6 夜空の下で③

「おい、お前なぁ…」

「スヴェン、この音!」

「あ? 遠くで風でも――」

「吹いてないじゃん! 風じゃない! これ、機械の駆動音だよ!」

「じゃあ誰かが夜遅くまで働いてんだろ。そんなにしたくねぇんなら最初からそう言えよ…」


 少し落ちこむスヴェンの顔を、らちがあかないとばかりに両手で挟みこんで、グリンッ、と振り向かせる。あまりの勢いに「グエッ…!?」と変なうめき声が上がったが無視だ。

 首を押さえる彼の顔の向こう側、真っ暗な空へ指を差す。


「あれ! あれ見て、あれ!」

「それより今の一歩間違えてたら死んでたぞ…!?」

「そんなこといいから早く早くっ!」

「お前、人の命をなんだと…」


 バシバシ肩を叩くと、ぶつくさ文句を言いながらスヴェンが振り返る。そして視線は真っ暗な空へ。

 甘い雰囲気を押し潰す存在感。間近に迫り、先ほどよりも巨大になった雲。はっきり聞こえるようになった駆動音。

 あれは、雲なんかではない。あれは――


「人…?」

「――ってそんなわけないでしょ!」


 おかしなつぶやきに思わず反応するも、スヴェンは無反応。代わりに口を開けたまま、ゆっくりと空を指差した。


「けど、あそこ…」

「だからあれは――――っ!?」


 フィーは驚いた。

 から顔を出す月。少しだけ欠けたその妖しい月の青白い光が、雲の正体をあらわにする。

 それはだった。それをフィーは、うわさだけだが知っていた。

 魔導技術マギオロジーの届かぬ空。魔素粒子エーテル濃度が地表の何十倍もあり、ある一定の高度で充満しているとの仮説が立てられた星の天蓋てんがい魔素粒子エーテルの海。

 本物の海のように時には荒れ狂い、うずも作ればなぎすらある。そんな純物質金属アンチエテリウム製の発明品で征服することは叶わず、無数に行われた実験で失敗を重ねたすえ、ついに研究は断念された。そもそもレーダーだけでなく、エネルギーの伝達回路さえ乱されて何もかも機能しなくなるらしい。強い魔力場、霊的な乱気流というやつだ。

 それでも秘密裏に、帝国は研究を重ねていた。ギムリア魔導帝国の威信に懸けて。

 そして生まれたのが、従来の無人型魔導技術マギオロジー――魔力というエネルギーそのものが機構に含まれているもの――ではなく、操縦者の魔力自体を必要とする有人型魔導技術マギオロジーの発展型。つまり、魔杖機兵ロッドギアの進化系。

 帝国初の多人数同時接続型魔導技術マギオロジー――――通称、魔杖機船ロッドシップ。父から聞いた話だ。魔導技師マギナーの間でまことしやかに流れるうわさのひとつ。

 本当だったんだ、という驚きはある。そこには感動も入り交じる。

 しかしそれすら吹き飛ばす、恐怖に満ちた驚き。


「おいおい、あれ…」

「まさか、飛び降りる気じゃ…!?」


 帆の代わりに大小さまざまなプロペラが水平に回り、いくつもの漕ぎ板オールの代わりに一対の大きく平たい翼を生やしたその船のふちには、。青白い月を背負い、星の輝きが彩る長い銀髪を夜空へたなびかせた人物。

 二人の頭に同じ人間が浮かぶ。


「まさか、アルフレッドか…?」

「ここからじゃわかんないけど、あの髪は……ってそれよりもあんなところに立ってちゃ――――あっ!」


 フィーが言い終わる前に、その人物は船から飛び降りた。豆粒サイズの姿かたちがどんどんと大きくなる。降下速度が速い。ワイヤーも使っていないのか。そして、落下地点はすぐ近く。

 なんとか助けに――



――ガバッ!



「きゃっ…!? ス、スヴェン!?」

「見るなっ!」


 頭を抱き寄せられ、息苦しさと恥ずかしさに身悶みもだえながらも言い返す。


「でも、助けなきゃ! あの人このままじゃ――」

「無理に決まってんだろ! 耳もふさげ!」

「で、でも…」


 戸惑いの目で見上げると、スヴェンが舌打ちをしながらうずくまる。頭をさらに引き寄せられ、転がるようにして彼の胸の中へ。まるで爆風から自分を守るような体勢。それは間違いではない。

 ただし、爆発するのは――


「――っ!」


 ギュッ、と目をつむる。想像が現実となることに、体が震える。怖い。

 人が死ぬところなんて、見たくない。




 そして、スヴェンの胸の中で小さくなること数秒ほど。さすがにもうしているはず。


「スヴェン、どうなったの…? あの人は…?」


 わかりきった結末。それでもそんな聞き方をしたのは、信じたくなかったからだ。

 しかし、どうも様子がおかしい。


「スヴェン…?」


 彼は無言だった。拘束を解いてくれないということは、まだということ――――いや、そんなわけない。では、なぜ。

 モゾモゾと動き、頭の自由だけを得る。そしてしがみつくようにして見上げると、彼は後ろを向いたまま凍りついたように動かなくなっていた。そんなにのか。

 フィーは心配になって呼びかけた。


「スヴェン……スヴェン!」

「あ、悪い。苦しかったか」


 パッ、と腕を離して軽い謝罪。まるでいつもどおり。心的外傷はないノーダメージ

 心配して損した気分になりながらも確認することをためらったフィーは、楽になった体勢で大きく深呼吸した。


「……それで、これからどうする?」

「どうするって言われてもなー…」

「とりあえず、上官に報告しなきゃ」

「いやー、ひとまず本人に話を聞いたほうが早いんじゃ…?」

「ほ、本人!?」


 夢遊病患者のようにずっと空を注視するスヴェン。その言動と姿にそら恐ろしくなり、フィーは彼の手を自らの両手で強く握りしめた。


「しっかりしてスヴェン! 幽霊なんていないの! そういった話は全部、大気中の魔素粒子エーテルが起こす現象であって、実際にそういったことを調べた論文だってあって、それが今日の魔導技術マギオロジーの発展につながり――」

魔導技師オタク談義はいいから上見ろよ」


 しらけた目を向けられ、己の失敗を悟る。今後は嫌われないように控えなければ。

 などとすっかり思考が彼女面している自分に気付き、顔を赤くしたフィーはごまかすつもりでスヴェンの話題提供へ飛びついた。


「あ、あれすごいよね! 魔導機船ロッドシップなんて本当に、あっ……た…?」

「へー、魔導機船ロッドシップねー…」


 どうでもよさそうな声。それもそのはず、自分もだ。きっと同じものに目がいってるのだろう。

 月の下で浮かぶ船。さらにその下、その手前。


「空に、浮かんで…」


 人が、浮いていたのだ。


「ていうか、飛んでる…?」

「どっちでもいいけど、ゆっくり落ちてんなー…」


 さらにどうでもよさそうな声。ややカチンとしたが、今はそれどころではない。

 横に広がる銀髪。船から飛び降りた人物とおそらく同じ。念のために地上も確認したが、悲惨な死体はどこにもない。やはりあのフワフワ落ちてくる人物がそうなのだろう。しかも、ワイヤーで下ろされているわけでも、命綱をつけているわけでもなさそう。まるでそれは、大昔の魔法使いの姿。

 しかし、いまいち驚きの感情が湧かないのは、隣であぐらをかく男のせい。


「……ねぇ、スヴェン」

「ん?」

「人、浮かんでるよ? なんでそんな冷静なの?」

「いや驚いてるぞ、かなり。魔導技術マギオロジーってあんなこともできんだなー…」


 心ここにあらず。しかも軽く言っているが、もしそうだとしたらかなりの最先端だ。

 あの人は、いったい――


「――あ」


 フィーはいったん考えることをやめて、そのを観察した。姿がはっきり見えてきたのだ。

 長い銀髪の女性。軍所属の魔導技師マギナーの証である白ローブを羽織り、中には襟付きのボタンシャツとタイトスカート。黒いストッキングを履いたスラリと長い足は膝上まで出ている。スカート丈が少し短い。あれでは下から見えてしまう。


「……ねぇ、スヴェン」

「なんだ?」


 そして隣には、先ほどから一心不乱に空を注視する男。

 フィーはごくごく自然な感じで尋ねてみた。


「スカートの中、見れた?」

「夜だしストッキングが黒くてあんまりよく見グェ――――ッ!?」


 この二年間、つらいことのほうが多かった。ただの魔導技師マギナー志望である自分が、どうしてこんな軍事訓練なんてしなければならないのか。そんなふうに泣いた日もある。

 それでもついにやり遂げ、見事に合格した。これで晴れて自分も魔導技師マギナーを名乗れる。無駄ではなかったのだ、この二年は。

 そして、その中で身につけた技のひとつ、チョークスリーパー。フィーはこの二年間の集大成を見せるといった気概を――――特にはもたず、ただひたすらに全身全霊で背後からスヴェンの首を絞めた。


「ち、がっ…! 見え、て……ない…!」


 ではないところが有罪ギルティ。首を絞めていた腕のロックを無言で強める。


「がっ…!? ギ、ギブ…!」

「まだしゃべれるんだ。うーん、絞め方が悪いのかな? 後でケイトに聞いてみよう」

「マ、ジで……死…!」

「ウルサイシネ」


 フィーの努力が実を結び、スヴェンの二階級特進が目前まで迫ったところで、審判レフェリーのストップがかかる。

 しかしその声は、闘争を止める審判レフェリーにしては優しげで――


「そのへんにしておきなさい」


――風に揺れる鈴の音のように、澄んだ声だった。


「青春に苦痛は付き物だが、傷になってはいけないよ」


 舞い降りてくるハイヒール。驚きに抜ける腕の力。外れる絞め技と、せき込むスヴェン。

 そして荒野の大地に降り立ったハイヒールが、その高いかかとを地面へ突き刺した。


「それでいい。彼が死んだら、君はきっと消えない傷を負うだろうからね。けれど、人はこうも言う」


 人をきつけてやまぬ声。魅了してやまぬ容貌ようぼう

 男の目を奪う煽情せんじょう的な体を隅々まで操り、土の上では歩きにくい履き物であるにもかかわらず、ハイヒールを履いた女性が美しい所作で優雅に歩く。


「孤独が人を強くする、と。もし、そうだとするならば――」


 カツンッ、と冷たい床を鳴らしたような幻聴が聞こえ、その女性は立ち止まった。


「――失ってみるのもまた、一興かもしれないね」


 涼やかな目元に妖しい微笑。銀の髪に灰の瞳。空に浮かぶ月と同じように、夜の中でも輝く白い肌をした女性。

 フィーは、彼女を知っていた。魔導技師マギナーを志す者で彼女を知らぬ者はいない。それどころか、帝国中を探しても見つからないほどだろう。


「……アナスタシア様?」

? え、誰?」


 舌の根も乾かぬうちに見つかったが、そんなことはあずかり知らぬとばかりにフィーは夢中でその身を震わせていた。

 感動。もれる感嘆かんたんの吐息。思わず胸の前で両手を合わせる。そんな自分の様子を見ていた彼女――――帝国一の女傑じょけつ、美の女神の娘、ストラノフの聖女とも称される天才魔導技師マギナーアナスタシア・ストラノフは、名を知られていたことに驚きもせずこちらへ流し目を送った。


「今は軍人としてここにいるから階級で呼びなさい。もっとも、そちらが軍人だった場合だがね。野暮やぼ軍服ローブの似合わない、かわいらしい赤毛の君?」

「キャ――――ッ!」


 かわいらしい赤毛の君。自分のことだ。かわいらしいだって。

 フィーの黄色い歓声に対するスヴェンの身を引きながらの感想がこちら。


「お前、俺がかわいいって言った時とリアクション違いすぎじゃ――――うおっ!?」

「黙れこの変態っ! アナスタシア様をいやらしく見たその両目、潰してやるっ!」

面もあるのだから、罪にはあたいしないよ。隠されると人はあばきたくなるさがだからね。というわけで、私も困るから彼の両目は残しておいてほしいな」

「はいっ!」


 あと少しというところで二本の指を腕ごと引っこめ、まるで飼いならされた犬のようにシュバッと元の体勢へ。寸前までつばぜり合いをしていたスヴェンが「俺のほうが後悔してきたな…」と後ろで何やら言っていたが気にならない。

 だって、目の前にいるのはずっと憧れだった人。


「アナスタシア様がどうしてここに……ハッ、もしかしてこれは夢? あぁ、夢でもいいからどうか覚めないで!」

「ちなみに聞くけど、俺とのさっきまでのやり取りで一瞬でもそんな風に思ってくれたりしたか?」


 スヴェンがのろのろと隣に並んで尋ねる。ないこともなかった気がするが、そんな記憶はもはや遠い彼方かなた。あと、人の夢に割りこまないでほしい。

 シッシッ、と手で合図するも無視され、ハッとしたようにスヴェンが彼女の名前をつぶやく。


「アナスタシアって、まさか…」

「アナスタシア・ストラノフ。階級は大師正たいしせいだ。私のかわいい弟がずいぶんと世話になったようだね」


 アルフレッドに似た顔で、彼とはかけ離れた微笑を見せるアナスタシア。足されたのは圧倒されるほどの美しさと余裕。

 しかしその言葉に皮肉の影を感じて、フィーは焦った。


「こいつです! 弟さんをいじめてたのはこいつです! 私は何もしてません!」

「お前……かりにも好きな男を秒で売るなよ…」

「だって最後に泣かせてやったって言ってたじゃん!」

「いちいち言わなくていいことを――」

「そして君の、新しい上司だ。今度は姉の私が君をお世話するというわけだね」


 二人のじゃれ合いを丸ごと無視してアナスタシアが言う。まずい、と思った。気を悪くさせてしまっただろうか。

 しかし、それよりも。


「え……上司?」

「やっぱりか…」


 納得したようにつぶやくスヴェン。フィーはわけがわからず、アナスタシアへと視線を転じた。

 そこにあったのは――


「どうしてここにいるのかと聞いたね、さっき」


――瞳孔の開いた、狂気的な瞳。


「いても立ってもいられなくなったんだ。つい、船から飛び降りてしまうほどに」


 それを聞いたのは自分だ。けれど、その爛々らんらんと光る目はスヴェンしか見ていない。

 瞬きもわずかに、妖しげな微笑をたたえたまま彼女が近寄る。同時にポケットから取り出したのは、縦長の四角い小さな板のようなもの。


プラス因子の血脈でありながら、この圧倒的な魔力量、比類なき霊極性……間違いない。フフ、F型に乗ってもわけだ」


 ザザ、と砂嵐のような音を立てたその板をポケットにしまい、アナスタシアはスヴェンの目の前へ立った。

 背の高い彼女。ヒールの分だけ上乗せされ、彼と目線はほぼ同じ。近い。思わず二人の間へ体を割りこませたくなる衝動に駆られたが、フィーの体はピクリとも動いてくれなかった。まるで、金縛りにでもあったかのように。どうやらスヴェンもそうらしい。

 ギラギラと輝いているのに真っ暗な、闇に侵された太陽のよう。二人とも、そんな狂気的な瞳にとらわれてしまっていた。


「まさかに、こんなが落ちているなんて、ね……フフフ…」


 細く長い指が、スヴェンの胸を上から下へなぞる。真ん中から左右へ切り分けるように。

 冷や汗と鳥肌。ゾッとする彼の横顔。きっと今、自分も同じ表情をしている。やめて、と悲鳴を上げたくても声が出ない。

 ナイフに見立てたような指を下腹部で止めると、アナスタシアはスヴェンへ顔を寄せ、下から観察するようにねっとりと見上げた。

 そして彼女を照らすのは、少しだけ欠けた月。


「これから……スヴェン・リー導師?」


 ずっと憧れていた人と、ずっと好きだった人。二人の邂逅かいこうを前にして指一本動かせず、フィーの胸は恐怖と不安で複雑に渦巻いていた。

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