5 交わらぬ残響

 外は嵐だった。

 体ごとさらおうとする強い風に、ゴロゴロと絶え間ない遠雷えんらい。土砂降りの雨。警報は鳴り続けていたが、室内にいた時よりも遠く聞こえる。

 そんな中でケイトの元へ急ぐフィーは、ばったりジンに――しくも先日、盗み聞きしていた現場で――出くわした。


「あ、ジン」

「! フィー、お前なんでここに!?」

「え? えっと、なんでって言われても……」


 雨のとばりの向こう側の予期せぬ剣幕にしどろもどろ。アスファルトの表面や、道を挟む左右の壁を打ちつける水音に負けぬよう声が大きくなったのはわかるが、なぜそんなに怒っているのか。

 とっさに答えられず、雨具代わりのフードを引っ張っていると、同じような格好で雨に打たれるジンからいきなり腕を掴まれた。


「ちょっとこっち来い!」

「な、何? 痛いってばジン…!」


 引きずるように連れこまれたのは格納庫の裏手。横殴りの雨は三角屋根の下にまで届き、ジンは風に飛ばされないようフードを押さえながらも、顔がびしょぬれになることは気にも留めない様子で、こちらへ怒鳴り散らした。


「バカかお前はっ! なんて格好でこんなところをうろついてやがる!」


 フィーは目が点になった。まるで露出の多い服を着ている女性の恋人か、娘の父親のような言い草。もちろん両方違うし、そもそも服装におかしなところはない。あるとすれば傘を差していないことぐらいだろうか。


「仕方ないでしょ! こんな天気で傘なんて差したら飛ばされちゃうじゃない!」

「そういう意味じゃねぇよバカ!」

「あ、またバカって言った! じゃあどういう意味よバカ!」

「バカにバカって言われる筋合いねぇんだよバカッ!」


 言い合いながらも内心ビックリ。彼とこんな――有りていに言えば低レベルな――口げんかをするのは初めてだ。

 ジンが顔を背けて舌打ちをこぼす。


「まだそんな召集段階じゃないはずだ。お前まさか、自発的に来たんじゃないだろうな?」


 少し落ち着いたらしい。しかし、やっぱり意味不明。

 フィーはバタバタとさらわれかけるフードを押さえながら尋ねた。


「召集ってなんの話? 私、心配だからケイトのとこに行こうとしてるだけだよ?」

「何をそんな悠長なこと言ってんだ。お前、予備役よびえきだろうが」

予備役よびえき?」


 はて、と首を傾げる。聞いたことあるような。


「なんだっけ? それ」

「バッ…! 有事の際に兵士として呼ばれるやつのことだよ!」

「……え!? そ、そんなのなった覚えないよ!?」

魔導技師マギナーはみんな予備役よびえきなんだよ! だから今、そのマスター階級のローブ着れてんだろうが! なんで知らねぇんだ!」


 ジンは再び怒ったが、今度はそのやり場を見失ってしまったかのように近くの壁を蹴った。驚いたが、それどころではない。頭の中が真っ白だ。

 手を離したフードが風にさらわれ、すぐにぬれそぼった肩までの赤毛が頬に張りつくも、かまわずポツリ。


「私、戦争に行くの…?」


 ゴウゴウと吹きすさぶ嵐にかき消されそうなか細い声でフィーは言った。ジンには聞こえたのか、それとも雰囲気だけで察したのか、二人の間に下りるのは重苦しい沈黙。まるでそこだけ、台風の目になったかのような静けさだった。

 やがて、どこからともなく人の声が聞こえた。

 かばうように背中へ押しやられ、そして彼は人がいるらしい道のほうの様子を物陰からうかがいながら言った。


「今のところ、一般社会で働く魔導技師マギナー予備役よびえきとして駆り出された事例はないはずだ」


 その言葉に安堵あんどしたのは、ほんの一瞬。


「けどお前は、まだ軍の管轄外で働いてる魔導技師マギナーってわけじゃない」


 ヒュッ、と呼吸が止まる。


「加えてだ。予備のパイロットとして待機命令が出る可能性は十分にある」


 真っ白な頭がグルグル。だって、そんなの聞いたこと――――ないわけではない、気もする。

 軍人としては役立たずでも、魔杖機兵ロッドギアパイロットとしての特殊技能は習得しているわけで。だから、登録上。万が一の場合。当の魔導技師マギナーたちですら忘れるほどの、紙の上の話。

 それがまさか、自分の身に降りかかるなんて。


「とにかくお前は部屋に引っこんでろ。見つかったら最悪の場合、訓練用のガンバンテインで出撃なんてこともあり得るんだからよ」


 今ならばまだ、誰も予備役じぶんの存在など思い出さない。隠れてさえいれば。だからこんなローブを着て基地の中をうろつく自分にジンは怒ったし、もしかしたら、サラもわかっていたのかもしれない。『に部屋で待ってて』などという妙な念押しはきっと、予備役これ憂慮ゆうりょしてのことだったのだろう。

 二人は優しい。でも、自分を心配してくれている。

 けど、そもそも――


「……良し、どっか行ったな。今のうちに戻れ。この雨なら顔なんてほとんど見えねぇから大丈夫なはずだ」

「……ねぇ、ジン」

「無駄話なら後にしろ。俺も暇じゃねぇんだ」

「訓練じゃないの?」


――って、なんだ。


「これ、訓練だよね…? そうだって言ってよ、ジン!」


 思わず背中にしがみつき、ジンの着ていたローブを引っ張る。勢い余って取れたフードから現れる短い砂色の髪は一瞬で水気を帯び、そして振り返った顔に入り混じるのは――――驚愕きょうがくと、後悔。

 ジンが一度目をつむり、表情を消してから告げる。


「いいか、フィー。落ち着いて聞け。これは訓練じゃない」

「じゃあこの警報は何? 故障? 調整テスト? それとも誰かのいたずら?」


 引きつるのどを無理やり動かし、早口でまくし立てる。けれど、奥歯がかみ合わない。

 肩が震える。


「どれも違う。わかるだろ?」


 その震えを押さえこむようにガシッと両肩を掴まれたが、フィーはその手を乱暴に振り払った。


「わかんないよそんなのっ! だって、だって……なんで、味方のはずのアナスタシア様が!?」


 それは、失言だった。フィーが知るはずのない情報だったからだ。

 ジンは唖然あぜんとしていた。


「お前、なんでそれを? どこで聞いた?」

「ジンが言ったんでしょ! そこで教官と話してたじゃない!」

「……盗み聞きしてたのか」


 くちびるをかむ表情に非難の色はうかがえなかったが、たとえもし責められていたとしても、今のフィーにそれを気にする余裕はなかっただろう。それほどに混乱していた。


「意味わかんない! リズちゃんがなんだっていうの!? あの子は、エイル・ガードナー博士の身内で……知り合いだからってアナスタシア様に預けたんでしょ!? それがなんで、こんなことになるの!?」

「フィー、落ち着け。今はそれより――」

「ジン、何か隠してるんでしょ!? だっておかしかったもん、ずっと! リズちゃんへの態度! もうやだ……なんで、なんで私が…!」

「――フィー…」


 どうでもいいこと。そんな言葉が泣きじゃくるフィーの頭の片隅に浮かんだ。あの少女も、目の前の青年も、今は責めている場合ではない。やるべきことがほかにあるはず。冷静な部分の己がそう告げた。

 だが、それよりも思うことがある。思い出してしまう。


「私、は……」



――私たちはここで、戦争してるんだ…。



 脱けがらのようにつぶやくケイト。彼女に嫉妬しっとした。

 深い溝。越えられない境界線。その向こう側で、自分の好きな人ときっと、理解し合える彼女に。



――あんまり、ピンとこないかもしれないけどさ。



 けれど、いざに立った自分は、あまりにも情けなかった。


「私、戦争になんて行きたくないっ…!」


 だから、余計に涙が止まらない。


「……聞け、フィー」


 ジンの声に強く首を振る。ブンブンと乱れる赤毛が水気を飛ばし、頬をぬらす雨粒と涙を強い風がさらっていく。


「いいから聞け」

「やだ……やだっ…!」

「フィー、俺もそろそろ行かなきゃならない。時間がないんだ。だから――」

「死にたくない……なんで、なんで私が? 私、死にたくないっ! 死にたくなんか――」



――パンッ。



 その音はよく響いた。それは、嵐の中でも冴える乾いた音だった。頬を叩かれたのだ。

 後からやってきた痛みでそれに気付き、フィーは呆然としながらも苦みばしった顔をするジンへ目を見開いた。


「……悪い」


 謝りながらも伸びてくる手。また叩かれる。思わず目をつむり、ビクッと体を強張らせるも、痛みはいつまでたってもやってこない。

 代わりに、パサリとかけられたフードが雨風をしのいだ。


「フィー、お前に特別任務を与える」


 フード越しにこちらの頭を掴みながらジンが言う。いつも浮かべるいたずらっ子のような笑みとは打って変わって、見たことのない真剣な表情だった。

 だが、セリフはどこか間抜けに聞こえた。まるでごっこ遊びだ。


「ジン、何言ってるの? 特別任務って…」

「病室の裏にある枯れ井戸は知ってるな?」

「え。う、うん。この前ケイトとそこで、話しこんでたけど…」


 こちらを無視して続けるその勢いに押され、思わず神妙に返す。

 いつの間にか、涙は引っこんでいた。


「そこはたぶん、この前の……リズが逃げこんだ場所につながってるはずだ」

「? それって、あのF型のマーシャルが隠されてた場所? あの、地下の祭壇さいだんみたいな?」

「枯れ井戸の底にへこんでる変な壁があるんだけど、その造りがたぶん、あの日に三人で通った道と同じだった。たぶん、あのリズが開けたのと同じ、隠し扉みたいなものなんだと思う」

「ちょっと待ってよ。さっきからばっかりなんだけど…」

「けど、間違いないはずだ。機体の回収作業を手伝う時も少し見て回ったけど、方角的にこっちへ続いてそうな小さな脇道があった。きっとあの古城の住人たちが大昔に作った、秘密の脱出経路なんだ……


 また。フィーは呆れそうになった。しかし、横殴りの雨に顔を打たれながらもまっすぐこちらを見つめる眼差しに、そんな気持ちも打ち消される。そして恐怖も、フード越しにジンの両手が耳をふさいでくれて、聞こえなくなった警報の音とともにどこかへ行ってしまった。

 フィーはいつしか、目の前でしゃべるジンの一言一句に集中していた。


「脱出経路だとして……もしかしたら、出口になる枯れ井戸側こっちからは開かないのかもしれない。侵入されるのを防ぐためだ」


 雨も、風も。落ちる稲光いなびかりすら遠く。

 今はただ、彼の言葉だけを。


「そんときは、なんとかぶち壊せ。ケイトといっしょに」

「なんとかって……それに、ケイト?」

「ケガしてるだろ、あいつ。お前が連れ出せ。それが特別任務だ」

「つまり、怪我人の救助ってこと?」

「どちらかといえば避難……いや、どっちでもいいか。とにかく、お前は行くんだ。俺がそう言ってたって必ずケイトに伝えろ」

「? それってどういう…?」


 ジンはこちらの疑問に答えず、耳をふさいでくれていた両手をそっと離した。

 雷雨。警報。ローブをバタつかせる風の音。世界は何も変わっていないが、フィーの中で少しばかりの勇気が芽生えた。幼くてもそれは、立派な使命感だ。


「大丈夫、お前ならきっとやれる。サラたちが魔賊に襲われた時も、ちゃんと行動できてただろ?」

「あれはその、だって、あの時は……」

「まぁただの救護係だったし、それにスヴェンがいたもんな」

「うっ…! べ、別に、そういうわけじゃ……」

「やれやれ。その調子だと、まだキスもしてないんじゃないか?」

「それはさすがに早すぎるっていうかでもチャンスはあったんだけどタイミングが悪くてこう……って、何言わせんのこの変態っ! しかもこんな時に!」

「こんな時だからこそってやつさ」


 いつもの調子を取り戻したジンが、肩をすくめてシニカルに笑う。


「このままじゃまだ、終われないだろ?」


 全身ぬれねずみ状態なので微妙にカッコ悪い。そんな彼に安心するし、たぶん、安心させようとしてくれているのだろう。

 フィーはまた泣きそうになりながらも、今度は涙をこらえてしっかりとうなずいた。


「……うん」

「お、いい返事。そんなにスヴェンとキスしたいのか」

「なっ、ななな、なんでそうなるの!?」

「だってそういうことだろ? ま、参考までに教えといてやるけど、キスしたきゃ自分からせがむんだな。あいつ、その手のことに関しちゃ受け身もいいとこだから」

「だから誰もそんな話……受け身?」


 なんか違和感。フィーは眉をひそめたが、そのしわをさらに深めてしまったのは胸がモヤモヤしたからだ。知っているらしい、この男。恋人スヴェンの過去の恋愛事情あれこれを。さすがは親友。

 知りたいような知りたくないようなと悩んでいるうちに、また人の声が聞こえた。嵐を切り裂いて先ほどよりはっきりと聞こえたそれは、ジンを呼ぶ上官の声だ。


「――――新入り、どこだ!? 出撃――――!」

「やべっ」


 反射的に隠れたジンが、グイグイとこちらの背中を押す。


「もう行け。ケイトは任せたぞ」

「あ、うん……ねぇ、ジン」

「なんだよ」


 立ち止まってすぐに振り返ると、ジンはフードを被り直していた。


「本当にいいのかな?」

「だから何が?」

「その、予備役よびえきって、やつ…」


 よみがえった不安がのどに詰まり、小さくなっていったフィーの声は嵐の中へと消えた。雨のとばりが二人を分かち、雷がゴロゴロと沈黙を取りなす。

 すると、聞こえなかったであろうはずのジンが言う。


「まだストラノフ大師正たいしせいの部隊って決まったわけじゃない」


 不安の種を勘違いされたらしい。フィーは意表を突かれたが、黙って耳を傾けた。


「それに、相手は一機だ。予備役おまえの出番が回ってくる前にさっさと終わらせてやるよ、袋叩きにしてな。だからお前は心配しないで、さっさとケガ人を安全な場所へ連れてけ」


 角の向こうをのぞきながら、シッシッ、と手振りだけよこすジン。その言葉と姿に、恐怖と不安が薄らいでいく。

 新たに胸を満たすのはケイトへの使命感。

 そして、彼自身のこと。


「ねぇ、ジン」

「あぁもう早く行けっつってんだろ、まだ何かあんのか…!?」

「大丈夫だよね?」


 出撃。なんてことなかったのに、今はどこか、生々しい恐怖を呼び起こす言葉に変わった。


「ジンは……ジンも、死んだりなんかしないよね?」


 さえぎる風が少し弱まり、雨足が遠のく。だからその願望こえはジンに届いたらしい。

 目が真ん丸に。虚を突かれたようだ。再び強く吹いた風にフードをさらわれても、しばらくその頭を野ざらしのまま呆然としていた。そんな彼へ、不安げな視線を送る。

 大丈夫だ。死んだりするものか。そう言ってくれないと、この金縛りにあったような足はもう動いてくれない気がした。


「……そんなの、わかんねぇよ」


 ジンが言う。少し沈んだ声で。

 夜に邪魔され、表情は読み取れなかった。


「わかんねぇ、けど……今回ばかりは、お前と似たようなもんだ」

「? 私と?」

「俺も、あいつと、その……」


 しかし、フードを被り直す際にうっすらと見えた。


「……ケンカ別れのまま、終わりたくねぇ」


 ジンはすごく、照れくさそうだった。


「……ふーん、そっかそっか。ふーん…」

「ニヤニヤしてんじゃねぇよ」

「手伝ってあげよっか? 仲直り」

「さっさと行っちまえ」


 すねたような態度のジン。貴重だ。初めて見たかもしれない。

 フィーは笑いをこらえきれず、もっとからかいたくなったが、口先だけなら百戦錬磨ひゃくせんれんまの彼からの逆襲を恐れてすぐにきびすを返した。


「気をつけてね、ジン! 仲直りも、言ってくれればいつでも協力してあげるから!」

「バッ…! 大声出すな!」

「頑張って、袋叩きにしてねー!」


 バシャバシャと足元にたまった水を蹴散らしながら、フィーは逃げるようにその場から去った。余計なお節介と少し的外れな応援を、その場に残して。




 そして彼女の声の残響が消えたころ、その場に残ってジンはつぶやいた。


「袋叩き、か…」


 雨はやまず、風は強まり。

 なおも続く嵐の気配。


「言えねぇよなぁ…」


 その瞬間、辺りが光った。


ブラック小隊はんぶんは、もう、られちまって――」



――ドゴォ――――ッ!



 近くに落ちた雷が遅れて轟音を響かせた時にはすでに、彼はその場から走り去っていた。彼女には伝えられなかったその悲劇を、嵐の中へ置き去りにして。

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