9 始まりの出会い

 フィーの先導で三人は娘の後を追った。起きたとたんに見たこともない隠し通路へ逃げこまれ、一人で追うのはやめておいたらしい。

 横に開いた壁と、下へ続く階段。見取り図にないルート。

 それは、アルフレッドとの決闘の舞台になった広い中庭の地下へとつながっていた。


「こいつは…」


 スヴェンが息をのむ横で、ジンがうなずく。


「これだったのか、あの二人がこっちへ逃げた理由は…」


 がらんとした空洞。横道には、人の手が入った地下水路。巨大な空間。

 そこの奥に鎮座していたのは、青い魔杖機兵ロッドギアだった。


「ウソでしょ、これって…」


 ドーム状のその空間へフィーが足を踏み入れる。

 岩肌の天井と壁。明かりは二つだけ。青き巨人を祭るように、両側からごうごうと燃え盛るかがり火。まるで祭壇だ。

 一番奥にいる巨人の元へフラフラと歩むフィーの腕を後ろからつかまえた時には、もう目の前まで来ていた。


「おいフィー、あんまり不用意に――」

「フェアリー、タイプ…?」

「? 妖精フェアリー?」


 復唱したジンがフィーにならって巨人を見上げる。仕方なしにスヴェンも見上げた。

 照らされた炎で青く輝く巨人。ガンバンテインに比べれば線が細く、短足で重心の低い寸胴体型などではない。壁に背をつけて曲げた足は長く、座りこんでいてもわかるリアルな人間の八頭身体型。だが、角張った鎧にも見えるそれは確実に装甲であり、間違いなく魔杖機兵ロッドギアだ。妖精フェアリーからはほど遠い。

 それでもフィーは興奮しながら続けた。


「F型! F型魔杖機兵ロッドギア! そんな、完成してたなんて!」

「お、おいフィー! だからやめろって!」

「はーなーしーてー!」


 我を忘れた様子のフィーを後ろから羽交はがい絞め。何か、魔導技師マギナーの琴線に触れる代物なのだろうか。

 足をばたつかせながら「ちょっとだけ!」と連呼するフィーの横で、ジンが手に持った青い鍵杖キーロッドをもてあそびながら言う。


「たぶん動かねぇから大丈夫だけど……それよりスヴェン、頼む」

「何を頼むか知らねぇが、こっちは取りこみ中だ…!」

「ちょっとだけ! ちょっとだけだからー!」

「……フィー。おとなしくしてくれたら、後で好きなだけ触り放題だぞ?」

「ほんとっ!?」


 ピタッと動きを止めたフィーから離れ、汗をぬぐう。魔導技師オタクなのは知っていたが、ここまでの反応は初めてだ。


「なんだよF型って、そんなにすごいのか? けど、聞いたことねぇなぁ…」

「フフフ、説明しようっ!」

「しなくていい。それより、まずはあれだ」


 フィーと同時にガクッとこけて、ジンの親指が示す先へ目をやる。そこにはあの少女がいた。巨大なかかとの裏から半分だけ顔を出し、目が合ったとたんにピュッと隠れる、まるで小動物。

 そんな感想を抱くと、ジンが言う。


「それじゃヨロシク。俺たちは離れとくから。行くぞフィー」

『え?』


 重なる疑問を無視するジン。スタスタと立ち去るその背中へ慌てて声をかける。


「お、おいジン、ヨロシクってなんだよ?」

「お前だったら逃げないと思う」

「なんの根拠があってそんな……」

「俺たちには。けど、お前には


 立ち止まって告げられた言葉に、意味を察する。試験と同じだ。攻め手側と守備側。

 ただしエイルが分けたチームは、自分だけ別。


(それに、フィーが撃たれた時も……)


 スヴェンは思わず口元を手で覆った。よく考えれば、先に目が合ったはずの自分を狙わなかったのは不自然だ。


「けど、なんで俺?」

「さぁな。それは娘の様子を見てから考えようぜ」


 そう言って、背中越しに手を振りながら去っていくジンを、スヴェンは見送ることしかできなかった。取り残された気分だ。

 キョロキョロ戸惑っていたフィーも、ためらいがちにジンの後を追う。


「いくら暗がりだからって変なことしちゃダメだからねスヴェン!」

「誰がするか」


 なんて強がってはみたものの不安だ。子どもは苦手だし、そもそも好かれるタイプではない。


(まぁ、ダメで元々か。それにそこまで子どもってわけじゃないだろ)


 かといって大丈夫か問われれば、それはまた別の話。スヴェンは自信なく少女のほうを向いた。再び顔を半分だけ出して、こちらの様子をうかがっている。警戒心丸出し。だがそれは、敵意よりも怯えのほうが強いようだった。

 一歩、近寄ってみる。ビクッと跳ねる小さな肩。腰まで伸びた黄金こがね色の髪をサラリと流し、再び巨人の足の後ろへ。これ以上は近付かないほうがいいのかもしれない。


「……別に、取って食ったりしねぇよ」


 十歩ほど離れた場所で膝をつき、チッチッチッ、と舌を鳴らしながら人差し指で招く。なつかない猫を呼ぶかのようにして。


(ってこれじゃ、逆に機嫌を損ねるか…?)


 そんなスヴェンの不安をよそに、ヒョコッと顔を出す少女。髪色とともに暗闇の中で輝く翡翠ひすいの瞳が、ジーッとこちらを見定めている。さて、どうしたものか。


「……お菓子もあるぞ。今は、持ってないけど…」


 どう考えても不審者だったが、幸いなことに効果はあったらしく、視線の交わる時間が最長記録を更新。もう一押しの予感。


「ほら、あれだ……好きなもの、なんでも買ってやるから」


 さらに増す不審者レベル。ジーッと見つめてくるが、出した顔は半分のまま。ダメか。


(いや、逆にこれで来たらどういう教育してんだって話に――)



――ヒョコッ。



 おっ、と目を見開く。少女が巨人の足に抱きつきながらも、体を半分さらしていた。意外とうれしい。スヴェンは野良猫をかまう人間の気持ちが少しわかった気がした。

 しかし、焦りは禁物。捕まえたくなる衝動を抑え、ジッとその場で待つ。その間ももちろんずっと舌を鳴らし、指を動かし続けた。そして、やはり待つ。チッチッチッチッと待つ。

 次第に舌が疲れて「……何やってんだろ俺」と首を深く曲げた時だった。



――ジャリ…。



 ためらいがちに、地面を踏みしめる音。顔を上げればそこには、巨人の影から出てきてビクッと固まる少女。怯えているようだが逃げ出す気配はない。バチッと目が合う。


(それにしても、変な目だな…)


 病人が着るような薄緑――血で汚れてはいるが――のバスローブ。その色にも似た翡翠ひすいの瞳。大きな宝玉を伏し目がちに隠すまぶたは、わずかに震えているようだった。火の明かりに映える白い細腕で自ら抱きしめた、その小さな体と同じように。

 ふと重なるのは少年の姿。去来する、寄るなき心細さ。

 親を失くし、世界中が敵だと思っていたあのころの自分は、本当はどうしてほしかったのか。


「――——怖がらなくていい」


 スヴェンは無意識に穏やかな声を出した。

 そして、手を差し出す。


「大丈夫。ここには、お前を傷つけるやつなんていやしないさ」


 優しげに緩む口元。相変わらず伏し目がちだったが、まるでき物が落ちたかのように震えが止まり、キョトンとする少女。眠たげなのは標準装備デフォルトらしい。自分にそっくり。

 クッ、と息を詰まらせた笑いとともに消える、過去の幻影。自嘲じちょうするのは己の本音。

 本当は、誰かにこう言って――――こうしてほしかったのか。


(ま、ガキだったしな)


 誰にともなく言い訳するも、右手を引っこめはしない。くせの見当たらない金髪を揺らし、一歩一歩ゆっくりと近寄る少女には関係のないことだったから。



――ジャリ。



 目の前で立ち止まる少女。見下ろす、伏し目がちな眼差し。

 神秘的な輝きを放つ翡翠ひすいの瞳はどこかぼんやりとしていて、こことは違う場所を見つめるような、心の内を見つめるような――――すべてを見通すような、不思議な目をしていた。

 スヴェンはつい目をそらしたくなった。心もとない身なりで妙な存在感を主張する少女に、及び腰になった。それを悟られたら元の木阿弥もくあみだろう。

 だから、こらえて尋ねる。


「名前は?」


 沈黙。

 少女が静かに見下ろす。


「俺はスヴェン。お前は?」


 返答なし。無言。しゃべれないのだろうか。

 困ったようにうつむくと、手がひんやり。


「リズ」

「え?」

「リズ」


 冷たい小さな手を重ね、少女が続ける。


「リズ」

「あ、名前か。良かった、しゃべれないかと――」

「リズ」

「? いや、もうわかった――」

「リズ」


 壊れた人形のように繰り返す少女――――リズ。戸惑っているうちに「リズ」と再びつぶやかれる。妙な存在感というか、変な圧迫感が。

 冷や汗をタラリと流して、ふと気付く。


「……よろしくな、リズ」


 名前を呼んでほしいのかと思い、軽くあいさつがてら。

 どうやら正解だったらしい。



――コクンッ。



 大きなうなずき、ささやかな笑み。相変わらず目はぼんやり。だが不思議と伝わる、あふれんばかりの喜び。

 キュッと握られた小さな手をスヴェンは優しく握り返した。なぜか、そうすべきだと感じて。




 これが、スヴェンのつらく長い旅路をともにすることとなる、リズとの最初の出会いだった。

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