8 エイル・ガードナーと少女②

「ジン、後ろだっ!」


 手遅れの忠告より先に、自分の体が反応してくれた。



――ピシュンッ!



 放たれる光の凶弾。真横を通り過ぎたジンが気付くよりも早く、驚愕の表情を浮かべたフィーの元へ。

 しかし、彼女が驚いたのは撃たれたからではなく、飛びかかってきたスヴェンに対してだった。



――バンッ!



「キャッ…! ス、スヴェン!? 待って待って私まだ心の準備が……って、スヴェン…?」

「スヴェン、大丈夫か!?」


 声は聞こえるもののろくに反応できず、スヴェンはただ歯をくいしばった。

 下敷きにする柔らかな感触。それを忘れさせるほどの熱が、右肩の辺りに。痛い。骨にひびでも入ったか。だが、それだけで済んだともいえる。純物質金属アンチエテリウムの金属繊維が織りこまれたこの黒ローブでなければ、きっと貫かれていただろう。だからそれを脱いでいたフィーは、なんとしてでも守らなければならなかった。

 肘をついて上体を起こし、覆いかぶさっていたフィーの横へ転がるようにどく。


「ぐっ…!?」


 床に当たった肩に激痛。ダランと、力が入らない。


「! ウソ、やだ……スヴェンッ!」

「おい平気か!?」


 横から見下ろすフィーの反対側にジンが滑りこんでくる。見上げる顔は二つとも動揺していた。


「大丈夫……骨じゃなくて、肩が外れただけみたいだ」


 起きようとするも上手くいかず。手こずっていると、フィーが泣きそうな顔をしながら背中を支えてくれた。


「ごめんね、スヴェン……ごめん…」

「お前が謝ることじゃないだろ」

「でも……」

「肩、入れるか?」


 フィーに比べ、冷静さを取り戻していたジン。こういう対処には慣れているのだろう。さすが、路上で悪さをして育ってきただけはある。

 自分もまた慣れていた。これまたちょうどよく、入れるほうではなく外されるほうで。


「あぁ、じゃあ頼む」

「舌かむなよっ!」

「――――っ!? お、まえ…! やるならやるって言ってからだな…!」

「お礼が先だろ?」


 ニヤリとした顔に何も言えなくなり、スヴェンは乱暴に入れられた右肩を不満げに回した。痛みはひどいが青い顔を見せるフィーの手前、ここは我慢。


「で、鍵杖キーロッドは?」

「取り上げた。悪い、油断したな。まさか攻撃までしてくるなんて…」


 青の鍵杖キーロッドを片手でもてあそぶジン。彼で予測できなかったのならば、それは致し方のないことだとスヴェンも納得した。

 だが、一発は一発。ポーンと宙を舞っていた青の鍵杖キーロッドをパシッとかっさらう。


「おい、何する気だ?」

「やられっぱなしは性に合わねぇ」

「これ以上はただの死体蹴りだぞ」


 言われてエイルをよく見ると、どうやらこと切れる寸前。仰向けに寝て、遠い目をしながら静かに胸を上下させている。だが、最後に一言ぐらい文句を――



――クイッ…。



「スヴェン、もうやめとこ…?」


 立ち上がりかけたところで、フィーがローブの端を控え目に引っ張る。手も声もわずかに震えていた。

 エイル・ガードナーは魔導技師マギナーの卵であるフィーにとっても憧れだった。その人物に殺されかけたことで、ひどく動揺しているのかもしれない。今にも泣きそうだ。

 やっぱり、そんな表情かおは似合わない。


「効くと思うぞ」

「……え?」

「色仕掛け」


 スヴェンは良かれと思って口を開いた。


「柔らかい下敷きクッションのおかげで俺も助かった。誰に仕掛けるのか知らねぇけど、まぁだいたいの男は嫌いじゃないからいけるんじゃねぇの? お前の成長した――」



――バチィィィンッ!








「――――よくもやってくれたな、おい…」


 頬に真っ赤な手形をつけたスヴェンは、青の鍵杖キーロッドをエイルの顔の真横に突き刺して言った。

 向かい側で膝をつけるジンが呆れながら言う。


「お前それ八つ当たりじゃね?」

「元はといえば全部こいつのせいだ…!」

「いやあれはお前が悪いよ、うん」


 真顔で大きくうなずかれては、ぐぅの音も出ない。


「まぁさすがに、胸の話はまずかったよな…」

「いやそれもそうだけど、そこじゃなくて……あ、もういいです」


 疑問の視線を投げかけると、ジンが敬語で断る。面倒くさくなったらしい。そのまま話題を続けずにエイルの顔を真上からのぞき込み始めたので、釈然としないながらも同じくのぞき込む。

 意識を取り戻したが、もう目は見えていないようだ。血と泥で汚れ、疲れ切った顔が土気色に染まり、青い瞳からは光が失われている。


「撃たれっぱなし、か…」

「ずいぶんこだわるな。そんなに痛かったのか?」

「だから、やられっぱなしがしゃくなだけだ」

「あっそ」


 ジンが手を振るも反応なし。そのまま彼はエイルの耳元へ口を寄せた。


「エイル・ガードナー博士。最後に何か、言い残したいことはありませんか?」


 律儀なやつ、とスヴェンは思った。驚きはない。わずかな従軍経験だったが、その中でもジンはこうしてよく遺言ゆいごんを聞いていたりしたからだ。しかも、敵味方問わず。

 同い年の人間を、そもそも他人を尊敬する日が来るなんて、そんな彼を知るまでは思いもよらなかった。


「……た、さん…」

「? なんて言った?」


 今度は口元に耳を近づけていたジンへ尋ねる。スヴェンには、かすれた呼吸音しか聞こえなかった。


「……渡さない?」


 ジンが眉をひそめると、エイルが小さく口を動かす。


「おま、え……ら……ぜった、い……」

「おい、なんて言ってんだ?」

「黙ってろ。……やっぱり、帝国兵に…。それに、渡さない……か」


 チラリとジンが見たのは、横に突き刺しままの青い鍵杖キーロッド。そしてそのまま、娘のほうへ視線を移す。こちらは完全に無視。

 思考の海へ潜ったジンを放って、スヴェンはエイルに近付こうとした。まだ何か言うかもしれないと思ったからだ。

 だが、それが最後の力だったのか、もはや風前の灯火ともしび。せめて娘が起きるまではもたせてやりたかったが――



――クワッ!



「――っ!?」


 青い瞳に宿る炎。命の、最後の輝き。

 突然のことにスヴェンは思わず身を引いたが、胸倉むなぐらを掴まれて引き寄せられてしまった。


「こ、こいつ――」

「渡すな…!」

「は?」

「やつらに、渡すな…!」


 呂律ろれつのよみがえった口調に目をしばたかせる。隣にいたジンも同様だった。


「渡すな……絶対、に…!」

「わ、渡すな渡すなって、いったい何をだ?」


 スヴェンはそう返してからすぐに後悔した。まともじゃない相手につい、まともな会話を求めてしまった。

 だが、エイルは答えた。


「フリ、ズ、ス……キャールブ…!」

「あ? なんだって?」


 聞き覚えのない単語なうえ、たどたどしくてよくわからい。


「フリズ、スキャー……ルブ…! わ、たすな…!」

「フリズ、スキャールブ…? それを、渡さなきゃいいのか?」

「あとは、たの、む……」

「え? あ、おいっ!」


 そして、エイルは力尽きた。スヴェンの胸の中で。終わってみればまるで、一瞬の出来事のようだった。

 命の残り火がまだ胸の辺りにくすぶっている気がして、思わず戸惑いの目をジンへ向ける。


「頼むって言われても、なぁ?」

「……どういうことだ?」

「? ジン?」


 険しい顔でエイルの亡骸なきがらを見ていたジンが、ゆっくりとこちらを向く。最後に燃え盛ったエイルのものとは違う、戸惑いに揺れる青の瞳。

 そして、小さく口を開きかけ――


「スヴェーン! ジーン!」


――バタバタ駆けてくるフィーの声が、ジンの口をふさいだ。


「た、大変! 大変なの!」

「落ち着けって。どうしたんだよ?」


 膝に手をつき、肩で息をするフィーへ尋ねる。

 すると彼女は目を真ん丸にして言った。


「あの子、逃げちゃった!」

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