7 旅立ちの朝①

 聖女ではなく魔女なのでは。

 それが、ストラノフの聖女――――アナスタシア・ストラノフと初めて会ったうえでの、声を大にして言いたいスヴェンの感想だった。


「何をされんだって焦ったぜ、まったく…」

「下ネタか?」

「誤解を招くからやめろ」


 フィーがいなくて良かった。そう安心しつつも、スヴェンはとっさにその場を見回してしまった。

 簡素な二段ベッドと通路だけの、薄暗くて狭い部屋。朝早く、外が白み始めたばかりの時間帯なので明かりはついていない。数少ない私物をひも付きバッグへまとめ、ベッドに腰かけながら結んだ長靴ブーツのひもは片方だけ。

 そして上から降ってくる声は、この二年間ずっと譲らなかった上段ベッドで寝そべるジンのものだ。


「それで?」

「それで……って言われてもなぁ」


 もう片方のひもを結びながら答える。


「その後はもう、てんやわんやさ。でかい船が降りてきて、上官たちは総出で慌ててお出迎え。新しい上司殿は忙しいみたいだったから、途中で逃げた。フィーも様子がおかしかったしな」


 しかし無理もない。自分ですら硬直してしまうあんな魔女を、間近で見てしまったらきもも冷えるだろう。あれは生娘きむすめの生き血をすすっているタイプに違いない。

 そんな偏見による魔女の類別を頭の中で行っていると、ジンが上から顔も出さずに言う。


「んなこた聞いてねぇんだよ」

「? じゃあ何……あ、か」


 ひもを結び終えて顔を上げると、いくつもの写真が貼られたコルクボードが目に入る。壁の出っ張りに掛けられたシンプルな四角い木枠。その中にあるのは、この部隊ほぼ全員分の顔。撮影者はすべてジン。彼がここで得た趣味だ。

 最初は人の顔と名前を覚えられない自分のために始めてくれたのだが、撮っているうちにいつの間にかのめり込んでしまったらしい。小型のポラロイドカメラはバウマン大師たいしの私物で、譲ってくれるように交渉中とのこと。

 スヴェンは立ち上がって、一枚の写真にそっと触れた。自分といっしょに写るフィーの写真だ。


「すぐにその場で別れたけど、気持ちは通じた……はず。まさかこんな関係ことになるとは思わなかったけどな」


 写真を手に取り、笑顔でピースサインを向けるフィーへ視線を落とす。自然と笑みがこぼれるのは、昨日のことをどうしても思い出してしまうからだ。

 星空の下での仲直り。再会の約束。真っ赤にうつむく顔と、まっすぐな眼差し。柔らかな温もりに、必死に目を閉じていたかわいい顔。

 そして、チョークスリーパー。手を振る父と母の幻が見えた。


「……いや、前とそんなに変わらない、か…?」


 変わってほしいわけではないので問題ないが、よくよく考えてみればむしろ遠慮がなくなった気もする。スヴェンは口元を引きつらせた。

 すると突然、頭上から――



――バサバサッ!



「――っ!?」

「お前の惚気のろけ話なんて聞きたくねぇんだよ」

「あぁ? じゃあ、いったいなんだってんだ? さっきから妙に突っかかってきやがってよ」


 声にとげを含ませ、頭に落ちてきた雑誌を拾い上げる。女性誌だ。


「お前、こんなの読む趣味が――」

「なんで配属される部隊のこと言わなかった?」


 追及をさえぎった声は固く、ごまかすような焦りはない。言葉に詰まったのはむしろこちらだ。


「いや、それは……」


 配属が決まったことだけはすぐに伝えていた。ジンは複雑そうな顔をしていたが、それよりも自分が早くここを離れることにどこか安心しているようだった。それはきっと、あの少女リズ世話係レインのせいだろう。これで自分が深入りせずに済むと勘違いしたのだ。

 だから伝えられなかった。たぶん、その渦中へ放りこまれたことを。


「……仕方ねぇだろ。秘密部隊らしいから、ペラペラしゃべんなって上官命令さ」

「あんな派手に登場しといてどこが秘密部隊だ」


 ジンの声がいら立たしげに響く。天井に向かってしゃべっているらしい。


魔杖機船ロッドシップだかなんだか知らねぇけど、あいつらが壊した外周のフェンス、俺たちが修理すんだぞ? あんなデカブツを敷地内に無理やり下ろしやがって」

「まぁ、指揮官がとんでもなさそうだしな」

「問題はそこだよクソッタレ」


 汚く吐き捨て、寝返りをうつ気配。互いに無言。なんと返していいのかわからず、手持ち無沙汰ぶさたに雑誌を丸め、また開く。その繰り返し。

 なんとはなしに表紙へ視線を落として――


「……え? これって…」


――飛びこんできた光景と、壁に反響したジンの言葉が頭の中でつながる。


「面倒なやつに目ぇつけられやがって…」


 アナスタシア・ストラノフ。その表紙の一面には、彼女の姿が大きくあった。


「こんなこともしてんのか、あの人」


 彼女の特集らしい。パラパラと最初のページをめくれば、長いインタビュー記事が載っていた。

 そしてその完璧な肢体を惜しげもなくさらす、何枚もの彩り豊かな印刷写真グラビア


「……これ、本当に女性誌か?」

「露出してるわけでも、別に水着ってわけでもねぇだろうが」

「いや、そりゃそうだけど、なんつーか……」

「エロいか?」

「ど直球に言うな。直属の上司になんだぞ」

「チャックにばれないようにな。あいつのだから、その雑誌。ばれたら刺されるぞ」


 ファンなのか。フィーの反応を見るかぎり女性にも多そうだ。それも、彼女の姿を見れば納得せざるを得ない。

 ジンのエロ発言ではないが、無性に人の目を引く魅力を感じる。大地に引かれるリンゴのように、月に引かれる海のように、まるで自然の摂理せつりであるかのような引力。

 落ちればリンゴは砕け散り、波が荒れるとも月は知らず。それでも人は目を引かれ、心を奪われ、狂う。

 カリスマ性ではない。それはきっと、魔性ましょうと呼ばれるものだ。


「……やっぱ魔女だろ。誰だ、聖女とか言ったバカは」


 対面時のそら恐ろしさがよみがえり、スヴェンは手にする雑誌を心なしか遠ざけた。

 すると、ジンが何事かを唱える。


「六歳で魔素粒子エーテル力学博士号取得」

「? なんて?」


 聞き返すも無視され、淡々とその呪文――スヴェンにとってはそうだった――は続いた。


「同年に魔導機械工学の博士号課程も修め、翌年には神秘文字ルーンの魔力周期律に関する研究論文を発表。文字回路ルーンサーキットを構築する文字列ルーンラインの新たな配列パターンを発見し、エネルギー伝導効率性が飛躍的に向上したその文字列ルーンラインは『ナターシャ式』という彼女の愛称がつけられた。その当時、彼女はまだ八歳であった……」


 ポカンとしていると、腕が伸びてくる。広げた手のひらがクイクイッと何かを求めるので、ポン、と丸めた雑誌をとっさに置いてみた。

 バトンの手渡しのように回収される雑誌。そして、ペラッとページをめくる音。


「その後は魔導技術マギオロジー研究の第一人者、天才魔導技師マギナーと呼ばれるエイル・ガードナー博士の師事を受け、彼の研究を手伝いながらさまざまな分野の学問を修めた。時には新たな発明品さえも生み出しながら。有名なものとしては、現在の帝国において一般家庭まで普及している魔素粒子循環エーテリング光速通信などがあげられる」

「……へー…」


 一般家庭ではなかったので、それしか感想は出てこない。というか頭がパンク寸前。


「十歳になるとガードナー博士の元を離れ、魔導技師マギナーの資格を得るために魔杖機兵ロッドギアパイロット養成訓練課程を受講。二年後、十二歳にして史上最年少|パイロットとなった彼女は研究畑へ戻らず、実家であるストラノフ家の領地経営と軍務にたずさわるようになる」

「おい、その棒読みやめろ」


 痛みに頭を抱えるも、その棒読みは続いた。


「そして彼女が再び歴史の表舞台に立ったのは、東方戦線史上最も激しい戦闘だったと言われる『ヘイズルーンブリッジの戦い』だった。父である東方大聖公とうほうたいせいこう、ゲオルグ・ストラノフが率いる帝国東方方面軍へ十六歳で参加。そして敵方の総大将、青龍将軍ゼノを討ち取るという大きな戦果をあげる。陰陽府のトップである十二人の陰陽将のうちの一人が、ストラノフ大聖公たいせいこうの娘とはいえ未成年の少女に敗北。その事実に震え、東方連合では彼女を『ギムリアの魔女』と呼ぶようになり……」


 知らない情報の羅列られつにめまいのしたスヴェンが「うるせぇ」と蹴ってベッドを揺らすと、ジンが上から顔を出して締めくくる。


「そして帝国ギムリアでは、四大聖したいせいの一族である彼女の家名にちなんで『ストラノフの聖女』と呼ぶようになりましたとさ」


 聖女の由来。それを教えてくれた、と。

 なるほど、嫌がらせか。


「経歴なんか聞いてねぇよ……なんか、すごいけど」

「まだ半分だけど、どうする?」

「パス」


 雑誌のページをめくる音にげんなりして、スヴェンはバッグのひもを肩にかけて担いだ。そのまま窓をのぞくも、外はだいぶ明るい。長居しすぎたようだ。

 もう、出なければ。


「行くのか?」

「あぁ」


 時刻は明け方。本来ならば車でいったん帝都の軍事本部へ向かうはずなのだが、配属先が丸ごとまさかのお出迎え。特例で、このまま合流する運びとなった。

 魔杖機船ロッドシップを拠点とする特殊実験機兵部隊、ハールバルズ。いったいどんな部隊なのか。


(いや、それよりも…)


 つま先で床を蹴って長靴ブーツのずれを直しながら、スヴェンは昨夜のことを――――アナスタシアのことを思い出していた。

 背筋とともに、胸元が涼しくなる。


(いったいどんな人なんだ?)


 あの目で、身体の正中線をスッとなぞる指。生きたまま胸をかっさばかれた気分になって血の気が引いたものだ。なので、できれば近寄りたくない。

 だったらもう少し知っておくべきかと思い直して経歴の続きを聞こうとした時、ジンが雑誌を放り出して二段ベッドの上から飛び降りた。



――ダンッ。



「相手が大物すぎる。やばい予感しかしない」


 黒い肌着シャツと軍用ズボンという自分と同じ格好をしたジンが、着地した長靴ブーツで床に音を鳴らして言う。外出の用意は自分を送るためでなく、金網のフェンス修理も朝が早いからだ。

 湿っぽいのは苦手だからちょうどいい。スヴェンは肩をすくめた。


「長い物には巻かれろってな。どうやら気に入ってもらえたようだし、ラッキーと言えなくもない」


 ただし、ではなく呼ばわりだったが。


「そういう問題じゃねぇ。せっかくバウマン大師たいしが、いろいろと裏で手を回してくれてたってのに…」

「? バウマン大師たいしがって、なんの話だ?」

「配属先だよ。本当なら俺たちはこのまま、この基地の機兵部隊に所属するはずだった」

「……え?」


 寝耳に水。どういうことだ。

 そもそも、そんなこと可能なのか。


東方系人種イースタニアンは最前線ってのが軍の暗黙の了解だろ?」

「そこを曲げて、なんとかしてもらえる予定だった」


 ドアのそばに寄りかかるジンが腕を組み、悔しげにうつむく。どうしてそこまで。


「教官もグルかよ……ここは軍だぞ? どこぞの学びでもあるまいし、そんなわがまま通るわけ――」

「お前は何もわかっちゃいねぇ」


 それは、静かで強い語気だった。そして首を振ってため息をついたジンはまるで、たまっていた鬱憤うっぷんを吐き出すかのように続けた。


「鈍感なのはフィーとの恋愛事情おままごとだけにしとけ。もうちょっと頭を働かせて客観視しろよ」


 。そう言われ、スヴェンは怒りに震えた。

 自分はフィーの気持ちに気付けなかった。きっと、知らぬ間に傷つけていたことも多いだろう。知ってからでも自分は彼女を傷つけたのだから。

 自責の念はある。バカにされても仕方ない。だが、揶揄やゆして――


「何様だ、お前」

「あんだと?」

「お前にそこまで言われる筋合いねぇっつってんだよ」


――彼女までバカにすることは許せない。


「……フィーとのことは、素直に祝福してるさ。お前も成長したもんだ」

「ずいぶんと上から目線が板についてるな。ベッドを譲ってやったのは俺だぞ?」

「お前こそ、そのなんでも物事をめ上げる卑屈な性根、いい加減に直せよ」

「あぁ?」

「ベッドの上くらい譲ってやれば良かったぜ、まったく…」


 部屋の狭い通路に充満する、ピリピリとした空気。

 それをさらに刺激する、平坦な声。


「お前は強いよ。腕っぷしも、パイロットとしても。異常なぐらいだ。ただし、バカな東方系人種イースタニアン。アルフレッドの言うとおりサルだな」

「っ! おいおい、よく考えてしゃべったほうがいいぜ…!」

「考えてるよ、俺は。単細胞な東方系人種イースタニアンと違ってな」



――ガッ!



 とジンの胸ぐらを掴めば、肩に担いでいたひも付きバッグが床に落ちる。殴らなかった自分をほめたいぐらいには頭が沸騰ふっとうしていた。一瞬だけ顔をしかめたものの、ジンは無抵抗。

 息苦しさを表に出さぬまま彼が言う。


「今さらそれぐらいでキレてんじゃねぇよ。お前はどうあがいたって、帝国人にはなれねぇんだから」

「誰がそんなもんになりたいかよ…! 俺は…!」


 両手で掴みかかろうとするも、左手に持っているものを握りつぶしかけてハッとする。フィーの写真だ。

 スヴェンはその写真を、そっとズボンのポケットに忍ばせた。


「……俺は、俺だ。たとえ東方系人種イースタニアンでも、帝国人じゃなくても。俺が、そう決めたんだ」


 彼女が好きだと言ってくれた自分でありたい。そう望んだ、決めた。


「それが厄介やっかいなんだよ」


 力の弱めた手をバシッと振り払われるも、ムッとするだけ。ポケットに忍ばせた写真がまるでお守りのように、スヴェンの心をしずめてくれた。だからもう手を出したりしない。

 手を出したのは――


「どこが厄介やっかいだってんだ? これは俺の問題だ。お前にもほかのやつにも関係なんて――」



――ガッ!



――今度は、ジンのほうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る