6 VS.赤い機体②

 細い、一筋の光。天へと昇る神の槍。それは落ち始めていた二つの光球の間をすり抜け、空に穴を開けるがごとく重たい雨雲を吹き飛ばした。

 そして凝縮されていた砲弾のエネルギーも、それに追随した。



――ゴォ――――ッ!



 吹き飛ばされた魔素粒子エーテル奔流ほんりゅうとなり、雨雲の向こうへと消えた槍を追う。それはまるで、空の穴をふさぐ光の柱のようだった。

 それから、一瞬のとき。光の柱と雲の穴が衝撃波の広がりに合わせ、その形を大きくしていくのをの当たりにしながらも、バウマンの目にさらに信じられないものが飛びこんできた。



――ピッ……。



 線が世界を縦に分かつ。天へと至った神の槍が、地上へ舞い戻る。もしくは、神の手元から再び投げられたのかもしれない。

 いずれにせよ、脳天から貫かれた馬頭ナイトのパイロットはもう、否応いやおうなしに絶命していることだろう。


追跡ホーミング機能――――)


 部下を失った悲哀、怒り。死への恐怖。

 それらよりも早く届いた衝撃波に吹き飛ばされながら、バウマンのどこか冷めた思考はその一瞬のときの最後に、そう分析していた。




 そして今度は、意識を失うことはなかった。


「く、うぅ…!」


 頭が揺れ、背中には痛み。飛び散った機材の破損部位による外傷だけでなく、骨や内臓のそこかしこにダメージが蓄積されているものの、記憶は続いている。

 胸に食いこむシートベルト――うつ伏せになっているルークの搭乗席コックピットで、前方へ自然落下しそうな体を支えてくれていた――の痛みをこらえながら、魔杖機兵ロッドギアの操作。ひとまずルークの体勢を整えなければと思ったのだが、どうやら難しそうだ。



――純物質装甲アンチエーテルフレーム損傷率九十パーセント、魔素粒子エーテル大量流出。魔力場マナフィールド形成維持不可能。



魔素粒子循環駆動エーテリングドライブシステムが使え……いや、文字列回路ルーンサーキットごとやられたか…)


 赤く点滅するモニター以外にうんともすんとも言わなくなったルークを諦め、バウマンは操縦桿を引き抜いた。霊的人工知能SAIとの接続もとっくに切れており、すんなり鍵杖キーロッドとして手元に収まる。強制同調切断シンクロシャットダウン。ひどい頭痛の原因でもあったが、意識を失わなかったのはこれのおかげかもしれない。

 そして慎重にシートベルトを外すも、体をうまく動かせない現状では自分の巨体を支えきれず、何も映さずにただの地面となっていたスクリーンへとそのまま盛大に叩きつけられた。もともと入っていた画面のひびがさらにピシッと広がる。同時に、水もパシャリ。


(水……あそこか)


 探し当てた浸入箇所の向こう側には、水のたまる地面。開閉部ハッチの歪みで生まれたその隙間は、自らの巨体でもなんとか通れる程度。運が良い。


「すまん、ルーク……私はまだ、お前の揺りかごで眠るわけにはいかない…」


 バウマンは救難信号のスイッチだけを押して、暗い搭乗席コックピットからい出た。泥水をすすった先に広がるのは、と同じ光景。

 超魔導投射砲エーテレールガンが放つ神の槍。暗い夜を払うこの大量の魔素粒子エーテル残滓ざんしは、もしかしたら魔法の痕跡こんせきなのかもしれない。


(……どうでもいいか、今は)


 ぬかるんだ地面を手で押し、足に力を入れて立ち上がる。

 全身がきしんだ。立ちくらみまで。そして、どこかから流れ出す血がドロリと水たまりへ混じる。痛みは、左足から。何かの破片が突き刺さっていた。

 バウマンはそれを抜かず、ぼろぼろになって倒れているルークの横を通り過ぎて歩き出した。


「ホワイトフォー、応答を」


 鍵杖キーロッドの通信機能を使って呼びかけるも、返事はなし。

 雨はやんでいた。見上げれば、星の光よりも間近に淡い緑光のかたまりがいくつもフワフワと漂っていた。


「ヘンドリックス、聞こえるか?」


 片足を引きずり、膝元まで水かさのある道の真ん中を進む。両側には大きな斜面。

 そこは、一撃目の超魔導投射砲エーテレールガンが作った荒野を分かつ川だった。とっさに機体を投げ出して塹壕ざんごう代わりにしたのだ。おかげでなんとかバウマンは一命を取り留めていた。

 その結果、自分だけになってしまった。


「……応答してくれ…」


 部下は死んだ。死なせたくないと思った若者たちだった。自分はまた、守れなかった。

 スズサユリの時と、同じように。


「――――頼む、ヘンドリックス…!」


 足を引きずり、歯を食いしばり、バウマンは叫んだ。荒い呼吸ごと吐き出すと血のかたまりが飛び出て、不安定な足取りも泥水にさらわれる。

 それでも、バウマンは進んだ。


「生きていたら……頼むから、返事をしてくれっ…!」


 誰も失いたくない。そんな、ありきたりな願い。

 きっと聞き届けられることはないだろう。失うばかりのこの世界で、そう願う人間はごまんといるのだから。

 だからもし、その叫びをなにかが聞き届けたとするならば――



――ザザッ…。



『……きょ、う……かん…?』

「! ヘンドリックス!」


――それは加護か、悪戯いたずらか。


「無事か!? 今どこだ!?」

『い、ま…? ここ、は……俺、なんで、搭乗席コックピットに…?』


 混乱させるのはまずい。バウマンは息を整えた。


「ルークの救難信号は拾えるか? そこからの距離と方角を教えてくれ」

『ルーク……え…?』

「大丈夫だから何も考えるな。今はただ、言われたとおりにするんだ」


 浅い呼吸、途切れ途切れの言葉。自分よりも重傷なのだろう。『はい…』と返事をするのもつらそうだ。すぐに助けなければ。


「どうだ、拾えそうか?」

『……ダメ、みたいです…。何かが信号を、阻害して……レーダーの、調子も…』


 バウマンは苦渋に満ちた表情を上へ向けた。淡い緑光のかたまり、残留魔素粒子エーテル群。またこいつらか。

 しかし、通信の届く範囲にはいるはず。


「機体状況は? 動かせそうか?」

『視界は、やられていません……機能もいくつか、生きています…。けど、内部魔素粒子エーテルが全部外に流れたみたいで、エネルギーが…』


 純物質装甲アンチエーテルフレームが削られたか。見たかぎりではルークほどの損傷は負っていなかったようだが、長く放置しすぎたのだろう。おそらく、出血多量エネルギーぎれによる失血死きのうていしもすぐそこ。


「なら、脱出はできそうか?」

『……すみません。体が、言うこと聞かなくて…』

「わかった。大丈夫だ、すぐに行く」

『教官…』


 泥水を蹴り上げ、バウマンは歩を速めた。流れる血とぬれた服が体温を奪う、片足を引きずっての強行軍。だが、その意志は何よりも固かった。

 絶対に助ける。


『……怒らないん、ですね…』

「何をだ?」

呼び…。大師たいしだ、ってスヴェンには、怒ってたじゃないですか…』

「別に怒ってはいない。あれは注意だ」

『ハハッ……教官って、いつも顔、怒ってるから、わかりづらいんですよね…』


 その軽口を、バウマンはとがめなかった。しゃべらせないほうがいい気もしたが、意識をしっかりもたせたほうがこの状況ではいいかもしれない。なるべく刺激しないように。

 そう思いながら進み続けるも、次のジンの言葉に心臓が跳ね上がった。


『……ナイトと、ビショップ――――先輩たちは…?』


 落ち着きとともに記憶も取り戻したらしい。動揺を悟られないように間髪入れず、バウマンは言い切った。


「無事だ。もう戦域から脱出した。あとはお前だけだ」


 良くも悪くも慣れている。は。


『……そう、ですか…』


 かつての記憶。娘の安否をうれう、腕の中の妻。彼女が自分のウソにだまされてくれたことは、その安らかな死に顔を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

 しかしこの教え子は、だまされてくれそうにはなかった。


『教官…』

「なんだ?」

「……俺、スヴェンと、ケンカしちゃったんですよね…』

「? お前、急に何を…?」

『言わなくていいことまで、言っちまって……ごめんって、言う暇も、なくて…』


 何か、言わなければ。バウマンはとっさにそう思った。あのジンが、涙で声を震わせていたから。


『……に、なるんなら――』


 しかし、何も言えなかった。

 頭のどこかで理解していた。


『――仲直り、しとくんだったなぁ…』


 ジンはもう、ということを。



――バシャッ!



 折れた心が足をくじき、泥水を顔から被る。

 痛みを思い出す体。間近で混じり合う赤色。出血量が多い。

 自分もここで果てるのか。こんなところで。

 それも、いいかもしれない。


「……あいつは、意外と素直だからな」

『? 教官…?』

「お前が一言謝れば、簡単に許すさ」


 やっと、妻と娘に会える。バウマンは泥水から顔を上げながらそう思った。


「だから、仲直りでもなんでもすればいい」


 汚泥おでいを握りしめ、鍵杖キーロッドを突き刺す。それを支えに、傷だらけの体を起き上がらせる。

 そんな自分を笑う。


『でも、俺はもう…』

「諦めるな」


 どの口で。思っていることと真逆ではないか。


「絶対に、助ける…!」


 諦めの悪い男だと己をあざけり、泥水に取られる足を引きずって、バウマンは再び歩き出した。一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと前へ進んだ。その先が正解かもわからぬまま。

 ジンはしばらく無言だった。通信に障害が出たわけではない。ただ、何かをこらえる雰囲気が、静寂の中で不思議と伝わってきた。

 そして、聡明な教え子は言う。


『……もういいです、教官』

「ヘンドリックス、まだ――」

『来ないでください』


 バウマンの心はもう折れなかった。


「諦めるな! 必ず助ける、お前を死なせはしない!」

『違う。違うんです、教官…』


 だから、足をくじくことなどないはずだったのに――



――ズシィンッ…!



――バウマンは、体勢を崩した。


『……が、来ちまったみたいです』


 揺れる大地。不安定な足元。そして、巨大な足音。

 腰まで水にかりながらも必死に叫ぶ。


「逃げろヘンドリックス!」

『教官こそ、今のうちに遠くへ……いや、基地へ。まだ間に合うかも』

「それは……」


 もう無理だ。機体あしも、体力もない。そんなことをバカ正直には言えなかった。

 そのためらいを、ジンは自分を切り捨てられないのだと勘違いしたらしい。


『俺はもうここまでです。やっこさん、どうやら入念に俺のこと殺す気みたいで。こんなボロボロの機体に、あんな敵意むき出しで向かってくることないだろうに…』


 半ば笑いながら『恨みでも買ったっけ…?』とジンが付け加える。

 ゆっくりと近付く巨大な足音。とんがり頭の赤い機体だろう。そしてパイロットは、アルフレッド・ストラノフ。おそらく、まだガンバンテインのパイロットをスヴェンだと勘違いしているに違いない。

 だが、それを伝えたところでなんだというのか。気付こうが気付くまいが、そんなことなどおかまいなしにジンは殺されるだろう。バウマンはくちびるをかんだ。どうすればいい。

 そんな自分の迷いを見抜いたような、明るい声だった。


『生意気だ、ってまた先輩に言われそうですけど、後は頼みます。それと、できれば……また勝手だとかなんとか、言われそうなんですけど……』


 無理をしていることはわかった。


『……フィーを、助けてやってください』

「? ヴァレンタイン、を…?」


 かといって、どうしようもなかった。


『俺は、スヴェンあいつを……』


 だからバウマンは、聞いていることしかできなかった。


『……もう二度と、独りぼっちにさせたくないんです』


 彼の、最後の願いを。


『ハハ……なーんて、変なお願いしてすみません…。それから――――あなたの元で学べて、光栄でした』

「っ! 待て、ヘンドリックス!」

『お元気で、大師たいし


 そして、通信は切れた。強制遮断。悲鳴を聞かせたくないとでも思ったのだろうか。あぁ、あの教え子ならばあり得る。

 人一倍頭が回り、そして弱いところを見せたがらない、あの教え子ならば。

 それでもバウマンは諦めきれなかった。


「ヘンドリックス! 応答しろ、ヘンドリックス!」


 何度も何度も、声がかれるほどに呼びかける。次第に大地の揺れも、どんどん近付いてきていた。




 それから、ガンバンテインへと通信がつながることはなかった。


『ハハ…』


 しかし何度も試みているうちに、たまたま通信を傍受することができた。


『ハハハ…』


 おそらく、アルフレッドとの通信。機体同士の個別通信だったため、鍵杖キーロッドでは割りこむことはできなかったが、バウマンはそれを耳にした。


『ハハハハ……』


 そして最初に聞こえてきたのは――


『――――アハハハハハハッ!』


――、邪悪な高笑いだった。



 赤いF型魔杖機兵ロッドギア――――ガンバンテイン・カーディナルの搭乗席コックピットの中で、アルフレッド・ストラノフは激しく動揺した。

 あの日、あの決闘。あの遠い背中の持ち主と同じ機体、同じ装備。だからそれは、スヴェン・リーだと思っていた。


『――――アハハハハハハッ! どこ行っちまったのかと思えば……そうか、か!』


 しかし、その名を呼びかけたとたんにこの嘲笑ちょうしょう

 誰だ。


『サイッコーに傑作だぜ、アルフレッド! 死にかけの人間をこんなに笑わせるなんてな!』


 雨上がりの夜の荒野。岩を背にして座り、打ち捨てられたかのようにボロボロの、あのガンバンテインに乗っているのは――――誰だ。


『あー腹いてぇ……ハハ、傷口が広がりやがった。どうしてくれんだよ、


 スヴェンではない。やつは、こんなふうには笑わない。そもそも、自分をこれほどバカにする人間なんて――


「……呼ぶな…」

『なんだって? 聞こえねぇよ、


――ひとり、いた。


「なれなれしく、呼ぶな…」


 遠い背中スヴェンしかもう浮かばない、つぎはぎだらけの怪しい記憶の中で、アルフレッドは思い出した。

 スヴェン・リーの腰巾着こしぎんちゃく。小賢しいだけの、取るに足らぬ人間。


「貴様が、その名を……気安く口にするな――」


 けれど、常に自分へ男。


「――ジン・ヘンドリックスゥゥゥッ…!」


 くぼんだ眼窩がんかの奥でギョロリと右目をき、包帯の下でなくしたはずの左目がうずく。髪が抜け落ちてあらわになった頭皮を赤くし、巻かれた包帯からわずかにはみ出る残った銀髪をワナワナと震わせながら、アルフレッドはスクリーンに映るガンバンテインをにらみつけた。加えて、焼けただれたような左半身に、生気を失ったかのように青白い右半身。

 ひどい姿。そう言えた。今はカーディナルが隠すそのパイロットを白日の下にさらせば、衆愚しゅうぐ憐憫れんびんを集め、醜悪しゅうあくな迫害を受けることだろう。

 しかし、今の彼はやや滑稽こっけいにも見えた。墓穴から出てきたさ迷える死者のようでありながら、まるででダコのように怒っているものだから。

 ただ、通信越しのあざけりはいずれのことでもなく、もっと根が深いもの。


『ハッ、やっぱ相変わらずだな。様子が変だと思ったけど、何も変わっちゃいねぇ。そうだろ、癇癪かんしゃくもちの?』

「……きっさまぁぁぁっ!」


 アクセルを踏み、操縦桿が折れてしまいそうなほどに前へ倒す。

 前のめりの体勢にかかる向かい風のような圧力。距離を詰めるカーディナル。そのままガンバンテインの丸頭をかすめ、両手に持っていた巨大な銃の先端が背後の岩へと突き刺さった。

 たやすくえぐられた岩から破片がパラパラと落ちるも、座って眠る巨人に反応はない。ボコボコになったその外装も含め、まるで岩と同化しているようだ。


「フンッ……どうやらもう動けないようだな、その機体。みっともなく命乞いでもしてみたらどうだ?」

『もう片足ぐらいは棺桶かんおけに突っこんでるからやめとく。実はけっこう無理してんだよ、これでも。それに……』


 ピク、と操縦桿を握る手が反応。

 霊的人工知能SAIとの接続は切れていないらしく、丸頭がゆっくりとこちらを見上げた。


『どうせ、殺すんだろ?』


 うかがえない怯え。

 それでも浮かぶ、被虐的な笑み。


「安心しろ。貴様は苦しめて殺してやる」

『そうか、良かったな』

「……良かっただと?」


 まるで他人事のよう。どこまで、人を虚仮こけに。アルフレッドは再び怒りに身を震わせかけたが、ジンはまるで冷や水を浴びせるかのようなセリフを口にした。


『だってお前、俺にずっとムカついてたじゃねぇか』

「何?」

『だから良かったな、自分の手で殺せて。けど、さっさとやらないと勝手におっんじまうぞ』


 自惚うぬぼれ。アルフレッドはそうとらえた。

 傷つく自尊心プライド


「スヴェン・リーの腰巾着こしぎんちゃくごときが! 私は貴様など、最初はなから歯牙しがにもかけていないっ!」


 スクリーンへと前のめりになり、ガンバンテインの光が点滅する目――故障しているらしい――を食い入るように見つめれば、鼻で笑ったような声が返ってくる。


『かわいそうなやつ』

「っ! 貴様っ…!」

『そういちいち怒るなよ、これでも本当に同情してんだぜ? 俺は誰よりも、お前のことを理解してるからな。たぶん、お前よりも』

「ふざけるなっ!」


 カーディナルが銃から放した手で、ガンバンテインの頭部を掴む。人間で言えば口元の部分だ。

 口をふさいでも、機体がしゃべっているわけではない。だから言葉は止まらない。


『俺たちは、同じ穴のムジナさ』


 アルフレッドにとって、それは不幸なことだった。


『お前はずっと、スヴェンじゃなくて俺にムカついてたんだ』


 もし、その口をふさげていれば――


『……ガキみたいに、な』


――彼はまだ、のかもしれないのだから。

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