8 旅立ちの朝②

「お前はなんだよっ!」

「……ジン?」


 思わず面食らい、胸ぐらを掴まれていることなど忘れて彼の名をつぶやく。こんな大声など初めて聞いた。

 呆然としたまま突っ立っていると、ジンのこれまた見たことないような形相ぎょうそうが目の前にあった。


そうだっただろうがお前は! どれだけ力で押さえつけようとしても跳ねのけて、いつも一人で勝っちまう! 見下してたやつらはみんなお前に怯えて、見てみぬふりをしてたやつらはお前にすり寄って! けどな、みたいに一匹狼気取って周りを遠ざけるだけじゃもう済まねぇんだよ!」

「? お、お前、何言ってんだ?」


 スヴェンは混乱した。自分の昔のことを言っているのだろう、たぶん。

 ひどい少年時代だった。ジンの言っていることに多少の心当たりはあったが、それを彼は知らないはず。

 

 ジンと出会ったのは、軍の歩兵部隊のはずだ。


「誰かと、勘違いしてないか…?」


 興奮するジンに、スヴェンはおそるおそる尋ねた。すると、静まる肩。収まる呼吸音。

 返ってきた答えは、疑問に対するものではなかった。


魔杖機兵ロッドギアパイロットにどれだけの東方系人種イースタニアンがいると思う?」

「? それは……」


 知らない、と言う間もなくジンが答えを告げる。


「ゼロだ」

「え?」

「今も、これまでも。そしてたぶん、これからも」

「でも、俺が…」

「だから、お前だけなんだよ」


 胸ぐらを放しながら軽く押され、スヴェンはたたらを踏んだ。


「差別じゃなくて、東方系人種イースタニアンは魔力が極端に少ないから魔杖機兵ロッドギアには乗れないらしい。理由は知らないけどな」

「そうなのか? 俺はてっきり……」


 東方系人種イースタンに乗られると都合が悪いから。裏切ったとき、背中に向けて撃てなくなる。常に銃口を背中へ突きつけ、死に体で突撃させるべき。そんな考え。

 ただ、それだけだと思っていた。


「けど、お前が現れた」


 物思いにふける頭に響いた、固い声。

 顔を上げると、ジンの苦みばしった表情が瞳に映った。


「お前は火種だ」

「火種?」

「帝国内における東方系人種イースタニアンたちの不満は長いこと爆発寸前だ。そこに、お前という象徴が現れたら……こぞってみんな、お前にすがるだろう。救世主か何かと勘違いしてな」


 象徴、救世主。そんな単語を聞いて、スヴェンは鼻で笑った。


「話が飛躍しすぎだ。そんな妄想、恥ずかしいから誰にも言うなよ」

「少なくとも、バウマン大師たいしは同じ意見だ」

「は? まさか、そんなわけ……」


 スヴェンはすぐには真に受けなかったが、先日、バウマンからもジンと同じことを言われたのを思い出した。

 お前はだ、と。


「お前の存在で、東方系人種イースタニアンたちの声が大きくなる。お前が狼煙のろしを上げれば反乱だって起きるだろう。きっと、利用しようと近付くやつらもわんさか出てくるはずだ」

「……もし、仮にそうだとしても、俺がそんなことするわけ――」

「お前の問題じゃない。帝国にとって、その可能性があるだけで問題なんだ」


 ジンが頭をかきむしり、ドサッとベッドへ腰かける。そして頭を抱えた。冷静になろうとしているようだ。

 そして、迷いながら口にした彼の言葉が――


「……東方系人種イースタニアンへの差別は、ことなんだ」


――スヴェンの心に突き刺さった。


「帝国の歴史は侵略そのものだ。時に根絶やしにして、時に屈服させて。だけどあまりにも性急すぎて、そして版図はんとを広げすぎた。統治政策が間に合わない地域だってあるし、不満はそこかしこから吹き上がる。だから、帝国には必要だったんだ……」

「……何が?」


 聞く必要はなかった。


さ」


 だから聞き返したのは、ただの反射だった。


「肌や瞳の色、人種に文化。己と違うものすべてを根絶やしにはできず、さまざまな人間があふれるようになった帝国は、不満へのはけ口を欲した。力だけで押さえつけるには無理があったんだ」


 スヴェンはもう、ジンの話をほとんど聞いていなかった。


「おあつらえ向きに、東方連合という巨大な敵が生まれた。戦争状態に突入し、同じ見た目をした東方系人種イースタニアンたちに対する風当たりが強くなったんだろう。それを利用し、差別的な制度を作って社会的地位をおとしめ、今みたいな風潮を作った。東方系人種イースタニアンは……」


 聞きたくなかった。

 ほかの誰でもない。ジンの口からだけは――


「……同じ人間じゃないってな」


――スヴェンは、聞きたくなかった。


「魔賊どものテロ行為や小さな反乱は各地にあったが、明確な敵と自分たちより不幸な人間がいることに安堵あんどして、その火は帝国全土にまで燃え上がらなかった。そして、百年も続く長い戦争の間に帝国の魔導技術マギオロジーが各地へ浸透して、今やそれなしでは生活できないほどにまでなった。東方連合はもう立派な、自分たちの暮らしを脅かす共通の敵だ。同時に、東方系人種イースタニアンも」


 うまく声を出せない。のどが震え、手のひらに爪が食いこむ。

 ポケットに忍ばせた写真のことは、もう忘れていた。


「そう考えると……東方連合がいなかったら今ごろ、帝国はとっくに世界を征服して、もしかしたらもう滅んでいたかもしれないな…」

「……それで?」

「それでって――――っ!」


 窓の外を見ながらスヴェンが尋ねると、ジンは我に返ったようだった。思索にふけりすぎたのだろう。もしくは自分が、いつもどおりの声を出すのに失敗したのかもしれない。

 外にはすでに何人かの人間が出歩いていた。もう遅刻だ。

 けれどスヴェンは、最後まで聞くことにした。


御託ごたくはいいんだよ。それでお前は結局、何が言いたいんだ?」

「……東方系人種イースタニアンを、今さら優遇するわけにはいかない。かといって虐殺は最も悪手だ」

「自分よりの人間がいなくなるからか?」

「言っちゃ悪いがそうだ。それに、義憤ぎふんに駆られるやつらが出てもおかしくない。今の塩梅あんばいがちょうどいいんだ」

「ちょうどいいだって? ハッ、まるで湯の温度みたいに言うんだな」


 笑えない冗談に口元がゆがむ。

 ジンも、それを笑わなかった。


「スヴェン、よく聞け。だからお前の存在は、いつか嫌でも帝国にとって不利益になる。東方系人種イースタニアンの英雄なんて、帝国には最も不都合なんだ」

「仮定の話ばっかりだな」


 クルリと振り返れば、ジンが驚いた顔をする。いつも平然とした顔で、憎たらしい笑みを浮かべる彼の顔が。

 うっすらと映る窓で、自分の表情を確認しておけば良かった。


「卵からかえる前にひなの数を数えるバカはいるが、成長して産む卵の数まで計算に入れるバカ、きっとお前ぐらいだぜ……なぁ、ジン?」

「俺は大真面目だ。真面目に、お前が帝国の歴史を変えるような男になると思ってる」

「その誇大妄想こだいもうそうに付き合ってやるとして、お前の言い方だと変えてほしくなさそうだが?」

「……今は、そうだ」

「今は?」

「最初は違った」


 ジンが気まずげに目をそらす。そしてうつむき、膝の上で組んだ両手へ視線を落とす。


「お前が、どこへ行くのか……見てみたいと思った。どんな男になって、どんな景色を見るのか、そばでいっしょに見たいと思った。それを、手伝えたらと思った」


 初めて聞くその語り草に返す声は、自分でも驚くほどに冷めていた。


「意味わかんねぇけど、つまりあれだ。やる気なくなったんでやめますってことか」

「違う、そうじゃない。今の俺は……っ!」


 顔を上げて再び交わる視線が、今度は逃げない。代わりにジンは、まるで崖っぷちへ追いこまれた兵士のように、苦渋くじゅうに満ちた顔をした。


「……俺はお前を、英雄なんかにしたくないんだっ…!」



――そんなことを聞きたいんじゃない。そんなこと、どうだっていいんだ。



「……そうか」



――ただ俺は、お前がどう思っているのかを……。



「……そうかよ」



――お前にとって、俺はなんだったんだ?



 湧き上がる言葉をのみこみ、スヴェンは静かに目を閉じた。

 床に落ちていたバッグを再びかつぐ。


「じゃあ安心しろ。英雄よりも標本になりそうな可能性のほうが大きいからな」

「あんな傑物けつぶつがそばにいて、お前がひのき舞台へ上がらないわけがない」

「しつけぇな。つーかキャラ変わりすぎだろ」


 スヴェンは軽口を叩きながら出口へ向かった。ジンのほうを見ないようにして。


「スヴェン待て、話はまだ――」

「近寄んな」


 腰を浮かしかけたジンを声で制し、ドアノブへすんなりと手をかける。

 ガチャ、と回したところで手を止めたのは、崖へ飛びこむ覚悟を決めたような声が追いすがってきたからだ。


「お前に失望されてもかまわない。だから、最後にこれだけは胸に留めておいてくれ」

「……あんまり目立たない。東方系のやつらとはかかわらない。あの魔女には近寄らない。これでいいか?」

「それだけじゃない」

「あ? まだ何か……?」


 わずらわしさを隠さずに振り返ると、ジンはベッドに腰かけたまま動かず、ただじっとうつむいていた。表情はうかがい知れない。しばらく見下ろしていても一向にしゃべらないので、スヴェンは舌打ちをしてドアを引いた。

 そして部屋の外へ足を踏み出す前に、ポツリとジンはつぶやいた。


「あのガキに気を許すな。あいつは……」


 ピタリと止まる足。駆けめぐる思考。ガキ。おおよその答え。

 たぶん、あの翡翠ひすいの瞳の少女、リズのこと――


だ」



――めっ!



 背中に浴びた重なる罵声ばせい冷淡れいたんさと苛烈かれつさの狭間で、スヴェンは自分が今立っている場所がどこなのか、一瞬だけわからなくなった。

 暗い路地裏。遠い記憶。取るに足らない出来事。

 それは、目つきが悪いと因縁いんねんをつけてきた帝国人を返り討ちにしてやった後、追いかけてきた言葉。

 その時は無視した。ありきたりな罵詈雑言ばりぞうごんだと思った。


「……今、なんつった?」


 けれど、重なったその声を無視はできなかった。


「お前があいつに自分を重ねてるのはわかる」


 その声で。孤独を忘れさせてくれた、親友ともの声で。


「けど、あいつはたぶん人間なんかじゃない」


 あの日々を、思い出す日が来るなんて。


「あいつはきっと、俺たちとは違うバケモノ――」

「やめろっ!」


 スヴェンは大声を上げた。すると、周囲の部屋からドタドタと物音がした。教官の声とでも勘違いしたか。

 それに比べて背後は、シン、としていた。


「もういい、わかった」


 重く、引きずるように体を部屋から逃がす。

 そしてスヴェンは後ろ手でドアノブを掴み、無言を貫くジンとの間を分かつようにドアをゆっくりと閉めた。

 パタン、と静かに閉じる直前――


「あばよ、帝国人くそやろう


――親友ともだった男へ、そう言い残して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る