3 嵐の始まり

 時刻は夜。訓練兵であったころから定められていた就寝時間。サラと同部屋の宿舎の一室、二段ベッドの下。

 二年以上を過ごし、すっかり慣れ親しんだベッドの上で、フィーは今夜は寝られないなと思っていた。窓を打つ雨音がひどくうるさかったからだ。昨日の昼過ぎから一向に弱まる気配のない雨足へ辟易へきえきしながらも、サラとおしゃべりして夜を明かすことに。

 お互い、いっしょにいられるのもあと少し。だからいっぱいしゃべろう。どうせ眠れぬ夜ならば。「それにもう一般人だから朝の仕事もないしねー」と調子の良いことを言うサラと同じ気持ちだったことがうれしく、フィーは上のベッドから顔を出す彼女と二人だけの女子会おしゃべりに興じた。

 それから、どれほどの時間がたっただろう。サラが「ケイトも呼んじゃう?」と提案した辺りから、雷鳴が轟く中でもゆっくりと船を無意識の海へとこぎ始めたフィーにはわからなかったが、おそらくまだ一時間か二時間そこらのはず。

 その時、突然――



――ヴゥゥゥ――――…!



「えっ…?」


――雨音の向こう側で、警報が混じった。


「? この音、何?」

「た、たぶん……敵襲の合図じゃ…?」

「てきしゅー?」


 ヒョコ、と上から顔を逆さまに出したサラが、フワフワした栗色の髪をフラフラ揺らす。部屋が暗いので表情はそこまで読み取れなかったが、危機感はないようだった。

 そんな彼女へ、不安げにうなずく。


「ほら、訓練で……何度も聞いたことあるでしょ?」

「んー、そうだっけー?」

「間違いないよ」


 サラたちが魔賊に襲われた時の緊急出撃スクランブルとは違う。



――ヴゥゥゥ――――…!



 人の不安をあおり立てる音ではなく、足元からゆっくりとい寄り、体のしんにまで振動を響かせる音。かじかんだように指先が震えてしまうのは、得体の知れない恐怖心だ。

 この音が大嫌いだった。訓練の時から。だからこそ、間違えようがない。フィーは両手をギュッと握り、胸の前へ引き寄せた。

 小さく震え出すその体を抱き締めてくれたのは、ベッドから飛び降りたサラだった。


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。きっとまた訓練だよ」

「で、でも、そんなの聞かされてないよ? それに、こんな時間に……雨だって降ってるのに…」

「抜き打ちじゃないと意味ないでしょー? それに、そういう状況を想定してるんじゃない? 私たちに教える必要もないしー」


 背中をポンポンと優しく叩かれ、フィーは落ち着きを取り戻した。サラの言うとおりだ。敵はいつ何時なんどきやって来るのかわからないし、それに加え、自分たちはもう兵士ではない。


「……落ち着いたー?」

「うん。ありがとうサラ」

「フフフ、本当のお姉ちゃんみたいでしょー?」

「どちらかというとお母さんじゃない?」


 就寝用の薄手のシャツ越しに、彼女の柔らかな胸へと頬擦りしながら言う。ちょっとした意地悪だ。甘えている自分が恥ずかしくてごまかした部分もあったが、案の定、サラはお気に召さなかったらしい。


「誰がそんなに老けてるのかしらー…?」

「え。いや、そんなつもりわぷっ!?」


 ギギギ、と絞めつけられる後頭部。埋もれて行きつく谷間の最深部。左右に感じる柔らかさを堪能たんのうする余裕はない。痛すぎて。

 そのままサラの大きな胸の中でモゴモゴバタバタしていると、彼女はしばらくして気が済んだのかこちらを解放し、テキパキと着替え始めた。


「じゃあ私、ちょっと様子見てくるねー」

「? 様子って……」


 息を整え、乱れてしまった赤毛を直しながら尋ねる。


「なんでサラがそんなことを?」

「んー……まぁ、訓練だったら私たちはどうすればいいか気になるしー」

「そっか。参加したほうがいいかもしれないね」


 基地の防衛想定戦シミュレーション。以前は役割が初めからあったが、今回も別の形で手伝うことになるやも。たとえば、一般市民役とか。

 そんな自分の考えに、役作りの必要はないかな、と笑いながらも、目の前でいつの間にか着替えを完了していたサラに驚く。

 シンプルな黒い上衣ジャケットとズボン。ソルジャー階級の軍服だ。彼女はもう軍人ではなかったが、この場で最も動きやすい着替えはこれしかない。だが、普段はのんびりしているくせに、ずいぶんと急いで着替えたものだ。フィーは首を傾げたが、すぐにそれどころではないと気付いた。


「待って、私もいっしょに行く」


 慌ててブーツを履き、ヒモを結んで立ち上がる。手を伸ばす先は上段のベッドの縁にかけてある魔導師の――――魔杖機兵ロッドギアパイロット専用の特別性な黒ローブ。寒さにも強く防弾防刃、耐魔素粒子エーテル製。フィーはパイロット試験の合格者なので所持を許されていた。

 寝ていた格好も、黒い薄手の肌着シャツにカーキ色のズボン。訓練兵時代の習慣そのまま。ローブさえ羽織ればいつでも準備は万端の状態。

 なのに、サラはこちらを押し留めた。


「フィーはここにいて」

「え? なんで?」

「いいから」


 強い言葉だった。珍しい、有無うむを言わさぬ口調。

 思わずビクッと反応したフィーに気付き、サラは困ったように顔をキョロキョロさせ、はた、と何かに目をつけた。自分が持っていた黒ローブだ。彼女はゆっくりとそれに手を伸ばした。

 そして自然と手渡す形になったそのローブが、フワッと自分の肩へかけられる。


「外、天気ひどいでしょ? 二人ともぬれる必要ないじゃない」


 ニコニコといつもどおりだったが、どこか変だ。

 こちらを座らせようと肩を押す力も強く、口調も――――焦っているような。


「サラ…?」

「すぐ戻ってくるから。、部屋で待っててね」

「え? あっ、待ってサラ!」


 ボスンとベッドへ押され、扉をくぐるサラを為すすべなく見送る。

 慌てて追いかけるも、扉から顔を出した時にはすでに廊下からサラの姿は消えていた。置いてけぼりだ。どうしよう。

 警報はまだ鳴りやまない。一人きりになると急に怖さがよみがえってきた。


(サラも急に変になっちゃったし……それに――)


――ふと、昨日ジンの言っていた内容が頭をよぎる。


(まさか、この警報……アナスタシア様が…?)


 彼女の部隊が基地へ攻めてくる想像を、フィーはすぐに頭を振って打ち消した。バカげている。なんで同じ帝国の人がそんなことを。


「教官……バウマン大師たいしも否定してたし、うん、大丈夫。そんなわけない」


 口に出して落ち着こうとするも、一向に鳴り止まぬ警報の音が心臓の鼓動をどんどんと早め続けた。真っ暗な部屋で一人、サラが肩にかけてくれたローブを胸元へギュッと引き寄せる。

 と、そこで気付いた。


「もしかして、サラも…?」


 ジンとバウマンの話を盗み聞きしていたのは自分だけではない。彼女もいっしょだった。むしろ主犯だ。

 きっと自分よりも早く、あの時のことを思い出したのかもしれない。


(だからあんな急に、態度が変わったんだ)


 となれば、自分も何かするべきなのでは。フィーは自分にそう問いかけたが、実のところ、一人ぼっちに耐えきれなくなっただけだった。

 嫌なほうにばかり考えがいく。怖いのに、部屋の明かりさえつけられない。サラを待つ一秒一秒がとても長い。とても、待っていられそうにない。

 後を追うか。そんな考えも浮かんだが、頭の中で別の選択肢が閃く。


(そうだ、ケイト)


 医務室にいるはずの友人――と思っているのは自分だけかも――は今、ケガをしている。たとえこれがただの訓練だったとしても、不自由な身で不安になっているに違いない。

 フィーはすぐに行動を開始しようとした。彼女を言い訳に、自身へ襲いかかる不安から逃れようとして。とにかく誰かといたかったし、じっとしていられなかったのだ。

 ただ、少しばかりの冷静さは残っていた。


(すれ違いになったらまずいもんね)


 部屋で待っているように言ったサラへ一筆。『ケイトのところにいます』と書き置きを机の上に残す。と念を押されたが、サラもケイトのためだとわかれば許してくれるだろう。

 そして、今度こそとばかりに部屋の外へ駆け出そうとして、すぐに「あっ!」と気付く。一番大事な物を忘れていた。


「危ない危ない…」


 口にしながらいそいそと部屋へ戻り、素早く装着。


「……うん、良しっ!」


 大きなかけ声を合図に、フィーは再び駆け出した。先ほどよりほんの少し、その足は軽くなっていた。勇気が湧いていた。

 そんな彼女の手首には、スヴェンとおそろいの時を刻まぬ腕時計がはめられていた。

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