2 脱出①

 警報がやんだ、静かな格納庫内。

 立ったまま眠るマーシャルの搭乗席コックピット内で発進準備を進めながら、スヴェンは気になっていたことをシズクに尋ねた。


「あんた、あいつに何を言ったんだ?」

「? なんのことですか?」

「部屋を出る時、先生あいつとなんかしゃべってただろ」


 タッチパネル式のキーボードを操作しながら、モニターの文字ではなくうっすらと画面に映る自分の表情を観察。眠たげだといつも揶揄やゆされるフードの奥の表情が、今はとても厳しい。突きつけられる余裕のなさ。

 開いた開閉部ハッチの上で膝をついて待機するシズクは、やや迷ってから首を横へ振った。


「別に何も。ちょっとした捨てゼリフを言っただけです」

「どうだか。信用できねぇな」

「お仲間の救出に全力を尽くすことは、お約束します」

「その代わり、東方までマーシャルこいつを運べってか」

「もちろん。改めて言うまでもないでしょう?」

「あぁ、そうかよ」


 ペダルへ両足を伸ばす。またの間の鍵穴へ青い鍵杖キーロッドを差しこみ、ガチリと右に回して起動。明かりの灯る各種計器。ボタンを押し、スイッチレバーをリズミカルに上げていく。


「その代わり、道中いろいろと聞かせろよ」

「ヤマトの暮らしにご興味でも?」

「どうしてリズのせいなのかってことさ」


 シズクの反応をうかがう前に、くだんの少女が座席の後ろからヒョコッと顔を出し、間近で首を傾げた。「何?」と無言で訴えてくる半開きの翡翠ひすい。少女の長い髪が座席のこちら側にまでかかる。

 邪魔だったので「呼んでねぇよ」と手で軽く追い払えば、リズは素直に後ろの狭い空間へと戻った。気に入ったのか、両手でがっしりとタルボを抱えたまま。気に入られたほうはジタバタもがいていたが。

 なんとも気の抜ける組み合わせだ。余裕のなさを忘れてしまうほどに。


「……こいつを責めたりしねぇよ。だから、その反応やめろ」


 スヴェンは霊的人工知能SAIの同調完了を確認してから頭をかいた。

 シズクは、顔を伏せていた。身じろぎせずに視線だけが泳いでいる。まるで弱い者いじめだ。こんな弱々しいところを見せられると、どうにも調子が狂う。


「わけわかんねぇまま襲われて、わけわかんねぇまま戦うんだ。聞く権利ぐらいあんじゃねぇのって、それだけの話だよ」


 とげとげしさを出さぬようにため息をつくと、シズクは深く目をつむった。


「……そのとおり、ですね」


 スヴェンは、不思議に思った。


「あんた、何をそんなに怖がってんだ?」

「! 怖がる……私が?」


 驚かれたことに驚く。違ったのだろうか。

 しかし、否定されても説得力はなかったのでそのまま続ける。


「俺が責める責めないは別として……たとえ、世界中を敵に回してもかまわない。こいつを守ろうとするあんたからはそんな覚悟を感じたけど、違ったか?」


 その問いに、答えは返らず。スヴェンは彼女がどんな顔をしているのか興味をもったが、モニターに浮かび上がる文字のほうへと注意を引かれた。



――魔素粒子生体駆動エーテリアンドライブシステム、準備完了オールグリーン



「……そうですね、そうでした」


 繰り返しのようで、そうではない言葉。同意と再認。静かな決意。

 出発の準備ができたことを告げる前に、彼女はその理知的な眼差しを取り戻してこちらへ向けた。


「そちらの話も、そろそろ聞かせていただけますか?」

「俺の話?」

「この船の高度の問題です。策があると仰っていたでしょう?」

「あぁ、それか」


 この船がどれほど上空を飛んでいるのかはわからないが、レオンの言うとおりならば落下の衝撃に耐えられないほどの高度なのだろう。

 取れる選択肢は二つ。艦橋ブリッジを掌握して船の高度を下げさせるか、勝手に下がってくれるのを待つか。どちらも難しい。艦橋ブリッジの扉をこじ開けることは不可能ではないかもしれないが、すぐ敵に取り囲まれてしまうはず。下がってくれるのを待つのはあまりにも悠長。

 だからこその三つ目。強引な力技。

 単純に、

 スヴェンがタッチパネルを操作すると、モニターに斧槍ハルバードの図面が映し出された。その周囲を彩るのは小さな文字のほか、いくつもの数値や比率を表す円グラフ。マーシャルに与えられた、F型専用武装兵器。

 穂先の先端には刺突に優れた針状の細長い刃、左右には分厚く大きな斧の刃と小さな鉤状の刃。斬って良し、突いて良し、引っかけて良し、そして叩き潰して良しの巨大な斧槍ハルバードだ――――


「……そっちはどうなんだよ。搭乗席コックピットに乗って本当に平気なのか? 先生あいつの言うことが本当なら危ないんじゃねぇの?」

「ご心配には及びません、と言いたいところなんですがね。正直、リズ次第です」

「? リズ?」


 名前を呼ぶとやはり、ヒョコッ、と動物的反射で顔を出すリズ。目を奪われるその間も、斧槍ハルバードの周りの数値や円グラフを満たす動きは止まらない。

 見た目は斧槍ハルバード。しかしその内部構造まで映し出された詳細な図を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんなほど、その斧槍ハルバード一風いっぷう変わっていた。


「その子の近くにいればおそらく耐えられるのではないかと、かつて、エイル・ガードナーが……リズの気分次第なところがあるので、試しはしませんでしたが」

「意味わかんねぇな。そもそも、なんでこいつは平気なんだ?」

「それは……」


 槍の部分は淡い緑色。魔導技術マギオロジーのエネルギー源として利用されている魔素粒子結晶エーテクリスタルをそのまま加工して尖らせたもの。純物質金属アンチエテリウム以上の硬度を誇る槍だが、その役割は叩き棒ストライカー

 分厚い斧の刃は中がくりぬかれており、そこには引き金トリガーが。鉤状の小さな刃は実は刃物でなく、ただの撃鉄ハンマー。それらの集う穂先には六発分の弾丸が入る回転式弾倉シリンダーがあり、長い柄の部分にも同じ回転式弾倉シリンダーが等間隔に五か所。合計六つの回転式弾倉シリンダー

 それは、――――だった。


「……この機体は、というよりこの機体のシステムは、その子が本物オリジナルだからです」

「? ますます意味わかんねぇよ」

「いずれまた。それよりも、話をそらさないでください。いったいどうする気なんですか?」

「そらしてんのはお互い様だろうが。こっちはそろそろ――――完了だ」


 動いていた数値が止まり、円グラフが百パーセントを満たす。

 そして、モニターに新たな文字。



――多段式霊極加速砲エーテリニアカノン、システム接続完了。



「……ま、乗ってからのお楽しみってことで」

「なんですかそれ」

「かなりの賭博ギャンブルなんでね。死んでも文句言うなよ」

「事前にそう言われて楽しめるとでも?」

「だったら降りるか? わりぃけど俺はこっちに全賭けオールインだ。あいつらのピンチを教えてくれたのには感謝してるけど、あいにくここまでだな。タルボはくれてやるからさっさとどけよ」


 回り道はしない。まっすぐ、最短距離で助けに行く。スヴェンは操縦桿を一度だけ強く握ってシートベルトに手をかけた。

 その手を止める、明瞭めいりょうな声。


「信じます、あなたを」


 固い意思を感じて思わず目を向けると、シノビ装束に身を包んだ女性はあごのラインで切りそろえた黒髪を揺らさず、静かに胸へ手を当てた。


「それが私の……せめてもの、つぐないです」

つぐない?」


 なんのことだ、と口にしようとした寸前、ずっと顔を出していたリズが血相を変えて座席の後ろへと引っこんだ。

 おや、とシズクが顔色を変える。


「リズ、どうかしたの?」


 頭隠して髪隠さず。ピュッと慌てて隠れた少女の長い髪が座席へタオルのように掛けられ、それがわずかに揺れていた。小さな体が震えていることをこちらへ伝えるように。

 そして聞こえてきた声は、刃のような印象を与える女性の、硬く鋭い声ではなかった。


「ダメだよ、スヴェン」


 それは、風に揺れる鈴の音のように澄んだ声。

 距離は遠く、たとえ声量が小さくとも、聞く者の耳をきつけてやまない。そんな声。


賭けるベット先は知らないけれど、ルーレットはすでに回っていて、ボールはとっくに投げ入れられている」



――コツ、コツ……。



 妙な静けさの中、浮かぶハイヒールの音。サッと血の気が引いたくノ一と、カッと血が頭に上る魔導師。

 スヴェンはシートベルトを外し、振り返ろうとしたシズクを押しのけていち早く開閉部ハッチの先端へ足をかけた。そして見下ろす冷たい床。魔杖機兵ロッドギアの格納庫でありながらマーシャルしか待機していない、がらんどうな室内。

 そこへ、物陰から悠々と現れる、長い銀髪の女。


「時間切れ。君はただ指をくわえて、ボールがどのポケットに入るか見ていることしかできないのさ。ディーラーの声が聞こえなかったようだから、私が改めて言おう」



――コツッ。



 床を叩くヒールの音とともに立ち止まった女性が、妖しげにほほ笑む。


チップはもう受け付けないノーモアベット。次のゲームまで、お待ちいただけるかな?」


 白ローブのポケットへ両手を粗雑に突っこみながらも、悠然とたたずむ美しい立ち姿。裏切った部下への憤りなど微塵みじんもなく、失った部下への悲哀ひあいなども一切感じさせず。

 ましてや、何十人もの同胞どうほうを手にかけようとしている罪悪感などこれっぽっちもなさそうなアナスタシアを見て、スヴェンは地の底から響くかのような震え声でその名を口にした。


「――――アナスタシアァッ…!」

「ナターシャでいい。恥ずかしいから何度も言わせないでおくれ、スヴェン」


 ヒラリとかわされる憎悪ぞうお。衝動に突き動かされる体。

 飛び降りようとしたスヴェンのローブが、後ろから強く引っ張られる。


「っ…! おい、何しやがる!?」

「あなたこそ何をするつもりですか!?」

「決まってんだろ! あの女を――――殺すっ!」

「冷静になってください! 今あなたがすべきなのは、仲間を助けることでしょう!?」


 ピタ、と停止する体。ギリッと歯ぎしり。

 シズクはこちらの背にやや隠れながら下をのぞきこんだ。


「それに、相手が悪すぎます」


 そしてささやくのは『ストラノフの聖女』の東方における呼び名。


「あれが、ギムリアの魔女…」

「どうも。直接会うのは初めてだね、世話係さん」


 そのみ名を事もなげに受け流し、アナスタシアは小さくため息をついた。


「さしたる興味もなかったから捨て置いたが、まさか『九字呪法』を使いこなすほどのニンジャだったとはね。もしかして、私が地上の施設にいつ帰っても高座フリズスキャールブのそばにいるはずの君と出会えなかったのは、正体以上にその力量を悟られたくなかったからかな?」

「……ご想像にお任せしますよ」

「やれやれ、エイルもとんだ女性に引っかかったものだ。それとも……

「っ…!」

「なるほど。仕方のない男だ、彼は」


 アナスタシアが一人でうなずいている間も、シズクはずっとローブを引っ張り続けた。早く脱出を。らしくない焦りで彼女がそう急かす。

 しかし、ここで会ったが百年目だ。


「おい、俺を無視してんじゃねぇよ」

「おや。心外だな、そんなことを言われるなんて。せっかく君の愛らしい顔を見に来たというのに」

「ふざけんな。てめぇにゃ言いてぇことも、聞きてぇことも山ほど……っ!?」


 振り切ろうとしたはずの重みが増し、スヴェンは振り返った。腰元の布地を引っ張るシズク。そこに加わるもう一人――――いや、もう一樽ひとたる


「タルボ? お前どうして…」


 ズボンのすそをグイグイ引っ張るタルボを見下ろして、ふと、小さな泣き声に気付く。それは、滅多にしゃべらない少女の声。

 搭乗席コックピットの奥に隠れて震えている、リズの泣き声だった。


「おい、あいつ様子が――」

「リズッ!」


 弾かれたようにシズクが駆け出し、開閉部ハッチの上から搭乗席コックピットの中へと滑りこむ。座席後部の狭い空間に身を割りこませ、何やら自らの愛しい少女を抱き締めている様子。泣き声は少しだけ収まっていた。

 何が何やらわからずに混乱するスヴェンへ、アナスタシアが言う。


「世の母親を尊敬するよ、私は。子育てがこれほどまでに難しいとは」


 コツ、と一歩だけヒールの音が鳴ると、後ろの気配が動揺した。


「あの子はいつも、私の気配を察するだけで泣き出してしまうんだ。どうしてだろうねぇ…?」


 ねっとりとした、嫌らしい響き。

 スヴェンはさらに頭へ血が上った。


「てめぇ……あんなガキ相手に、いったい何をしやがった…!?」

「少なくとも、子育てではないね。自分で言っておいてなんだが」


 ふざけやがって。手のひらへ痛いほどに爪が食いこみ、歯ぎしりする形相がさらに歪む。足元で「タルタルッ!」と制止するような音声が鳴ったが、我慢ならない。

 ここで、ぶっ殺す。

 スヴェンは振り返って操縦桿を抜こうとした。鍵杖キーロッドで撃ち抜くか、刺し貫いてやるつもりだった。足にまとわりつくタルボをそのままに搭乗席コックピットをのぞきこむ。

 すると、シズクと目が合った。


「スヴェン・リー…」


 頼りなく首を振る姿。こちらの意図がわかっても強く否定するのではなく、どこか懇願するような仕草。親しげな呼び方でなくとも、思わずためらいが生まれる。

 一刻も早く、仲間を助けに行くべき。そして、リズをアナスタシアから引き離すべき。

 答えは最初から出ていた。


「? タル?」

「……子守りの追加だ。任せたぜ」


 タルボを引きはがし、シズクのほうへとポイッと投げる。うまくキャッチされたのを見届け、スヴェンは手ぶらで開閉部ハッチのふたの先へと戻った。

 静かにそびえ立つ青い巨人を前にして、悠然とした立ち姿を崩さない銀髪の女。見下ろしているはずが、どこか見下ろされているような重圧を感じながらも、それを内に秘めた怒りで跳ねのける。


「邪魔はさせねぇぞ。そこをどけ」

「最初から邪魔するつもりなどないよ」

「何?」

「言っただろ? 君の愛らしい顔を見に来たのだと。フフ……想像どおりのだ。見送りに来た甲斐かいがあったよ」

「……このまま、見逃してやるってか?」

「そのとおりさ。マーシャルも、その高座フリズスキャールブも持っていきなさい」


 妖しげな笑みをたたえながらの言葉に、裏を感じずにはいられない。スヴェンは顔をこれでもかと歪めながらいぶかしんだ。

 すると、アナスタシアが続ける。


「君はどうせ帰ってくるよ、私の元に」

「あ? 寝言ぬかしてんじゃねぇぞ」

「だって君は、だろう?」


 意図を察するのに要した一瞬の間。



――シュッ…!



 後ろから翼の生えたクナイが飛んできて、あっという間に前方へ。白い翼は巻きつけられた紙であり、そのまま格納庫の大きな出入り口ゲートへと鋭く突き刺さった。

 それを見送ることなく、スヴェンは理解した。


「……誰も、死なせやしねぇ。全員助ける。だから、てめぇとはここでおさらばだ…!」

「そう。でも私は期待して待っているよ。君が、になって帰ってくるのを」


 そして、聞き覚えのある文言。



――りんぴょうとうしゃ…。



 スヴェンは胸のワッペンをはぎ取った。

 特殊実験機兵部隊の部隊章。渡し守ハールバルズの紋章。


「退役届だ、受け取れよ」


 手首を振り、挟んだ指から放たれたワッペンがクルクルと回る。まっすぐにとはいかないが、わずかな重みでアナスタシアの元へ舞い降り、彼女がうまくその紋章ワッペンを手に取ると同時に別れの言葉を告げる。


「くたばれ、イカレ女」


 呆然とするアナスタシア。意外と、下品な暴言には慣れていないようだ。

 やがて彼女は、クツクツと笑った。


「ひどい言われようだ」


 下から、おどろおどろしい声。そして背後からは、文言の続き。


「しかし、なぜかな……こんな気持ちは初めてだ」



――かいじんれつぜんぎょう…。



 紡いだ言葉を結ぶのは、シズクのほうが早かった。


「――――ばくっ!」

「君に言われると――」



――ドガァァァンッ!



 耳をつんざく爆音。体を吹き飛ばそうとする爆風。開閉部ハッチから落ちなかったのは、ローブの裾を捕まれて搭乗席コックピットへ引きこまれたからだった。


「急いで開閉部ハッチを閉じて!」

「わかってる!」


 くらくらする頭を一振りして座席につき、操縦桿を握る。シズクは元の狭い空間スペースへ。そして、開閉部ハッチを閉じる。

 ゆっくりと閉じ始めたふたの隙間の風景は、迫りくる黒煙で覆われていた。だが、火はそこまで燃え広がっていない。破壊されたゲートの向こうはどうやら大雨のようで、降りしきる雨粒がすぐに消化したようだ。

 アナスタシアはどうなったか。距離的に無傷では済まなかったはずだが、同時に彼女が負傷するイメージも湧かない。


(……訂正する暇、なかったな)


 別れ際。アナスタシアの最後の言葉と、その顔。

 妖しげな微笑でもなく、口が裂けたような笑みでもなく、頬を赤らめて恍惚こうこつとした表情。彼女はそんな新たな一面を垣間かいま見せて、こう言った。

 君に言われると――



――ガシャンッ。



――


「……イカレ女め」


 開閉部ハッチが閉じたところでようやく、スヴェンはそう吐き捨てることができた。

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