7 ここでお別れ


『スヴェンには教えてないけど、俺はあいつを昔から知ってた。誰よりも強くて、誰にもこびへつらわない、スラム街に住む一匹狼の東方系人種イースタニアン。周りの顔色をうかがいながら生きてた孤児の俺にとって、同い年のそんなあいつは憧れだった。あっちは有名人で、俺は遠くから見てるだけだったけど』


 だからなんだ。みっともない自分語りをするな。


『まぁ聞けよ。それから俺は、あいつが徴兵されるのを知った。街は悲喜こもごもだったな。喜ぶやつもいれば悲しむやつもいた。俺も後者だったが、あいつはそんなことおかまいなしさ。戦う場所が変わるだけ。そんぐらいの認識だったんだろうよ。あいつには、味方なんかいなかった。誰よりも強いあいつは、そんなもの必要としなかった』


 そうだ、やつは正しい。強さがあれば味方そんなものなど必要ない。


『……けど俺は、味方それになろうとした。なりたかったんだ、どうしても。あいつの隣に立ってみたかった。だから俺は、あいつと同じ部隊に配属されるよう裏で手を回して、軍に志願した。そして俺はそのことを黙ったまま――――あいつの、相棒になれた』


 気持ち悪い。まるでストーカーの罪の告白のようだな。


『そう思われても仕方ないけど……せめてを付けろよ、ストーカー野郎』


 なんだと。


『同じ穴のムジナだって言っただろ? お前は、あいつを必死に追いかけてたころの、みっともない俺にそっくりさ』


 違う。そんなはずはない。


『友だちになりたかったわけじゃないって? まぁそりゃそうだろうけど、そういうことじゃねぇんだよ。あいつの周りにはいつも、好意と敵意があふれてた。まるであいつに引き寄せられるように、誰もがあいつには無関心でいられなかった。大きなうずみたいに、好意と敵意が周囲でうねってた。その中心でいつも……あいつは、独りだった』


 黙れ、黙れ。


『俺たちはただの裏表うらおもてさ。無関心でいられないどころか、あいつの無関心が許せなかった者同士。違うのはそれが、好意か敵意かってだけ。こんなにしつこいのなんて俺らぐらいだろ? あいつにとっては迷惑な話かもだけど』


 もう黙れ。


『きっとこれからあいつは、多くの味方と出会う。それと同じぐらい、多くの敵とも出会う。小さな街にいたままじゃ出会えることのない大勢の人間だ。あいつも無関心のままじゃいられなくなる。きっとあいつは、そういう大きなうねりの中心にいるんだ』


 やめろ。


『……俺は、お前だったかもしれない。お前は俺だったかも。ちょっとした方向性の違いさ。けど結果として、あいつは俺には背中を預けてくれて、お前には背を向けた』


 ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ。


『アルフレッド、お前はあいつの眼前に立ちはだかりたかったんだろ? ただ一人の敵として。俺も、あいつのたった一人の友だちになりたかったんだ。そして、俺はなれた。だけどお前は……』


 ヤメテ。


『……所詮しょせん、その他大勢の敵のうちの、一人に過ぎない』


 ヤメテ、クレ。


『――――アハハハハハハッ! なぁアルフレッド! お前、本当は俺のことがうらやましかったんだろ!? そんなお前に、俺はずっと同情してたぜ! そして今も、そんな大層なものまで持ち出してきて、先輩たちまで殺して――――……いい加減、もう諦めろよ。スヴェンはお前なんざ眼中にねぇんだよ』


 ウバワナイデ。


『かわいそうにな。俺がここで死んでもこの先、まぁ本当はそれじゃダメなんだろうけど、あいつが背中を預けられるのはきっと俺だけさ。けど、お前は違う』


 クサビ。シルベ。イカリ。クサリ。カセ。ジュウジカ。

 ダレカ――


『お前がいつ、どこでどうやって死んでも、あいつはすぐに忘れちまうよ』


――スヴェン。


『つまりだな……まぁ、何が言いたいかっつーと――』


 イヤダ。


『――ってことさ』


 イヤダイヤダイヤダイヤダ――――






「――――イヤダァァァ――――ッ!」


 グシャ。ベキッ。バキャッ。グチャリ。ガツッ。ガガガンッ。

 ガンガンガンガンガンガン――――



「――――ひどい、こんなの…」


 倒壊した武器庫。その瓦礫がれきの下敷きとなるいくつもの死体を見て、フィー・ヴァレンタインは久しぶりに声をこぼした。

 それを聞きとがめたのは、この場にいたもう一人の生存者であるケイトだ。


「感想を口にするより黙って手伝いな」


 冷たい物言い。それにわずかな反発心も起こさず、フィーは言われたとおりにすぐ口をつぐんだ。今は余計なことをしゃべってはいけない。そしてそそくさと、瓦礫がれきの前でしゃがみこむケイトのそばへ近寄る。

 くくった黒髪と、白い肌着シャツに黒いズボンの後ろ姿。夜はまだ肌寒く、嵐は治まったものの雨は降り続けているというのに、ケイトは薄着だった。彼女の軍服である黒い上衣ジャケットを自分が着ていたからだ。もちろん奪い取ったのではなく、自分の軍服と交換。

 病室で渡した――というより奪われた――あの黒ローブはどこへ行ったのだろう。


「……ねぇケイト、これ――――っ!?」


 ケイトのすぐ後ろに立つと、フィーはおもむろに上衣ジャケットを脱ごうとした。彼女に返そうとしたのだ。それは雨でびしょぬれになった彼女の姿に同情したからではなく、また自分が身に着けていることに罪悪感が湧いたわけでもなく、ただのご機嫌取りに近い。余計な質問は、彼女の機嫌を損ねてしまうと思ってできなかった。

 しかし結局、それも失敗に終わる。


「あんた、また腰抜かしてんの?」


 不機嫌そうにこちらを振り返るケイト。水たまりから跳ねた泥がかかったことに殊更ことさら怒っている様子はない。良かった。フィーは安心して、尻もちをついてしまった水たまりから腰を上げようとしたが、また固まってしまった。

 ケイトがに戻ったからだ。


「ケイト、いったい何を…?」

「死体漁ってんのよ。見ればわかるでしょ」

「それは……そう、だけど…」

「何? だとか言う気?」

「いや、そんな……」


 何も言えずに押し黙る。自分はそんな偉そうなことを言える立場にない。それに、そんなことを言っている場合ではないというのもわかる。しかし、を手伝うのは無理だ。

 だけど、やらなきゃ見捨てられる。泣きそうになるのをこらえ、震えるくちびるをギュッと強くかんだところで、ケイトがこちらに背を向けたまま言った。


「あんたはそっち。瓦礫がれきの下」

「え? でも……」

「私は足ケガしてんだから、あんたが担当なのは当然でしょ。なんでもいいから武器が落ちてないか見てきて。たぶん、回収してから爆破したんだろうけど。おびき寄せてからドカンなんてやることがえぐい……それに、基地の区画配置を知り尽くしてなきゃ、とても……」


 盛大に歪む表情を見て、フィーは大げさなほどに肩をビクつかせた。それに横目で気付かれ、続く小さな舌打ち。


「死にたくなきゃさっさとしな」


 まるで銃でも突きつけながら言うセリフ。実際、フィーの心持ちはそんな状況だった。


「うん、わかった…」


 粛々しゅくしゅくと従うも、足取りはトボトボ。でも、余計なことは言わない。従順に、従順に。

 まるで怯えたペットのように、言うことを聞きながらもビクビク離れていくフィーの背中へ、ケイトが注意を促す。


「そっちにも死体があるだろうけど、見なくていいから」


 フィーはやや驚いた。「くまなく漁れ」とでも言われるかと思ったのだ。

 しかしそれは、優しさというわけではなかったらしい。


「中で下敷きになってる連中は、たぶん武器がないから武器庫に入ったんだろうし、漁っても時間の無駄だから。まぁ、外のやつらも今のところ同じようなもんだけど」

「で、でも、もしかしたら、生きてる人がいるかも…」

「生き埋めになるほどの倉庫じゃないし、ご丁寧にとどめを刺して回ってるみたいだよ。全員、頭に一発ずつ――――ズドン。確認してみたら?」


 血の気の引いた顔を横へ振る。

 振り乱れる赤毛が水しぶきを飛ばし終わった時、ケイトはこちらへ向けていたその冷たい視線を外して、死体漁りへと戻った。


「あんたもこうはなりたくないでしょ?」


 だから、つべこべ言わずにさっさとやれ。でないと、置いていく。そんな意図を己の中だけで解釈し、フィーは今度こそ駆け足で瓦礫がれきのほうへ向かった。慎重に足をかけ、必死に手でかき分ける。


(武器……武器…!)


 ずっとこんな調子だった。

 ケイトは冷たいが指示は的確で、敵との遭遇を回避できていたのは彼女のおかげ。フィーはただ、黙って付き従うだけ。ビクビクと常に怯えながら。


(見つけなきゃ、武器…!)


 何度か足を引っ張る場面もあっただろう。そのたびに、置いて行かれるのではと怖くなった。足手まといとして見捨てられると思った。

 それはすなわち、自分の死を意味した。


(見つけないと、見つけないと…!)


 生殺与奪せいさつよだつの権利を握る主と奴隷どれいはたから見れば今の二人は、そんな関係。

 けれどフィーはその間だけ、サラを失った悲しみと、そして道端に死体がいくつも転がっているという非現実的なこの状況と、向き合わずに済んでいた。




 そして数少ない武器を回収してから、フィーはケイトとともに病室の裏手の枯れ井戸へとやってきた。囲いも何もない、石造りの古びた井戸。ここがジンの言っていた脱出口。

 、卒業試験で使われた古城の地下へとつながる秘密の経路。、出口として作られたこちら側からは開かない秘密の扉。まったくもって不確定要素ばかりの逃げ道。本当にあるのかどうか疑わしい。

 しかし、なかったらもうだ。


「とにかくここに、賭けてみるしかないね…」


 隣でいっしょに暗い井戸をのぞき込んでいたケイトが言う。

 実はここへ来るまでに、二人でほかの逃げ道を探っていた。結果として、時間を無駄にしてしまっただけだった。

 車のタイヤには穴を開けられ、外側を見張るはずの門番は内側に。通信は使えず、訓練用の魔杖機兵ロッドギアを収容している格納庫の周りは敵だらけ。そのおかげで運良く自分たちはまだ見つかっていないが、おそらく時間の問題だろう。病室に来た二人の男が言うように、格納庫が片付けば次は生き残りをしらみつぶしに探すはず。

 だからもうジンを信じるしかない。それが、ケイトの出した結論だった。


「それにしても、どうしてこんなところ降りようと思ったんだか」


 ケイトが手ごろな石を拾い、井戸へと投げ入れる。暗闇の中へ消えて数秒もたたずに、バシャッ。浅さを知らせる小さな水音。

 ボチャンとたまっている水に落ちたのではなく、どうやらいまだ降り続けるこの雨でできた小さな水たまりを跳ねさせたらしい。この夜の嵐で水がたまっているかもと心配したが、その必要はなさそうだ。しかし、意外と深い。


「誰かが滑って落ちちゃった、とか?」

「もしそうだったらもっと大事になってると思うけどね」


 確かに、この深さだと怪我だけでは済まないかも。フィーは首をすくめ、のけるようにして深い穴から視線を外した。暗い夜だから不気味さも倍だ。

 間違って落ちないように距離を取ろうと一歩下がれば、その背中を何かが止める。松葉杖だ。井戸のふちへ腰掛けた怪我人が無作法にそれを使い、そのままこちらの背中をポン。


「それじゃ、行ってきて」

「え?」

「え、じゃなくて。まずは扉があるかどうかの確認でしょ? こいつを使うのはそれから」


 ケイトが暗闇の向こうで何かを掲げる。手のひらに収まる程度の、縦長の丸いボールのようなもの――――手りゅう弾。よく見えなかったが、自分が瓦礫がれきの下から拾ったものなので予想はついた。

 続けざまにポイッと渡されたのは、道中で回収していた訓練用のロープ


「あそこの柱にでも縛りつければいけるんじゃない? ほら、早くしなよ」

「で、でも……っ!?」


 臆病風おくびょうかぜに吹かれた尻を叩くのは、やはり松葉杖だった。


「私の言うことには絶対服従だって言ったよね?」


 その言葉を聞き、慌てて作業へ取りかかる。もはや条件反射だ。そして柱に巻きつけたロープで結び目を作り、フィーはそこへ体を通して訓練さながらに井戸の底へと降りていった。

 下降器なしの降下訓練。その時も怖い思いをしたが、この状況と比べればあんなこと、どうということはなかったのだと気付いた。


 井戸の底はかび臭かったがそこまでの悪臭はなく、本当に井戸として使われていたのか疑わしいほど。フィーはそんなことを考えなら水たまりのできた地面へ着地し、石で固められた壁を手の感触だけで探ろうとした。真っ暗で何も見えないだろうが、何かしらの手がかりはあるはず。

 しかし、探すまでもなかった。真っ暗ではなかったのだ。

 一部の壁の下を線のように照らす光。おそらくジンが言っていた隠し扉の下の隙間からわずかにもれているのだろう。その淡い緑光はどこか、魔素粒子結晶エーテクリスタルを加工する実験室のものとも似ている気がした。


「最後のくだりはどうでもいいけど、とにかく隙間があるってことね」


 つい魔導技師オタクが出てしまったフィーの報告をあっさりとまとめ、ケイトは熟考するでもなくすぐに手りゅう弾を取り出した。


「それさえわかれば、やってみる価値は十分」


 間近でとらえる不敵な笑み。ぶら下がったままの体勢から、慌てて井戸のふちへと身を乗り出す。


「ケイト待って! それで扉が吹き飛ぶかわかんないし、井戸がもし崩れでもしたら……それに、音で敵にばれちゃうんじゃ…?」

「いずればれる。時間はもうない」


 ピンッと留め具を外す、小気味良い音。


「やらずに死ぬより、やって死ぬさ」


 井戸へ向かって手を振るケイト。雨を弾きながら、ゆっくりと弧を描く手りゅう弾。いまだ井戸のふちにまたがっていたフィーはその放物線とすれ違い、一瞬だけ目を奪われた。

 その遅れを取り戻すように、耳をふさいで伏せるケイトのそばへ身を投げ出しながら滑りこむと――



――ボフンッ!



 鳴動する地面。

 暗い穴からくしゃみのように吐き出された泥が、雨にまぎれて降ってくる。


「……さて、どうなったかな。崩れはしなかったみたいだけど」


 やはり強度が普通の井戸のそれでは――――なんてことよりも。


「ケ、ケイト…! やるならやるで、もうちょっと待ってくれたって…!」

「つべこべ言ってないでさっさと確認に行きな」


 シッシッ、と手をぞんざいに振られ、フィーは何も言い返せずに肩を落とした。ロープはそのままだったのですぐに行けるけども、ちょっと納得いかない。


(でも、これならもしかしたら……)


 ロープを強く引っ張る。太い柱とつながる、確かな手応え。良し、行ける。慎重にふちへ足をかけて降下開始。

 体に巻きつくロープを調整しながら、壁を伝って降りる。先ほどよりもその速度は上がっていた。危険だ。しかも、雨でぬれて滑りやすくなっている状況。もしこれが訓練ならば教官から雷を落とされていただろう。しかし、フィーははやる気持ちを抑えきれなかった。

 もう少しで、助かるかもしれない。


「――――っとと…」


 背後の扉部分へ注意を向けていると、いつの間にか足が地面に。注意散漫、そして訓練でも見せたことがないほどの速度で降下したというのに無事だったのは、ひとえに運の賜物たまもの。そして賜物それが、もうひとつ。

 井戸の奥まで届く雨粒がホコリと砂煙を徐々に晴らしていき、視界を確保したフィーは背後を振り返った。


「! あった……あったよケイト!」

「ホントに!?」

「うん! ジンの言ってたとおり!」


 壊れた扉が瓦礫がれきとなり、少し崩れていた壁も積み重なってその光がもれ出す通路を半分ほどふさいでいる。しかし門戸は広く、人が通るには十分な隙間だ。ケガ人でも瓦礫がれきっていけば簡単に乗り越えられるはず。

 フィーは上に向かって呼びかけた。


「ケイト、早く行こう! すぐに降りて……」


 そうだ、ロープがなければ降りられない。フィーはすぐに体を固定しているロープを外そうとした。

 焦ってまごついていると、上から緊張感のない声が。


「そんなに急がなくてもいいよ」


 何を言っているんだ、まったく。


「急ぐよそんなの! だって、ケイトは足が悪いんだから降下もうまく……あ、戻って補助したほうがいいかな!?」


 敵がすぐそこまで来ているかもしれないということも忘れて、フィーは無意識に声量を上げていた。これで助かると思って興奮していたのだ。

 そんな彼女を、ケイトは決して怒らなかった。


「大丈夫。そのまま行って、フィー」


 それどころか、今までの冷たい物言いはなんだったのかと問い詰めたくなるほどに、優しく名前を呼ぶ。

 急いで上へ戻る準備をしていた手がピタリ。おかしい。何か変だ。

 それに今、なんて言った。


「『行って』って……ケイト、何を――」



――シュルルッ……パシャッ。



「――え…?」


 視線が、上から下へ。呆然と開く口。

 ロープが、水たまりに落ちた。


「ここでお別れ」

「……ケイト…?」

「行って」


 繰り返された短い命令。静かな願い。雨音が、遠い二人の間で鳴り響く。

 従わなければ。彼女の言うことに。


「……ケイト、なんで?」


 でないと、置いていかれる。


「私、言うこと聞いたのに……なんで、置いてくの?」


 だけどこれじゃ――


「置いてったりなんかしないよ、


――置いていくのは、

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