2 バウマンの言葉

 それからスヴェンは長い年月をおりの中で過ごした――――などということはなく、幸運にもその日のうちに釈放。レインたちと入れ替わる形で牢屋生活は終わりを迎えた。

 そしてその足で向かった先は、この基地の防衛責任者の一室。ブレン・バウマン大師たいしの執務室だ。

 拳骨げんこつでスヴェンの頭部にしばらく熱のこもった痛みを与えた張本人であるバウマンが言う。


「それで、頭は冷えたか?」

「はい」


 直立不動の体勢でピシャリと返事。後ろで組んだ拳に青筋が浮かぶのは、推して知るべし。

 そこはさしたる調度品もない整然とした部屋だった。背表紙をそろえた本が並ぶ棚以外は、大柄なバウマンが座しても窮屈には見えぬ執務机と、小さなテーブルを挟んで向かい合わせに設置された応対用のソファーが二つ。そこだけ高級感があふれており、ほかは質素なことこのうえない。あと目立つものといえば机に飾られている写真立てぐらいか。うわさでは、かなり年下の美人な妻と父親の面影など欠片かけらもない、かわいい娘の写真が飾られているらしい。

 そんな幸せを絵に描いたような写真には一瞥いちべつもくれず、白髪交じりの頭髪を後ろへなでつけたバウマンはいかめしい顔を崩さぬまま、執務机をトントンと指で叩いた。


「何か言いたそうだな」

「いえ、何も。本当に申し訳ありませんでした」


 澄まし顔で言いきる。この鉄面皮と結婚した美人妻と娘の写真を拝んでみたいと思ったのは秘密。好奇心は猫をも殺す。


「……あまり、反省の色は見られないようだな」


 心でも読みやがったのか。スヴェンは焦ったが、さすがにそれはないのですぐに弁解した。


「してます、すごく反省してます。ジンの言ったことは全部でたらめです」

「ヘンドリックスからは特に何も聞いていないが?」


 ジロリと鋭い目を向けられ、思わず目をそらす。なんて余計なことを。好奇心で殺されるまでもないかもしれない。

 顔を横に向けたまま直立不動の姿勢を保っていると、バウマンは珍しく疲れたようなため息をつき、大きな椅子からゆっくり立ち上がった。


「これ以上、説教するつもりはない。今日呼んだのは、少しばかり話がしたかっただけだ」

「話、ですか?」

「あぁ。時間はあるか?」

「はい、まぁ…」


 了承しつつもスヴェンは身構えた。対鬼教官戦において、この二年で身についた悲しき習性。いつでも逃げられるように入口のそばから一歩も動かないその様子を見て、バウマンは自身の背後にある窓へ歩み寄った。

 部屋の中へ差しこむ夕暮れ前の薄い光が、下りたブラインドでさえぎられる。


「お前は、本当に軍人になるつもりか?」

「? いちおう、もう軍人のつもりですけど…?」

「向いてないんじゃないか?」


 言葉の真意がわからない。おとがめにも聞こえるが、ブラインドの影の中でたたずむ彼の背中には、いつもの威厳がうかがえない。


「……導師への昇格を、断れと? 元いた歩兵部隊に帰れということですか?」

「違う、そうではない」

「じゃあ、軍を辞めろと?」

「違う」

「……はぁ」


 じゃあなんだよ。そんな戸惑いで二の句が継げない。シンと静まり返る室内で、カシャ、と閉まったブラインドを指で開ける音が響く。

 そしてバウマンは唐突に告げた。


「お前の配属先が決まった」

「はい?」

「アナスタシア・ストラノフ大師正たいしせいが率いる特殊実験機兵部隊、通称『ハールバルズ』。彼女と、先日亡くなったエイル・ガードナー博士の研究チーム直属の実験部隊だ」

「はぁ……って、ちょっと待ってください教官」

大師たいしだ」

「どっちでもいい……あ」


 しまった、と慌てて口を手でふさぐも、怒声は返ってこない。


「やはりお前は向いていないな」


 背中を向けたままで、表情はうかがい知れず。しかし、声は含み笑い。あの鉄仮面が。

 例の写真よりも興味のそそられる事象だったが、スヴェンはひとまず頭の中を整理することにした。


「その、ハールバルズって? 聞いたことないんですが…」

「私も初耳だ。なんでも実験部隊という名のとおり、新兵器や技術を試す秘密部隊のようだ。概要は極秘事項らしい。戦場に出るのかどうかも怪しいところだ」

「秘密部隊……なんでそんなところに、俺が?」

「おそらくあの新型を乗りこなしたことに関係しているのだろう。開発元であるようだし、報告した次の日にすぐ配属が決まったからな」

「はぁ……そうですか」


 ふと、牢屋でのレインの言葉を思い出す。「巻きこむな」と言ったジンに、彼女はこう返した。



――少しばかり、手遅れな気もしますけどね。



 不吉な暗示。続いた不可解。線でつながる頭の中。

 だが、それよりも気になることが。


「あの、責任者がって聞こえたんですけど…」

「アナスタシア・ストラノフ大師正たいしせい。ストラノフの聖女――――アルフレッドの姉だ」


 やっぱりそういうオチか。スヴェンは納得して顔を渋くさせた。エイル・ガードナー博士の元の職場というだけできな臭いのに。あぁ、断りたい。

 あまり活躍しない表情筋がここぞとばかりに躍動して、スヴェンの仏頂面にわかりやすく「いやだ」と書いていると、同じく仏頂面のバウマンがこちらは表情を崩さずに振り返った。


「そんな簡単に思っていることが顔へ出るようでは、軍人は務まらんぞ」

「……わかりにくいって評判なんですけどね、これでも」

「わかりやすいほうさ、お前は」


 あんたに比べればな、という言葉をのみ込むも、感情まではのみ込めなかった。


「話はそれだけでしょうか? 嫌味といっしょに内示だなんて、ありがたくて涙が出ますね」


 スヴェンはイライラしていた。三日間の謹慎明け直後。こっちは早く帰ってシャワーでも浴びたいのだ。

 気を悪くしたふうでもなくバウマンが言う。


「上司への覚えが悪いようでは出世できんぞ。ヘンドリックスを見習ったらどうだ?」

「もともと出世できるなんて考えたことありませんので」

「そうだな。お前は、東方系人種イースタニアンだからな」


 ピクッ、と眉がひりつく。スヴェンは胸を張り、バウマンをまっすぐ見据えた。

 消えぬ小火ぼや。燃え盛る業火ごうか。いら立ちが、胸の奥に根付く憎しみと混ざる。


「つまり、そういう話ですか?」

「……なんのことだ?」

「とぼけなくていいですよ。要するに、大師たいし殿も俺が――――東方系人種イースタニアンが目障りなんでしょ?」


 瞬きもせずに見つめるスヴェンの様相は、はたから見ればその眼光で相手を焼き尽くそうとしているかのようだった。親のかたきを見るような目。あらん限りの憎悪。

 その起因に、信頼を裏切られた悲しみが混ざっている自覚はなかった。


東方系人種イースタニアンをそんなにパイロットにしたくないなら、最初から募集要項に書いといてほしかったですね。この二年間がパァだ」

「お前を辞めさせる権限など私にはない」

「だったらなんですか? やっぱり、自主的に辞めろってことですか?」

「違う。少し落ち着け」


 首を振り、バウマンは小さなため息をついてから椅子に座り直した。重みにきしむ椅子の悲鳴に合わせ、手でソファを示す。「座れ」ということだろう。スヴェンが沈黙でそれを拒むと、観念したかのような口調で彼は切り出した。

 それは、あまりにも滑稽こっけいな問いかけだった。


「お前は将来、になりたい?」

「は?」


 本日三度目の拍子抜け。スヴェンはいささか毒気を抜かれながら答えた。


「いきなりなんですか? 将来の夢でも語れと?」

「いや……まぁ、そうなるか」


 バウマンは表情を歪めた。

 そして、無言。なんという居心地の悪さ。まるで普段は会話しない父と子の久方ぶりの交流のようだった。「雰囲気が似てる」とよくからかってくるフィーがこの場にいなくて良かった。


「……上官に語れるようなものは、特にありませんが」

「何かあるだろう? 職業でなくてもいい。こうなりたいとか、あれをしたいとか。些細ささいなことでもかまわん」


 組んだ手の上にあごを乗せ、バウマンは威厳あふれる様子で尋ねた。内容はまるで子供に対するものだったが。

 戸惑っていると、彼の視線が横へ。例の写真立てだ。


東方系人種イースタニアンだからといって、未来への希望を捨てる必要などない。軍人になって手柄を立てずとも、どこかで細々と暮らして、温かな家庭を築くことだって幸せなはずだろう?」


 ピシッ、と固まる体。走る緊張。奪われる熱。

 スヴェンの心は、一瞬で凍りついた。


「どこかって、どこですか?」

「……リー?」


 自分でも驚くほどの無感情な声。バウマンが不審げに眉をひそめる。

 心臓から指先まで冷たい。まるで、時が止まったかのように動かなくなる体。氷の彫像。

 その奥で、決して絶えぬ憎悪ほのお


「常に周りに敵がいて、逃げれば背中から撃たれる。戦場でも、日常でも。この国のどこに東方系おれたちの居場所があるんですか? 父を奪われず、母と健やかに過ごせる。そんな場所がどこに?」


 帝国は、東方系人種イースタニアンへ強制的な徴兵制度を敷いていた。

 父は戦場の最前線へ。惜しむ必要のない捨て駒として。そして裏切れば、いつでも背中から撃てるように。

 母は子を守るため、帰らぬ夫を待ちながらその身をにして働きに出る。迫害のむちでその身を打たれながら、まるで奴隷のように。

 家族で過ごす時間など人生でほんのわずかだ。


「東方に亡命したって、俺たちはしょせん余所者よそもの。ひどけりゃスパイ扱い。細々と暮らせ? 幸せな家庭を築け? ずいぶん当たり前のことのように言いますが、この国の……この世界のどこにそんな自由が?」

「それは……」


 言葉に詰まるバウマンを見て、スヴェンは少し後悔した。言っても仕方ないことをぐちぐちと。自分に反吐へどが出る。

 そして、謝ってさっさと退出しようと思い、スヴェンが頭を下げかけた時だった。


「お前の……東方系人種イースタニアンたちの苦しみは、わかっているつもりだ」

「っ!」


 カッ、と下げかけた頭に血が上る。「だが…」と言いよどむ間に素早く歩み寄り、続きがその口から紡がれるよりも早く、



――バンッ!



 目の前の大きな執務机を力一杯に叩いて、スヴェンは怒りで震えるのどから声を絞り出した。


「あんたに、何がわかるってんだっ…!」


 陳腐ちんぷなセリフ。けれど、それしか浮かばなかった。無言を貫く目の前のいかつい顔へ怒りが抑えきれない。手が震える。

 その振動のせいか、パタン、とそばで何かが倒れた。写真立て。仰向けになり、中身がこちら向きに。

 小さな女の子を抱える妙齢の女性。白い花畑を背景に、二人とも幸せそうな笑顔を見せて——


「——あ…」


 そして、スヴェンは固まった。


「……わかっているつもりだ」


 静かに、そして丁寧に、元の位置へ戻される写真立て。こちらからはもう見えない。


「だが……でしか、ないんだろうな…」


 自嘲じちょうするようにこぼす小さな笑み。

 スヴェンは冷静になり、そして萎縮いしゅくした。


「あの、教官……俺…」

大師たいしだ」


 ただの条件反射のようだったが、いつもの調子を取り戻したらしいバウマンは背もたれに体を預けながら口を開いた。


「リーよ。言いたくはないが、お前は特別だ。お前はだろう」


 先ほどまでの怒りが抜けるように、スヴェンは「はぁ…」と気のない返事をした。

 バウマンも気にせず続ける。


「だからお前はきっと、いつか選ばなければならない。を」

「……俺は、俺ですけど?」

「運命、宿命……呼び方はなんでもいい。そういったものが、お前にそれを許さない日が来るだろう」

「でも運命それって、もう決まってるってことでは?」

「いちいち揚げ足を取るな」

「いや、そんなつもりは……」


 自分だって、運命論者などではない。ただあまりに突拍子もないことを口にするものだから。顔に似合わず。

 そもそも、今日の彼は常におかしい。


「買い被りすぎですよ。それに、何者にでもなれるって……さっき軍人に向いてないって言ったばかりじゃないですか」

「ヘンドリックスと同じ部隊というわけにはいかなくなったからな」

「? それはまぁ、仕方ないんじゃ…?」

「お前は一人だと危うい」


 言っていることが支離滅裂しりめつれつ。というか、今のは「おりが必要」だと言われたのでは。

 むきになって言い返そうとするも先ほどまでの醜態しゅうたいが頭をよぎり、スヴェンはグッと言葉をのみ込んだ。感情のままによくもまぁペラペラしゃべったものだ。


(それに……)


 チラリと写真立てを見やり、バウマンへ視線を戻して、またチラリ。何度も何度も、忙しない往復。そわそわと落ち着きのないスヴェンを見つめる眼差しが鋭くなる。

 眉間のしわを深く刻むと、クルリと椅子を回転させてバウマンは背を向けた。


「もういいぞ、正式な辞令は後日だ。それと部隊のことは内密にしておけ」

「あ、はい……すみませんでした」


 礼を失したことについての謝罪。口をついて出たのはそれだけ。言いたいことは山ほどあるようで、それでいてどれも形にはできなかった。黙って回れ右。

 出口のドアノブに手をかけたまま少しためらっていると、声をかけてきたのはバウマンのほうだった。


「気をつけろよ、リー」


 スヴェンは振り返った。見えたのは、椅子の背中から少しはみ出る白髪交じりの頭髪。


「何かあればヘンドリックスを頼れ。それでも手に負えないならば、私を頼れ」

「? それは、どういう…?」

特殊実験機兵部隊ハールバルズのことだ」


 バウマンの言葉に、ようやく合点がてんがいく。自分と同じくきな臭いと思っていたのだろう。

 心配してくれたのだ。まるで、お節介焼きな相棒ジンと同じように。


「どうして……」


 どうして、そこまで。そう言いかけてやめた。

 支離滅裂しりめつれつだったのは、彼が口下手だったから。優しさを言葉にすることにあまり慣れていないのだろう。

 そんな合点がてんがいったのは、例の写真のおかげ。

 だから、スヴェンは別の言葉をかけた。


なんかじゃ、ないと思います」

「……?」

なんかじゃないです」


 写真の中の二人。年若い妻と、彼にまったく似ていない娘。

 母娘おやこ

 自分の母とも面影の似たそのは、己の幼いころの記憶にはないほど幸せそうに笑っていた。きっと彼のそばは、彼女たちの居場所なのだろう。

 だからこそ。


「――——でしかない、なんて……悲しそうに言わないであげてください」


 彼の妻と娘を想い、祈るような気持ちでスヴェンは言った。

 差しこむ夕陽。舞い降りる静けさ。カタ、と小さく響く音。

 バウマンは写真立てを手に取り、振り返らないまま言った。


「周りに流されるなよ、リー。お前がいくら特別でも……たとえ、東方系人種イースタニアンでも」


 そこでバウマンは言葉を切った。何を言おうか思案しているのではなく、きっと、手に取った彼の宝物を見つめているのだろう。

 そして彼は、独り言のように続きを口にした。


「お前が何者なのかは、お前が決めていいんだ」


 もしかしたらそれは、妻への口説き文句だったのかもしれない。あるいは将来、娘へ贈る言葉か。いや、両方なのかも。

 これ以上その場にいると茶化してしまいそうなので、スヴェンは大きなかけ声とともに敬礼をしてから、部屋をすぐ退出することにした。

 外で出迎える赤い夕焼けが、冷たくなっていたはずの体を温めてくれた。

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