第三章

 1  職質の目的


「探偵さん、免許証を見せてもらおうか?」警官は、日之出町署の菅原であった。

「どういうことですか? 私が何かしたとでもいうのですか?」野島は、菅原の不意の出現に困惑の表情を持った。

「市民からタレコミがありましてね。あなたが不審物を車に隠しているらしいとね」

野島には、菅原哲也の目的が分かっていたのだ。しかし、免許証の提示には素直に応じることにした。拒む理由もなかった。

「野島耕介さん、あなたのしている仕事のことを少し調べさせてもらいましたよ。

探偵以外に、刑事まがいのことをしているらしいですね」菅原は、野島の免許証にライトを当てながら言った。

「私もあなたが、警察官の枠を外れた巡査部長さんだとは存じていますが・・・」

「なに?」

 野島と菅原が向かい合うと、凝視し合った。

「野島さん、あなた加賀町署の刑事だったらしいな。だったら、警察官の掟ぐらい良く知ってるはずだろうよ。仲間を売ることは一番恥ずかしい事なんだとね」

「菅原さん、残念ながら俺はもう警察官ではなく、ましてや日之出町署の者でもない。ただの一般市民ですよ。悪事を目の当たりにしたら警察に届けるのが、市民の義務だと言える」

「野島、俺を甘く見るなよ。両手をついて謝ってくる日も、そんなに先のことじゃない。そこの可愛い女の手を離さないことだな」


「なによ! このお巡りさん、そこらへんにいるヤクザと変わらないじゃない!」

成り行きを見守っていた亜里沙が、思わず罵っていた。

「亜里沙、そのくらいにしておけ」野島が、間に入った。

「野島さん、民間人が妙な動きをするんじゃない。今日は、その警告だよ!

探偵業なんてものは、映画か小説の世界の中でしか存在しない浮世離れしたもんだ。せいぜい浮気調査がお似合いだな。下手な正義感を出すと、痛い目にあうぞ」


菅原は捨て台詞を残すと、急にUターンをし関内駅方面に走り去って行った。

マフラーから出た排気ガスが拡散せずに、何時までも路上に漂っていた。



2  吉澤秀昭の職歴



 翌朝、野島は加賀町署の古畑巡査部長と落ち会うことにした。部屋の中を避け、山下公園内にある氷川丸が近いベンチを二人は選らんだ。

「古畑君、昨晩日ノ出町署の菅原が現れたよ」

「部長、ほんとですか?」

「暗に、事件から手を引けとの警告だったよ」野島の顔が引き締まった。

「やはり、大黒埠頭の目撃絡みでしょうか?」古畑が聞いた。

「それに、間違いないだろう。古畑君、俺も調査をしてみて、土屋さんの失踪は県議会議長吉澤秀昭の周辺が絡んでいる可能性があるとふんでいるんだが、吉澤秀昭絡みで、今まできな臭い話を聞いたことはなかったかな?」

「部長さすがですね、もうそこまで掴んでいるなんて。吉澤秀昭ですか・・・。

そう言えば何年か前に、もと秘書から吉澤に対する告発騒ぎがあったのですが、その秘書が突然失踪してしまったことで、うやむやになってしまった事件があったことは覚えていますね。当時から、失踪ではなく拉致されたのではと疑いを持った人がいたのも事実です」


「そのことと、今回の土屋さんのケースが似ているとは思わないか?」

「そうですね、確かに。ですが・・・、土屋さんの場合も、まだ拉致されたと確定された訳ではありませんが・・・」

「確かにそうだが、偶然と考えるにはあまりにも不自然だと思うよ。これは、もと刑事としての勘だがね」

「警察が動くとなれば、もっと、確証の積み重ねが必要だな。俺が動いてみるか。このまま真実を暴かないで、知らぬふりをすることは出来ない性分でね」

「部長、お願い出来ますか? 強行犯係は、暴力による犯罪の積み重ねが必要でして、実際歯がゆく感じることが多いのも事実なのですから」

「分かった。古畑君、まず、その何年か前に失踪したとされる秘書の家族と連絡を取りたいのだが、・・・分かるだろうか?」

「了解です。告発ですから、どこかの署が関わっている可能性がありますね。その線から追ってみましょう」

「ありがとう。助かるよ」

野島と古畑は、話が終わると、打ち合わせ通り別々の方向に歩き出していた。


 

 その頃、事務所に残っていた亜里沙は、県議会議長吉澤秀昭の活動履歴について調べていた。その中で特徴的な活動分野があることに、気が付いた。

事務所に戻って来た野島に、そのことを報告する。

「吉澤議長は、医薬品分野での職歴が顕著なのね。10年前に議員になる前は、『東洋ホールディングス』の役員だったし、ごく最近まで、『日本生化学工業』の社外取締役を務めていたり、活動歴としては『神奈川医薬品工業連合会』の専務理事や現在まで続いてる『日本の医療保険財政を救う会』の主催者だったりね」

「確かにそうだな。『東洋ホールディングス』は、昔風の呼び方で言えば、『薬問屋』だし、『日本生化』といえば、最近の『ジェネリック薬品』の製造で飛躍的に成長した企業だと聞いている。『・・財政を救う会』なんて聞けば、随分真っ当な活動をしているとしか思えないな」

野島の率直な感想であった。


野島のPCに、早くも古畑からのメールの着信があった。

《 先ほどの件ですが、告発した秘書は西島雄二、妻は西島三絵です。以前の住所は都築区中川1丁目にある『プライム・TUZUKI』の40*号室でしたが、いまも住まわれている確証はありませんので、念のため 》

感謝の返信メールを送ると野島は、すぐに事務所を飛び出していた。


 マンションまでは、それほど時間はかからなかった。しかし、いまだに妻が住んでいるという確信はなかった。段取り良くことが進むなど、そうあることではなかったのだ。

オートロックのマンションであった。一抹の不安を感じながらマンションのエントランス前に備え付けてあるオートロックシステムから部屋番号を押すと、小さな声で反応があった。

「…はい、」女の声である。

「突然で、申し訳ありません。わたくし、西島雄二さんのことを改めて調査をしている野島耕介と言います。奥様でいらっしゃいますか?・・・」

「…、いえ違います。三絵さんはいません」

「では、あなたは?」

「雄二の妹です…、」

「そうでしたか・・・。妹さん、少し話を聞かせてもらえませんか? どうしても、

真実を知りたいのです。このまま雄二さんの失踪の真相をうやむやにして、見過ごすことなど出来ないのです」

「野島さん、……警察の方ですか?」

「いえ、違います。いま西島さんと同じように拉致された可能性があるという事で、他に苦しんでいる奥様もおりまして、どうしても解決に繋がる手がかりが必要なのです」

「…、分かりました。おあがり下さい」

玄関ドアのロックが外されると、野島には、解決のためのスタートが許された気がしていた。



 3  新たな真実


 

「奥様の三絵さんは、どうなされたのですか?」

「兄の雄二の告発騒ぎが起きてから、ちょうど一年後のことでした……」

 雄二の妹、岩崎朱里は野島の質問に淡々と答え始めた。


「夫雄二の失踪は、真実を知られたくない人物による拉致で、犯罪行為であると三絵さんは警察に強く訴え出たのです。でも、事件として取り上げてもらえませんでした。それだけでは、終わらなかった。三絵さんを昼夜を問わず執拗に付け回す謎の人物が現れたのです。近隣に妄想だという悪い噂まで流されて……。結局、夫のいない喪失感と、自分自身の命さえ奪われかねない恐怖感だったと想像しますが、このマンションからいつの間にか姿が消えてしまって……。

 たまたま、私は夫と別居中であったので、二人がいつの日か戻ってくることを信じて、この部屋を守り続けているのです」

「そうですか・・・、本当に残念なことですね・・・」

野島は、想像していたこととはいえ、言葉が続かない。


「あかりさん。雄二さんが、県議会議長吉澤秀昭を告発したという事ですが、何かその経緯をご存じですか?」

「兄は、政策秘書をしていた中で、吉澤の不正を知ってしまったのだと思います。

公募で秘書に採用されて、一年も経っていない時期だった頃のことです。正義感の強い人間ですから、きっと許せなかったのでしょう」

「あかりさん、これは私の勘なのですが、吉澤の活動履歴から考えると医薬品絡みの不正の告発であったと思えて仕方がないのですが・・・」

「私もそう思います」 野島と朱里の意見が一致を見た。

「朱里さん、私は捜査権のない自称私立探偵に過ぎません。ましてや、逮捕権もない。しかし、真実を知る権利と私欲にまみれた人間を告発する権利は持っています。

私に、改めて雄二さんに対する行方の調査依頼をしてもらえませんか?」

「ええ、私もこのままでは納得が出来ません。真実を知りたいのです。是非お願いします」

「ありがとうございます。朱里さん」

「でも、野島さん、お幾らくらいかかるものなのでしょうか?」

「心配はいりません。成功報酬として、ガソリン代ぐらいを頂ければ・・・」

「成功報酬という事は、どういう意味なんです?」

「今回であれば、雄二さん自身による失踪か、他の人間に自由を奪われ拉致されたかの真相究明を報告出来た時に、お支払いいただくということです」

「まあ、驚きましたわ。今どきこんな方法があるなんて……」


「朱里さん、そこでお願いですが・・・、雄二さんの使っていた手帳や日記などが、残されていたらお借りしたいのですが?」

「分かりました。少しお待ちくださいね」

朱里は、雄二が書斎として使っていたらしい部屋に入ると、残されていた机の中を

調べ始めた。しかし、事のほか手間取っている様子が見えた。

「こんなものしか残されていませんでしたが、お役に立てるのでしょうか?」

朱里が手にしていたものは、小さなメモ書きであった。野島が、上から試しに数枚を捲ったところ何人かの個人名が確認できた。

「助かります。それと、三絵さんが訴え出た警察の名に覚えはありませんか?」

「忘れもしません。それは日之出町署です……。」



4  残されたメモの語るもの



 野島は事務所に戻ると、夜遅くまでメモ書きの解析にあたった。

メモ書きが失踪の直前まで使われていたと考えれば、新しいメモほど失踪に何らかの形で関わった人物である可能性が高いはずである。野島は、必然的に仲邑英也を選び出していた。

【  仲邑英也  横浜医療で11時ごろ  】


「亜里沙、横浜医療って、どこのことだかわかるか?」

「もしかしたら、『横浜総合医療センター』のことじゃないかしら? 浦舟町に3年程前に出来た…」

「・・・という事は、仲邑英也さんは、医療センターの関係者に違いないな。亜里沙は明日仲邑さんと、西島雄二さんとの繋がりを調べてくれるか? 俺は、吉澤秀昭周辺の再調査をするよ」

「所長了解です! 食事どうします? もう夜も遅いし、出かけたくないんですけど……。」

「分かった亜里沙、悪いけど、なんか作ってくれるかな…」

「いいですけど…、お酒が入っちゃうと、亜里沙帰りたくなくなりますけど……」

「了解です!」野島は、ニヤリと亜里沙にウインクを送った。

「耕介、気持ち悪いそのウインク……。」

やっと、二人にとってプライベートな時間が訪れたようである



 5  仲邑准教授の告白



 亜里沙は、翌日の午前中に、南区浦舟にある『横浜総合医療センター』に仲邑英也を訪ねた。総合案内には、3人の受付嬢が座っており、そのうちの一人に尋ねた。

「仲邑英也先生とお話がしたいのですが?」

「心臓血管センターの仲邑ですね? お約束ですか?」

「ええ、…。」

「どちら様でしょうか?」

「西島三絵です…。」

受付嬢は、電話で相手を呼び出している。間違いなく、仲邑英也は、この病院にいることが証明されたのだ。

「先生、お約束の西島三絵さんがいらしています、お通ししてもよろしいですか?」

「・・・、うㇺ・・・」

電話口から、息をのむ気配があったが返事はない。

「……、先生!」

「・・・、分かりました。上がってもらって下さい」明らかに、戸惑いの声である。


 仲邑の研究室は、5階の中程にあった。ドアの上には『心臓血管センター 准教授仲邑英也』のプレートが誇らしげにかかっている。

亜里沙は、ノックをすると緊張した面持ちで部屋に入った。

「どうしてあなたは、偽名を・・・? 目的は、何なのですか?」

仲邑の第一声であった。仲邑は、40前半の研究者らしい実直さの中に、誠実さを感じさせる人物であった。

「申し訳ありません。実は、西島雄二さんの妹さんの岩崎朱里さんからの依頼で伺いました」

「岩崎朱里さん? 西島さんに妹さんがおられたのですか?」

「はい、妹さんは、雄二さんと、奥さんの三絵さんの帰りを今でも待っているそうです。彼女の心の中では、何年経とうと解決はしていないのだと思いますけど……」

亜里沙は、名刺を手渡しながら説明をする。

「渡邊さん、どうぞお座り下さい。次の外来診療の時間が迫っていて、あまり時間が取れないのです。手短に済ませてもらえませんか?」

「…分かりました。端的に言いますと、西島さんが県会議長の吉澤秀昭を内部告発したことに、准教授は、関りがあるのではないですか?」

「仲邑で結構ですから・・・。・・・渡邊さん、随分直球なんですね。お陰で私も話しやすくなりました。実は、告発をお願いしたのは私の方からだったのです」

「どういうことですか?」亜里沙が、身を乗り出して聞いた。


「実は、このセンターが出来た当初から、薬品の購入先は『東洋ホールディングス』の一択だったのです。この会社は、平たく言えば昔の薬問屋だと言えば、お分かりになるでしょうか。この一択というのが、大きな問題なのです。私達が患者さんに投与した薬が、思ったより効果が出なかった場合に、治療の目的が同じなら他の薬を投与して効果を得たいというのは、医者であれば誰しも望むことなのです。

 しかし、購入先が固定されてしまうと、クスリの選択肢が狭くなってしまうのです。ここに問題があったのです」


「病院なんですから、どこからでも買えるはずですよね」            亜里沙の素朴な質問である。

「本来なら、当たり前のことですよ。そこで私は病院長に聞いたところ、政治的な判断であることが分かったのです。実はこのセンターは、市立大学付属病院の性格を

持っていまして、この病院に対する各種の助成金は、政治家の裁量に掛かっていたのです。その政治家とは、議会を手中に収めている議長の吉澤秀昭だと私は判断しました。『東洋ホールディングス』からの購入を強要するからには、吉澤にメリットがあるのは、明らかでした。私は、吉澤の秘書である西島雄二さんに相談したところ、癒着の証拠を見つけてくれることを約束してくれたのです。憶測では、何事も進みませんからね。西島さんが必死になって帳簿を調べてくれた結果、少額ではありましたが政治資金規正法違反の疑いのある虚偽記載を見つけ出してくれたのです。私が、告発をすればよかったのですが、勇気がありませんでした。そこで、西島さんが男気を見せてくれて・・・、私の代わりに吉澤議長の告発をしてくれたと・・・」


「仲邑さん、よく本当のことを話してくれたわ。ありがとうございます。最後にお聞きしますが、西島夫妻がその後、姿を見せなくなった理由は何だとお思いますか?」

「残念ながら、それは私にも・・・、渡邊さん、もういいですか? 時間がありませんので・・・」

「仲邑准教授、横浜市民は、あなたみたいなお医者様がいて幸せだと思います!」

亜里沙は、深々とお辞儀をすると部屋を出た。

1階のロビーは、相変わらず医者の力を信じる多くの人々で溢れていた。



 6  亜里沙に対する違法な逮捕



亜里沙は、『ミニクーパー』に戻ると、間髪を入れず野島に知り得た情報報告をした。

「所長、西島雄二さんの告発は、やはり吉澤議長の横浜市民総合医療センターに特定の薬品の購入を強要することで、利を得た薬品ルートから得る不正なリベートの問題であると考えられます」

「良くやったな亜里沙。もうそれ以上深追いしなくても良いよ。早く、事務所に戻るんだ。俺もすぐ戻るからな」

「了解!これから帰ります」

野島は、亜里沙から簡単な調査報告を受けると、調査の途中ではあったが事務所に戻ってさらに詳しい報告が聞きたかった。野島を乗せた『ジュリエッタ』が、ランドマークタワー前でUターンをする。野島の目的は巨悪を捕らえることではない。西島雄二の失踪した真実を依頼主である岩崎朱里に伝えることにあったのだ。


野島が、事務所直前の『横浜スタジアム』前まで戻って来た時である。野島の携帯が

いつもとは違い、激しくバイブレーションを繰り返していることに気が付いた。

携帯に表示された番号は、亜里沙のものに違いはなかった。しかし、不吉な予感が野島の脳裏を過っていた。

「亜里沙か?どうした?」

「・・・、野島さんですか?」男の声である。

「・・・、あなたは、どなたですか?」野島が唐突な男の声に強く問いただした。

「野島さん、日之出町署の菅原です。今あなたの事務所の渡邉亜里沙を過剰防衛で逮捕したところなんだ。これから、身体検査に始まって厳しい尋問が続くだろうが、

これも自業自得というものだろうよ。覚悟をするんだな、野島!」

男の声には、黒い脅迫が含まれていた。


第二の追尾者は、警察官の菅原哲也であったのだ。

野島は、元刑事として尋問の厳しさを知っている。これから亜里沙の身に起こるだろうことを想像すると、後悔の念が苦く胃の中から上がってくる。

何としてでも、食い止めなければならないのである。

野島は、唇をかむと暗黒の空を見上げた。



第四章へ続く





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