9 再会の約束①

 いつも束ねている黒髪をボサボサのまま放置するほど、ケイトはげんなりとしていた。

 上体を起こし、足にだけタオルケットをかけて居座るベッドの上。その端に腰かける赤毛の友人――と呼んでいいのかは不安なところ――が、サイレンと同時に着替えた自分の黒い上衣ジャケットそで引っ張り続け、何度も同じことを言うものだから。


「だ、大丈夫だからね、ケイト。私がついてるからねっ」

「はいはい」


 とあしらう返事も聞こえていない様子。

 そして、はっきりとした目鼻立ちで笑顔がよく似合う――ウソくさい笑みを見せる彼女の姉貴分とは大違いの――フィー・ヴァレンタインは、黒ローブに備わるフードを被り、その下でっと笑顔を見せた。口元が引きつってんぞ。

 などと言及しようとした時、外で雷が鳴った。



――ピシャ――――ッ!



「ひゃっ!」


 嵐の夜を映す窓が明るくなり、照明の落ちる病室を一瞬だけ照らす。

 大部屋の一番奥。向かい側に並ぶ三つのベッドに客はおらず、左隣の二つももぬけのから。サイドテーブルもがらんとしており、自分のいる窓際のテーブルの上にだけ、どこから入手してきたのかわからない花が飾られていた。闇の中でも目立つ白い百合の花だ。

 そんなお見舞いとしては不適当な花を持ってきた張本人が、ヒシッ、と腕にしがみついた勢いの余波で、危うくその花瓶ごと台無しにしかけた。


「あんた、雷苦手なの?」

「べ、別に、そんなんじゃないけど…」


 グワングワンと揺れる花瓶が無事に元の状態へ。百合は香りが強くて病室に置くものではないが、花に罪はないので良かった。ホッとひと安心。

 すると、誤解されたらしい。フィーは少しばかりムッとしていた。


「またため息……ケイト、なんでそんなにいつもどおりなの?」


 そんなにため息をつくキャラだと思われていたのか。肩をすくめようとするも、フィーがしがみついていたほうの肩は上げられず、片方だけで遺憾いかんの意を示す。おまけに片足は不自由。

 これでは、が不安だった。


「とりあえず離してくんない? あんたびしょぬれだしさ」

「私の心配よりぬれる心配!?」

「あんたが私を心配して来てくれたんじゃなかったっけ?」


 ハッとした表情で離れるフィー。だが、こちらのそではギュッと掴んだまま。まるで雷に怯える子どもだ。

 しかし、ケイトはわかっていた。彼女が本当に恐れているものを。だから、無理やりその手を引きはがすようなことはしなかった。

 その代わり、足に被せていたタオルケットを彼女の頭へ被せる。


「わっ!? な、何!?」

「敵襲じゃないって。それで髪でもふいてちょっと落ち着けば? そんなんじゃもたないよ、あんた」


 ケイトは解放された手であらわになった足の片方をなでた。痛みの残る左足は、黒いズボンの下に今も包帯が巻かれている。


「……落ち着いてるね、ケイトは」

「戦場に慣れてる、とかじゃないよ。あんたが横でビビり散らかしてるからね」


 恨み節のような声音に対し、無事なほうの膝を立てながら皮肉で返す。

 嵐の夜に鳴り響いた基地のサイレン。昔いた歩兵部隊でも聞いたことのあるその音に、ケイトは自然と準備を整えていた。兵士としての任を解かれた今、できることなど何もないにもかかわらず。そして不自由ながらに服を着替え、どうしようか迷っていたところに病室へ飛びこんできたのがフィーだった。

 彼女いわく、敵は魔杖機兵ロッドギア一機。魔導技術マギオロジー戦だ。そしてこんな嵐では歩兵の出番などなさそう。そんなことで少しホッとする自分がおかしかったりもした。まだ慣れていないのだ、怯えなくていい世界にちじょうに。

 それはともかく、基地を強襲されたわけではないことにケイトは胸をなでおろしていた。出撃したジンの身を案じるフィーには悪いが、一番大事なのは自分の身。戦う理由を知らない兵士にとっての勝利など、生き残ること以外にほかないのだ。誰だって、戦いたくなどない――というのにの戦わないやつにかぎって戦いたがりだったりする――のだから。

 だが、ケイトは少しイライラしていた。絶対に安全というわけではないが、こんな要所でもない僻地へきちに攻めこむなど、よほどのことでもないかぎりあり得ない。きっと逃走中のはぐれ魔賊が迷いこんだのだろう。そんなあたりをつけながらも、やっぱりイライラ。

 それは、フィーが持ってきた逃走案について。げんなりしていたのも実は半分ほどそれが原因。

 そのいら立ちを隠しながら、フードを外して赤毛をわしゃわしゃとふくフィーへ尋ねる。


「それで、逃げるのはいいけどいつまで待つの?」


 あるかどうかも定かではないらしい枯れ井戸の秘密通路。そこを通ってケガ人である自分を逃がすという、ジンからの言付け。それがフィーの持ってきた逃走案だった。

 そしておそらくジンにとって一番重要だった点は、この「うっ…!」とのどを詰まらせたフィーとだった。


「たぶん、もう少しでサラも来ると思うから……」

「ジンの言付けに従うなら、別にサラを待つ必要もないと思うけど?」

「もうちょっとだけ! ね? お願い!」


 手を組んで祈られても大した感慨かんがいはない。別にどちらでも良かったし、こちとら神様などではないのだ。

 そしてふと、ケイトの胸にまたいら立ちが募った。神様気取り。まるで手のひらの上で転がされている気分だ――


「別に。私は最初からどっちでもいいよ」

「そう言うわりに、ケイト、なんか怒って……あ、もちろん私のわがままのせいだってことは重々承知――」

「あんたでも、ついでにサラを待ってることでもないよ」


――あの、ジン・ヘンドリックスに。


「? じゃあ、何に怒ってるの?」

「……別に」


 また変なキャラ付けされそうだな、と思いながらもケイトは冷たく言い捨てた。そして立てた膝の上で指を叩く。トントントントンッ。

 すると、すっかり萎縮いしゅくしてしまったらしいフィーに気付き、ケイトは膝を叩いていた指で気まずげに頬をかいた。


「それよりさ、サラが来るまで暇なら武器庫にでも行ってきたら?」

「ぶ、武器っ!?」

「いや、そんな驚かなくても…」


 跳び上がらんばかりの反応。明るく言ったつもりだったのに、どうやら怖がらせてしまったらしい。


「銃とかそんなんじゃなくて、ほら、井戸の通路の壁をぶっ壊せって話なんでしょ? だったら壊すもんがいるんじゃない?」

「壊すものって、たとえば?」

「そりゃ……爆弾とか?」

「ば、爆弾っ!?」

「あーもうハンマーとかでもいいよ別に」


 ケイトは再びげんなりしてきた。いちいちビビりすぎなのだ。そう文句を言うのもこくなことだとわかっていたから、余計にげんなり。

 怖いのだろう、戦場が。前に魔賊がやってきた時と違い、彼女は正式に魔導技師マギナーとなっている。つまり予備役よびえきだ。駆り出される可能性は十分にある。


(皮肉だね…)


 ケイトは慌ててハンマーを取りに行こうとするフィーをなだめすかしながら思った。ついこの前まで立場が逆だったのに。

 それがとても、嫌だった。


「……深呼吸でもしなよ、フィー。大丈夫だから。何も今すぐここが戦場になるわけでもないでしょ?」

「そ、そうだけどさ…」

「それに、さすがに一機ごときでこの基地までたどり着けるはずないよ。こっちにはあの鉄仮面……じゃなくて、バウマン教官だっているんだから」

「? 教官って、そんなにすごいの?」

「そりゃまぁ。帝国一のルーク乗りって言ったら……なんか姓が変わってて最初は驚いたけど、あの人に違いないね。だから大丈夫。この前の魔賊との戦闘だってスヴェンあのバカがしゃしゃり出なくてもきっと――――」


 ケイトはしばらくしゃべり続けた。フィーの感じる不安を少しでも取り除こうと。なんて柄でもないことを、と内心で悲鳴を上げながら。

 それでも、嫌だったのだ。彼女の笑顔が曇ることが。

 ますます


しゃくだわ、ホント……けど、それにしたって)


 っと引きつった笑みを見ながら思う。最初は自分の口下手さに愛想笑いでも浮かべているのかと疑ったが、どうもそうではない様子。


「ねぇ、フィー。もうサイレンだってとっくに鳴りやんでるんだから、そんなに怯えることないでしょ?」

「う、うん。それは、わかってるんだけど…」


 煮え切らない態度。普段なら無視するのだが、その瞬間に勘が働いた。

 この子、何か知っている。


「フィー、あんたもしかして――」

「待ってケイト、しっ!」


 問い詰めようとすると突然、フィーが口の前で人差し指を立てた。


「急にどうしたの?」

「な、何か聞こえない?」

「? 何かって……」


 こちらへ再びしがみつくフィーをそのままに、ケイトは耳をそばだてた。

 だが、聞こえるのは嵐の音ばかり。ついでに窓の建付けが悪い。


「ガタガタ言ってるけど、これ、吹き飛んできたりしないでしょうね」

「そっちじゃなくてもっと遠くから!」


 そう言われても、と戸惑いながらに病室の入り口のほうへ目を向けるが、何も変わりは――



――ガシャ…。



「――え、今の……」

「聞こえたでしょ?」

「うん…」


 小さな音だった。何か、物が割れる音。

 誰かが争っている物音のようにも聞こえた。


「ちょっと、様子見てくる。あんたはここにいて」

「ダメだよケイト! だって、ケガしてるのに……偵察なら私に任せて!」

「セリフと態度が合ってないけど?」


 呆れながらそう言うと、ベッドから下りるのを邪魔していた引っ付き虫がキョトンとする。その間もガッシリ掴む腕を放しはしない。

 やがて自分の痴態ちたいに気付いたのか、パッ、と離れてわざとらしくせきこんだ。


「と、とにかく、ここは私に任せて! ケイトを助けるのが私の特別任務だから!」


 グッ、と拳を握る姿は勇ましいが、まるで初めてのおつかいに意気込む様相。ケイトは目まいがした。


「フィー、あんたね……ってちょっとどこ行く気!?」

「? だから、様子を見に……」

「足震えてんじゃないの! ここで大人しくしときなさいよ!」


 そうすればそのうち、サラが来るだろう。そして同時に、あるかもわからない隠し通路の入り口を破壊という、バカな特別任務もなくなるかもしれない。状況を把握しにいったサラが彼女を説得してくれさえすれば。

 しかし、もし切羽せっぱ詰まった状況なら予備役よびえきの召集もあり得る。そのときはとんでもないその作戦を実行する気ではあるし、だから今、フィーが上官などに見つかる事態は避けたいのだ。

 というような説明を、ベッドのそばで攻防を繰り広げながらしたものの、なかなか彼女は聞く耳をもたなかった。面倒な。意外に頑固だということは知っていたが。


「あんたね! ジッとしてられない気持ちはわかるけど、余計ややこしくなるだけだから!」

「ケイトこそケガ人でしょ!? ジッとしててよ! 私が、ケイトを、助けるんだからっ…!」

「だからそれがややこしいって言って……うわっ!?」

「きゃっ!」


 攻防の末、もつれ合いながら転倒。ベッドから転がり落ちて、うまく受け身が取れずに足の傷がズキッと痛む。

 フィーは青ざめた顔でガバッと身を起こした。


「ケイト、大丈夫!? ご、ごめんね!」


 背中を抱えられながら、ケイトは黙した。床に落ちた衝撃か、もしくは傷の痛みのせいか。

 答えは、どちらでもない。



――パシッ。



 フィーの背後。その赤毛へと落ちそうになっていた花瓶を受け止め、彼女に気付かれないよう元へ戻す。

 そしてベッドと、嵐の夜を映す窓の間の狭い空間で、抱き合った状態のまま言った。


「無理、しなくていいんだよ」


 揺れが収まる花瓶。生けられた白百合。

 何も知らずに、生かされるもの。


「あんたはさ、そのままでいてよ」

「……と言われましても、それはちょっと困るっていうか、その、私にはスヴェンが……」

「? あんた何言って――――」


 あ、と気付き、抱きしめていた体を離す。柔らかく、甘い香りのした彼女は暗闇でもわかるほどにしどろもどろ。

 ケイトは表情を取り繕って言った。


「ごめん、私そっちのないから」

「……え、私がフラれたの!?」

「どっちにしろ『私にはスヴェンがいる』んでしょ?」

「うっ…!」


 モゾモゾとフードを目深に被り出す目の前の友人を見て、ケイトは皮肉げに笑った。それに気付き、キョトンとした表情を見せてからフィーも笑った。自分にはできない、自然な笑顔だった。

 それをうらやましいと思ったことはない。


「あんたさ、リーとどこまでいったの?」

「えっ!? いや、どこまでって言われても……告白したの、出発の前日だったし」

「なんだ、そうなの? つまんないね」

「つまっ…!? ていうかケイト、キャラ違くない?」

「別に……こんなキャラ?」


 そして二人は自然と笑い合った。外の嵐の音すら割りこめぬほど近く、暗闇の中でも互いの表情がわかるほどそばで。何も知らない白百合が、締め切った室内で風にも揺れず、ただそれを見守っていた。

 やがて、ふと思い出す。


(そうだ、物音)


 こみ上げる笑いを収め、ケイトはフィーへ自分が様子を見てくることを伝えようとした。やはり、彼女には行かせられない。納得してくれるといいが。

 だが、そんな心配はいらなかった。



――ダダ————ッ!



「っ! この音…」

「足音?」


 その物音ふきつは、向こうからやってきた。


「サラかな?」


 どんどん近づいてくる足音に、フィーが喜色満面の笑みを浮かべる。

 ケイトは喜べなかった。その音が、あまりにも必死に聞こえて。

 まるで何かから逃げているようだ。


「フィー、こっち…!」


 思わずフィーを抱き寄せるも、彼女は困惑していた。


「な、何? 急にどうしたの?」

「隠れて…!」

「隠れてって、なんで?」


 問われるも、何も言い返せず。自分でもよくわからなかったからだ。

 迷っているうちに、足音がどんどん迫ってくる。近い。もうすぐそこ。

 ケイトはフィーを有無も言わせず胸の中にかき抱いて、ベッドと窓の間の狭い空間へと身を潜めた。嵐でびしょぬれなままのローブがこちらの体温を奪うように水でぬらし、胸元から小さな悲鳴が上がる。

 その瞬間だった。



――バンッ!



 勢いよく開かれた横開きスライド式のドア。荒い息遣い。誰かが立っている。入口にたたずんだまま、病室へ入ってこようとはしない。


(誰…!?)


 心の中で上げた誰何すいかの声に反応するように、フィーが顔をベッドの陰から出した。腕の力を抜いてしまっていたらしい。


「サラ?」


 慌てて引っ張り、再び胸の中へ閉じこめようとする寸前。

 聞こえてきたのはサラの声だった。


「フィー…」


 親しげに呼ぶ妹分の名前。間違いない。ケイトは肩の力を抜いた。まったく、人騒がせな。

 崩れ落ちた体勢を整え、ベッドに肘をかける。


「ちょっと。脅かさ、ないで……?」


 フィーと並んでひょっこり顔を出すも、ピクリとも動かない人影に言葉が詰まる。どうしたのだろう。

 フィーが尋ねた。


「サラ、どうしたの?」


 闇の中のサラは肩を上下させるだけで何も答えなかった。決して動こうともしない。疲れてしゃべれないのだろうか。

 いや、そもそも本当にサラなのか。


「サラ…?」


 確信を得たくて発した問いかけに答えてくれたのは、嵐の発する光だった。



――カッ。



 窓の外に落ちた雷が、音よりも早く室内へ光を届ける。それが数回。光っては消え、光っては消え。

 まるでコマ送りのように照らし出されたのは、憔悴しょうすいしきったサラの表情。


「サラ? どうかし――」



――ガゴォ――――ッ!



「――ひゃっ!」


 連なる轟音。赤毛頭を抱えるフィー。閃光が室内を照らす。

 何度も何度も、コマ送りのように。



――カッ。



 サラの顔は、歪んでいた。



――ゴロゴロゴロ……。



 サラは、泣き始めた。



――ピシャァ――――ッ!



 サラは、自らの両手で口をふさいだ。首を振った。



――ガガァ――――ッ!



 指の間からもれる嗚咽おえつ。必死に見開かれた、涙のこぼれる両目。

 その、真っ赤に血走った目と――



――カッ。



――目が、合った。


「……び、びっくりしたー。今の雷、敷地内に落ちたんじゃ――――ムグッ!?」


 とっさにフィーの口をふさぐ。そして、そのまま抱き寄せる。手が震え、今にも力が抜けてしまいそうな体を奮わせて、いつもいがみ合っていたサラが妹のようにかわいがっている友人をこの身の内にかき抱いた。

 どうして、そうしたのか。自分でもわからない。ただ、そうしてくれと頼まれた気がした。

 雷鳴の轟く室内で、静かに髪をフワリと揺らしただけの、その人影に。

 肩の動きが鎮まった人影を照らす最後の閃光コマ。その、見慣れた憎たらしい顔は――



――ズガァァァ――――……!



――涙にぬれる、優しいほほ笑みを浮かべていた。


「ンーッ! ンーッ!?」


 手を叩いて暴れる腕の中のフィーを見てなのか、クスリと笑みをこぼす声。それをケイトは腕に力を込めながら呆然と聞いていた。

 そしてサラは大きく息を吸いこみ、叫び声を上げた。

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