3 複雑でもない恋心

「なぁ、教官の奥さんが東方系人種イースタニアンだって知ってたか?」


 スヴェンのその言葉に、フィー・ヴァレンタインは驚いた。何それ初耳。

 ただそれよりも気になるのは、奥さんに関する別のうわさ。


「美人だった?」

「まぁ、かなり……ってそこは別にどうでもいいだろ」


 スヴェンは慌てて目をそらし、その眠たげな顔を遠くのキャンプファイヤーへと向けた。

 明かりの小さな夜の基地。アスファルトの滑走路には炎上するドラム缶が置かれており、その周りを飲めや歌えやの喧噪けんそうで取り囲んでいる。思わぬ形で基地へ帰還したサラやケイト、ミゲルやチャックたち不合格者を含めたお別れパーティーの最中だ。ケイトは怪我のため欠席だが。

 そのにぎやかな輪から少し外れた倉庫の壁際で、並んだからの木箱をベンチ代わりにする三人。次に口を開いたのは、自分が持ってきた食事を挟んでスヴェンの向こう側に座るジンだ。


「おいフィー。自分が美人かどうか聞いたくせに、なんて怖い顔してんだよ」

「そんな顔してない!」


 と、思う。自信はないけど。

 スヴェンが体を引き気味に言う。


「いやお前、死んだ魚みたいな目して――」



――ギヌロッ!



 今度は意識してにらみつけてやれば、サッ、と眠たげな顔が明後日の方向へ。そのまま串に刺さった肉をパクリ。野菜も刺さっていたが、それは皿へとよけていた。子どものような偏食っぷり。でも、野菜嫌いだったかな。

 頭の上に疑問符を浮かべていると、ジンが最初の質問に答える。


「知ってたぞ。俺たちの間では美人ってうわさだけが独り歩きしてたが、基地で働く人間はだいたい知ってるんじゃないか?」

「へー、そんなに美人なんだぁ」

「いやそこじゃなくて……まぁ、フィーはそれでいいか」


 フィーってなんだ。思わず身を乗り出しかけると、間にいたスヴェンが先んじて言う。


「口に出さないんだな、みんな」

大師たいし殿の人徳さ。本当はこんなところにいるような人じゃないしな」

「? どういうこと?」


 フィーは首を傾げ、スヴェン越しにジンを見つめた。その途中で目に飛びこんできたのは、ピーマンや玉ねぎといった野菜だけが刺さる串焼き。


「あの有名な『アスブラインの乱』をしずめた英雄、エリック・レッドヘルム大聖たいせいの元右腕。上からも下からも覚えがめでたい稀有けうな軍人なのさ。アルフレッドですら一目置いてたみたいだし」

「ふーん、そーなんだー…」


 話半分に返事をしながら、肉のない野菜だけの串焼きを見つめる。そこにまた、ブスリブスリと皿によけられていた野菜たちが参戦。ジンはスヴェンのその奇行が気にならないらしい。


「だから本当は、こんな辺境で俺たちみたいなひよっこを相手にするような人じゃないのさ」

「……それでもあの人は、を選んだのか」

「そうなるな」


 完成したのは、玉ねぎやピーマンなどがぎっしりと刺さる色彩豊かな野菜の串焼き。


「おかしいよ、それ」


 我慢ならない。声を震わせたフィーにスヴェンが顔を曇らせる。

 淡々と語り出したのはジンだ。


ロード階級は家柄がすべてだ。マスター階級だって実際はほぼ似たようなもんだし。禁忌タブーとされる東方系人種イースタニアンとの婚姻が出世を遠ざけることぐらい、大師たいし殿だって承知して――」

「その食べ方、絶対おかしい!」


 ビシッ、と野菜の串焼きを指差せば、二人とも口をポカンと開けて固まってしまった。


「肉・野菜・肉・野菜って交互に食べなよ! なんでわざわざ野菜だけどけて、後でまとめて串に刺すの!?」

「……雰囲気、とか?」

「言ってる意味がわかんないっ!」


 しかもなんで疑問形なんだ。フィーは感情が抑えられずに憤慨した。自分でも、何をそこまでとも思う。

 しかし、自分が間違っているみたいなこのポカンとした空気が納得できない。


「ジンだっておかしいと思うでしょ!?」

「いや……まぁ、変だけど…」

「だけど何!?」

「どうでもいい」

「よくなーい!」


 怒りが爆発したフィーへジンが弁解する。


「い、いや、フィー。俺は今、世知辛せちがらい話をしんみりしてたつもりなんだけど……聞いてた?」

「? 聞いてたけど?」

「あ、そう…」


 鼻白むジン。スヴェンは呆然としながらも、野菜をパクリ。バカにしているのか。


「素敵な奥さんと結婚したって話でしょ? なんでしんみりするのよ」

「いや、だから出世の話で…」

「それぐらい奥さんが好きだったなんてロマンチックじゃない。それとも教官が後悔してるって話?」


 首を傾げて赤毛を揺らすと、スヴェンの表情が変わった。

 目からウロコ――


「いや……してねぇな、ありゃ」


――そして、口にピーマン。パクリ。


「さっきから無表情で食べるな!」


 どこ吹く風とばかりにモグモグ咀嚼そしゃくしながら、スヴェンはまた遠くのキャンプファイヤーを静かに眺めていた。人が怒っているというのに。

 飲みこんだのはピーマンと、何かに対する理解と納得。


「軍人じゃなくてもいいって……あれ、自分のこと言ってたんだろうな…」

「? なんの話?」

「いや……名誉とか、出世とかじゃなくて、幸せの形は人それぞれって話さ」

「ま、それもそうか。しょせんは外野の感想だしな」

「ふーん……ってそんなことはいいからその串をひとまず置けーっ!」


 うなずきながら野菜を頬張るスヴェンの横顔は、そんなにおいしいのか、なぜか少しうれしそうだった。






 完食後に話を聞くと、どうもそれはくせらしい。


「どういうこと?」

「だから、いつものんびり飯が食えるわけじゃないだろ? いつ食えなくなるかわからないんだから、なるべく腹にたまる物を優先的に……もしかしてこれ、理由になってない感じか?」

「共感はできないだろうな」


 要するに、スヴェンが幼少期に身につけた食事法らしい。早くに両親を失い、孤児となった彼の身に染みついた習慣。東方系人種イースタニアンの子どもたちを集めた孤児院で育ったらしいが、いったいどんな環境だったのか。彼いわく「太らせてくれるだけ豚小屋のほうがまし」とのことだが。

 ジンの言うとおり、共感はできそうにない。


(私って、恵まれてるんだなぁ…)


 のどかな田舎いなかにある魔導技師マギナーの工房。そこの娘に生まれ、周囲と比べれば裕福な家庭だった。妹と両親の四人家族。何も不自由ない暮らし。

 少しだけ引け目を感じ、そして己の無知さ加減を恥じる。


東方系人種イースタニアンの人なんて、周りにいなかったんだもん…)


 東方系人種イースタニアンへの迫害。わかってはいるだったが、どうやらでしかなかったらしい。ろくに食事も与えられないとは。

 うすうす気付いてはいた。スヴェンと自分はあまりにも育った環境が違うのだと。だが改めて話を聞くと、彼との距離を実感せざるを得ない。同じような戦災孤児であるジンとは共感するところもあるのだろうが。

 それが、無性にさびしい。


(……あれ? でも、そういえば…)


 チラリと横を盗み見る。倉庫の冷たい壁と夜空を背景に、遠い火の明かりに照らされたいつもの眠たげな横顔。見飽きてしまうほどに、いつも見つめていた顔。


(スヴェンが昔の話をしてくれたのって、初めてかも…?)


 一度も聞いたことがない、はず。こちらから尋ねたりもしない。

 だが、どうしたことだろう。今日の彼はポツポツと――またはグチグチと――昔のことを語っている。何か、心境の変化でもあったのだろうか。


「ねぇ、スヴェン」

「? なんだ?」

「あの……」


 言葉が出ずに、フィーは黙りこくった。「何かあった?」というのも変だし「今日はよくしゃべるね」などと言ったら気まずくなりそう。どうしよう。

 フィーがうつむいてその横顔を赤毛で隠し、スヴェンがその仏頂面の眉根を寄せた時、遠くの喧騒けんそうの輪の一角から誰かがやってきた。


「あ、いた! こんなとこにいたのかよお前らー!」


 千鳥足で肩を組む男が四人。その中で最も背の低い青年、坊主頭のチャックが声を上げた。

 げ、と顔をしかめた雰囲気が隣から伝わる。


「すみっこで何してんだよー、さびしいじゃねぇかー」

「うるせぇ、俺は酔っ払いが嫌いなんだよ」

「そんなこと言うなよー、最後なんだから騒ごうぜー?」

「誰だよこいつに飲ませたの。ミゲルどこ行った?」

「いや、それがさ――――」


 口々にしゃべりだし、スヴェンとジンへ絡む男たち。

 その後ろからひょっこり出てきたのは、ふんわりとした雰囲気と茶色の髪をした女性。フィーがこの訓練部隊で姉のように慕うサラだ。


「やっほ、フィー。お邪魔しまーす」

「サラ、どうしたの?」


 フィーは少し驚いて尋ねた。スヴェンとジンが二人でいるところを目ざとく見つけ、自分に彼らへ食事を持っていくよう指示したのは彼女だからだ。それに何やら、千鳥足の男どもの背中を押していたような。


「えっとねー、ちょっとアシストしにきたー」

「アシスト?」

「敵ってわけじゃないけどー……まぁ、引きつけ役?」


 サラは楽しそうに言い、ニコニコと笑みを絶やさぬまま隣で盛り上がる男たちを見た。


「マジかよ、あのミゲルが?」

「そうなんだよあのミゲルがさー!」


 なぜかミゲルの話題で盛り上がる男たちはその視線に気付かない――――いや、一人だけ気付いた。ジンだ。

 おや、とこちらを向くいたずら好きの少年のような顔が、一瞬で変化。その顔色を読み取る前に、フィーは思わず――



――ガタッ!?



 と音を立てて木箱から立ち上がった。


「サ、サラ…?」

「なーに?」


 笑顔は絶やさぬも、その背に暗雲立ちこめるサラ。ビクビクとおびえながらフィーは思った。なんか怖い。

 この笑顔を向けられた本人の恐怖はいかばかりか。そんな同情心が芽生えたが、当の本人はあっさりとした――そしてどこかわざとらしい――声を上げた。


「……あー、なんか腹減ったなー」

「は? 食べ終わったばっかだろ?」

「まだ飯、残ってるかな。ミゲルの裸踊りを見に行くついでに、ちょっと取ってくるかー」

「いや人の話聞けよ」

「ていうか裸踊り!?」


 思わず口を挟む。何がどうしてそうなった。

 混乱するフィーをなだめるように、サラがヒラヒラと手を振った。


「まーまー、いいじゃないの。でもフィーには刺激が強いからここでお留守番ねー」

「あ、スヴェンもな」

『え?』


 異口同音にもらす声。驚きを引きずる自分よりも早く、腰を浮かしていたスヴェンが立ち上がって言う。


「俺も裸踊り見たいんだが?」

「明日の朝、すぐに出向なんだろ? 気持ち悪くなって体調崩してもまずいからゆっくりしてろよ」

「お前それミゲルが聞いたら泣くぞ」


 訓練部隊でも一、二を争う真面目な男。そんな男の一世一代かもしれない芸になんたる言い草。しかしそれよりも、フィーは別のことで頭がいっぱいになってしまい、不満げに腰を下ろすスヴェンを呆然と見つめた。

 出向。明日の朝。なんの話だ。

 そんなの、聞いていない。

 グルグルと回る頭の中で、サラの手を叩く音が響いた。


「そうだ、散歩でもしてきたらどーかなー?」

「おぉ、それがいい。腹でも空かしてこいよ」

「いや俺はもう腹いっぱいで――」

「いいからさー、行ってきなよー…」

「――わ、わかった…?」


 サラに気圧されたスヴェンが首を傾げながらも、そそくさとその場から離れようとする。その背中につい手を伸ばしかけたのは無意識だ。

 支給品である黒の肌着シャツ。いつもの黒ローブならば届いていたであろう距離で、ピタ、と止まる右手。ピクリと動く指。

 その手を素早く引っこめたのは、彼が振り返ったからだ。


「来ないのか?」

「え?」

「……え? あれ?」


 スヴェンが戸惑う。自分がついて来ないことに混乱しているらしい。いっしょに行っていいものか少し気後れしていると、彼は恥ずかしげに頭をかいて「じゃあ、行ってくる」と再び背中を見せた。

 あ、と口を開けば――



――バシィッ!



「いたっ!?」

「うおっ」


 飛び出そうになる心臓。自分の背中を叩かれたため、そして、彼の背中へしがみついてしまったために。

 肩越しに黒い瞳を向けられて石化していると、背後からサラがのんびりと言う。


、行ってらっしゃーい」


 アシスト。敵ではないが、引きつけ役。

 スヴェンが来ないことに不平不満を言う男たちの背中を押していたジンへ目をやれば、ニッ、と人好きのする笑みが返ってくる。

 こいつらつまり、か。


「……大丈夫か?」

「へっ!? な、何が!?」


 声の近さに驚くと、スヴェンは肩をすくめた。


「いや、そんなに痛かったのかと。サラのやつ、普段はとろいくせに意外と馬鹿力――」

「ケイトが怒るのはそういうところだよ、スヴェーン…?」

「すぐにここを離れるぞ、フィー」


 戦場かのような緊迫感で前を向き、少しためらって「だから、離してくれると助かる」とつぶやくスヴェン。そこでフィーはようやく、自分が彼の背中にしがみついたままなことに気付いた。顔が熱い。

 慌てて離れると、自然に歩き出す見慣れた後ろ姿。自分がついて来ると信じて疑っていないようだ。まぁ、ついて行くけど。

 こちらへウインクをよこすサラへ恨みのこもった視線を送っていると、スヴェンが立ち止まった。


「なぁ、ジン」


 その呼びかけに、男四人の後ろを歩いていた彼の親友も、立ち止まって振り返る。


「なんだよ」

「どうして黙ってたんだ?」

「? 何をだ?」

「教官の奥さんのこと」

「……あぁ、なるほど」


 納得したようにジンはうなずいたが、すぐにきびすを返した。

 そして、後ろ手でヒラヒラ。


「別に、言う必要なかっただろ?」


 それだけしか答えず、ジンはのんびりとチャックたちを追った。そんな、言ってほしかったからスヴェンは尋ねたのだろうに。フィーは落胆しているであろうスヴェンをそろりとのぞき込んだ。おそるおそると、少し慰めるつもりで。

 だが、そんな必要はなさそうだった。


「……それもそうだな」


 とぼしい表情の変化の中でもそれとわかるほどに、彼は笑みを作った。仏頂面が崩れ、表れるのは穏やかな笑み。

 まずい――――やばい、どうしよう。



――ドクンッ。



 胸が痛い。


「それじゃ、サラもなんか怖いしさっさと……フィー?」

「はひっ!?」

「……もしかして、体調悪いのか? 部屋に帰ったほうが――」

「い、行くっ! 行くから、その……お先にどうぞ!」

「? それじゃ、失礼して…?」


 首を傾げながらも、スヴェンが前を向いて歩き出す。それにうつむき加減でついて行く。


(なんでこうなるかなー…)


 破裂しそうな胸。あふれそうな気持ち。

 募る、彼への想い。


(これ以上、好きになっても意味ないのに…)


 決して伝えないと決めた恋心の大きさが、リアルタイムで記録更新されたのがフィーには痛いほどわかった。

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