8 甘え



 故郷ではずっと「お姉ちゃん」だった。

 ひとつしか違わない妹とはすごく仲良し。林の中にある実家の工房からおつかいに出るたび、双子だと勘違いしていた人が見つかるほどそっくりで、いつもいっしょ。

 大好きだった。妹もそう思ってくれているはず。ケンカなどしたことがない。だけど少し、疲れる時があった。

 引っこみ思案じあんな妹は勉強も運動も人付き合いもなかなかうまくやれず、自分の後ろをついてくるばかり。もちろんそれがうれしかったこともある。「お姉ちゃん」だという誇りが生まれた。

 しかし、その背中に浴びる視線が少し重荷でもあった。


 尊敬の眼差しは原動力にもなったが、時折ふと、自分も誰かに甘えたくなる瞬間があった。だけど、どう甘えていいのかわからなかった。近所の子どもたちもみんな自分より年下で、両親からの「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という常套句じょうとうくも心の奥に根付いていたのかもしれない。

 故郷が嫌いなんてことはなく、大好きだ。けれど家業を継ぐため、正式な魔導技師マギナーになろうと軍の魔杖機兵ロッドギアパイロット養成訓練部隊へ入隊する際、涙を浮かべて見送る妹には申し訳なかったけれど少しワクワクしていたのを覚えている。しばらく自分は「お姉ちゃん」でなくてもいいのだと。


 そしていざ、部隊の訓練に参加すると驚いた。自分より年下の人間がいなかったのだ。

 なんでも入隊するためには、軍人の場合は大師たいしクラスの推薦が必要であり、魔導技師マギナー志望の場合は仮免許に合格して数年の実務を経験していなければならなかったらしい。ならばなぜ、と思ったが、自分は特別枠だった。

 仮免許段階における筆記試験の優秀な成績に加え、実家が魔導技師マギナーの工房であることを特別に考慮しての結果。確かに家の手伝いはしていたが、保証してくれたらしい父もそれぐらい教えてほしかったところだ。

 かくして、慣れない環境でのもっと慣れない軍人生活は始まった。


 村の学校から転校するぐらいの気分だったから、最初は周りが大人ばかりで委縮いしゅくした。もちろん軍全体や魔導技師マギナーの平均年齢を考えれば比較的に若かったが、それでもみんな、いろいろな経験を積んできた「お兄さんお姉さん」だった。「お姉ちゃん」ではなくなったことが、思いのほか違和感。しかも数少ない同い年の二人の男の子がこれまた超優秀で、ホームシックに拍車をかける始末。

 そんな時に出会ったのが、サラだった。

 彼女は優しかった。同じく初めてこの訓練部隊に参加した立場だというのに、自分をいつも気遣ってくれた。実家が工房という同じ境遇の同性で、一番歳が近いというだけかもしれなかったが、それでも自分は彼女にずいぶんと救われた。

 そしていつしか、サラは自分にとって「お姉ちゃん」になった。


 いつも甘えていた気がする。話もいっぱい聞いてくれた、してくれた。

 本当は、ずっとこんな「お姉ちゃん」が欲しかったのかもしれないと思うまでになった。



――バンッ。



 だから、サラを失っても自分は、誰かに甘えることをやめられなかったのだ。



「……ここから先は、私が足手まといになるからね」


 降りる手段ロープを自らった井戸の上の人影が言う。それを井戸の底で聞き、フィーの心臓は止まりそうになった。

 奥底まで届く雨にうたれるのすらかまわず、首を伸ばして必死に顔を上げる。


「そんなことないっ! そんなことないよ、ケイト!」

「フィー、静かに。できるだけ時間は稼ぎたいの」

「! 何か、考えがあるんだよね? そうだよね!?」


 フィーは崩れかけの壁にしがみついた。ケイトにはきっと、ほかに逃げる算段がある。だからこうしたんだ。そう信じながらも、目からは大粒の涙があふれていた。

 こぼれる涙が雨と交わり、土で汚れた頬を洗う。

 彼女へ届くようにと、壁を叩く。


「答えてよ、ケイトッ!」


 フィーは叫んだ。すると、何かが落ちてきた。崩れかけの壁を叩いた衝撃でというわけではない。

 それは、ケイトが落としたこたえだった。

 クルクルと落ちてくるその小さな回転式拳銃リボルバーを両手でうまく受け取る。


「これは…?」

「それ、サラが持ってたやつ。借りといた」

「借りたって……」


 サラの持ち物なんかではない。武装していたのか、彼女は。それにケイトは、いつの間に借りてきたのだろう。


あっちの武器と比べたら骨董品こっとうひんだけど、まぁ我慢してよ。お守り代わりってことでさ」


 遠い人影が肩をすくめて続ける。


「残りの拾った武器は全部、私がもらうから」


 いなはない。最初からそういう話だ。


「ここでこいつらと、時間を稼ぐ。だから、あんたは走って」


 だけど、そんな話は聞いていない。


「行けるわけない! いっしょに逃げようよ、ケイト!」

「さすがにさっきの爆発でバレたはず。すぐに敵が来る。その先で追われても私は走れない。だったら、ここで時間稼ぎしたほうが効率的でしょ?」

「私がケイトを担いで走るから!」

「無茶言わないでよ」


 遠いし暗いしで、表情なんかわからなかった。けれど声は笑っていた。やっぱり、悲しそうだった。

 無茶でもなんでもいい。


「ケイトッ!」


 拳銃を置き、崩れかけの壁を掴む。足をかける隙間などほとんどなく、ごつごつした石の感触が手に刺さる。まるで高い壁が自分を拒んでいるようだ。

 そしてその感覚は、おおむね正解だった。登り始めてすぐのところで手足をかける石が同時に崩れてしまい、フィーはもんどり打つようにして地面へ倒れた。


「! フィー、ダメッ! ただでさえ危ないってのに、井戸ごと崩れたらあんた――」



――バシャンッ!



「じゃあ降りてきてよっ!」


 ズボンをぬらす水たまりへ拳を打ちつけ、フィーは立ち上がろうとした。しかしうまく力が入らず、そのままペタンと座りこむ。また怖くて腰が抜けてしまったらしい。

 そう、フィーは怖かった。


「こんなのやだ…」


 死ぬのが怖かった。初めて知ったのだ。


「こんなのやだよ、ケイト…」


 自分が死ぬのも、誰かが死ぬのも、こんなに怖いことだなんて。

 フィーはそばに落ちていたサラの拳銃を胸にかき抱いた。


「こんなの、私、もうやだっ…!」


 慟哭どうこく嗚咽おえつ。顔を伏せ、子どものように泣きじゃくるその姿はまるで、穴に落ちてしまって家へ帰れない迷子のよう。

 だからだろうか。


「……ねぇフィー、知ってる?」


 その声はどこか、子どもへ寝物語を聞かせるような、優しい声だった。


「どうしてヘンドリックスが、行けって言ったのか」

「え…?」

「だって別に私たち、仲良しってわけじゃないでしょ?」


 うぐ、とけいれん気味だった呼吸が詰まり、目頭の熱が一層強まるウルウル。何もこんな時に言わなくても。そんな幼い反応に、小さな笑い声が上がる。どうやら隠し通路からもれる明かりで、井戸の上からはこちらの表情が読み取れるらしい。


「ごめんごめん、意地悪で言ったんじゃないって。だけどほら、たとえばサラとのほうがフィーだって安心できたかもしれないじゃない?」

「それは、だって私、ケイトのところに行く途中だったし。それにケイト、足をケガしてるからって、ジンも……」

「あの性悪の方便ほうべんだよ。フィーがほかのところへ行こうとしてても、私がケガをしてなくても、絶対にあいつは同じことを言ったはずだね」


 どういうことだろう。疑問を覚えると、涙と呼吸が知らず知らずのうちに収まった。

 そして泣き虫な迷子の気を引いた語り部が、子どもがまた恐怖に囚われないようにとさらに言葉を紡ぐ。


「私がフィーといたら、って時にってヘンドリックスにはわかってたんだ。まんまとあいつの術中じゅっちゅうってわけ。ほんとムカつく」

「……わかんないよ、ケイト。どうしてそうなるの? だってさっき、ケイト、私のこと嫌いだって…」


 アクロバットな曲解。悲しい理由わけすら忘れてしまった泣き虫の得意技だ。フィーは再び目に涙をためた。

 ケイトがそれに取り合わず、再び気をそらすように話題を変える。


「私ね、花が好きなんだ」

「……花が?」

「キャラじゃないって?」


 ドキッ、とした分だけ首を激しく横へ。

 まるで犬のように赤毛を振り乱して水気を飛ばすフィーの姿を見て、ケイトは笑っていた。


「まぁそうだね、自分でもそう思う。けど、なんて言えばいいのかな……花に詳しいわけじゃないの。自分で育てたいわけでもないし。ただ、花を見るのが好きなんだ。だから本当はうれしかったんだよ、病室にあの白百合しらゆりを持ってきてくれて」


 気付かなかった、そんなの。迷惑そうにしていたから。

 だけど、サラが言っていた。ケイトは素直じゃないからって。


「戦場から無事に帰ったら、いつも花を見に行くんだ」


 今の彼女を見たら、サラはなんて言うだろう。


「……どんな花?」

「なんでもいいの。白でも赤でも、売られてるものでも道端に咲いてるものでも。気が向いたら花畑にまで足を運んだりしてた」

「部屋に飾ったりしないの?」

「しないよ。欲しいわけじゃないから。ただ、飽きるまで見て……なんか泣けてきたら、帰るんだ」


 フィーは目が点になった。


「好きなのになんで泣くの? 感動して? それとも、辛いことを思い出しちゃう?」

「さぁね、自分でもわかんない。ただそこにあるってだけで泣けてくるんだ。おかしな話だよね」


 遠い人影がクツクツと揺れる。

 フィーはふと、手を伸ばした。


「ねぇフィー、私はさ……兵士だったけど、戦う理由なんてこれっぽっちもなかったんだ」


 ケイトのそばに行きたかった。


「守りたい人なんていなくて、むしろくたばれって思ってたぐらいで。なんで私がこんなことって、昨日まで隣にいたやつらが死ぬたびに思ってた」


 けれど、そこには行けない。


「汚いこともいっぱい見てきた。されたし、してきた。私の世界はいつもだった」


 井戸の縦穴の長さよりも遠く深い何かが、自分とケイトの間にはあった。


「それでもさ、花は咲いてるんだ。それがすごくきれいでさ」


 深い溝。越えられない境界線。


「私はただそれだけで、生きようって思えたの」


 それは今もなお、二人の間に横たわっていた。


「……だからフィー、あんたは生きて」

「え?」

「全部忘れて、幸せに生きなよ。誰もあんたを恨まない。もしで恨むやつがいたら、私がぶっ飛ばすからさ」

「ケイト、何、言って……」


 その時、やっとフィーは気付いた。思いつきでしているわけではない。ケイトはもっと前から、死ぬ覚悟だったのだ。

 自分フィーという花を守るために。


「……やだ」


 フィーは納得できなかった。


「そんなのやだよ、ケイト! 私、そんなのじゃない!」

「……フィー…」

「いっしょに生きようよ! 私は――――私、もう無理だよぉ…!」


 目からは熱を帯びる涙。口から情けない涙声。高潔な女性に比べてあまりにも子どもな自分が恥ずかしくなり、両手で顔を覆う。

 だからその声は、くぐもって井戸の中に響いた。


「ケイトがいてくれなきゃ、私……もう歩けないよぉ…」


 届いただろうか。届いて、しまっただろうか。軽蔑けいべつされた、嫌われたかも。


「……フィー、私は…」


 そしてすぐに、フィーは悟ることとなる。


「……ケイト?」

「私、本当は……」


 、と。


「本当は……リーの、ことが――」



――バンッ。



 少し震えていた声が途切れ、世界が遠のく。

 記憶にある音。それも、真新しいもの。一瞬だけ真っ白になった頭の中にすぐ浮かんだ。

 それは、サラの命を奪った音。

 だが今度は、その一回では終わらなかった。


「ケイトッ!」


 叫びに応じるような銃声。雨音をかき消す銃撃戦。フィーは顔を真っ青にしながら跳ねるように立ち上がり、自分を拒む壁へとしがみついた。すると、また新しい音。



――バシュッ。



 魔素粒子銃エーテライフル。それは、生半可な遮蔽しゃへいなどものともしない代物。その証拠にパラパラと降る雨粒と砂にまぎれ、井戸のふちを固めていた大きな石が崩れて落ちてきた。

 とっさに頭を抱えてしゃがむと、落石が水たまりに落ちて派手な水音が上がる。それと、ほぼ同時。



――ボォンッ!



 今度は手りゅう弾。だが、音と揺れは少し遠い。ケイトが使ったんだ。拾ってきた二個のうちのもう一個。おそらくかき集めた武器の中で最も威力の高いもの。

 それを、使。嫌な予感が全身を駆けめぐる。

 まさか、今のが最後の――


「フィー、逃げてっ!」


――引っこんだ人影が再び姿を現し、ヘナヘナと膝から崩れ落ちる。良かった、ケイト。無事だ。


「立って! 走って! 早くっ!」


 切迫感せっぱくかんあおる矢継ぎ早の絶叫に、思わず体が反応。

 しかし、フィーはその場に踏みとどまった。


「ケイト、飛んでっ!」


 両手を広げる自分の姿に、井戸の上の人影が絶句するのがわかる。


「バカ言わないで! 無理に決まってんでしょっ!」

「私が受け止めるよ!」

「いい加減にして! 今の状況わかって――」

「だったらいっしょに死ぬ!」

「――っ!?」


 フィーはもう、自分が何を言っているのかわからなかった。

 ただ、ケイトと離れたくない。その一心。


「ここで、私も死ぬから!」


 決意も覚悟もなかった。


「フィー、あんたっ…!」

「いっしょに死のうよ! ね!?」


 ここで逃げても結局、殺されるかもしれない。そんな恐怖を抱えながら逃げるのなんて無理だ。耐えられない。

 死ぬのも怖い。だけど今ここで、ケイトといっしょなら。そう思った。


「ケイト、私を――」


 曇る目。引きつる口元。


「――独りにしないで…」


 ケイトがお似合いだと言い、太陽にまでたとえてくれたものとはかけ離れた笑みを、フィーは彼女へと向けた。留守番を嫌がる子どものわがまま。泣いてもダメだと本能で悟った小癪こしゃくな手段だった。

 それに、人影は揺らいだ。


「ケイト、お願い。ケイト、ケイト――――」


 甘えた声で何度も名を呼ぶ。もう一押しだと、卑怯で幼い自分が言う。

 それを押し返したのは、しかりつけるような声だった。


「サラの死を無駄にする気なの!?」


 ビクッ、と震える肩。止まる呼吸。見開く目。

 心臓を、わし掴みにされた。


「————あんたのせいで死んだんだっ!」


 気が遠くなるほど重い沈黙を破り、ケイトが明確に責める。

 フィーはずっと握っていたサラの銃を放心しながら見つめた。


「サラだって死にたくなかった! 本当はあの時、私たちに駆け寄りたかったはずさ! でも、あいつはそうしなかった! なんでかわかる!?」


 がなり立てる声。いつの間にか、遠ざかっていた雨。


「あんたがそんなグズだからだよっ!」


 そうかもしれない。そんな気がしてきた――――いや、きっとそうなのだ。

 本当はわかっていた。見て見ぬふりをしていただけ。だから、これほどはっきりと言われて、フィーは傷つくはずだった。しかしなぜか、心には傷ひとつない。

 どうして。サラの銃を胸に抱きながらフィーは不思議に思った。

 そして、すぐに気付いた。


「この人殺し! 死んじまえっ!」


 やんだと思った雨粒が頬に当たる。だけど、温かい。


「お前のせいだ! さっさと消えろっ!」


 投げられた小石が手に当たり、そしてその傷をいやすような、温かい大粒の雨。


「お前なんか消えちまえっ!」


 ケイトは泣いていた。せきを切ったような涙が雨となり、フィーに降り注いでいた。

 心が流す透明な血。自らの心臓へ突き立てる、ナイフの痛み。

 彼女の叫びは、悲鳴だった。


「死んで詫びろよこの人殺しっ! 消えろ、消えちまえっ!」


 その悲鳴を上げさせているのは――――自分だ。


「――――さっさと消えろっつってんだろ、このグズ女っ!」


 よろりとふらつき、フィーは回れ右をして瓦礫がれきによじ登った。やけに明るい通路へと転がるように身を投げ出し、すぐ立ち上がって走り出す。いまだやまないケイトの追い立てる声に背中を押されて。


「死ね――――っ! 死んじまえ――――っ!」


 もういい。もういいよ。


「消えろ、消えろ――――っ!」


 ごめん、ケイト。ごめんなさい。

 だから、もうやめて。


「消えちまえ――――っ!」


 フィーは走り続けた。彼女の心の悲鳴が聞こえなくなる遠くまで。心で流すその血の涙が、れる前にと。軽蔑けいべつ嫌悪けんおもなく、最後まで想ってくれた彼女の上衣ジャケットを握りしめながら走った。

 ただただ必死に、己への絶望に足を取られぬよう、泣きながら走り続けた。

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