4 謎多き一行

 ベッドの上での攻防を終えてから現在の逃避行に至るまで、スヴェンたちの話にはもう少し続きがあった。そして、そこで活躍したのが謎のたる

 まさかの、タルボだった。



 腕をめられた状態から解放されても、スヴェンが大声を上げることはなかった。

 シズクの言うことを百パーセント信じたわけではない。しかし、ウソをついているようにも見えない。迷った挙句あげく、彼女の逃亡に手を貸すことを選んだのは、もしものときの保険だ。本当だった場合は皆が危険だし、ウソでも被害は自分だけで済む。もちろん後者の場合、スヴェンは反逆罪で絞首台送りなのだが、急な展開にそこまで頭は回らなかった。

 ただ、このまますぐに船から脱出、といかないことだけは理解していた。


『まずはリズを助け出します。詳しい話はそれからで』


 予想どおりの言葉へ素直にうなずく。気はいていたものの、仲間の安否と同じぐらい少女のことも気掛かりだったのだ。自分と彼女がいないこの船に、あの少女を置いていくという選択肢はないように思える。

 しかし、事はそう簡単に運ばない。


『それで、リズはどこにいるんですか?』

『そうだよ、ちゃんと居場所わかってんだろうな?』


 第三者へ向けたような会話だったが、二人は顔を見合わせた。鏡写しの様に目が丸く。それぞれの顔に『ウソだろでしょ…?』と書いてあったのはお察しあれ。

 互いに絶句。暗い部屋を支配する、重苦しい空気。

 そんな、始まりの段階で頓挫とんざするかに思われた逃亡計画を救うつるの一声は、その場にいた紛うことなき第三者から。


『――――タルッ!』


 ただしそれは、つるではなくたるだった。




 監視カメラの死角を突き、さらに警備兵をやり過ごしながらの隠密行動は、驚くほどにうまくいった。気配の察知能力が高いくノ一と、何より優秀な道案内ガイドがいたからだ。


『タル』


 警備の存在を察して回り道を余儀なくされたばかりだというのに、タルボがすぐ新たな道順ルートからだから生やした手で示す。それがリズへと続く道だと自信満々な様子。もちろん言葉はしゃべれないので、こちらの勝手な解釈だという可能性もある。そもそもなぜリズを知っているんだ。

 進むたび疑心暗鬼に陥り、スヴェンは両手で抱えていたたる胡乱うろんげに見下ろした。


『お前、本当にわかってんだろうな…?』

『タル!? タルタルタルッ!』


 ウィンッ、とカメラの一つ目レンズがこちらを向き、手足もジタバタ。

 その様子を、シズクが隣で物珍しげに見つめる。


『今、なんと言ったのですか?』

『わかるわけねぇだろ』

『? あなたが作ったのでは?』

『どうしてそうなんだよ。普通にどっかの魔導技師マギナーだろ』

『まぁ、そうなんでしょうが……やけに従順なようなので、あなたに』

『今まさにかみつかれそうなんだが?』


 なおもジタバタと怒りを訴えるタルボを、スヴェンは放り投げたくなった。亀のように引っこんでコロコロ転がったほうが速いだろうし。

 しかし、その先導方法では動きづらい。そう却下した本人はタルボのことを疑いもせず『とにかく急ぎましょう』と、示された道の先へ足音のしない足袋たびを滑らせた。

 そして、まっすぐに切りそろえた黒髪を揺らして一言。


『遅れないでくださいね、さん』


 言われてんぞ、と下を見ることはできない。

 おめぇのことだよ、と玩具おもちゃごときに指をさされたら、もう立ち直れそうになかったから。




 シズクは多くを語らなかった。

 だが、少しばかり引き出した会話から察するに、彼女の――ひいては東方の――狙いは新型魔杖機兵マーシャルなのだということがわかった。そのパイロットである自分はついでなのだろう。つまり、リズの救出のために自分へ協力を仰いだわけではない。なので特に期待されているわけでもなかった。

 しかし、リズの居場所はおろか、各所のアクセス権限すら与えられていないというのは大きな誤算だったらしい。扉の横の魔力波長マナパターン認証装置の前で『え? 開けれないけど?』と伝えた時の彼女の顔がいまだに忘れられない。冷たい目の中に若干じゃっかんのあわれみがあった、あれは。

 ならば自分の部屋に侵入した方法で開けてみろと言い返せば、とのこと。なんとなく物騒な想像ができたので、生死いかんはわざわざ問わなかった。それに、引き返す時間も惜しい。

 そのまましばらく立ち往生おうじょう。わずかな話し合いのすえ、同じやり方でやろうという方針にすぐ決まり、新たな生贄いけにえを見繕いにくノ一が闇へ紛れようとする。

 その時だった。再び、つるの一声が――


『タルッ!』


――もとい、たるの一音声がその場に響いたのは。


『ちょっと、それを静かにさせてください。周りにばれたらどうする気ですか?』

『うるせぇな、わかってるよ。タルボ、少し黙って――――あ、おいコラッ…!』


 スヴェンの手元で暴れ、四本の手足で着地。そのまま四足歩行で壁を登るタルボ。

 そんな特技まであったのかという驚きよりも早く、そのシャカシャカした動きに気持ち悪さを感じていると、タルボは認証装置の横に張りついて細い枝のような腕を伸ばした。指のない機械の手をさらに尖らせ、その先を四角い板へと差しこむ。

 聞こえてきたのは、モーターがうなるような音。



――チュイィィィンッ…!



『バッ…! バカ野郎お前、何して――』


 スヴェンは焦った。仕組みはわからなかったが、タルボが扉を壊していると思ったからだ。隣で素早く動いたシズクも同じように思ったのだろう。爆発でもしようものなら、兵士が一斉に駆けつけてくる恐れがある。

 そして彼女がタルボの体を壁から引きはがすと、その結果は眼前に現れた。



――プシュッ、ガーッ。



『――は?』

『え?』

『タルッ』


 得意げな声は一人――――いや、一樽ひとたるだけ。冷たく閉ざされていたはずの鉄の扉が、簡単に左右へ。点にして見合わせていた目を二人が同時にタルボへ向けると、まるで『行かないの?』と言いたげにカメラが傾く。

 そしてシズクは両手でたるを抱えたまま、うわ言のようにつぶやいた。


『……先に、格納庫で待っててもいいですよ。私、と行きますんで…』


 事実上の戦力外通告。

 一行パーティーの優先順位が入れ替わった瞬間をひしひしと感じながらも、どのみちスヴェンは一人で格納庫にすら行けなかったので、小さく頭を下げて一人と一樽ひとたるの後をついて行かせてもらうこととなった。




 なんとかタルボの飼い主然として自らの尊厳を保ちつつ進んでいくと、リズの元へ本当にたどり着いてしまった。内心、疑っていたのに。


『タルボ、お前……マジで何者なにもんなんだよ…』


 唖然あぜんとしてしまい、胸元から『タル?』と鳴った音声を聞き流しながら部屋を観察。

 壁の一面がガラス張りの部屋だった。向こう側に、壁だけでなく床や天井まで真っ白な空間。その真ん中にポツンと置かれたベッドの上で、リズがスヤスヤ眠っていた。複雑そうな機械にも囲まれている。病人用のバスローブを着ているせいでどこか病室のような様相にも見えたが、それにしては広すぎて気味が悪い。一面真っ白な景色にも不安をあおられてしまう。

 しかし、そう感じていたのは自分だけらしい。

 ヒョイッと自分が抱えていたたるを奪って、スタスタと歩き出すくノ一。その背中には、これまでの道のりでも見せていた冷静さと慎重さがうかがえる。つまり平常心。この光景に慣れているのだろうか。


『タルボ、ここも開けますか?』


 いや、ただ順応性が高いだけか。ついに付けし始めたシズクへ白けた目を向けていると、タルボが任せろとばかりに腕を尖らせた。

 両手で持ち上げられているのは、ガラス張りのせいで宙に浮いているように見える魔力波長マナパターン認証装置の目の前。そこへ腕を差しこむと、もう聞き慣れていたモーター音が響く。

 だが、すぐにやんだ。先ほどまでと比べて明らかに短い。


『……タルゥ…』

『やはりダメですか』


 尻すぼみの音声に、納得の響き。

 背後へ回りながら眉をひそめる。


『わかってた、みたいな口ぶりだな』

『ここはセキュリティが固いはずですから。いくらタルボさんでも無理かな、と』

『なんなんだ、あんたのそいつへの信頼。やっぱりそいつって東方で作られ――――っと』


 宙を舞うタルボをキャッチ。雑に扱われて不機嫌になるかと思いきや『ただいま!』と手を上げる余裕ぶり。日に日に感情表現が豊かになっているような。

 ジーッと一つ目レンズをのぞき込んでいると、シズクが言う。


『こんな高度な自動人形カラクリ、東方では作れません。ただ、利用できるものはとことん利用する腹積もりなだけです』


 ジリ、とガラスから離れる背中に気圧され、同時に一歩下がる。

 そして背中越しに、シズクが胸元から何かを取り出すのが見えた。


『すべては、リズのために』


 紙だ。四角い縦長の、薄っぺらい紙。何か模様か文字のようなものが描かれている。気になって目を凝らした瞬間、シズクがその紙を投げた。

 まっすぐと飛び、まるで生き物のようにガラスへピタッと貼り付く謎の紙。

 なぜか、嫌な予感。


『おい、何する気だ?』

『下がって』


 言われずとも、スヴェンの足はすでに下がっていた。無意識だ。

 そしてさらに身の内で警鐘けいしょうが鳴り始めたのは、聞いたこともない妖しげなつぶやきが聞こえてきたからだった。



――りんぴょうとうしゃ…。



 本能。ひらめき。野生の勘。

 すべてに従い、バックステップ。



――かいじんれつざいぜん…。



 そしてスヴェンは後ろの壁際で、体を丸めた。


『――――ばくっ!』



――ドカァァァンッ!



 耳をつんざく爆発音。熱風。

 途中で紛れた高音は、おそらくガラスの割れた音。


(なんっ…!?)


 思考がまとまらずに頭を伏せ続けていると、耳鳴りの向こう側からけたましい警報の音が聞こえてきた。

 さらに、その向こう。



――ジャリ…。



 静かにガラスを踏みしめる音。


『何を丸まっているんですか』


 続く、涼しげな声。


『ここからは強行突破です。あなたの出番は、まだ先ですが……』


 スヴェンが顔を上げると、散らばるガラスの破片の上から謎の術を使った女性が、半身で振り返っていた。


『まぁ、遅れないようについて来てください』


 そう言って向かう先は、まるであの爆発がちょうどいい目覚ましだったかのように、平然と目をこすって起き上がる謎の少女。そしていつの間にやら、頭の上に乗ってこちらを見下ろしていた何かと役立つ謎のたる。まさに謎だらけ。

 不思議な世界に巻きこまれた主人公的立ち位置ポジションだったならまだしも、今のスヴェンはどうにも、自分がただの戦力外いらないこな気がしてならなかった。


『……俺の出番、あんのか…?』


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