのは――――魔導師の黒ローブ。

 嫌な予感。


(違う、違う……フィーなわけないっ…!)


 あってたまるか。スヴェンは歯を食いしばったつもりだったが、ガチガチとかみ合わぬ音が耳のそばで鳴り続けていた。無意識に手を胸元へやり、肌着シャツの下に隠していたものをなぞる。

 首から下げたそれは、人の小指程度の呼び笛。二手に別れる際にシズクから手渡されたものだった。緊急時、これを吹けば駆けつけるという話なのだが、使用する場面は今ではない。こんな、怖くて自分では確認できないからなどという情けない理由で、呼んでいいはずがない。

 やらなければ。自分で。ミゲルの時と同じように。


(……誰だ?)


 一歩、重い足を引きずる。そしてまた一歩。

 息苦しい。まるで水底を歩いているようだった。


(フィーじゃない……フィーは違う…)


 一歩ずつ、着実に前へ。やがて、その輪郭シルエットが鮮明に。

 はみ出た小さな手足。頭と体を覆うローブにはふくらみ。

 おそらく、女性。


(――――やめてくれっ…!)


 

 スヴェンは白い百合の花のそばでしゃがみこみ、顔を隠しているとおぼしき箇所のローブを震える手でめくった。

 結果として、その仰向けの遺体はフィーではなかった。髪色が違う。暗闇に慣れた視界に薄ぼんやりとだが、それが赤毛でないことだけはわかった。しかし、スヴェンは思わず口を手で覆った。

 顔の損傷がひどい。左目あたりから側頭部にかけてえぐられている。スヴェンはそれ以上まともに見ることができなくなり、深く項垂うなだれながらローブの覆いを戻そうとした。眠りを妨げぬこと以外、できることはもう――


「――え?」


 ピタッ、と手を止める。覆い隠せたのは損傷箇所のみ。その状態で、きれいに残った右側の顔を見下ろす。

 閉じたまぶたから伸びる目尻は優しげに垂れ下がっており、口の形がやや笑みを描いていた。よく見かけた笑顔。フィーの隣で、フィーに向けて。

 スヴェンは呼びかけた。


「サラ?」


 間抜けな声だった。

 なんで寝てんだよ、こんなところで。そう言いたげだな、と他人事のように感じた。

 ローブを再びめくる。欠けてしまった彼女の顔を見つめ、あぁ、と内心でこぼす。そうだ、サラは死んでしまっているから、もう起きないんだ。

 遠くで、が言う。



――良かったな、



 あぁ、本当に良かった。スヴェンはそう思った。そして、吐き気がした。

 壁際までって胃の中のものをぶちまける。吐き出すものがなくなり、たとえ胃液だけになっても、後から後から何かが込み上げてくる。のどが詰まる。息が苦しい。

 なんだ、これは。


「……何なんだよ、これっ…!」


 スヴェンは床を何度も殴りつけた。涙と鼻水が顔に塗りたくられた返り血と混ざり、床へと落ちて嘔吐物おうとぶつと溶け合う。それの何倍も汚いものが、空っぽになった胃に入っている感覚。気持ち悪い。もう嫌だ。スヴェンは両手をついて崩れ落ちた。誰か、助けてくれ。

 そして浮かんだ顔は、助けようとしているはずの女性ひとだった。

 左腕にはめた腕時計を見る。独りぼっちの長針は、まだ止まっていない。ほんのかすかにだが、格納庫で確認した時と同じく、やはり動いている。

 スヴェンはよろめきながら立ち上がった。シズクが言ったとおり、膝をつくのはまだ早いと己に言い聞かせた。そのまま覚束おぼつかない足取りで、壁伝いに奥へと進む。

 その途中、横目でサラを見下ろす。


「ごめん、サラ…」


 いつか見たような笑み。記憶の中の彼女。ローブの覆いが中途半端で、きれいな部分だけが外気にさらされている。


「……ごめん、ごめん…」


 それを直す気には、どうしてもなれなかった。



 縦になる間近の地面。横向きの視界。弾ける雨粒と、行き交う靴の水しぶき。

 寝起きにしては不可解なその光景のことよりも、ケイトが真っ先に思い浮かべたのはフィーのことだった。


(嫌われちゃった、かな…)


 段々と把握する状況。井戸のそば、フィーの逃走の時間稼ぎ。それから――――記憶が飛んで、固い地面を抱きしめて眠る自分。動けない。まずい。ケイトは焦った。

 それでも、後悔ばかりが先に立つ。


(あーあ……カッコよく、別れるつもりだったのになぁ…)


 ひどいことを言った。


(サラだって、私の怪我した足じゃ逃げ切れないと思ったから、かもしれないのに…)


 それでも全部フィーのせいにして、みっともなく叫んで、追い立てた。なんとか彼女は行ってくれたものの、もっとほかにうまい言い方はなかっただろうか。自らの口下手さ加減を呪いながら、ケイトは笑おうとした。しかし、口を動かすのすら難しい。目もかすむ。力が入らない。痛い。その中で、耳だけは正常だった。

 無常に響く雨音と、複数の敵の声。


「どうなってる!? 連絡は――――!」

「――――せん! どこにも――――!」

「いったい何が――――敵――――?」


 なんか、焦ってる。ケイトは内心ほくそ笑んだ。よくわからないが、ざまぁみろ。

 そして、考える。これからどうしよう。



――ズリッ…。



「ええいっ! とにかく、二手に別れるぞ! 一班と二班は基地内の現状把握!」


 このまま寝たふりをしていたら案外、助かるのでは。

 そうだ、そうしよう。



――ズリッ…。



「三班はこの場で待機! 二名だけ隠し通路の応援に向かわせる!」

「応援を? それより、基地の再掌握が先では?」


 死んだふり。ふりじゃなくなる気もするが、そっちのほうがいいに決まっている。どうせ犬死に。これ以上の抵抗は無意味だ。

 ジンもさぞやご満悦なことだろう、自分がここまでやって。



――ズリッ…。



「通路へ逃げこんだ人数がわからん! それに、追跡させた連中とも連絡が取れん! おそらくこちらは技術的な問題だ! 追って今の状況を知らせて呼び戻すんだ!」

「はっ!」


 そうだ、キャラじゃない。自分はいつだって、自分だけ生き残ることを優先してきたじゃないか。それを、ここまでやったんだ。もう十分だろ。

 なのに、なんで。



――ズリッ…。



「良し、行けっ! 散開!」


 バシャバシャと遠ざかる足音。水平な地面。弾ける雨。

 誰かの長靴ブーツ


「こちらも降下準備を急いで――」



――ガシッ。



「――なっ…!?」


 なんでこんなことしてんだろ。今なお雨を吸いこむ柔らかな地面をいずって移動したケイトは、驚愕きょうがくする敵兵の長靴ブーツに手をかけた。


「班長、どうし――――っ!?」

「こいつ、まだ生きて…!」


 青ざめた声。これは、自分の状態は確認しないほうが吉なのやも。そんな茶化した内心とは裏腹に、長靴ブーツへ伸ばした自らの手が、敵の足へと必死にすがりつく。


「……い、かせ、ない…」


 息も絶え絶え。キャラじゃないって言ってるのに。


「フィーの、とこ、には……行かせ、ない…!」


 それでもケイトは、なけなしの力を振り絞って、凍りついたように動かなくなった足へとかみついた。


「グッ…!」

「班長!」

「この、死にぞこないめっ!」


 衝撃。蹴られた。視界が回って仰向けに。容赦なく顔へ降り注いでくる雨の感覚が痛みとともに遠ざかり、どんよりとした曇り空へ意識が吸いこまれていく。

 うつろに響く誰かの声。


「その執念は認めよう。だが……」


 誰のものなのか、もうわからない。



――カチャッ。



「これが私たちの任務しごとだ」


 眠かった。だからケイトは、目を閉じようとした。

 その、最後の瞬間。



――パァンッ…。



「っ!? 銃声か!」

「班長! 一班と二班が交戦状態に!」

「何!? 敵は――」



――嗚呼ああァァァァァ――――……。



 どこかで、獣がいていた。

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