3 脱出②
そして、すぐさま発進――――とはいかなかった。
「おい、ホントに大丈夫か?」
問題はやはりシズクだ。座席の後ろから、リズの泣き声がやんだ代わりに苦しげなうめき声が聞こえてくる。
「これは……想像以上、です…。システムとつながっているわけではないからと、高をくくっていました…」
「クノイチだったらこんぐらいなんとかしてくれよ」
「意味などわかってないくせに、よくそんな適当な…。むしろあなたは、なぜ、平気なんですか…?」
「体質じゃねぇか? 俺、
人が持つ魔力とはつまり血流と同じで、乱れたり滞ったりすると精神や肉体にまで悪い影響を及ぼすらしい――――というのも、経験がないのでわからない。強制的に魔力場を形成する
だが、シズクの状態がひどいことはわかる。
ただでさえ
「……いや、これはもう、
「あんたはもうしゃべんな。どうにかならねぇのか、リズ。お前ならなんとかできるって話だろ?」
首を回して水を向けると、タルボを胸に抱えたリズが苦しげなシズクの腕の中で顔を上げる。泣き声はやんでいたものの、まだその
しかし、表情はいつもどおり。何を考えているのかわからない。というか、何も考えてなさそう。望み薄。
やはり早まったかとスヴェンが後悔しかけた時、モゾモゾと動いた少女がタルボを手放し、切りそろえた黒髪をその短い両腕で囲むようにして抱きしめた。そしてまた、ポロポロと涙をこぼす。
その一粒が、ピチョン、とシズクの頬に落ちた。
「――――あっ…」
「あ?」
「少し……いいえ、だいぶ楽に…」
いやなんでだよ、と言いたいのをこらえてリズへ目を向けると、抱き締めたシズクへポロポロと涙をこぼす半開きの瞳とかち合う。ほめてほしそうに見えるのは気のせいではないのだろう。
「……まぁいいか、良くやった。おいあんた、しっかりリズを捕まえとけよ。かなり揺れるぞ。タルボもどこかにしがみついとけ」
か細い返事が「タルッ!」と大きな音声にかき消されるも、背後からはしっかりと体勢を整える気配。安心して前へ向き直り、両手で操縦桿を握る。
そしてマーシャルを動かし始めると、狭い
「そういえば、本当にどうする気なんですか…?」
スクリーンに映るのは破壊されたゲートと外の嵐。黒煙は晴れたが、まだ火はくすぶっているようだ。それに雷まで。
「ひもなしバンジーのことか? それはこいつに聞いてくれ」
マーシャルの視界が、隣に立てかけられてある
「こいつって……この、
「なんだそりゃ。こいつは
「大砲? これがですか?」
「それもとっておきのな。撃ったことないけど」
「へ?」
出口は真正面。アクセルペダルを軽く踏む。背中の噴射装置バーニアの調子は良好。
そしてマーシャルは、
――ガシャッ!
「! 気の流れが、変わった…?」
マーシャルが
斧の刃を
わきに抱えたその大砲を撃つ準備を整えてから、スヴェンは後ろへと皮肉げに笑いかけた。
「それじゃ、死ぬ準備はいいか?」
「いいわけないでしょ。バカなんですか?」
「タル」
「ハッ――――上等っ!」
――キィィィ――――ッ!
深く押しこむアクセルペダル。
「タ、ル、タルッ!」
「おいタルボ、どっか壊したらお前も壊すからな!」
「タル!?」
「ちょ、ちょっと! 行くなら行くって――」
「舌かむぞ!」
「――っ!」
口を閉じ、固く抱き合う後方の気配と、くすぶっていた火と
背後の
「タルゥ――――ッ!?」
「こ、これっ、ホントにどうするんですかぁ――――っ!?」
高度は十分。落ちたらただでは済まない高さ。迫りくる地面。
スクリーンに、
「っ!? ま、まさか…!?」
――キィィィン……!
長柄と穂先にそれぞれ備わる六つの
「そのまさかだよ!」
「バカッ! む、無理……!」
「誰が――」
そしてスヴェンは――
「――バカだっ!」
――マーシャルは、引き金を引いた。
※
「――――前言撤回します。私は
念入りだな、とスヴェンは思った。
「成功したんだからいいだろうが」
「結果論でしょ?」
なるべく上を見ないよう、前方のスクリーンだけをぼんやり見つめる。雨粒が上から下へ流れず、まっすぐこちらへ向かって弾けて、派手な
「落下する機体を大砲の反動で浮かせようとする発想がバカげているし、そもそもあなた、撃ったことないって言いましたよね? できたから良かったものの、できるという確信はどこからきたんですか? バカなんですか?」
冷たい早口の後に続いたのは小さなうめき声。痛みをこらえているらしい。スヴェンはふと天井を見上げた。座席の上には、
外の雨音はやまず、新たに生まれた地表の
仰向けになった機体の中、静かな声がこだまする。いら立ちを抑えきれないのか、やはり早口で。
「百歩譲ってそれは良しとしましょう。あんなバカげた威力ならば、そういう発想に至ってしまう気もわかりたくないですけどわからなくもありません。本当にバカだなと思うだけで仕方のないことなのでしょう」
ゴロンッ、とこちらへ寝返りをうつシズク。顔が近い。汗で頬にへばりついた黒髪が、瑞々しい口元にまで及んでいる。
見てはいけないものを見たような気がしてパッと視線をそらすも、追及の声はやまなかった。
「空中での姿勢制御は計算に入れてましたか? 着地のこと、ちゃんと考えていましたか? あっちこっちぶつかって全身痛いんですが?」
「俺もだけど、お互いこんだけしゃべれるなら余裕だろ」
「私だからこれだけで済んだんです。あなたはシートベルトしているし」
「よっ、さすがクノイチ」
ごまかしついでに場を和ませようと思ったのだが、見事なまでに逆効果だった。
「絶対意味なんてわかってないくせにいちいち適当なことを言わないでください! バカにしてるんですかあなた!?」
「そ、そんなつもりねぇから落ち着けよ…」
「だいたい、下が人口密集地だったらどうするつもりで……? リズ?」
シズクの言葉にハッとする。危うく大量虐殺。その可能性に青ざめるものの、次の瞬間にはすぐ結果オーライ精神を発揮。良かった、山奥で。スヴェンは胸をなでおろした。
そんなバカだと――この短時間でおよそ五回――言われても仕方ない彼の視界に、ヒョコッ、と少女の顔が割りこむ。上から覆いかぶさるように見下ろしてくるリズは少し汚れているものの、全体的に無傷。
「よぉ、無事か。怖い思いさせて……?」
謝罪の言葉をせき止める違和感。よぎる疑心。初めて会った時と、同じ。
かすり傷ひとつないなんて、あり得るのか。
「リズ、お前…?」
スヴェンはこわごわと観察した。少なくとも、薄緑のバスローブに覆われていないむき出しの白い肌には傷がない。
そんなはずは、と若干の恐怖心が芽生え始めていたスヴェンはまだ知らなかった。
本当の恐怖は、ここからであることに。
「もう一回」
「……は?」
「もーいっかい」
キラキラと輝く
少女の胸に抱えられた
「もう一回、しよ?」
絶叫系遊戯にずいぶんと耐性があるらしいリズに捕まっていたタルボは、必死で
そして、死を伴う少女からの初めてのおねだり攻撃は、その後しばらく続いた。
※
山を平らげ地表をえぐり、嵐の勢いすらも弱める大爆発。いくつもの雷を束ねたような閃光は地形を変え、まるで干上がった湖にも見える巨大な
そして衝撃のあおりをくらい、航路から外れてしまったナグルファル号が現場に戻ると、その惨状を引き起こした犯人は機体ともども姿を消していた。もちろん、その大量破壊兵器も置き忘れることなく。
そんな状況に、アナスタシア・ストラノフは笑った。
「これが彼の
「笑っている場合なのですか、ストラノフ
隣に立つ上級士官の制服を着た男が震え声で言う。口元にひげを蓄えたこの男はナグルファル号の艦長で、本来ならこの
「何をそんなにいきり立っているんだい? えーっと……艦長?」
名前を思い出すのを諦めて――
「……ンンッ! いえ、ですからその……このような戦略級の兵器を盗まれたのですぞ? それに開発中のF型は奪取され、そのうえあなたが引き入れたあの
兵士をわざわざ
「あぁ、聞いているよ。まぁ心配することはない」
気持ちを切り替え、再び足を組みかえる。
「
「あれが、
そう、あれは
亡き師匠であるエイル・ガードナーが自分のカーディナルに対してマーシャルを作ったように、自分も彼が作った
「私と競えるのは彼だけだというのに……まったく、惜しい人物を事故で亡くしたものだ」
「? いったい誰の話を…?」
「エイル・ガードナーさ。艦長、君もそう思うだろう?」
機嫌よくほほ笑みかけてやれば、艦長は興奮と恐怖で二の句が継げないらしく、挙動不審に陥っていた。
それを無視してふと思う。
(しかし、皮肉なものだ…)
彼のマーシャルが自分の
「問題は使いこなせるかどうかだが……そう考えると、両方ともマーシャルに使わせるべきだったかな? 逃げられたから観測はしづらいが、データを取れるだけましだったかもしれない…」
「ス、ストラノフ
「? ほかに何か……あぁ、開発中という点かい? それなら大丈夫、マーシャルはもう完成しているよ。足りなかったのはパイロット、起動実験だけだったからね。スヴェンのおかげさ」
「なおさらまずいではないですかっ!」
口ひげを揺らす大声。その折、男のつばがアナスタシアの美しい顔を汚した。
艦長がそれに気付いて今度こそ顔を真っ青にさせたが、アナスタシアは何事もなかったかのようにハンカチを取り出し、自らの顔をふいた。
「言ってごらん、何がまずいんだい?」
非常に興味深い。これよりまずいことなどそうそうないように思える。
「あ、あの……申し訳ございません…」
曲がりなりにも、その男は艦長。年齢とともに経験を重ねた軍人。それが、上司とはいえ年下の女性に対し、蛇ににらまれた
だが、そばで働く通信兵は振り返ることなく、笑いをこらえている様子もない。こちらへ向ける丸めた背中はピクリとも動かない。ピンと背筋を伸ばすこの男同様、ありありと見て取れる緊張感。
クスリと笑みをこぼし、アナスタシアは言った。
「そんなに謝らなくてもいいさ。それより、是非ご教授いただけるかな? 何がまずいんだい?」
「はっ、では……というより、この状況そのものが、なのでは…?」
「ふむ。どうぞ、続けて」
「いやですから、マーシャルともどもこの兵器で、もし街や帝都を狙われたら非常にまずいのでは…?」
「ふむ。なるほどなるほど」
つまらないな、とアナスタシアは思った。
「帝都は大丈夫さ。あそこは
「
そしてアナスタシアは、もうひとつの回答を述べた。
「もし街に撃たれても、私の研究に差支えはない」
「……は? 今、なんと…?」
「? だから、街に撃たれる分はかまわないよ? 私の資金源は主に帝都だから。できれば地方のほうがいいけどね」
「そういう問題では…!
「それはスヴェンに言ってもらわないと。私が撃つわけではないのだから」
「――――あなたが作った兵器で、大勢の人間が死ぬのだぞっ!」
アナスタシアはひとつ、
場を支配してから続けたのは、小さな拍手。
「帝国臣民を
「世迷い言を…! 今回は人里離れた奥地だったから良かったものの、その危険性だけで十分! この件は上に報告させて――」
「もう死んでいるじゃないか」
ほほ笑みを消して平坦な声を向けると、艦長が口ひげを揺らして固まる。意味がわからずに硬直してしまったようだ、まったく。
「技術の発展についての罪だけを問うのならば、それは遅い。私の研究はすでにいくつもの
「そ、それは、帝国の敵だからであって…!」
「君は生命についての道徳を説いたのだろう? そこに敵味方を持ち出すのはいささか
しなだれかかるように肘掛けから身を乗り出し、妖しく手招き。その姿には
吸い寄せられるように耳を近付ける男の口臭に不快感を覚えるも、アナスタシアは口元に手を当てて熱っぽくささやいた。
「――――実は、そっちのほうが都合がいいんだ…!」
口の両端がつり上がる。無自覚だった。それでも、凍りつく横顔がこちらをのぞき見て土気色になったことは理解し、アナスタシアは艦長から身を離した。何も聞こえていない通信兵がうらやましそうにひげ面の男を見ている。
「私の計画に必要なのは、誰が死ぬかではなく、どれだけ死ぬかなのさ。だからテストパイロットとしての役目を終えたスヴェンにはむしろ、外で騒いでくれたほうがいい。そのために武器だけでなく、
「お、仰っている意味がわかりません。計画?」
「……艦長、そろそろ交代の時間じゃないかな?」
アナスタシアは目が合った通信兵へと意味ありげな視線を返した。慌てて自らの仕事へ戻るその姿はまだ若く、失態を恥じ入ったのか、肩に力が入りすぎているようだ。かわいげのある反応。
「君も疲れただろう? 副艦長が来るまで、私がいてあげよう。今日はもう部屋に戻りなさい」
そして、彼女はふと考えた。スヴェンと同じぐらいの年齢だろうか。
そんな自分に苦笑する。
「……では、お言葉に甘えて失礼させていただきます」
「あ、それから。この件の上への報告だけど、もう済ませてあるよ」
「は? そ、それで?」
「別に。処分はないよ。文句を言われた気がしないでもないけど、どうせ私の代わりなんてこの帝国には……いや、いたけど、いなくなってしまったからねぇ…」
「っ…! か、かしこまりました。出すぎたことを口にしてしまい、申し訳ありません。では、私は下がらせていただきます…」
怯えながら退散するこの男のように、自分へ楯突いた男。自分に新たな発見をもたらす、興味の尽きない男。かわいげもあり、そして決してこちらの思いどおりにならない、年下の青年。
この手から逃れてしまった今もまだ、自分は
「さて、君は……今度はどんな顔で、どんな言葉を私にかけてくれるのだろう…」
アナスタシアは手元のボタンを操作し、目の前にある小さなモニターへ映像を映した。暗い液晶が明るくなり、自らの顔が
するとちょうど、ひげ面の男と入れ替わりで艦長がやって来た。
「お疲れ様です、
「もういいよ、艦長。気にすることはないさ」
「はっ……あの、
「彼は休暇を取るらしい。今日から君が艦長だ」
画面に触れていた手をなでるように動かす。長く細い指の
「休暇、ですか? おかしいな、さっきはそんなこと一言も…?」
「故郷へ帰るにしても、この嵐だと心配だね」
「え、今すぐに? 何か身内に不幸でも……そういえば、顔色が悪かったですな。ですが先ほどより嵐も弱まっておりますし、この分だとそのうち過ぎ去るでしょうから大丈夫かと」
「いいや、嵐はきっとまだ続くよ」
暗い船内の静止画。スヴェンが背負う
エイル・ガードナーの遺産。
「……また不幸な事故が、起きないといいね」
アナスタシアはその画面を軽く指で弾いて、モニターを消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます