9 真意

 雷鳴が寝静まり、うなる夜風は寝息のよう。

 衰えた雨足だけが残る嵐の延長戦の最中さなかを、肩に巨大な斧槍ハルバードを担ぐ青い巨人が、オレンジ色のモヒカンを揺らしながら滑走していた。噴射装置バーニアを全開にして駆けるは、荒野を分かつ川のど真ん中。

 川といってもそれは、今しがた掘られたほりに雨水がたまっただけのようなものに見え、マーシャルの搭乗席コックピットの中でスヴェンは不審に思った。川にしてもほりにしても、こんなところにそんなものがあった覚えはない。

 それでも最初は無視を決めこんだ。今はとにかく、基地へ帰らねば。

 だが結局、足元で派手に水しぶきを上げながら止まることになったのは、レーダーが生体反応を捉えたからだった。


「! あれは…!」


 目視で確認できる位置に達し、すぐさまブレーキ。水辺に打ち上げられた体勢で倒れる人物を気遣ってのこと。しかし逆に、止まった反動で盛大に波立った水がその巨体の影を飲みこんでしまう。

 極めて小さいその津波を仰向けのまま受け、ずぶぬれになっても反応なし。意識を失っているのか。慌てて開閉部ハッチを開き、シズクの静止も振り切って飛び出す。

 その人影に、見覚えがあった。


「――――教官っ!」


 ぬかるんだ土へと膝をつき、息を切らしてその大きな肩へと取りつく。予想どおりの人物。そしてやはり、意識がない。いつもは隙の見当たらぬ鉄面皮が、今は傷だらけになって緩んでいる。

 スヴェンは肩を揺さぶりながら大声で呼びかけた。


「教官! しっかりしてください、教官! 起きて……っ!」


 その時、マーシャルの簡易ライトが足元の水たまりを照らした。何かが混じり、濁っている。

 血だ。それも大量の。

 流れてくるのは、バウマンの体から。


「ウソだろ、そんな……教官…?」


 息が詰まる。動悸が激しい。頭が、真っ白に。

 最も頼りにしていた人が、こんなところで。


「――――ざけんなっ! 目ぇ覚ませよおいっ!」


 荒くなる口調とは裏腹に、胸元へすがりつく。スヴェンは恐怖でいっぱいになった。

 まだ死への理解も浅かったころに母親を失って以来、初めて直面する親しい人間の死。だが、それだけではない。

 よりによって彼がここで死ぬのなら、今、ほかのみんなはいったい。


「……冗談じゃねぇ、冗談じゃねぇぞ! 起きてくれよ、教官! おい……さっさと起きろよ鉄仮面っ!」


 思わず口にしてしまうあだ名。

 結果的に、それが功を奏したのか。



――ピクッ。



「……スヴェン、か…?」

「! 教官っ!」


 バウマンは目を覚ました。

 かすかに動いた指を、ごつごつとした大きな手ごと掴む。


「なぜ、ここに…? 私は……っ!」


 顔をしかめるバウマン。傷が相当痛むのだろう。スヴェンはそう思い、慎重に慎重を重ねながら彼の肩を抱き起こした。


「しゃべんなくていい。すぐにマーシャルで――――っ!?」


 しかし、彼は痛みをこらえる表情とはほど遠い形相ぎょうそうで、こちらを突き飛ばした。バシャンと跳ねる水たまり。腰と後ろ手が泥水に浸かり、呆然とする顔には冷たい雨。

 バウマンがうつむきながら言う。


「行け、スヴェン…」

「……教官?」

大師たいしだ……ぐっ…!」

「! ちょっと、無理しちゃ……!」


 ぼろぼろの体を己の力だけで立ち上がらせ、バウマンがこちらへ手を突き出す。その気迫に押され、腰を浮かしただけの中途半端な格好に。


「状況は、わかっているな…?」


 立っているのもやっと。肩で息をし、打たれる雨にすらふらつきそうな姿。


「……はい」

「ならば行け。時間がない」

「だったらいっしょに……せめて、治療を…!」

「捨て置け」


 それでも、決して倒れない。幽鬼ゆうきめいた彼の周囲から立ち上る、目に見えない何かがそう確信させた。だからって、捨て置けるか。

 無理やりにでも運ぼうと決意してスヴェンが立ち上がると、上から切羽せっぱ詰まったような声が届いた。シズクだ。


「スヴェン・リー! 戻ってください!」


 マーシャルの胸元から出ていた顔をにらみつける。


「見捨てろってのか!? そんなことできるわけねぇだろ!」

「違います! レーダーに反応が!」

「何?」


 スヴェンはとっさに眉をひそめただけ。息をのんだのは、ぬかるんだ地面をなんとか踏みしめているバウマンだった。


「何か――――来ますっ!」


 そして、決して倒れぬはずだった彼の足をすくう振動。



――ズシンッ!



 巨大な足音。揺れる水面。

 鳴動する大地の上でバランスを取り、バウマンの元へ駆け寄って肩を貸すと、耳元で苦渋に満ちた声が聞こえた。


「遅かった、か…」


 スヴェンは彼を運びながら理解した。。つまり、このいまだに続く魔杖機兵ロッドギアの足音は味方ではない。

 敵だ。


(くそっ、どこから……っ!)


 辺りを見回すと同時に、それは現れた。後方のはるか高みから。

 深い川の岸。急な斜面、ほりの上。巨大な赤い魔杖機兵ロッドギアが翼を畳み、そのとんがり頭でどこか神妙にこちらを見下ろしていた。手元には巨大な銃。

 ゾクリと悪寒おかんが走る。


(なんだ、あの機体……それに、あの銃…)


 歩みを止め、スヴェンは見入ってしまった。肩に寄りかかるバウマンは意識を保つのがやっとなのか、それをとがめなかった。

 代わりに、飛び降りてきたシズクが派手な水音を上げる。


「何やってるんですか!? 急いで!」


 ハッと我に返り、慌ててバウマンの巨体を運ぶ。少し軽くなったのは逆の肩をシズクが担いだからだ。

 そして彼女はその前に、赤い機体へクナイを投げつけていた。



――りんぴょうとうしゃ――――。



 やや早口で紡ぎ終える文言。振り返りながら立てた二本指をきれいにそろえて言い放つ、力ある言葉。


「――――『ばく』っ!」



――ドカァンッ!



 爆発音に目をやれば、黒煙が赤い機体の上部に。


「やったのか!?」

「目くらましにしかなりません! 早くっ!」

「くそっ…!」


 スヴェンは歯がみしながら必死に足を動かした。

 シズクも手伝っているというのに、バウマンの巨体が先ほどよりも重く感じる。意識を手放しているのかも。その確認すらままならず、マーシャルの足の影へ彼を寝かせた時、シズクの顔色が変わった。それをスヴェンは見逃した。

 いや、気付かないふりをした。


「こんな状態じゃ、搭乗席コックピットまで引き上げるのはさすがに無理か。おいあんた、悪いけどマーシャルの手の上に教官を乗せてやってくれ。すぐに動かすから」

「それは……」

「時間がねぇ。頼むぜ」

「……お断り、します」


 マーシャルの足へ取りついたばかりのスヴェンが、血相を変えて振り返る。

 シズクは首を振った。


「この人は、もう……」


 わかっていた。彼女ならば、そう判断するだろうと。

 それでも、納得できない。


「まだ息はある! 助けられるかもしれねぇだろ!?」

「……ここで、諦めるべきです。遺体を運ぶ余裕などありません」

「っ! てめぇ…!」


 ツカツカと歩み寄り、シノビ装束のえりを掴む。胸元がはだけ、冷たい雨のしずくがそこへ流れこようとも、彼女は無抵抗でこちらを見つめた。その理知的な眼差しにあわれみを乗せて。

 ますます頭に血が上るスヴェンの腕を掴んで止めたのは、身に覚えが多くある大きな手。


「! 教官、目が覚めて――」

「走れ、スヴェン」


 思わず、目が点に。いきなり何を。

 胸元を解放され、えりを正したシズクがマーシャルの足に隠れながら顔だけ出す。


「まずいです、もう煙が晴れ……? 襲って、こない…?」


 傷ひとつない姿で、先ほどと同じようにたたずむ赤い機体。こちらを掴んで放さない、確固たる手。

 戸惑いながら交互に視線を向けていると、両者の声が重なった。


『会いたかった……会いたかったぞ、スヴェェェンッ!』

「やつの相手は、私がする」


 スヴェンは今度こそ、混乱の極致へと叩き落された。

 赤い機体からの外部音声。ノイズ混じりながらに聞き覚えのある声。


『私のくさび、私のしるべっ! いかりくさりかせ十字架じゅうじか――――あぁ、私のヒカリっ!』


 アルフレッド・ストラノフ。あいつの声だ。

 そして、バウマンが苦しげに身を起こして続ける。


「私がその機体に乗る。だからお前は、基地まで走れ」


 天地が逆さまにでもなったかのようにスヴェンは取り乱した。


「ちょっと待ってください! なんで、アルフレッドがこんなところに…? それに、その体でマーシャルに乗るなんて無茶だ! そもそもあいつ、本当に敵――」

『スヴェェェンッ!』


 名を呼ばれてギョッとそちらをのぞけば、赤い機体が待ちきれないかのようにこちらへ首を伸ばし、興奮しきった音声を垂れ流した。


『さぁ、あの日の続きをするぞ! その機体に乗れ! 私とお前、二人だけだ! 私が……私こそが、お前のだっ!』

「……アルフレッド?」


 様子がおかしい。あんなになれなれしいやつではなかったはず。それに、あの日の続きとは。


「いったいどうなって……あいつ、やっぱり弟だからあっちの仲間に…? けど、いつから…?」


 次々とあふれてくる疑問。状況が状況であり、スヴェンは多大なストレスに押し潰されそうだった。決して平坦なものではなかったここまでの道のりも、彼の精神状態に大きな影を落としていた。

 頭を抱え、目を見開く。震える焦点。

 そんな彼の頬を、ごつごつとした大きな手が挟みこむ。


「やつの狙いはお前だ。だが、お前にはやらねばならぬことがある」


 切迫感。何もかもをすっ飛ばし、バウマンが命じる。


「ヴァレンタインを助けろ」

「……フィー、を?」

「そうだ」


 その一言だけで、今のスヴェンには十分だった。


「お前が、ヴァレンタインを助けるんだ」


 痛みは限界を迎え、死にかけの顔色。しかし、かつてないほどまっすぐこちらを見つめるその眼差しに、スヴェンはしっかりとうなずいた。震えはいつしか止まっていた。

 フィーを助ける。自分が。そのとおりだ。そのとおりだ、けれど。

 いまだ迷いを抱えるスヴェンの背中を、いつの間にかリズを迎えに搭乗席コックピットへ登っていたシズクが着地と同時に押す。


「その方の意見に賛成です。マーシャルを失うのは惜しいですが、ここからは自らの足で行きましょう」

「無茶だ、遠すぎる! それならさっさとあの機体を俺が片付けて――」

「カーディナル」

「? カーディナル?」

「あの機体の名称です、おそらくですが。マーシャルの兄弟機であり、あのギムリアの魔女が作った最新鋭の魔杖機兵ロッドギア…」


 両手で抱えたリズを下ろし、ほこりの有無を確認するようにその薄緑のバスローブをはたくシズク。その背中へ、ゴクリ、とのどを鳴らす。

 嫌な予感は正しかったのだ。


「やっぱりあれも、F型ってことか…!」

「一筋縄ではいきません。暴走気味のようですし……ともすれば、こちらがやられかねない」

「だからって、教官がマーシャルを乗りこなせるわけねぇだろ!」


 重傷の身であのマーシャルに乗ったら、確実に死んでしまう。口に出さずとも、それはその場の共通認識。

 シズクが静かにリズの肩を抱き、まっすぐ立っていたバウマンを見つめる。


「お名前を、お伺いしても?」

「ブレン・バウマンだ」

「ミスタ・バウマン。その名、この胸にしかと。あなたのような武士もののふと異国の戦場で相見あいまみえたこと、我が生涯しょうがいにおけるほまれとなりましょう」

「……フッ、ヤマト流か。妙な連れ合いだな、スヴェン」


 バウマンは鼻で笑ったが、それは小馬鹿にするようなものではなく、どこか哀愁あいしゅうを漂わせるものだった。

 シズクとリズ。二人を見つめる目をなつかしげに細め、彼は背を向けた。少しかがんだのは物陰から飛び出す準備だ。

 そしてシズクは、こちらの腕を取った。


「行きましょう。隙を狙ってもう一度目くらましをかけます。通用するかどうかはわかりませんが」

「ちょ、ちょっと待て、俺はまだ…! だいたい、時間なんて稼げるわけねぇだろ! あんた教官を見捨てる気か!?」


 怒気をはらんで問えば、腕を掴んでいた手の力が強まる。


「彼ならばやりとげます。死力を尽くし、己の名誉に賭けて。あなたはそれにこたえる義務がある」

「何が義務だっ! 手前勝手な精神論を押しつけてんじゃ――――うおっ!?」


 スヴェンはのけ反った。同じくシズクも。二人の視線の間に突如、たるが現れたのだ。

 両手でそれを掲げた無表情の少女は何も言わず、タルボが手足とカメラを動かして何事かを伝えようとする。


「タルッ! タルタル!」

「お遊びに付き合ってる暇ねぇんだよ今は!」


 意に介さないスヴェンの様子を見て諦めたのか、タルボがリズへとその一つ目レンズを向ける。すると、示し合わせていたかのようにポイッと少女はたるを放り投げ、手足の生えたたるはシャカシャカとバウマンの足元へ駆け寄った。


「? なんだ、この玩具おもちゃは?」

「す、すいません教官、そいつは――」

「手伝う」


 タルボを掴み上げようとしたスヴェンの動きを止めたのは、小鳥のさえずりのような小さく短い声。


「手伝うって、言ってる」

「リズ、あなた……タルボさんの言ってることわかるの?」


 驚愕するシズクの問いに、リズは小首を傾げた。わからないわけではなく「なんでわからないの?」と言いたげだ。

 バウマンが足元を見て小さく笑う。


「助力、恩に着よう。目覚まし代わりぐらいにはなるか」

「何ができるのかわかりませんが、タルボさんはお役に立てるはずです。私が保証します」

「……ふざけているわけではなさそうだ。それは、心強い」


 目と目で通じ合う二人に内心、悲鳴を上げる。

 どうして勝手に事を進めるんだ。これでは、死ぬ。バウマンが死んでしまう。

 彼の妻と娘の墓参りに、まだ連れて行ってもらっていないのに。


「……スヴェン」


 背中越しに名を呼ばれ、スヴェンは伸ばしかけていた手をビクリと止めた。

 赤い機体が地面を揺らす。


『……いつまで、いつまでいつまでいつまで…! いつまで待たせるんだ、スヴェェェンッ! また見失ってしまう! 私が、私がぁぁぁっ!』


 しびれを切らしたアルフレッドの半狂乱の声。

 それに重なる、軽い調子の言い草。


「教官ではなく、大師たいしだ」


 含み笑い。冗談。いろいろな意味でスヴェンは目を見張った。

 同時に、横からクナイが飛ぶ。


「お前は最後まで、人の話を聞かない教え子だったな」


 白い紙をヒラヒラたなびかせ、赤い機体へ向かうクナイ。素早く紡がれる文言。

 訪れる別れ。


「――――『ばく』っ!」



――ドカァンッ!



 爆発音を皮切りに、先ほどまでの死にたいがウソだったかのように飛び出していくバウマン。手を伸ばすも、届かなかった。


「教官っ!」

「スヴェン、これが本当に最後だ!」


 青い巨人の足を登りながら張り上げる声の勢いに、思わず黙って耳を傾ける。


!」


 それは彼からの、最後の忠告。


「ヴァレンタインを助けたければ、!」


 自分わたしの死をかえりみている暇などない。スヴェンはバウマンがそう言っているのだと思った。

 彼の真意などつゆ知らず。


「走れ、スヴェンッ!」


 バウマンが搭乗席コックピットへ乗りこむ。こちらを見ることはもうない。

 シズクがこちらの強く腕を引っ張る。


「いい加減にしなさい! 彼の意志を無駄に――」

「言われなくてもわかってんだよ!」


 強引に腕を払い、シズクをにらみつける。彼女も負けじとにらみ返してきた。

 互いに、そんな時間すら惜しいことは自覚していた。


「……行くよ、わかってる。わかってんだ」

「……そうですね」


 意気消沈するスヴェンを見ないように視線をそらし、シズクは走り出した。リズを抱えるその後ろ姿に続く。重い足を、無理やりにでも動かす。

 最後に振り返ると、ちょうどタルボがバウマンを追って搭乗席コックピットへ乗りこむところだった。

 スヴェンは少しだけ足を止めた。


「タルボッ!」


 反応した一つ目レンズに映る自分の顔はきっと今、とんでもなく情けないものになっているだろう。

 けれど、願わずにはいられない。 


「頼む、タルボ…!」


 それはわらにではなく、たるにもすがる思い。


「その人を、死なせないでくれっ…!」


 そんな無茶な願いに対し、いつもと変わらぬ返事が聞こえた気がして、スヴェンは少しだけ身軽になった。一度だけ深く目をつむり、その場を後にする。バウマンの真意など、何一つ理解せぬままに。




 そして真意それは、すぐにやってきた。

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