10 再会の約束②

「誰かぁ――――っ!」


 フィーはわけがわからなかった。


「誰か、いませんかぁ————っ!」


 息苦しくなるほど口をふさがれ、後ろから抱きつかれた自分の状態。

 そして、狂ったように叫ぶ、姉のような人。


「誰か、助けてっ! 誰かぁ――――っ!」


 ここにいるよ、サラ。ケイトにふさがれた手の間から叫ぼうとするが、押さえつけられていて口をうまく動かせなかい。

 そのままサラは病室へ入らず、どこかへ走り出した。


「ンーッ、ン――――ンッ!?」


 サラを追おうと体をよじるも、あまりにも強い力で引き倒される。先ほど抱き合っていた狭い空間へ、ベッドを背にしながらケイトと身を潜める格好に。


「ンーッ! ンーッ!」

「黙って…!」


 手の力が強まり、あごがきしむ。くちびるの裏が歯に当たって、自分の二の腕を掴む指先の爪がローブ越しに食いこんで、痛い。怖い。強い力で無理やり押さえこんでくるケイトも、狂ってしまったようなサラも。

 理解できない、今の状況も。


(サラ、どこに…!?)


 名前を呼んだ。呼んでくれた。真っ暗でも、自分がここにいることは気付いてくれたはずだ。

 なのに、どうして。フィーは泣きたくなるのをこらえてもがき続けた。それに応じて、ケイトの力がますます強まる。

 しかし、なぜか自分を縛るその腕は震えていた。背中に当たる体も。口をふさぐ手も。ふと見上げれば、ケイトは歯を食いしばっていた。いや、奥歯がかみ合っていないのか。

 間近でカチカチと鳴るその音に聞き入っていると、助けを呼び続けていたサラの声が次第に嵐の音でかき消されていく。フィーは焦り、言葉にならない声で彼女を呼んだ。

 サラ。


「――――れか、助け――!」


 行かないで。自分は、ここにいる。


「誰か――――」


 サラ――



――バンッ。



「――ンンッ!?」


 聞いたことのない音に、ビクッ、と反応したのはこちらを絡め取るケイト。顔の下半分をわし掴む力が一層強まる。フィーはあまりの痛みに、その音が何か不思議に思う余裕すらなかった。

 だが、ケイトの腕を叩いているうちに気付いたことがある。


「くそっ、くそっ……くそったれ…!」


 遠くの雷鳴。窓を叩く風と雨。荒い息遣い、汚い言葉。


「なんで、私は……サラ、なんでっ…!?」


 聞こえなくなった、サラの声。

 痛みは増していたが、フィーはおもむろにケイトの上衣ジャケットそでを引っ張った。


「っ! お願いフィー、黙って…! ジッとしてて…!」


 ポタッ、と顔に何かが落ちる。涙だ。ケイトは、泣いていた。よくわからないままにぼんやりうなずくと、力が少し弱まった。今なら抜け出せる。だけどそんな気は起きない。ケイトがずっと嗚咽おえつをこらえながら泣いていたから。

 どうして泣いているの。そう尋ねたかった。サラは。そう叫びたかった。しかし、フィーは息とともに言葉をのみこんだ。



――カツッ。



 足音と、男たちの声が聞こえたからだ。


「倒れているな……ったか?」

「あぁ。たぶん、頭を割った」


 冷たい声。両者とも聞き覚えがない。それに恐怖するも、すぐに心の中で問い返す。

 の、を割ったの。


「確認しろ。周囲を警戒する」

「……お前が行ってくれないか?」

「? なぜだ?」

「女の声だった。気が進まない」

「ためらいなく撃っといてバカを言うな。それにどうせ、命令は皆殺しだ。撃ちもらしがないようさっさと行け」

「了解」


 瞬時に気持ちを切り替えたらしい男の足音が遠ざかる。そして残る、もうひとつの足音。

 ケイトが何事かをつぶやく。


「魔賊、じゃない……正規部隊…!? どうして…?」


 ひどく混乱しているらしく、声に出していることにも気付いていないようだった。そして、こちらの口をふさぐ手を離してしまったことにも。

 フィーは体に回されたままの腕を両手で掴みながら、頭上のケイトへささやいた。


「ねぇ、ケイト…」

「! フィー、静かに――」

「サラは…?」


 そう尋ねた瞬間、間近にある瞳が揺れた。暗闇の中で輝く涙のたまったその瞳に、自分の顔が映った気がしたが、よく見えない。

 自分は今、どんな表情で尋ねているのだろう。


「ねぇケイト、サラは…? サラはどこ…?」

「……今は何も考えちゃダメ。いい?」


 腕の力を弱めてくれたケイトへ首を振る。


「私、探しに行く…」

「ちょっと、ダメだって今は…!」

「離して――」



――カツッ。



 と病室に響く足音。入口には気配。同時に、フィーは再び拘束された。口をふさいで後ろから抱きかかえるケイトの緊張がいやでも伝わり、いっしょに押し黙る。

 少し声が大きくなっていたのかもしれない。それに、かすかな物音もしたのだろう。不審に思いのぞかれても不思議ではない。けれど男はどうやら、建付けの悪い窓が嵐に激しくノックされる音と勘違いしたようだった。


「……気のせいか。それにしても、年季の入った基地だ」


 ギュッ、と体に巻きついていた力が弱まり、ケイトの小さな吐息が耳にかかる。フィーも手汗をかいていた彼女の手のひらへ、止めていた息を吹きかけた。

 遠ざかる気配。弱まる緊張。


「……ん?」


 そして、跳ねる心臓。


「花の匂い…?」


 男の声に、視線だけをギョッと上へ向ける。

 大部屋の一番奥。窓際のベッドサイドに置かれた白い百合の花。ケイトのお見舞いに花を持っていきたいとねだったものの、魔賊の残党を警戒中で街と渡りをつけるのを却下された結果、バウマンが持ってきてくれた花だ。こんな荒野のどこから摘んできたのかは教えてくれなかったが、ありがたく頂戴ちょうだいしたもの。見るからに花に詳しくなさそうな厳つい大男へ、見舞いの花としてはあまりそぐわないというのは言わないでおいた。

 なぜなら、香りが強いから。



――カツッ。



 再び響く足音。先ほどよりも近い。男が病室へ入ってきた。

 早鐘はやがねを打つ鼓動は自分の内側と背中から。共鳴し、重なる心臓の音が嵐を忘れさせる。そして口をふさぎ続ける手へ心臓を吐き出しそうになり始めた時、冷や汗がポツリと落ちてきた。

 ゆっくりと、男の近寄る気配。

 ケイトと目が合う。



――ギリッ…!



 涙を払って定まる瞳。決意の歯ぎしり。ケイトはそばに置いてあった松葉杖へと手を伸ばした。まさか、それで対抗する気なのか。

 サッと血の気が引くもどうすればいいかわからず、戒めの解かれた体をフィーがただ震わせていると――


「おい」


――男が、声をかけた。


「そんなところで何をしているんだ?」


 ギュッ、と目をつむるも、状況に変化はない。ケイトの伸ばした手も止まっていた。

 そして、病室に入ってきた男の足音も。


「いや、誰かいないか確認を……」


 どうやら戻ってきた男が、こちらへ近付く男に声をかけたらしい。

 そして続いた病室の外からの声は、少し呆れていた。


「俺が撃つ前の女の様子を見ていただろ? のぞいていた部屋も一応ざっと確認したが、やはりもぬけのからだった。生き残りは全員、格納庫に立てこもったんだろうな」

「そうか。いや、何か聞こえた気がしてな」

「外の音じゃないのか?」

「あぁ……そうだな。まったく、こんな嵐じゃ侵入するのは楽でも、音に頼れないから索敵も警戒も――」

「ぼやくのは後にしろ。訓練用とはいえ、魔杖機兵ロッドギアを起動されるとまずい。早く応援に行って片付けるぞ」

「了解」



――ダッダッダッダッ……。



 遠ざかる足音が聞こえなくなっても、ケイトはしばらくそのまま動かなかった。体が硬直しているようだ。それは、自分も同じだった。

 どれほど暗闇で息を潜めていただろう。頭の中を整理する余裕がなかったのでそれほどではない気もするが、ただ単に整理がつかなかっただけなのかもしれない。それでも時は前へと進み、稲光いなびかりが部屋へと差しこんだ瞬間、ケイトはおぼれていた人間が水面へ顔を出したように大きく息を吐いた。


「――――ハァッ、ハァッ……くそっ、雷が落ちてたら殺されてたんじゃないの…?」


 男たちがいる間中、ちょうどよく雷はやんでいた。部屋は暗闇に包まれていたのだ。もしタイミングが悪ければ、自分たちの映る影でばれていたかもしれない。そしたら、殺されていた。

 だって、彼らはすでにもう――――フィーは壊れてしまった人形のようにかぶりを振った。信じない。そんなの、信じない。目まいがしながらも、自由になった体をふらりと立ち上がらせる。

 そして呼ぶのは、姉のように思っていた人の名前。


「サラ…」

「こらあんた、ちょっと待ちなって…! 慎重に行動しなきゃ…」

「だって、サラが……あの人たち、撃ったって…」


 無理やり座らされ、向かい合わせとなったケイトの顔が歪む。

 しかし自分の口をついて出た言葉に、その表情は色を失った。


「怪我、してるかも…」

「え?」

「怪我してるよ、きっと。だから助けに行かなきゃ」


 フィーはフラフラと立ち上がった。


「早く行かなきゃ、私。サラが待ってる」


 続く目まいに足を取られるも、なんとか床を踏みしめる。そしてそのまま、揺れる世界の中をフィーは歩き出した。大丈夫、大丈夫。サラは大丈夫。

 サラが死ぬなんて、あり得ない。


(だって、今日はずっと、寝るまでおしゃべりしようって……)


 故郷、家族の話。彼女の経験談を交えた、男の子の話。将来の話。

 二人でいつか、旅行しようという話。


(行き先だって、まだ……)


 年中寒い北は二人の故郷。互いにどこもかしこも知っているわけではないけれど、どうせなら暖かい南に行こう。

 いや、やっぱり西がいい。買い物をするなら西の都が一番だ。ならば帝都はどうだろう。それはちょっとハードルが高い。

 どうせならケイトも呼ぼう。足が悪いから列車の旅もいいかもしれない。

 案は出ていたが、まだ何も具体的な計画は立てられていない。まだ、途中だ。

 二人で、まだ、おしゃべりを――


「――あっ…」



――パシッ。



 貧血を起こしたかのように倒れかけたフィーを支えたのは、ケイトだった。松葉杖を片手で操り、自由なほうの手でこちらの腕を取る。

 フィーは礼を言おうとした。


「あ、ありが――」



――ドンッ!



「――っ!?」


 しかし、壁に勢いよく叩きつけられた。

 痛む背中に止まる呼吸。グイッと掴まれた手首が上に。

 そして、ボサボサだった黒髪をいつものように後ろでくくったケイトの、鬼気迫る表情。


「サラは死んだの。もういない」

「……ケイト、どうしたの? 急に何言って――」

「あんたも死にたい?」


 闇の中で光る瞳孔がまっすぐ迫り、フィーはたじろいだ。しかし、後ろは壁。ゴツンと後頭部をぶつけても、熱い息のかかる距離は離せない。


「ねぇ、死にたいか聞いてんだけど?」


 ギリリ、と絞められる手首。

 空いていた手でケイトの胸を押すも、ビクともしない。


「痛い、痛いよケイト…! お願い、やめて…!」

「私、置いてくから」

「……え?」

「あんた邪魔。死ぬなら勝手に一人で死んでよ」


 痛い、痛い、やめて。そう泣き叫んでいた頭の中の声が途絶える。


「でも、ケイト……怪我が…」

「そうだね。だから足手まとい連れてく余裕ないの。わかる?」


 怖い。豹変ひょうへんしたケイトが――――独りが。

 嫌だ。


「……やだ…」

「何が? はっきり言いなよ」


 死ぬのは、嫌だ。


「……お、置いてか、ないでっ…!」


 フィーは泣きじゃくりながら、必死に押していた手でケイトの胸へすがった。黒い上衣ジャケットにシワを作り、引きつるのどに合わせて肩が上下する。

 子どものようにしゃくりあげて泣くその姿を前にしても、ケイトは手首に込める力を弱めるどころか、松葉杖を握っていたはずの手でさらにフィーの頬を挟んだ。


「じゃあ、私に従いな。いちいち逆らわないこと。いい?」

「あ、う……ヒッ…」

「いいのかって聞いてんのよ…!」


 どすの効いた声。うまく回ってくれぬ舌の代わりに、コクコクと何度もうなずく。嗚咽おえつも我慢した。ケイトにまた怒られそうだったから。

 すると解ける、手首のいましめ。振り払われる手。



――トスッ…。



「は? あんた何腰抜かしてんの?」


 毒づく声にも反応できず、フィーはただ必死に己の体を抱きしめた。力の入らぬ腰から下を放っておき、恐怖と混乱、そして悲しみで震え続けるその両肩を。早く、早くしずめなければ、また怒られる。

 見捨てられてしまう。


「ご、ごめっ……ごめん、なさいっ…」

「……もういいよ」


 冷たい言葉にハッとして顔を上げると同時に、バサッと何かが覆いかぶさってきた。ケイトの黒い上衣ジャケットだ。

 そして白い肌着シャツと黒いズボン姿になった彼女が、こちらへ腕を差し出す。


「脱いで」

「? な、何…?」

「上着。そのローブよ、ローブ。そっちのほうが弾よけになりそうだし。ほら、さっさと脱いで」


 返事をする間もなく、無理やり脱がされる黒ローブ。なすがままに黒い肌着シャツ姿となるフィー。ケイトは奪い取ったローブを自らの肩にかけ、暗い部屋の床を何度も松葉杖で突いて移動した。自分のベッドまでいったん戻り、それから出口へ。

 しゃくりあげながらその様子を見守っていると、横を通りながら彼女が告げる。


「ちょっと、周り見てくる。それまでに泣きやんでてよね、迷惑だから」


 静かに閉まる扉。暗闇と、嵐がはやし立てる静寂。

 その中で、一人きり。


「……サラ…」


 フィーは湧き上がる想いを吐き出した。


「死んじゃったの、サラ…?」


 ギュッと掴んでいた黒い上衣ジャケットへ顔を押しつける。


「本当に、死んだ、の…?」


 恐怖と混乱が押し寄せ、ひどい悲しみが外の嵐のように猛威を奮う。そこへさらに、拍車はくしゃをかける雷が。



――ピシャァ――――ッ!



 ビクついた肩が顔を上げさせると、周囲の闇が視界を覆った。そこかしこでうごめいているように見え、こちらへ襲いかかってくる気がしてならなくなり、フィーは思わず手首へと手をやった。

 それは、強い力で絞められた跡が残る右手首ではなく、腕時計がはめられていた左手首。


「助け、て…」


 時を刻まぬ短い針。常に示すはつい在処ありか

 その行方ゆくえが、涙で見えない。


「助けてよぉ……スヴェン…!」


 自分でもわかるほどに情けない声を上げ、フィーはすすり泣いた。嵐の夜の向こう。遠い遠い、恋人を想って。

 だから彼女は、その部屋に満ちていた白百合の香りが少し薄れていたことに、気付きはしなかった。







 サラの死体を覆う黒いローブの上に、ケイトはそっと白い百合の花を捧げた。


「……特別サービスだよ。わざわざこんな、敵にこっちの居場所を知らせるような行為、自殺もんだからね」


 松葉杖を横に置き、がらんとした廊下の真ん中で膝をつく。どこかへサラを動かしたかったものの、遺体の損傷が思いのほかひどく、そして、そんな時間もない。

 サラが稼いでくれた時間を、無駄にしたくない。


「ま、あんたのおかげで敵はしばらくこっちに気付かなそうだし、これぐらいはね。だけど、あんたの妹分は連れてきてやんないよ……きっと、傷になるから」


 ケイトはぬれているローブの上へ、優しく手をわせた。


ローブこれで我慢してよ。ねぇ、サラ……」


 もう行かなければ。そう思った。


「……なんか、言いなさいよ」


 頭ではわかっていた。


「フィーにしたこと怒ってんの? だったらいつもみたいに、憎まれ口でもなんでも叩けばいいじゃない」


 だけど、感情が言うことを聞いてくれない。


「ねぇ、サラ……サラ――」


 心と体が、バラバラだった。


「――なんとか言いなさいよっ…!」


 ダンッ、と拳を硬い床の上へ打ちつけるも、痛みがない。

 顔を伏せ、あふれる涙が雨のように彼女を覆うローブへ落ちる。


「なんで、勝手に……死んでんのよ…!」


 もう行こう。ケイトは必死に自分を促した。しかし、体が言うことを聞いてくれない。心がここを離れようとしない。

 それは何も、彼女を失った悲哀によるものだけではなく、この先に待ち受けるもあった。


「……前にあんたのこと、お荷物なんて言ってごめん」


 ローブからはみ出たサラの手をそっと握る。


「あんたきっと本当は、誰よりもきもが据わった女だったよ」


 震える両手で持ち上げて、コツン、と額を合わせる。まるで死者をいたむように。

 けれど、違う。


「だからさ、サラ。ほんの少しでいいから――」


 死者への祈りなどではなく、ましてや願いなどではない。

 それは、死出の旅路についた者への誓い。


「――私に、あんたの勇気を…」


 大事な友だちとの、再会またねの約束だった。

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