6 ケイトとサラ
夜の荒野。横転した車。その影に座りこんでいたケイトは、そばにしゃがみこむサラへと悪態をついた。
「あんたバカ? 何してんの?」
「見たらわかるでしょ」
闇の中でうごめく人影がわきに潜りこみ、肩を担ごうとする。自分とは違う女性らしい柔らかな体。頬をくすぐる緩やかに波打った茶色の髪はフワフワとしており、無造作に縛った手入れも何もしていない自分の黒髪に比べ、土にまみれていてもいい匂いがする。
ケイトはそれらを拒み、サラを突き飛ばした。
「わかるから言ってんでしょ。バカなことしてないでさっさと行きなよ」
小さな悲鳴を上げてしりもちをついたサラが、怯まずに言い返す。
「そっちこそバカなの? そんな足でどうやって逃げる気?」
「たいしたことないわよ、こんな傷」
袖口の切れ端がきつく巻かれた太ももを叩いて言う。包帯代わりの気休めだ。動脈が傷ついているかも。血が止まらないし、何より痛い。動けそうにない。
流れる血も見えず、痛みに耐える様子も悟られない暗闇に、ケイトは心の中で感謝した。
「そっちだってぼろぼろでしょうが。戦闘に巻きこまれる前にここから離れなって」
「嫌よ」
「……あんた、そんな風にはっきりしゃべれたんだね。いつものおっとり口調は男をだまそうとでもしてたわけ?」
「好きに思ってたらいいじゃない」
憎まれ口にもたいした反応を見せず、再び近寄るサラ。荒れ果てた地面から掴んだ土をそんな彼女へ投げつける。
顔をかばいながら身を引く彼女の姿に心が痛んだが、ケイトはそれをズクンと痛む足の傷といっしょにごまかした。
「いい加減にしなって! 戦場なんて初めてなんでしょ!? さっさと
「逃げるわよ、いっしょに」
「っ…! あんた、私のこと嫌いでしょうが!」
「そんなくだらないこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
周りから、そして自分ものんびり屋と思っていたサラ。
そんな彼女からはとても想像できない大声に、ケイトが驚いていると――
――ズシィンッ!
大地が揺れ、月明かりに照らされた周囲の地面が黒く染まる。横転した車よりも大きな影を生み出したのは、背負った二つの塔をこちらへ向けるバケツ頭の白い巨人。バウマン教官のルークだ。
聞き慣れた怒鳴り声が外部スピーカーから流れる。
『被害状況急げ!』
それに反応し、横倒しになった運転席から短く整えた黒髪の頭を出したのは、ミゲルだった。
「重傷者二名! 荷台に乗っていた者はほとんど軽傷です!」
慌てた様子で
(やっぱり、正面からまともにくらったんだ…!)
ケイトはくちびるをかんだ。
魔賊の
道をそれようとして横転したのか、攻撃をくらったのか。気付いた時には後ろの荷台で転げ回っていたのでわからないが、おそらく後者。そしてもう一台は辺りに見当たらず、こちらを
真っ先にその結論へ達したのは、そちらに乗っていたのが気にくわない上流階級の者たちだったからだ。
だが、いくら憎んでも、もう落とし前はつけられそうにない。
『すぐに離脱、散開して逃げろ! 踏み潰されたくなかったらまっすぐ基地へは逃げるなよ!』
バウマンの声が荒野へ響くと同時に、ルークが音を立てながらゆっくりと前へ進む。向かう先は
なのでここからは、自らの足で逃げるしかない。
そして自分は、もう走れそうにない。
「よし、みんな散れ! 怪我人は俺とチャックが運ぶ!」
ミゲルの声を合図に、同乗していた者たちが思い思いの方向へ走り出す。それぞれ怪我は軽そう。サラもほとんど無傷らしい。
それでも彼女は、そばを離れなかった。
「何してんの? あんたも行きなよ。足手まといはこりごりなの」
「置いてけない。私は、足手まといになんかならない」
「……私が、だよ…」
二年間の付き合いで初めて
「私を連れてたら、戦闘に巻きこまれる。ただでさえみんな危ないってのに」
「でも、教官たちはここから遠いし…」
「
ケイトは静かに目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのはその時の惨劇、踏み潰された同僚の死体。
自分が、
こんなふうに死ぬのは嫌だと泣きながら思った。だからこれはきっと、そんな薄情な自分への罰なのだ。
「行って、サラ。お願い。二人で逃げるより、私を置いてったほうがまだ希望はある」
息をのむサラへ、しおらしく言ってみる。言葉にウソはない。だが、弱い女のふりをするのはひどく苦労した。なぜなら、もっとか弱い自分が叫び出しそうだったからだ。置いていかないで、と。
そんな気持ちを無理やり抑えこんだ
「ちょっとあんた、人の話聞いて――」
「聞かない」
肩に回された腕に引っ張られ、背中から抱き起こされる。ケイトは足の痛みに顔をしかめた。
「大丈夫? ほら、頑張って」
「無茶言うんじゃ、ないっての…!」
引きずられて歩き、痛みが足を襲うたびに全体重をサラへ。それにいちいち踏ん張ってしまうので、二人の歩みはとても遅かった。このままじゃまずい。
「サラ、離して…」
「弱音吐いてないでいつもみたいにしゃきっとしてよ」
そうしたいところだが、痛みで意識が飛びそう。血も失いすぎたかもしれない。
かすむ視界に続く地響き。目が見えなくなるほどに、戦場の音と地面の揺れが大きくなっている気がした。いや、本当に近付いているのかも。
焦る気持ちとは裏腹に、ケイトは口を固く閉ざした。せめて苦しむ声は聞かせたくない。
サラが自分を、もっと見捨てられなくなってしまう。
「頑張ってケイト、お願いだから…!」
無理だ、と思った。腕に力が入らず、突き放すこともできない。
どうすれば見捨ててくれるだろう。そんなことを考えていたら、勝手に口が動いた。
「……私、さ…」
「しゃべんなくていい…!」
「あんたの、こと……大っ嫌い、なんだよね…」
隣から驚く気配。ケイトは荒れ果てた地面をぼんやりと見ながら笑った。衝撃の、ではなく周知の事実。こんな状況で何を言うのか。たぶんそう思っているのだろう。自分もそうだし。
こんなことしかもう、思いつかない。
「とろくて……操縦も、下手で…。私が、不合格だったの、あんたがお荷物だったからだと、思ってる…」
「それはケイトがスヴェンに単騎で挑んだりするからでしょ」
「まぁ、それは……そうなんだけど、ね…」
意識がもうろうとする。自分が何を言っているのか、よくわからなくなってきた。
「でも、あんた……普段はフワフワしてるくせに、言いたいことは、言ってくるし……それがムカつく…」
「文句なら後で聞くから……お願いだから頑張って、ケイト…!」
前に進んでいるのかどうかもわからなくなってきた。血が急速に失われているのか。
これは、見捨てられる前にアウトかな。
「最後に、さ。聞かせてよ…」
「最後だなんて言うなバカッ!」
「……なんで、そんな必死なの…?」
サラの叫びを無視して尋ねる。後ろの音が、また一段と大きくなった。
「私のこと……あんたも、嫌い、だったよね…?」
「グチグチグチグチ、今だって嫌い」
「じゃあ、見捨てなよ…」
「絶対にヤダ」
「だから、なんでよ……もう、置いてってよ…!」
戦場の音。嫌な圧迫感。耐えていた戦線が押され始めていることに気付く。
今ならまだ間に合うかも、というのはただの希望だ。もう遅い。現実は、自分のせいで彼女を死なせてしまうかもしれない。
つらい、苦しい。情けない、申し訳ない。けれど、見捨てないでいてくれることが、たまらなくうれしい。そんないくつもの感情が胸の中でないまぜになって、ケイトは涙をこぼした。
そしてどうやら、サラにはお見通しだったらしい。
「助けてほしいならそう言えばいいじゃない!」
パチリ、と目の覚めた気分だった。体は気だるげだったので、瞳だけを動かす。
サラは歯を食いしばりながら、少し泣いていた。
「なんでそんなに意地張るのよ! こんな時までツンツンツンツン……デレなさいよ少しは!」
「……意味、わかんない…」
「スヴェンのこと好きなんでしょ!?」
今度こそケイトは驚愕して、目を見開いた。気だるい体が一瞬だけよみがえり、曲げていた首を起こしてサラの横顔を間近で見る。
彼女はこちらの様子も気にせず続けた。
「あんなさみしそうに振り返っちゃってさ! 最後ぐらい、素直になれば良かったじゃない!」
サラも自分が何を言っているのか、たぶんわかっていないのだと思う。それほどに必死な顔をしていた。いつものんびりしている彼女には似合わぬ必死な
それが、無性におかしかった。
「ちょっと何笑ってんの!? 死にかけのくせして!」
怒声に首を振る。
素直、か。
「……あんたの妹分も、隣にいたけど…?」
「それはそれ、これはこれ! 私は恋する乙女の味方なの!」
荒くなった鼻息がまたおかしかった。素直って難しい――――自分には無理だ。
「乙女なんてキャラじゃないよ、私は…」
笑うと力が少しだけ湧き、もう少しだけ歩ける気がした。踏ん張って、サラといっしょに前へ進む。
「ひとつ、訂正なんだけどさ…」
「何…!?」
苦しげなサラ。ただでさえ体力がない彼女では無理があったのだろう。だが、ほかの人間に怪我を気付かれていたら、きっと意地でも抵抗して残っていたかもしれない。
彼女だったから、自分は受け入れたのだ。
「リーなんて、私、全然タイプじゃないから…」
「ウソならもう少しだます努力しなさいよ…!」
「ウソじゃない……私は、ただ――」
――ガシャァンッ!
と派手な衝突音がして、ケイトは思わず後ろを見た。
横転していた車がさらに回転。それも、空中で。真っ直ぐこちらへ落ちてくる。
「————サラッ!」
ケイトは力を振り絞ってサラを突き飛ばした。そのまま走ってくれれば範囲外。だというのに、よろけたサラはそのままあらぬ方向を見ながら呆けていた。
風を切り裂く音とともに、車はもうすぐそこ。逃げられない。とっさに彼女を押し倒して上からかばうものの、これでは二人ともぺしゃんこ。
あの時の、仲間の兵士と同じように――
――ガゴォンッ!
――紙切れのようにでもなれば笑えたのに、踏み潰された死体は思い出の中の姿すらすべて塗り潰してしまうような肉塊となっていた。
呆然とした。胃の中のものがせり上がってきて、吐くと同時に涙も出てきた。遺品を回収するでもなく、かつて仲間だったものに怖くて目も向けれないまま、その場で腰を抜かした。
そして
その時にかばってくれたのが、スヴェン・リーだった。
だから、ケイトは直感した。砂煙が晴れ、自分たちを守ってくれたその青い巨人が
だから、彼の名を呼んだ。
「リー…?」
「え、え? ほ、本当にスヴェンなの?」
動揺するサラが胸にしがみつき、自分にはない大きな双丘を押しつけてくる。普段なら文句を言うのだが、ケイトは彼女に覆いかぶさったまま動かなかった。荒野のど真ん中で抱きしめ合う女性二人。
そして、かがむ機体。青い
――プシューッ。
その胸元から出てきたのは黒髪黒目の見飽きた青年。眠たげな眼差しの、言ってしまえば目つきの悪い大嫌いな男。
その理由は、この訓練部隊で思わぬ再会を果たしてもまったく自分のことを覚えていなかったことと、それに――
「……もしかして、お邪魔だったか?」
――こういうところだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます