第3話 めぐる想い

1 牢屋にて

 エイル・ガードナーは東方連合へ亡命しようとしていた。その手土産がマーシャルであり、おそらくリズ。

 おそらく新型の奪取と少女を拉致らちする過程において手傷を負ったのだろうが、その後で魔賊から目をつけられてしまったと考えられる。そして最も危惧きぐしていたことが、この基地周辺で東方の手の者と落ち合う約束になっていた場合だ。だが、どうやら途中で力尽きたと見るのが妥当だとう

 もしそうだったならば、スヴェンにがかかる可能性もあった。


「……俺が、東方系人種イースタニアンだからか?」

「ま、そういうことだ」


 冷たい鉄格子の向こうからしゃべるジンに目もくれず、スヴェンはほこりっぽいベッドの上で寝返りをうち、仰向けで小さな窓を見上げた。昇った太陽の光がわずかに差しこむその小窓にも短い鉄格子がはめられている。

 牢屋の内と外。もちろん自分は内側。マーシャルの無断使用の件でめでたく営倉入り。本来は軍法会議ものだから、これだけで済んだのはおんの字だった。

 そして牢屋の外から冷めた声で説明していたのが、お節介焼きな相棒だ。


「だからあんなに、リズを引き離そうとしてたのか」

はお前が一番わかってることだろ」


 ゴン、と短く刈りこんだ砂色の頭を鉄格子へぶつけ、背中を向けたまま寄りかかるジン。静かな後ろ姿からは何も読み取れない。

 だけどきっと、心配してくれたのだろう。そんな人物の亡命劇の最中に、自分のような東方系人種イースタニアンがかかわっていたらかなり面倒なことになっていたはずだ。最悪、弁明の機会すら与えられぬまま逃走幇助ほうじょの罪で処刑。

 スヴェンは素直に感謝した。危うい立場にいつもいる東方系じぶんの理解者へ。


「……ま、いろいろサンキュ」

「別に。もう慣れっこさ」


 ジンは背中を向けたまま手をヒラヒラさせ、ジッと向かい側の牢屋を見つめた。

 その先には、ベッドでぐっすり眠る金髪の少女と、その頭をなでながらそばに腰かけるメイド服の女性がいた。


「けど、全部お前の想像だろ?」

「このまま何も話さねぇ気なら、そうなるな」


 ジンの言葉に小さく肩を震わせたメイド服の女性――――東方連合のスパイ疑惑がかけられた女、レイン。彼女はリズに掛かる毛布のずれを直しながら、貸しっぱなしの黒ローブを己の身に引き寄せて体を小さくした。


「なんのことだかわかりません。私はただ、この子の世話役を仰せつかっていただけで…」

「そんなあんたがここにいるってことは、少なくとも博士と行動を共にしていたことは認めるよな?」

「おい、ジン」


 長靴ブーツのひもを結び、ギシリとベッドをきしませて立ち上がると、スヴェンはジンのそばへ近寄った。冷たい鉄格子の間に顔を挟ませればそこには、腕を組んで邪魔くさそうに表情をしかめる相棒の横顔。なんだ、そのつら


「尋問はもう終わったんだろ? これ以上はお前の越権行為だぞ」


 努めて平静に告げる。正論攻撃パンチだ。

 しかしあっさり反撃カウンター


おりの中にいるやつが何を偉そうに」

「これはお前、むしろ名誉の勲章だろうが」

「反省の色が見えねぇな。バウマン大師たいしに報告するか?」

「……やめてくれ」


 新型兵器の無断使用戦闘。おとがめがこれだけで済んだのは「大師たいしに感謝しろよ」との言葉どおり、バウマンによる取り成しのおかげ。この二年間で最大出力の拳骨げんこつをもらったが。


「ったく、俺が助けたようなもんだってのに…」

「だからその首がまだつながってんだろうが。結果オーライでなんでもかんでも行動すんじゃねぇよ」

「結果良ければすべて良し、だろ?」

「そんな調子じゃそろそろ尽きるな、お前の命運。あ、俺を巻きこむなよ?」

「……よう兄弟、ちょっと前に死ぬときはいっしょだとかなんとか言ってなかったか?」

「神様に誓う前で良かったよ」


 つまりは白紙。書類かみの契りもなかったが、なんとはかない口約束。肩の力がどっと抜けて、スヴェンは鉄格子へすがりつくように首を深く落とした。

 すると揺らめく、黒いローブのすそ。アスファルトの床を長靴ブーツの底がカツンと鳴らす。


「エイル・ガードナーの件は決して口外するな」


 向かいの鉄格子へゆっくりと近付くジン。顔を伏せたままのレイン。そして、どこか安らかな寝顔のリズ。


「それが上層部からの、死亡報告に対する返答だったらしい。確かに世間への影響は大きいだろうが、どうせいずれはバレる。なのに、どうも様子がおかしい。まるで博士の死以外の何かを隠そうとしているようだ……」


 ひときわ高く、静かな廊下に響く靴音。収まるローブのすその揺れ。

 ジンが立ち止まり、牢屋の中のレインとリズを間近で見下ろす。


「そんな不信感を抱いていた大師たいしたちにとって、俺の想像話は辻褄つじつまが合ったのさ。博士は東方の人間にを託そうとしていた。死の間際、東方系人種イースタニアンのスヴェンを見て勘違いしたってな」


 なるほど、とに落ちる。エイル・ガードナーの不可解なチーム分けは、そういうことだったのか。


(そんで、そのってのが……)


 スヴェンは気まずげにスヤスヤ眠る金髪の少女へ目をやった。

 博士のそばで発見された、人形のように美しく無表情な少女――――リズ。他人に怯え、東方系の者にしかなつかず、帝国の新型兵器に干渉して不思議な現象を引き起こしたその少女の名は、ジンいわく愛称であるらしい。

 その本当の名が、博士が言い残したあの言葉――


「――フリズスキャールブ」


 よぎる思考に重なる声。鋭いナイフのような投げかけ。

 静かに言い放ったジンに対し、あごのラインで切りそろえたレインの黒髪がつややかに揺れた。


「やっぱり、知ってるわけだ」

「……どうして?」


 見開く理知的な瞳と、呆気に取られる涼しい顔立ち。レインは驚いていた。

 ジンが肩をすくめて答える。


「俺たちが直接、博士に聞いたからさ」

「でも……」

「尋問中、誰もその言葉には触れなかったんだろ?」


 レインへの尋問は、軽い取り調べ程度で済んでいた。扱う問題が大きく、上層部からの指示を待っている状態。それまでは身柄を拘束、牢屋に入れておく方針。リズがいっしょに牢屋へ入ったのは引っついて離れなかったからのようだ。スヴェンとしては、いら立ちの募ることだった。

 営倉入りして二日目の朝。質素すぎる朝食とともにやって来たのは、自分が保護したはずの女性と少女。その二人が目の前で、牢屋に入れられる。証拠もないのにこんな状況を強いられるのは、彼女が東方系人種イースタニアンだからなのではないかという邪推じゃすいもあった。だからつい、スヴェンは責める口調のジンへ突っかかろうとした。

 しかしその意気も、次の言葉で霧散する。


「そりゃそうさ。上官どころか、誰にも博士の遺言は教えてないからな」

「へっ?」


 すっとんきょうな声にジンが反応。少しわずらわしそうな顔。「ちょっと黙ってろ」と言いたげだ。

 黙ってなどいられるか。


「お前、報告してないのか? フィーだけじゃなくて教官にも?」

「報告はした。ただし遺言ゆいごんのくだりは言ってない」

「いやなんでだよ」

「勘さ。俺たちはと思ったからだ。ま、上官たちも同じみたいだったから、結果的にのかもな…」


 視線を外したつぶやきは、まるで独り言のよう。いや、それは真に独り言だったのだろう。スヴェンはジンが何を言いたいのかなんとなく理解したが、同時に大げさすぎやしないだろうかと首を傾げた。

 うなっていると、レインがおそるおそる尋ねる。


「それを私に、言って良かったのですか?」

密告チクる相手もいないだろうし、そもそも理由がないだろ? 道連れにされるほど恨まれてる覚えはないし、たかが一兵士があの新型の名前を知っていたところで――」

「? リズの名前なんだろ?」


 スヴェンは口を挟んだ。それはもう自然に。

 饒舌じょうぜつな口を止め、こちらを向いたジンの顔は――――いわゆるひとつの。何を驚いてんだか。


「お前が言ったんだろ? フスキャールブの愛称がリズだって」

「……なんの話だ? お前の勘違いだろ」

「? だから、博士が言ってたのがリズで、お前の言うとおりなら博士はあの新型じゃなくてリズを東方に――」

「ストップ。わかったスヴェン、もういい。事前に言わない俺が悪かった」


 謝罪の言葉とは裏腹に、ジンは頭を抱えてため息をついた。イラッ。

 スヴェンはいつもの調子で食ってかかろうとしたが、先に硬質な女の声がその雰囲気を刺し貫く。


「そこまで理解されておいででしたか」


 ぼろぼろのメイド服を着た女性、レインの声。

 しかし、違う。

 先ほどまでの怯えた声とは打って変わって、それは――


「それで、あなたの目的は?」


――隠し持つナイフを取り出した、鋭い女の声だった。


「……目的、とは?」

「何かあるんでしょう? 知らぬ存ぜぬで通せばいいものを、わざわざ私へ打ち明ける以上は」

「まぁ、ぼかそうとしたところまで打ち明けたのはこいつなんだが」

「……え、俺が悪いのか?」

「いや、空気読めとお前に頼んだ俺がバカだった」

「てめっ…!」


 ジンの背中へ怒りのままに手を伸ばすが、ローブのフードをかすめただけでひらりと射程圏外へ。この鉄格子が憎い。

 そんなやり取りにも気を取られずにレインが言う。


「この子を利用するつもりならば容赦ようしゃはしない」


 感情のこもらない、平坦な声。どこか底冷えするような響き。

 スヴェンは寒気を伴いながら向かいのおりへ目を向けた。


「命に代えても、私がこの子を守る」


 まるで、おのが子に対する母のような尊い決意。しかしそれは、人でなく獣のそれ――――子をかばう、手負いの獣。

 おりを今にも食い破りそうなその手負いの獣にジッと見据えられ、スヴェンは生きた心地がしなくなり、そして一瞬で悟った。

 この女、強い。


「……本性現しやがったな」


 レベルが違う。おりから出れば、自分など一瞬で殺せるだろう。スヴェンの直感はそうささやいた。

 ジンが後ずさり、スヴェンが鉄格子をそっと放せば、その様子に目をとめたレインが殺気を消して首を振る。


「そんな大層な本性などありませんよ。ただ、こちらにも手札はあるのだと教えただけです」

「へぇ、東方にもポーカーはあるのかい?」

「存じ上げませんね。何分なにぶん、東方には行ったことがないので」


 しらじらしいセリフを吐いてから向ける、冷たい目。さっさと用件を言え。そう語っていた。

 ジンは少し呼吸を整えてから、獣の爪が届く位置まで近付いた。


「おいジン、あぶな――」

「こいつを巻きこむな」


 背中越しにこちらを差す親指。突然のご指名。スヴェンは口を開けたまま目を白黒させた。いきなり何を。

 その思いは、レインも同様だったらしい。


「意味がわかりませんね。巻きこむ、とは?」

「俺はあんたたちに興味はない。だから上官にも言わないし、一切かかわらない。勝手にどこへでも消えてくれ」

「? あなたは、いったい何を――」

「俺はあんたの目を知っている」


 知り合いなのか、と思ったがそういう話ではないようだ。


「あんたがこいつに向ける目を、俺は知っている。こいつとその子はさ」

「――――っ!」

「? 俺とリズが、同じ……いつも眠そうなところとか?」


 とんちんかんなつぶやきは、二人の間に流れる緊張感で弾かれた。


「いいか、俺たちは関係ない。あんたが帝都に連れていかれようが、東方に逃げ出そうが、どうだっていい。ただし、こいつを巻きこむつもりなら……俺も、あんたとだ」

「……そう、ですか…」


 それきり、二人は押し黙った。息苦しい沈黙ではなかった。

 それはまるで、互いに理解し合った者同士の、独特な空気だった。

 そんな空気に一人だけいたたまれなかったスヴェンが二人を交互に見ていると、リズへ視線を落としていたレインがこちらへ目を向け、ふいとまた視線を落とす。彼女はそれを、静かにもう一度繰り返した。


「少しばかり、手遅れな気もしますけどね」

「その子がなついてたのは、こいつが東方系のあんたに似てたってだけだろ」

「それもあるでしょうが……いえ、そういうことではないのです。私が何もせずとも、そちらの方はもう巻きこまれることでしょう。そしておそらく、あなたも」

「……どういうことだ?」

「これ以上を教える義理は……あぁ、そうですね。ではあとひとつだけ」


 レインはふとこちらへ視線を向けた。

 理知的で、どこか値踏みするような眼差し。そんな印象だった彼女の目尻が、穏やかに下がる。


「外見だけで心を開くほど、この子は幼くありませんよ」


 柔らかな雰囲気。心臓が少し跳ね、冷えた血が急速に温まっていくのを感じる。すると、目の前の鉄格子が音を立てた。



――ガンッ!



 ジンが長靴ブーツのつま先で蹴った音だった。


「簡単にほだされてんじゃねぇよ」

「べ、別に、そういうわけじゃ――」

「あらリズ、起きたの?」


 焦ってジンから顔を背けると、リズが起き上がっていた。

 寝ぐせのないサラリとした長い髪を手櫛てぐしでとかすレインへ頭を寄せ、寝ぼけまなこのままハシッと彼女の羽織るローブを掴む。そのローブと同様に、少女の着るぶかぶかの服も自分の肌着もの。子ども用の服が基地にはなかった。

 そしてリズが重いまぶたを徐々に開き、その翡翠ひすいの宝玉を半分だけさらしたところで――



――ビクッ!



「あら? もう、リズったら」


 バタバタッと布団を跳ねのけ、レインの胸元へ飛びこむリズ。呆れを含む微笑と、近くでは軽い舌打ち。

 すっかり少女の恐怖の対象になってしまったらしいジンへ、スヴェンは白い目を向けた。


「自業自得だろ。いきなり取り囲んで銃を突きつけるなんて横暴すぎんだよ」

「否定はしないけど、そうしてなかったられてたのはこっちだったかもな」


 ジンは肩をすくめ、そしてすぐきびすを返した。話はもう終わりらしい。それとも、プルプル震える少女の前ではさすがに彼も気が引けたのだろうか。

 遠ざる足音。それにもう見向きすらせず、ただ少女を優しくなだめる母のようなメイド。下りる一幕、会話劇の終焉しゅうえん

 そして「ちょっと待て!」と呼びかける、蛇足だそくの青年。


「? なんだ?」

「いや……え? それだけなのか?」

「そうだけど?」

「そうだけどって、お前……」


 やや口ごもっていると、腕を腰に置いてジンが帰りたそうな素振りを見せる。後ろ髪はまったく引かれていない様子。

 その砂色の後ろ髪を無理やり引っ張るように、スヴェンはずっとほのかに抱いていた期待を確認した。


「俺を、そろそろ出してやれとか、言われてたりなんかは――」

「しないな」


 短く整えられたその砂色の後頭部に言の葉が横滑りしていき、曲がり角へ姿を消すそのあっさりとした背中を見送る。

 そして、バタン、と空しく響いた音に混ざって聞こえた小さな笑い声が、スヴェンをがっくりと項垂れさせた。

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