8 ホワイト小隊②

 ブレン・バウマンは忘れてしまっていたのだ。

 誰かを守りたいというその想いを、彼は一度だって、果たせたことなどないことを。






――ピシャァ――――ッ!



(――――また雷か)


 ルークを配置につかせて周囲を索敵していたブレンは、何度目かもうわからない雷に眉をひそめた。

 幸い、雷ごときで怯む部下はいないようだが、これだけ近いと直撃の恐れもある。それに雨も、ずっと横殴りのままひどくなるばかり。水でぬかるんだ地面は歩きにくく、夜更けだということを踏まえてもただの前進にすら気を遣ってしまう。霊的人工知能SAIによる自動姿勢制御機能があるとはいえだ。

 有視界戦闘、銃撃戦だけでなく白兵戦ですら困難を極めるだろう。


(だが、条件は相手も同じはず。ここで引き返すわけにはいかない)


 ブレンはいつまでたっても敵が見当たらないことへの不安を打ち消すように、レーダーを見ながら頭を軽く振った。

 それに、基地を背にして組んだこの陣形は、何も前進するだけではない。

 ビショップの大きな索敵範囲の円の端を、さらに前と左右のさらに三つの円で隣接させて、時には左右へしらみつぶしに移動しながら荒野をゆっくり進む。後ろへは行かせないという決意と意図。すべては基地への王手チェックメイトを防ぐため。

 少なくとも敵は、こちらの包囲をまだくぐり抜けてはいないはず。そのように良い方向へ思考を切り替えた時、また雷が落ちた。



――カッ……ドゴォンッ!



 光と音の間隔が先ほどよりも短い。どんどん近くなっている。


(本当にひどい天気だ……そういえば、昨日から雨も降りっぱなしだったな)


 いつからだろうか。ブレンはふと考えた。

 確か、格納庫で話しこんでから外に出た時には、もう降り始めていて――


(――そうだ、忘れていた)


 思い出したのは、その話しこんだ相手と内容。頭の片隅に引っかかっていた可能性。遺書の件で頭から飛んでしまっていた。


(作戦中だが、ほかの二人にも聞かせておくべきかもしれん)


 伝達速度維持のために通信回線は開きっぱなしだったが、敵に傍受されないよう全員が黙りこくっていた。その沈黙を破って、ブレンは先ほどの問いをジンに再び投げかけようとした。

 どう思うか――――ジンが危惧していたとおり、これはアナスタシア・ストラノフの仕業しわざなのか。


「こちらホワイトワン。ホワイトフォー、聞こえるか?」

『こちらホワイトフォー、聞こえます。今のところレーダーに反応ありません』

「そうか、こちらもだ。引き続き警戒を。それで……」

『? はい、何か?』

「……いや、なんでもない。ホワイトツー、ホワイト3《スリー》、そちらはどうだ?」


 ブレンは聞かなかった。聞くことをやめた。

 いや、のだ。


(そんな可能性の話を聞かせてどうなる? なんの意味もないだろ)


 異常なしの報告を上げる二つの若い声を聞きながら、ブレンは自問自答した。

 味方からの攻撃。それも相手は四大聖したいせいの一族にして、個人としても軍の中枢に近いであろうストラノフの聖女。アナスタシア・ストラノフ大師正たいしせい

 万一があったとして、それはもはや死刑宣告に近い。だからわざわざ聞かせる必要も意味もない。たとえどれほどの非が彼女にあろうとも、彼女がアナスタシア・ストラノフであるかぎり許されるだろう。

 逃れられぬ運命とはこの場合、権力と同義だ。


(権力……人の、上と下か…)


 ブレンは思い出していた。まだブラッドの姓を名乗っていたころ、屋敷から姿を消したスズを探して走り回ったあの時のことを。そして娘が生まれて、新たに身を投じた戦いを。

 同じ土に根を張る人を踏みにじろうとする、人の悪意を。


「……信じなさい、か…」



――それが、血に汚れた大地で実るものよりも、きっと美しいことを。



 葉は枯れ、幹は腐ろうとも、いまだ根付く師の想い。つないだ先の未来を信じた人の言葉。

 無意識に口にしてしまったブレンを、若い声が通信越しにいぶかしむ。


『ホワイトワン、どうかしましたか?』

『どこか調子でも…』

「いや、なんでもない。通信終了。引き続き警戒しろ」


 冷静に取り繕うと『了解』の声が重なる。ブレンは首を振り、心の奥底にしまっていたはずの思い出のふたを閉じた。一度開けてしまうとしばらく尾を引いてしまうものだが、今回はいつもよりひどい。何せ他人に話したのは初めてだったからだ。

 そして、自分の物語を伝えてしまった相手――――スヴェン・リー。そういえばあの優秀なのかバカなのかわからない教え子は、今どうしているだろう。


(もし大師正たいしせいがこちらを襲うとしても、スヴェンをどうするつもりだ?)


 ブレンは水しぶきだけを映す暗いスクリーンを見つめながら考えた。

 スヴェンが納得するはずがない。ならば、やって来るのは別の部隊か。はたまた内密に実行する気か。

 いや、今は無益むえきなことに思考を割く時ではない。放たれた矢はすでにブラック小隊を貫いているのだから。だがせめて、もう少しジンの話に聞く耳をもっておけば良かった。


(そうすれば、北方大聖公エリックを通じて回避も……)


 後悔がよぎりながらも、はた、とブレンは気付いた。万が一の前提であるはずが、まるで決定事項かのように思考を進めている。張り詰めすぎて疲れてしまったのかもしれない。


(さすがにバカげている。たかが少女ひとりを目にしただけで)


 気を取り直すように自嘲じちょうしたところで、再びあふれる過去の幻影。

 翡翠ひすい色の不思議な瞳をした、長い金髪の少女。体に傷ひとつなかったが、なぜか初めて出会ったころのスズと重なった。

 娼館しょうかんでいじめにあい、身も心も傷だらけだったあの少女スズと――


(――いかんな、どうにもくせになっている…)


 ブレンは目頭を押さえた。いくらふたを閉じようとも、あふれ出てしまう。その思い出はきっと箱にしまわれているわけではなく、消えない傷口そのものなのだろう。かさぶたをいじればうみがあふれるのも当然だった。


(集中しろ。相手が誰であれ、今は思い出に浸る余裕などないはずだ)


 グッ、と操縦桿を握る手に力を込める。

 ブラック小隊も実戦経験を積んでいる者はとぼしかった。かといって、戦闘にすらならぬまま全滅など本来ならあり得ない。敵機はよほどの性能か実力者なのだろう。自分も、かつての勘を少しでも取り戻さなければやられてしまうかもしれない。

 ブレンは今度こそ目の前の現実へと集中し始めた。レーダーを確認し、暗い画面の向こう側を見通そうと、ただでさえ厳めしい目つきをさらに険しくする。最後にほんの少しだけ、せめて基地長ぐらいにはジンが話していた件について相談しておけば、と後悔しながら。

 その瞬間、うわさをすれば影か――



――ピピッ。



――はたまた、忍び寄るふきつか。


(? 基地長から通信?)


 しかも、基地の通信設備を使用せず、個別回線。よほどの急用か。ブレンはそう思いこもうとして――――嫌な、予感がした。



――ピッ。



「作戦中ですので暗号名コードネームで失礼します。こちらホワイトワン。基地長、どうされ――」

『た、大師たいしっ! あぁ良かった、本当に良かった! つながってくれた!』


 しわがれたその安堵の大声に、ブレンは面食らった。

 何十年と魔杖機兵ロッドギアパイロットの育成に力を注ぎ、あの基地を我が家としていた基地長は、今年の暮れには軍人を引退することが決まっている老人だった。穏やかになったと言えば聞こえはいいが、どちらかというと生きがいを奪われて元気をなくしていたはずの老人の、こんな大声を聞いたのはいつぶりだろう。しかも、かつてないほどに取り乱している。


「基地長、落ち着いてください。どうなされたのですか?」

『た、助けてくれ大師たいし! すぐに戻ってきてくれ!』

「戻って、とは――」


――まさか。


『基地が襲われたんじゃ!』


 その言葉の意味を理解すると、ブレンの頭は真っ白になった。


「そんな、バカな…」

『本当じゃ! 嵐の中から突然現れて、やつら、真っ先に通信施設を…!』


 つまり敵は、こんな嵐の中でも基地までの道のりを把握しており、内部の設備すら熟知しているということ。染みついていた習慣で、ブレンの頭は無意識に情報を組み立てていった。

 そして拾った違和感と情報をすり合わせると、後から感情も追いつく。


「敵は何機ですか!? まさか、別方向から!?」


 一機という情報はあくまでブラック小隊の途切れてしまった通信からだ。最初からそこまでの確信はもっていない。しかし、この索敵包囲網を抜けられたとも思えない。ならば答えは同時襲撃。第三の新手という線はないだろう。

 つまり罠。自分たちは、おびき出された。ブレンは奥歯が少し欠けてしまうほどに歯をくいしばった。

 しかし、答えは少しだけ違った。


魔杖機兵ロッドギアではない!』

「え?」

『対人部隊じゃ! しかも、帝国わが軍の装備で!』

『っ!』


 無言の反応が小隊の回線から伝わる。基地長の声が届いていたのだろう。

 誰が反応したのか、すぐにわかった。


『は、早く、早く助けにきてくれ大師たいし! お前さんだけが頼りなんじゃ! 対人戦など、わしはもう何十年とやってないし、ほかの者もみんなあっさり殺されてしまって……』

「なっ…!?」


 事態は深刻なようだった。小隊との近距離通信回線は開いていたが、敵機にばれないよう基地との遠距離通信回線は閉じていたのが災いした。たとえ通信施設が奇襲で制圧されていたとしても、真っ先に異変を察知できたはず。

 だが、悔やんでいる暇はない。すぐに引き返さなければ。そう気が逸るものの、まず最初に口をついて出たのは基地長の身の安全だった。


「通信を切れっ!」


 命令口調に対し、おとがめはなし。

 基地長がすがりつくような声を上げる。


大師たいし、どうしてそんな……わしを見捨てんでくれ…!』

「逆探知だ! 敵に居場所がばれる!」


 魔素粒子循環エーテリング通信にはどうしても魔力場が――――歪な魔素粒子エーテルの流れが生じてしまう。計画的で、しかも用意周到な敵ならば、その反応をたどって位置を割り出すだろう。銃口の光マズルフラッシュよりも簡単な割り出し方だ。自分も何度も――割り出すのも割り出されるのも――経験がある。

 おそらくどこかに隠れているらしい基地長へそう促したが、老人は恐れのあまり聞く耳をもってはくれなかった。


大師たいし大師たいし、助けてくれ…! わしは嫌じゃ……こんな、こんな形で軍人としての最後を迎えるなんて嫌じゃ!』


 ダメだ、とブレンは思った。こちらから通信を切るか。

 しかし理解させなければ、またあちらからかけ直し――



――……チャッ…。



「っ!」


 通信の向こう側から、雨音にかき消されそうなほどの小さな物音がいやに響く。


『あ……あ、あぁ…』


 一足――――いや、一声遅かった。


『ま、待て、わしはこの基地の責任者じゃ! お主らの要求を――』



――バシュッ、ガッ……ザー……。



 入り乱れた音の後に流れる砂嵐が、搭乗席コックピットに響く雨音と重なる。

 通信は切れていた。ブレンは奥歯をかみ締め、大きく拳を振り上げた。



――ダンッ!



「全機撤退! すぐに基地へ戻るぞ!」

『ハッ!』


 と呼応する二人。残りのジンが異を唱える。


『ホワイトワン。けど、ここの敵はどうするんですか?』

「私たちをおびき出す罠だったんだ。もうすでに撤退しているか、もしくは……」


 言いながら、ひとつの可能性が頭に浮かぶ。

 ジンがそれを言葉にして引き継いだ。


『俺たちが基地へ戻る背中を襲うつもりなのでは?』

「……だとしても、ほかに選択肢はない。本拠地ホームを失うわけにはいかん」

『それはわかってます。だから、こうしましょう。ルークだけ先行して基地へ帰るんです』

「何?」

『直線距離の速度ならルークが一番のはずです。その後ろにナイトとビショップを置いて、最後尾にガンバンテインを。菱形陣形ダイヤモンドフォーメーションです』


 沸騰ふっとうしていたところに冷や水を浴びせられ、ブレンは幾分いくぶんか冷静になった頭でその意見をかみ砕いた。

 確かに、理にかなっている。ビショップの長距離射程ロングレンジ攻撃で前後をカバーしながら、ナイトの機動性による状況対応力でルークの直進を補佐。いずれ引き離してしまうことになるが、そのころにはもう基地ゴール。速度だけを優先するならジンの案が一番だ。

 ただ、問題がひとつ。


『おい新入り! こんな時にしゃしゃり出てくんじゃ――』

『無理だ』


 それは生意気な後輩という点ではもちろんなく、ビショップのカバーできる範囲について。


『ガンバンテインがルークやナイトの最高速度トップスピードについていけるはずがない。陣形が間延びした時、ビショップはどちらかしか援護できないぞ』

『そこは前を優先で』

殿しんがりが単機になる。それじゃ――』

『じゃないとおとりにならない』

『――っ! お前……』


 そう息をのんだのは、果たして誰だったのか。

 全員だった。自分も含めて。

 それほどの覚悟。


『ホワイトワン、行きましょう。議論してる時間が惜しい。優先すべきなのは基地のはずです』


 とっさに何も言えずにいると、ジンが『生意気言ってすみません』と付け加える。謝るべきは自分だ。決断できずにいることも、おそらく彼の言ったとおりになってしまったことも。

 それでもブレンは判断に迷っていた。これまでに何度も、もっと難しい状況で厳しい決断を下してきたはずの男が。それは空白期間ブランクゆえ――最前線にいたのはもう二十年ほど前のことだ――でもあったが、それ以上に彼はジン・ヘンドリックスを失うことへのためらいが生まれていたのだ。

 頭は切れるし腕も確か。これから経験を積めればと思っていたが、そんなことはない。この窮地きゅうちで冷静さを保ち、瞬時に作戦を立ててみせる胆力たんりょく。しかも、己の命の危険すら勘定に入れて。

 未来の英雄。この教え子は、彼の親友であるスヴェン・リー、そして自分がかつて戦場でその背中を守っていたエリック・レッドヘルムと同じ、特別な存在。ふと、そんな気がした。

 ここで失っていいのか。


『……大師たいしっ!』

「わかっている!」


 そう、わかってはいた。それしかない。王手チェックメイト寸前で駒がやられる心配などしている場合ではないのだ。ブレンは操縦桿を動かし、ルークを後ろへと向かせた。

 苦渋くじゅうの決断。たとえ時間は短くとも、悩みに悩み抜いた彼の答え。


「行くぞっ! 全機――」


 しかしその答えを、運命は初めから



――チカッ。



「――っ!?」


 光。スクリーンを覆うほどではなく、端にチラッと。それでもブレンはギョッとした。雷ではない。なぜなら地表で光ったからだ。

 まるで、銃口の光マズルフラッシュのように。


『! 二時の方向!』


 ジンの声に反応し、ガンバンテインへ視界カメラを向けると――



――ピッ。



――光の線が、世界を横切っていた。


(なっ――――)




 幾千、幾万、幾億に刻まれた時の世界。

 消えた風。浮かぶ雨粒。

 そしてゆっくりと、地表すらえぐり、嵐を穿うがつ空間が広がっていった。

 周囲の雨粒を吹き飛ばしていくその嵐の傷痕きずあとに、刹那せつなの中で悟る。




(――――死――)



――ズガガァァァ――――ッ!



 遅れてやってきた衝撃波で、縦へ横へと回る世界。その中で、スクリーンから差しこむ光をブレンは見た。

 ふきつを払うふきつ。淡い緑色。それはまるで、殺された嵐の血のように、辺りへ撒き散らされていた。

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