3 脱出②

 そして、すぐさま発進――――とはいかなかった。


「おい、ホントに大丈夫か?」


 問題はやはりシズクだ。座席の後ろから、リズの泣き声がやんだ代わりに苦しげなうめき声が聞こえてくる。


「これは……想像以上、です…。システムとつながっているわけではないからと、高をくくっていました…」

「クノイチだったらこんぐらいなんとかしてくれよ」

「意味などわかってないくせに、よくそんな適当な…。むしろあなたは、なぜ、平気なんですか…?」

「体質じゃねぇか? 俺、魔素粒子エーテル酔いしたことねぇんだ」


 人が持つ魔力とはつまり血流と同じで、乱れたり滞ったりすると精神や肉体にまで悪い影響を及ぼす――――というのも、経験がないのでわからない。強制的に魔力場を形成する魔杖機兵ロッドギア内部ではその状態に陥りやすく、乗りたてのパイロットならば一度は経験するものだそうだが、いまだ未経験。

 だが、シズクの状態がひどいことはわかる。

 ただでさえ東方系人種イースタニアン――彼女は純粋なヤマト人だが――は魔力をほとんど持っていないのに、F型は通常の魔杖機兵ロッドギアより魔力場の魔素粒子エーテル量が多い。彼女自身の魔素粒子エーテルのめぐりが、搭乗席コックピットにまで流れる機体内部の魔素粒子エーテルに押されているのだとしたら、それは例えるならば自分に合わない血液を大量に注入されている状態だろうか。医学知識などないのでどうなるのかわからなかったが、想像しただけでゾッとする。


「……いや、これはもう、魔素粒子エーテル酔いとかそういうレベルじゃ――――うっ…!」

「あんたはもうしゃべんな。どうにかならねぇのか、リズ。お前ならなんとかできるって話だろ?」


 首を回して水を向けると、タルボを胸に抱えたリズが苦しげなシズクの腕の中で顔を上げる。泣き声はやんでいたものの、まだその翡翠ひすいの瞳からはポロポロと涙がこぼれていた。

 しかし、表情はいつもどおり。何を考えているのかわからない。というか、何も考えてなさそう。望み薄。

 やはり早まったかとスヴェンが後悔しかけた時、モゾモゾと動いた少女がタルボを手放し、切りそろえた黒髪をその短い両腕で囲むようにして抱きしめた。そしてまた、ポロポロと涙をこぼす。

 その一粒が、ピチョン、とシズクの頬に落ちた。


「――――あっ…」

「あ?」

「少し……いいえ、だいぶ楽に…」


 いやなんでだよ、と言いたいのをこらえてリズへ目を向けると、抱き締めたシズクへポロポロと涙をこぼす半開きの瞳とかち合う。ほめてほしそうに見えるのは気のせいではないのだろう。


「……まぁいいか、良くやった。おいあんた、しっかりリズを捕まえとけよ。かなり揺れるぞ。タルボもどこかにしがみついとけ」


 か細い返事が「タルッ!」と大きな音声にかき消されるも、背後からはしっかりと体勢を整える気配。安心して前へ向き直り、両手で操縦桿を握る。

 そしてマーシャルを動かし始めると、狭い搭乗席コックピットに振動が響いた。


「そういえば、本当にどうする気なんですか…?」


 スクリーンに映るのは破壊されたゲートと外の嵐。黒煙は晴れたが、まだ火はくすぶっているようだ。それに雷まで。


「ひもなしバンジーのことか? それはこいつに聞いてくれ」


 マーシャルの視界が、隣に立てかけられてある斧槍ハルバードを捉えた。


「こいつって……この、げきのようなもの…?」

「なんだそりゃ。こいつは斧槍ハルバード……いや、それも違うな。こいつは大砲さ」

「大砲? これがですか?」

「それもとっておきのな。撃ったことないけど」

「へ?」


 出口は真正面。アクセルペダルを軽く踏む。背中の噴射装置の調子は良好。

 そしてマーシャルは、斧槍ハルバードを掴んだ。



――ガシャッ!



「! 気の流れが、変わった…?」


 マーシャルが斧槍ハルバードを妙な形で構える。

 斧の刃を握りグリップに。鉤状の撃鉄ハンマーを上げ、ガコンと飛び出る槍の刃。

 わきに抱えたそのを撃つ準備を整えてから、スヴェンは後ろへと皮肉げに笑いかけた。


「それじゃ、死ぬ準備はいいか?」

「いいわけないでしょ。バカなんですか?」

「タル」

「ハッ――――上等っ!」



――キィィィ――――ッ!



 深く押しこむアクセルペダル。全開噴射フルバーニアによるスタートダッシュを決めた機体の内部が激しく揺れる。スヴェンは革張りの座席に押さえつけられただけで済んだが、後ろは無口な少女を除いて阿鼻叫喚あびきょうかん。タルボなどはガンガンとどこかにぶつかりまくっていた。


「タ、ル、タルッ!」

「おいタルボ、どっか壊したらお前も壊すからな!」

「タル!?」

「ちょ、ちょっと! 行くなら行くって――」

「舌かむぞ!」

「――っ!」


 口を閉じ、固く抱き合う後方の気配と、くすぶっていた火と瓦礫がれきを蹴散らす前方の景色。そのまま雷鳴轟く風雨の中へ機体を飛びこませると、襲いくるのは浮遊感。

 背後の阿鼻叫喚あびきょうかんも加速し、天井にぶつかったタルボの悲鳴と金切り声の疑問が落下中の搭乗席コックピット内によく響いた。


「タルゥ――――ッ!?」

「こ、これっ、ホントにどうするんですかぁ――――っ!?」


 愉快痛快ざまぁみろ。スヴェンはほくそ笑むも、体が素早く次の行動へと移る。

 高度は十分。落ちたらただでは済まない高さ。迫りくる地面。

 スクリーンに、斧槍ハルバードの石突――――キラリと光る銃口が割りこんだ。


「っ!? ま、まさか…!?」



――キィィィン……!



 長柄と穂先にそれぞれ備わる六つの回転弾倉シリンダーが高速で回転し、光がほとばしる。


「そのまさかだよ!」

「バカッ! む、無理……!」

「誰が――」


 そしてスヴェンは――


「――バカだっ!」


――マーシャルは、引き金を引いた。







「――――前言撤回します。私は金輪際こんりんざい、一切、もう二度と、永久に、あなたを絶対信じません」


 念入りだな、とスヴェンは思った。


「成功したんだからいいだろうが」

「結果論でしょ?」


 なるべく上を見ないよう、前方のスクリーンだけをぼんやり見つめる。雨粒が上から下へ流れず、まっすぐこちらへ向かって弾けて、派手な飛沫しぶきを上げていた。


「落下する機体を大砲の反動で浮かせようとする発想がバカげているし、そもそもあなた、撃ったことないって言いましたよね? できたから良かったものの、できるという確信はどこからきたんですか? バカなんですか?」


 冷たい早口の後に続いたのは小さなうめき声。痛みをこらえているらしい。スヴェンはふと天井を見上げた。座席の上には、搭乗席コックピットの背後の壁を床にして、間近で寝転ぶシズクの背中。

 外の雨音はやまず、新たに生まれた地表の大穴クレーターへ雨水を注ぎ続け、中心で寝そべったままのマーシャルは水風呂に腰だけつかっている状態。隕石いんせきでも落ちたかのような円形の窪地くぼちのど真ん中だ。

 仰向けになった機体の中、静かな声がこだまする。いら立ちを抑えきれないのか、やはり早口で。


「百歩譲ってそれは良しとしましょう。あんなバカげた威力ならば、そういう発想に至ってしまう気もわかりたくないですけどわからなくもありません。本当にバカだなと思うだけで仕方のないことなのでしょう」


 ゴロンッ、とこちらへ寝返りをうつシズク。顔が近い。汗で頬にへばりついた黒髪が、瑞々しい口元にまで及んでいる。

 見てはいけないものを見たような気がしてパッと視線をそらすも、追及の声はやまなかった。


「空中での姿勢制御は計算に入れてましたか? 着地のこと、ちゃんと考えていましたか? あっちこっちぶつかって全身痛いんですが?」

「俺もだけど、お互いこんだけしゃべれるなら余裕だろ」

「私だからこれだけで済んだんです。あなたはシートベルトしているし」

「よっ、さすがクノイチ」


 ごまかしついでに場を和ませようと思ったのだが、見事なまでに逆効果だった。


「絶対意味なんてわかってないくせにいちいち適当なことを言わないでください! バカにしてるんですかあなた!?」

「そ、そんなつもりねぇから落ち着けよ…」

「だいたい、下が人口密集地だったらどうするつもりで……? リズ?」


 シズクの言葉にハッとする。危うく大量虐殺。その可能性に青ざめるものの、次の瞬間にはすぐ結果オーライ精神を発揮。良かった、山奥で。スヴェンは胸をなでおろした。

 そんなバカだと――この短時間でおよそ五回――言われても仕方ない彼の視界に、ヒョコッ、と少女の顔が割りこむ。上から覆いかぶさるように見下ろしてくるリズは少し汚れているものの、全体的に無傷。


「よぉ、無事か。怖い思いさせて……?」


 謝罪の言葉をせき止める違和感。よぎる疑心。初めて会った時と、同じ。

 なんて、あり得るのか。


「リズ、お前…?」


 スヴェンはこわごわと観察した。少なくとも、薄緑のバスローブに覆われていないむき出しの白い肌には傷がない。

 そんなはずは、と若干の恐怖心が芽生え始めていたスヴェンはまだ知らなかった。

 本当の恐怖は、ここからであることに。


「もう一回」

「……は?」

「もーいっかい」


 キラキラと輝く翡翠ひすいの瞳に見下ろされ、絶句。まさか、そんな。

 少女の胸に抱えられたたるへ、ふと視線を向ける。


「もう一回、しよ?」


 絶叫系遊戯にずいぶんと耐性があるらしいリズに捕まっていたタルボは、必死でカメラを横へ振っていた。スヴェンもそれにならった。もう一度やれば、死ぬ自信しかないのだから。

 そして、死を伴う少女からの初めてのおねだり攻撃は、その後しばらく続いた。



 多段式霊極加速砲エーテリニアカノン。それは、神の鉄槌てっつい

 山を平らげ地表をえぐり、嵐の勢いすらも弱める大爆発。いくつもの雷を束ねたような閃光は地形を変え、まるで干上がった湖にも見える巨大な大穴クレーターを生み出していた。

 そして衝撃のあおりをくらい、航路から外れてしまったナグルファル号が現場に戻ると、その惨状を引き起こした犯人は機体ともども姿を消していた。もちろん、その大量破壊兵器も置き忘れることなく。

 そんな状況に、アナスタシア・ストラノフは笑った。


「これが彼の賭博ギャンブルか。まったく、なんてド派手な脱出劇だろうね。ほかにやりようなんていくらでもあっただろうに」

「笑っている場合なのですか、ストラノフ大師正たいしせい…!」


 隣に立つ上級士官の制服を着た男が震え声で言う。口元にひげを蓄えたこの男はナグルファル号の艦長で、本来ならこの艦橋ブリッジの艦長席に座っているはずの男なのだが、何分今は船の制御を代わりに取り戻したアナスタシアがそこを占領していたので、所在なくずっと隣に立っていた。


「何をそんなにいきり立っているんだい? えーっと……艦長?」


 名前を思い出すのを諦めて――最初はなから覚えていないが――アナスタシアは肘掛けに頬杖をつきながら流し目を送った。ついでに足を組みかえると、艦長の目がそこへ泳いだのがわかる。良かった、役職の記憶さえ怪しいのはごまかせたようだ。


「……ンンッ! いえ、ですからその……このような戦略級の兵器を盗まれたのですぞ? それに開発中のF型は奪取され、そのうえあなたが引き入れたあの東方系人種イースタニアンが東方のスパイを助けたというではありませんか! しかも何やら、最後はあなたが手引きしたとのうわさまでまことしやかに広まっておりますが…」


 兵士をわざわざ退かせたのだから、手引きと言えなくもない。アナスタシアがぼんやり事実確認していると、艦長が「大師正たいしせい殿…?」とお伺いを立てた。


「あぁ、聞いているよ。まぁ心配することはない」


 気持ちを切り替え、再び足を組みかえる。


多段式霊極加速砲エーテリニアカノンは研究の合間に暇潰しで作った……玩具おもちゃみたいなものかな?」

「あれが、玩具おもちゃですと?」


 そう、あれは玩具おもちゃ。もっと言えば、ちょっとした対抗心でできた代物。

 亡き師匠であるエイル・ガードナーが自分のカーディナルに対してマーシャルを作ったように、自分も彼が作った玩具おもちゃに対抗意識を燃やしてしまったのかもしれない。今にして考えてみれば、だが。


「私と競えるのは彼だけだというのに……まったく、惜しい人物を亡くしたものだ」

「? いったい誰の話を…?」

「エイル・ガードナーさ。艦長、君もそう思うだろう?」


 機嫌よくほほ笑みかけてやれば、艦長は興奮と恐怖で二の句が継げないらしく、挙動不審に陥っていた。

 それを無視してふと思う。


(しかし、皮肉なものだ…)


 彼のマーシャルが自分の玩具おもちゃで、そして自分のカーディナルが彼の玩具おもちゃで遊ぶことになるとは。


「問題は使いこなせるかどうかだが……そう考えると、両方ともマーシャルに使わせるべきだったかな? 逃げられたから観測はしづらいが、データを取れるだけましだったかもしれない…」

「ス、ストラノフ大師正たいしせい、これはそういう問題では……」

「? ほかに何か……あぁ、という点かい? それなら大丈夫、マーシャルはもうしているよ。足りなかったのはパイロット、起動実験だけだったからね。スヴェンのおかげさ」

「なおさらまずいではないですかっ!」


 口ひげを揺らす大声。その折、男のつばがアナスタシアの美しい顔を汚した。

 艦長がそれに気付いて今度こそ顔を真っ青にさせたが、アナスタシアは何事もなかったかのようにハンカチを取り出し、自らの顔をふいた。


「言ってごらん、何がまずいんだい?」


 非常に興味深い。ように思える。


「あ、あの……申し訳ございません…」


 曲がりなりにも、その男は艦長。年齢とともに経験を重ねた軍人。それが、上司とはいえ年下の女性に対し、蛇ににらまれたかえるのように萎縮いしゅくする姿はあまりにも滑稽こっけいだった。

 だが、そばで働く通信兵は振り返ることなく、笑いをこらえている様子もない。こちらへ向ける丸めた背中はピクリとも動かない。ピンと背筋を伸ばすこの男同様、ありありと見て取れる緊張感。

 クスリと笑みをこぼし、アナスタシアは言った。


「そんなに謝らなくてもいいさ。それより、是非ご教授いただけるかな? 何がまずいんだい?」

「はっ、では……というより、この状況そのものが、なのでは…?」

「ふむ。どうぞ、続けて」

「いやですから、マーシャルともどもこの兵器で、もし街や帝都を狙われたら非常にまずいのでは…?」

「ふむ。なるほどなるほど」


 つまらないな、とアナスタシアは思った。


「帝都は大丈夫さ。あそこは大君府ミクラガルズ結界バリアが張られているから。たとえ多段式霊極加速砲エーテリニアカノンでも、あの結晶化霊界ハイエーテリングフィールドは破れない」

大君府ミクラガルズ……というと確か、南方大聖公なんぽうたいせいこうの…」


 そしてアナスタシアは、もうひとつの回答を述べた。


「もし街に撃たれても、私の研究に差支えはない」

「……は? 今、なんと…?」

「? だから、街に撃たれる分はかまわないよ? 私の資金源は主に帝都だから。できれば地方のほうがいいけどね」

「そういう問題では…! 無辜むこの民が危険にさらされるのですぞ…!?」

「それはスヴェンに言ってもらわないと。私が撃つわけではないのだから」

「――――あなたが作った兵器で、大勢の人間が死ぬのだぞっ!」


 せんが外れて一気にあふれ出したような大声が艦橋ブリッジに響き渡る。先ほどの比ではなく、辺りは静寂と緊張感に包まれていた。決して振り返らなかった通信兵もこわごわとした様子。

 アナスタシアはひとつ、柏手かしわでを打った。隣で鼻息を荒くする男とともに浴びていた注目が一身に集まり、ゆっくりとほほ笑みを周囲へ振りまいてから数瞬。顔を赤くする者もいれば青くする者もいたが、皆一様に背筋を伸ばして自らの仕事へと戻っていった。

 場を支配してから続けたのは、小さな拍手。


「帝国臣民をうれうその想い。君こそ尽忠報国じんちゅうほうこくの士と呼ぶにふさわしい。しかし、言い分は間違っているかな」

「世迷い言を…! 今回は人里離れた奥地だったから良かったものの、その危険性だけで十分! この件は上に報告させて――」

じゃないか」


 ほほ笑みを消して平坦な声を向けると、艦長が口ひげを揺らして固まる。意味がわからずに硬直してしまったようだ、まったく。


「技術の発展についての罪だけを問うのならば、それは遅い。私の研究はすでにいくつものしかばねを生み出している。東方連合との戦争だけでなく、北の魔賊たちの鎮圧、南の原住民たちへの弾圧、そして西の商売人たちへの威圧にも私の兵器は使われている。今さらな話だ」

「そ、それは、帝国の敵だからであって…!」

「君は生命についての道徳を説いたのだろう? そこに敵味方を持ち出すのはいささか無粋ぶすいだと思うけどね。だが、君の言い分もわかる。だから真摯しんしに答えようじゃないか」


 しなだれかかるように肘掛けから身を乗り出し、妖しく手招き。その姿には真摯しんしさの欠片かけらもなく、あるのは妙な色香いろかだけ。

 吸い寄せられるように耳を近付ける男の口臭に不快感を覚えるも、アナスタシアは口元に手を当てて熱っぽくささやいた。


「――――実は、そっちのほうが都合がいいんだ…!」


 口の両端がつり上がる。無自覚だった。それでも、凍りつく横顔がこちらをのぞき見て土気色になったことは理解し、アナスタシアは艦長から身を離した。何も聞こえていない通信兵がうらやましそうにひげ面の男を見ている。


「私の計画に必要なのは、死ぬかではなく、死ぬかなのさ。だからテストパイロットとしての役目を終えたスヴェンにはむしろ、外で騒いでくれたほうがいい。そのために武器だけでなく、高座フリズスキャールブまで与えたのだから」

「お、仰っている意味がわかりません。計画?」

「……艦長、そろそろ交代の時間じゃないかな?」


 アナスタシアは目が合った通信兵へと意味ありげな視線を返した。慌てて自らの仕事へ戻るその姿はまだ若く、失態を恥じ入ったのか、肩に力が入りすぎているようだ。かわいげのある反応。


「君も疲れただろう? 副艦長が来るまで、私がいてあげよう。今日はもう部屋に戻りなさい」


 そして、彼女はふと考えた。スヴェンと同じぐらいの年齢だろうか。

 そんな自分に苦笑する。


「……では、お言葉に甘えて失礼させていただきます」

「あ、それから。この件の上への報告だけど、もう済ませてあるよ」

「は? そ、それで?」

「別に。処分はないよ。文句を言われた気がしないでもないけど、どうせ私の代わりなんてこの帝国には……いや、いたけど、いなくなってしまったからねぇ…」

「っ…! か、かしこまりました。出すぎたことを口にしてしまい、申し訳ありません。では、私は下がらせていただきます…」


 怯えながら退散するこの男のように、自分へ楯突いた男。自分に新たな発見をもたらす、興味の尽きない男。かわいげもあり、そして決してこちらの思いどおりにならない、年下の青年。

 この手から逃れてしまった今もまだ、自分はスヴェンに夢中らしい。


「さて、君は……今度はどんな顔で、どんな言葉を私にかけてくれるのだろう…」


 アナスタシアは手元のボタンを操作し、目の前にある小さなモニターへ映像を映した。暗い液晶が明るくなり、自らの顔が恍惚こうこつとした表情へ変わっていることに気付かぬまま、画面に映るスヴェンへと手を伸ばす。

 するとちょうど、ひげ面の男と入れ替わりでがやって来た。


「お疲れ様です、大師正たいしせい殿。申し訳ありません、本来ならば私が艦長とともに船の安定へ着手するべきであったというのに、わざわざ艦橋ブリッジまでご足労いただいて」

「もういいよ、。気にすることはないさ」

「はっ……あの、大師正たいしせい殿? 艦長ならば先ほど出ていかれましたが?」

「彼は休暇を取るらしい。今日から君がだ」


 画面に触れていた手をなでるように動かす。長く細い指の行方ゆくえは、船からの脱出を目指す彼の一行パーティーの姿。


「休暇、ですか? おかしいな、さっきはそんなこと一言も…?」

「故郷へ帰るにしても、この嵐だと心配だね」

「え、今すぐに? 何か身内に不幸でも……そういえば、顔色が悪かったですな。ですが先ほどより嵐も弱まっておりますし、この分だとそのうち過ぎ去るでしょうから大丈夫かと」

「いいや、嵐はきっとまだ続くよ」


 暗い船内の静止画。スヴェンが背負う高座フリズスキャールブ、その前を行く女ニンジャ、そして――――怪我を負ったマルクス・レオンの報告どおりの、動くたる

 


「……が、起きないといいね」


 アナスタシアはその画面を軽く指で弾いて、モニターを消した。

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