10 妖しい姉弟

 アルフレッド・ストラノフは絶望していた。

 容姿端麗ようしたんれい眉目秀麗びもくしゅうれい。神童と呼ばれ、この長い戦争に終止符をうつ英雄になると口にしてはばからない周囲。自分も、そのつもりだった。

 才なき兄たちを退けてストラノフ家を継ぎ、世界の統一を果たす。帝国の歴史に名を刻む。未来永劫みらいえいごう、語り継がれる存在に。

 そのための努力はしてきた。才におぼれず己を律し、幼き時分じふんから誰よりも血と汗と涙を流してきた自負がある。自分を支える誇りだ。

 それが今や、砂上の楼閣ろうかくと化していた。


「負けた……」


 寒い夜の荒野。そのど真ん中に仰向けで倒れ、アルフレッドは星明りを消す大きな満月を見上げながらつぶやいた。


「負けたのか、私は……」


 スヴェン・リーに挑んだ最後の決闘。それから半日。鍵杖キーロッドを奪われて機体を失ったアルフレッドは、自らの足でそのままフラフラと荒野をさ迷っていた。

 合否を言い渡されるのは明日だが、基地へ帰る気にはなれない。不合格ならば、たとえ東方大聖公とうほうたいせいこうの息子だとしても、マスター階級から格下げとなるかもしれない。実力至上主義の帝国ならば十分にあり得る話。

 それでもアルフレッドは、もうそんなことどうでも良かった。恥辱ちじょくにまみれたこの醜態しゅうたいをさらすぐらいなら、ここで息絶えたほうがましだとさえ思う始末。

 彼の頭の中にはずっと、立ち去るスヴェンの背中が焼きついていた。



――じゃあな、アルフレッド・ストラノフ。



 たったそれだけ。渡された引導いんどうは、それだけ。

 歳のそう変わらぬ東方系人種イースタニアンの青年、スヴェン・リー。彼に勝つことだけをこの二年間考えてきた。勝たなければ、自分の中の何かが崩れてしまうと感じたからだ。

 だが、最後まで負けた結果はどうだろう。不思議と悔しさはない。自らの誇りを汚されたというのに。

 これは、虚無感だ。アルフレッドは月の光をさえぎるようにまぶたを閉じた。暗闇に浮かぶ、去りゆく背中。絶望。

 やつはもう。そう考えた時、別の声が聞こえた。



――そのぐらいにしといてやれよ。



 ジン・ヘンドリックス。戦いの中で聞こえた、こちらへ同情をするような言い草。

 アルフレッドの胸の中に燃えたぎるような怒りではなく、どす黒い憎悪が巻き起こった。重く、ドロドロとした想念。許せない。

 着ていたローブを転がって汚し、地面に向かって嗚咽おえつする。両手で土を掴み、膝を曲げ、体を丸める。額を傷つけるのは、小石に混ざる大きな石。


「あ、あぁ……あぁ――」



――アァァァ――――ッ!



 妖しい月明かりの照らす静かな荒野で独り、アルフレッドは慟哭どうこくした。月に向かって遠吠えする狼よりも大きな叫びで。

 そして誰にもばれぬようにと、額を地面へ擦りつけながら彼は涙をこぼした。






 しばらくしてのどがかれたころ、ふと地面が暗くなった。月明かりがさえぎられたのだ。

 雲ではない。ジャリ、という足音。人影だ。


「アルフ、こんなところでどうしたんだい?」


 風に揺れる鈴の音のような、優しげに澄んだ高い声。それに、愛称。アルフレッドは驚いて顔を跳ね上げた。

 白いローブを羽織はおり、中には襟付きのボタンシャツとタイトスカート。そして、荒野なのにハイヒール。どう考えてもおかしい。しかしアルフレッドは、その月明かりのスポットライトを浴びる長い銀髪に目を奪われてしまった。

 自分とほぼ同じ長さと髪色で、面影も少し似た美しい女性。それも当たり前。

 なぜなら、自分たちは――


「あ、姉上…?」

「やぁ、私の泣き虫なかわいい弟。元気だったかい?」


――姉弟きょうだいなのだから。






 アナスタシア・ストラノフ。ストラノフ家の長女にして、希代きたいの天才。ストラノフの聖女とも呼ばれている。

 魔杖機兵ロッドギアの操縦はもちろん、戦の指揮に内政、そして何より魔導技師マギナーとしての知識において、彼女の右に出る者はストラノフ家にはいなかった。それは外に出ても同じ。

 いわく、帝国始まって以来の女傑じょけつ。ここ数年は彼女と同じく天才と呼ばれる魔導技師マギナー、エイル・ガードナー博士とともに働いているはずなのだが。


「それで姉上は、なぜこのようなところに?」


 たき火の明かりに照らされた涼やかな横顔へ、アルフレッドは尋ねた。

 ここは荒野のど真ん中。パイロット養成のため、軍関係者以外は立ち入り禁止となっている魔杖機兵ロッドギアの演習場所だ。彼女はマスター階級の中でも最上位にあたる大師正たいしせいなので、いても疑問はないように思えるが、やはりこんなところに一人でというのはおかしい。見たところ、自分と同じくまともなもなさそう。

 そんなことに小一時間たってから気付いたのは、アルフがこれまでの経緯いきさつを夢中で話していたからだった。包み隠さず、スヴェンとの屈辱くつじょく的な決着まで。


「今さらかい? 相変わらず自分のことばかりだね、アルフは。昔から私のところに来てはおしゃべりの口が止まらないのだから、困ったものだよ」

「い、いつの話をされているのですか姉上…!」


 涼しい目元と口元をたゆませ、アナスタシアがほほ笑む。アルフレッドは顔が赤くなった。まるで、少年のように。

 四人兄弟の三番目と四番目。自分は二十で彼女は二十七だから、少し歳の離れた七つ違い。上の二人と姉はそこまで離れていない。

 家族の中で一番かわいがってくれたのは姉だった。それは唯一、同じ銀髪だったということもあったに違いない。

 銀髪は、皇帝家の血筋の証。傍流ぼうりゅうの証明と同時に、それは才の発現でもあった。そんな才能に恵まれていた姉は上の兄二人には見向きもせず、自らと等しい存在として銀髪の弟をかわいがってくれたのだろう。アルフレッドも同じようなものだったからそれがよくわかった。

 冷たい目。欠陥人間。近しい親族たちは彼女をそう評した。ただの嫉妬しっとだろう。彼女はいつも自分には理知的で、時に優しい目を向けてくれるのだから。興味のない人間にはとことん興味がないのは悪癖あくへきだが。

 昔、こんなことがあった。屋敷の庭に落ちた鳥を見て、彼女へ助けを求めたのだ。飛べずに弱っていた鳥を見て泣き出す自分を、彼女は温かい目で見守ってくれた。

 その時と同じ目をアナスタシアが向ける。


「いつまでたっても、君は私の愛しい泣き虫だよ。その証拠にほら、今も」


 白いローブに包まれた腕が伸び、長く細いきれいな指が目元をくすぐる。涙の跡が残っていたのか。

 アルフレッドは邪険にせず、首を振って拒んだ。


「子どもあつかいはおやめください」

「丸っきり子どもじゃないか。同い年の男の子とケンカして、負けて大泣きするなんて」

「ひとつ下です」

「なおさら悔しいね、それは」


 言葉に詰まるこちらを見て、いたずらっぽく笑うアナスタシア。こういうところもあるのだ、この人は。


「別に、悔しくはありません」

「聞くかぎりではそうみたいだね」


 強がりのように聞こえるセリフを、アナスタシアはあっさり受け入れた。そして、ジッとこちらを見つめて考えこむ。

 パチパチと舞う火の粉。横に座る、月明かりと炎に照らされた銀髪の美女。ゆっくりと組み替えられた足。黒いストッキングが覆うその長い足は膝上まで出ていてなまめかしく、いくら姉とはいえドキリとせざるを得なかった。


「たぶん、君は……いや、やっぱりやめておこうかな」

「? 姉上?」


 悪い歯切れ。いつもズバズバ物を言う姉にしては珍しい。

 追求しようとすると、伸びてきた手に黙らされる。今度は目元ではなく頭の上。だ。


「気にすることはない。天才に必要なものは、時に挫折ざせつなのだよ。特にアルフのようなタイプにはね」


 アルフは頭の上で動く気持ちの良い感触を拒まず、そのまま尋ねてみた。


「では、姉上は?」

「私は超がつく天才なのさ」


 だから必要ない。そう言わんばかりに、間近にあった顔がクスリと妖しくほほ笑む。そのとおりだと思ったので何も言い返せなかった。

 手が離れ、アナスタシアが声の調子を変える。


「しかし、スヴェン・リーか…」


 輝いたのは自分とおそろいの灰の瞳。アルフレッドはひどく後悔した。

 これは、興味をもった目だ。


「訓練兵がアルフを負かすなど、本人の口から聞いても信じられないな。まぐれか、よほど機転の利くタイプなのか、それとも――――おっと」


 こちらを見て何かに気付いたアナスタシアが、また手を伸ばす。今度はなんだ、と身構える間もなくスルリと頬に添えられたのは、たき火の熱に温められた手。


「ヤキモチかい?」

「……は?」

「アルフのシスコンにも困ったものだ。まぁ、私がそうのだけどね。大丈夫、私が一番のは君だよ」

「ちがっ…! 何を言って――」


――ふと、アルフは既視感を抱いた。彼女のその目に。


「ところでアルフ。エイルを見なかったかい?」

「? ガードナー博士、ですか?」

「女の子といっしょだと思うのだけれど。十四歳ぐらいの……いや、印象はもう少し幼いかな?」

「はぁ……いえ、見ておりませんが」


 キラキラとしているのに暗く、なぜか底冷えするような輝き。向けられたことはないはずだが、どこかで見たことがある。


「あっ、そういえば」

「見たのかい?」

「いえ、親子らしい民間人がどうやら演習場に紛れこんでしまったようで。男は、死にかけ、だと……え?」

「女の子はいっしょだったということだね。誰かが保護したのかい?」

「た、たぶん、基地にでも連れて……姉上? まさか、それがガードナー博士なんてことは…」

「そうか、見られてしまったか。エイルは死んだのかな? まぁさえ回収できればどうでもいいか。それに……」


 平然と物騒なことを言うアナスタシアに、のどをゴクリと鳴らす。

 同時に、空が真っ暗になった。



――ゴゥン、ゴゥン……。



「ちょうどいい実験になるかもね」


 その言葉をアルフレッドは聞き逃した。空に視線が釘付けだったからだ。

 月明かりをさえぎったのは、。空飛ぶ船。

 雲間からのぞいたその巨大な船が、地上へとゆっくり降りてくる。


「あ、姉上! あれは、まさか……どうしてこんなところに――」

「アルフ…」

「――っ!?」


 こちらの首に腕を回し、しなだれかかるアナスタシア。体が固まる。

 耳元でささやく澄んだ声。


「力が、欲しくはない…?」

「ち、から…?」

「そう、力だよ…」


 くすぐる吐息。柔らかな体。姉弟きょうだいとしての背徳感。すべてが一瞬で過ぎ去り、アルフは思い出していた。

 彼女がいつ、あの目をしていたのか。


「私が与えてあげよう、かわいいかわいい弟に。だから……」


 あれは、そうだ。泣いている自分を慰めて、傷ついた鳥のほうを向いた時だった。ワクワクするような表情とともに、一瞬だけ確かに浮かべていた。

 純粋な狂気。ギラギラと輝きながらも真っ暗で、まるで昼間の太陽がその輪郭りんかくだけを残し、闇に侵されてしまったような瞳。

 気味が悪かった。愛する姉を、初めて怖いと思った。


「お姉ちゃんの期待を、裏切ってはいけないよ…?」


 だからその後、あの鳥がどうなったのかを、自分は決して聞かなかったのだ。

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