第二章  

1  ノンフィクション・ライター


 翌朝一番に、加賀町署の古畑巡査部長から連絡が入った。

「部長、昨日の晩にですね、『特異行方不明者』の捜索願いが逗子署の方から回って来たのですが、何か匂うのですよ」

「なに? 対象者のことをもう少し詳しく教えてくれないか!」

「土屋秀樹、44歳、職業は、自称ノンフィクション・ライターなんですが、妻とは離婚していまして、妻が養育費の請求のために何回も連絡を取ったにも関わらず

掴まらないため土屋の部屋を訪ねたところ、不自然さを感じ捜索願いを出すに至ったらしいのです」

「これは、調べて見る必要はありそうだな。妻の名前と住所と頼むよ」

「了解です!」


 妻の名前は、川崎賀世、住まいは逗子市池子1丁目であった。

野島は、亜里沙に昨夜手に入れた男の財布から身元の割り出しを頼むと、逗子市に向かった。坂東橋から3号狩場線に乗ると、横横道路を逗子ICで降りた。逗子警察を過ぎると池子地区である。この地区は、戦後米軍に接収された後、弾薬の保管地区となり、ベトナム戦争が終わる1978年まで使用されていたのであった。その後1998年に『米軍住宅』が建設されるまで、数々の政治的闘争があった場所であるらしい。野島は、運動場近くの住宅の中に車を止めた。出ていた表札は、土屋と書かれていた。


「刑事さんがわざわざ、ご苦労様です」賀世は、40代前半であり17歳の娘がいるようには見えない若さがあった。

「奥さん、もう少し詳しいお話を伺いたいのですが・・・」野島は、あえて探偵であるとは名乗らず、身分を明かさなかったのである。

「三年前に、私は土屋と離婚をしていまして、月々6万円の養育費を月末に振り込んでくれる約束をしていたのです。今まで一度も遅れたことはなかったのですが、今月に入っても入金されていなくて………。私には、生活があるのでいつまでも待つわけにもいかず、取り立てるつもりで横浜にあるアパートを訪れたのです。食器類は、洗われておらず流しに出しっぱなしの状態でした。きっと、すぐ帰ってくるつもりでいたのは明らかです。几帳面な性格の土屋のことですから…。新聞は一週間分も玄関先に置かれていたので、たぶん随分前から帰宅はしていないのではと思いました」


「そこで奥さんは、いや川崎さんは、逗子署に捜索願いを出したという事ですね」

「そうなんです」

「土屋さんが、ノンフィクション・ライターというのは事実なのですね?」

「ええ、私たちは大学の同好会で知り合いました。彼は私の二年先輩だったのです。全員が、作家になることを夢見て自然に集まった同好の士でした。私が土屋に魅かれたのは、明らかに他の人達とは違う才能の輝きだったことを覚えています。

彼の生み出す作品は、他の会員とは比べようもないほど独創的で、その素晴らしさは、全員が認めるところだったのです。そんな土屋に魅かれた私は、彼が卒業した後も追いかけるようになった。そして、いつしか恋人関係に発展していったのです。

 私たちの結婚の条件は、彼が一方的に決めたことですが、小さな出版社のものでも構わないから、賞を取ることだったのです。事実、名も知れぬ出版社でしたが、懸賞金目当てに応募したところ偶然にも新人賞を取ることになって…。今から考えれば、私達は、彼の頂点だった時期に結婚をしたことになるのですね」


「ということは、今は作家ではなく、ライター業が仕事の中心だったのですね」    野島は、事実を確認する。

「ええ、確かに……。彼は、結婚直後から出版社には見向きもされず、一冊の作品さえ日の目を見ることはありませんでした。思えば、それがあの人の限界だったのです。世の中には才能があっても、評価されない人なんていくらでもいますからね。あの人は、自分の才能を直視できず荒れて行きました。そんな彼が行きついたところが、人間の暗部を面白おかしく書いては週刊誌に売り込む、いわばゴシップネタ・ライターだったのです。いつかは、ベストセラーを出すつもりだが、今はお前を食わせるために仕方なく書いているが、あの人の口ぐせでしたね」


「ゴシップ記事を書く様になったきっかけがあったのですか?」野島は、聞いた。

「一度、記事の差し止め料として、素性の分からない人間から大きな金額を手にしたことがあったようです。

 私は、そんな彼の姿を見て激しく非難しました。ライターとして生きる道なんて他にいくらでもあるのに、よりによってと…。でも、彼に戻る道は用意されていなかったのです。才能も枯れていましたからね。もともと持ってはいなかったのかも知れませんが…。私は、そんな姿を日常的に見たくなかったのです。でも、それだけではありませんでした。毎晩、私が寝静まったころ酔った姿で帰ってくるようになったのです。お酒は、飲める方ではありませんでしたが…。理由は、近所の方から聞かされました。女一人でやっていた小さなお店に通い詰めていたのです。男と女の関係があったかどうかは知れません。そんなことはどうでも良かった。もうとっくに、私達の関係は壊れていましたから。単純に、そのことが離婚という形を選ぶことに繋がって行ったという事です……」

 川崎賀世は、しみじみと語っていた。ここにも、一つの女の人生があったのだ。


「離婚をしても、彼の動向は気になっていたのですね」

「ええ、だって一度は愛した男ですよ。気にならないと言ったら嘘になりますから。

いつかは、今回のようなことが起きなければと、心配していた矢先だったのです」

「土屋さんが、最近狙っていたネタに覚えはありませんか?」

「私は、そこまで興味はありませんでしたから…」

 野島は、土屋の通っていた店を聞き出そうとして思い留まっていた。

 男が仕事に行きづまり、最後に癒しを求めた場所であるに違いないのだ。そこに踏みこむ権利など野島にあるかという葛藤であったのだ。


「それでは、土屋さんの仕事仲間を誰かご存じですか?」

「いえ、……でも…、確か、あの人宛ての年賀状がまだ取ってありますので、その中にあるかも知れません」


 20数枚の中に、一枚だけ出版社の編集者かららしい賀状が入っていた。出版社は『平成ジャーナル出版』、『実話ジャーナル』の編集者磐井真人からである。

「川崎さん、この賀状お借り出来ますか?」

「私には、必要がありませんので、どうぞ…」

「それと、写真がありましたら、撮らせていただきたいと思いますが・・・」



 2   追尾者の正体―1



 野島は、事務所に戻るとお互いの調査結果を付き合わせた。

「昨日の美穂さんを襲った男の財布の中を調べたんだけど、免許証とか名刺の類は入っていなくて…、意識的に証拠となるものを持っていないのは明らかね。でも、運が良かったわ。一枚の領収書が、財布の底に小さく畳まれているのに気が付いて…」

「名前は、分かったのか?」

「ううん、本人の名前は書かれてなかったけど、本人に繋がる可能性はあるわ。領収書の宛名は、『古澤秀昭事務所』だったの」

「古澤秀昭? 亜里沙、どこかで聞いた覚えのある名前だと思わないか?」

「事務所だから、弁護士とか?」

「弁護士だと、『法律』が付きそうだが・・・、」

「もしかしたら、政治家だったりして…、男が、その政治家の秘書だとか…」

「亜里沙、可能性はあるな。その線で調べてくれるか」

「了解! 所長、その前にランチ食べに行こうよ」

 どんなに仕事が押していても、出来るだけ二人で食事をすることが、この事務所の

決まりであった。望みもせず、人はいつかは一人で食事をすることになる。努力によって叶うなら、それを出来るだけ遅くしたかったのである。



 亜里沙は昼食から戻ると、PCに早速『furusawa hideaki 』と打ち込んだ。検索結果は、15万件である。再び『古澤秀昭 政治家』と入れ直してみる。

二列目に『古澤秀昭 県議会議長』がヒットした。

「ねえ、所長! これ可能性があると思わない?」

「やはり、聞き覚えのある名前だと思っていたよ。今回も闇は深そうだな。亜里沙、とりあえず男の身元の確定までやってくれないか。あまり深入りはせずにな」

 

『古澤秀昭事務所』は、ランドマークタワー38階にあった。事務所のドアには、古澤秀昭の選挙用ポスターが張られていた。60代後半の恰幅の良い人物である。

亜里沙は、迷いもなくドアを開けると眼のまえにいた女性事務員に尋ねた。

「こちら、古澤先生の事務所ですよね。『暇な時には遊びに来い』と、膝を撫でながらおっしゃってくれたので、つい本気にして来てしてしまいましたの…。

先生は、どちらに?」

「先生は、今日こちらには参りませんが…」亜里沙が、ホステスの営業とでも勘違いをしたのか、事務員はそっけない。無理もない事である。

「君は、どこのお店だったっけ?」事務所の中程で仕事中であった男が顔を上げると声を掛けて来た。亜里沙は、返答に詰まった。

「…、ええと、伊勢佐木町の…、『ルージュ』ですけど…」

男は椅子から立ち上がると、亜里沙に近づいて来た。右肩から、三角巾で左腕を吊っている。この男が美穂を襲った可能性が高まった。

「ルージュには、覚えがないけれどね」

「この間、先生がお一人で…、お忍びだったのかしら…」

「・・・、それじゃ君、領収書は確実に先生に渡してくれただろうね」

「それが、先生すっかり酔ってらして……、それで、私が今日お持ちしたのです」

亜里沙は、男物の財布から小さく畳まれた紙辺を渡した。

「何処で、それを?」男は明らかに、顔色を変えた。

「無くした場所は、あなたが良く覚えているはずだわ。それに、怪我した場所も…」

「あんたは、だれなんだ? ホステスじゃないだろう!」

「確かに、今はホステスじゃないわ」

男は、右手で亜里沙の腕を強く掴むと、奥の小部屋に引きずり込んだ。


「何が目的なんだ? 警察なのか?」

「私には、あなたが何しようと、逮捕する権利は持ち合わせていないの。でも、

告発することは出来るわ。あなたが私の要求を呑んでくれたら、今日はこのまま帰ってあげるけど」

「分かった!何が聞きたい」

「山手で、女の娘を襲ったのはあなたね。若い女の娘を脅して、口封じを図ったなんて男の風上にも置けないわ」

「確かにその点は、あの娘に申し訳ないことをしたと思っている。怪我を負わせるつもりもなかった。信じてくれないとは思うが、俺は、あの娘の命を守るために起こした行動なんだよ。でないと、本当に殺されていた可能性もあったんだ!」

「言って! 誰の指示なのか?」

「それは、俺の口からはっきりとは言えない。ここは個室とはいえ、プライバシーはないからな」 

亜里沙は、机の下で親指を立てると、男は静かに頷いた。

「分かったわ。女の娘二人には、もうこれ以上口外しないことを約束させるわ。

ただし、二度と二人の女の娘に関わらないことが条件だけど…」

「分かった。親父には、良く説明しておくから。俺の財布を返してくれるか?」

「あなたの名刺と、交換にね」

亜里沙が受け取った名刺には、『小西昌隆 古澤秀昭政策秘書』と、書かれてあったのだ。



 3   実話ジャーナル出版



 平成ジャーナル出版は、千代田区内神田にあった。5階建ではあるが、比較的小さな社屋であり、業界内でも三流出版社であるとの評価であるらしい。

野島は、3階の編集部に磐井真人を訪ねた。

「横浜の探偵さんが、またどうして私のところに?・・・」

「磐井さん、土屋秀樹さんをご存じですよね?」野島は、単刀直入に聞いた。

「ええ、でもそれがどうしたというのです?」磐井は、三流出版社にふさわしい横柄さを持った人物であった。

「土屋さんとは、どういった契約条件ですか?」

「どういったって、うちは、土屋さんが裏を取って書いて来た記事をそのまま載せるだけなんですよ」

「その裏が事実でないこともあるのでしょうね」

「うちは、ライターが書いた記事が嘘っぱちなんて考えた事もありませんよ。そんな奴はばれたら、この業界では生きていけなくなる」

「そうですか・・・、ところで土屋さんとは連絡がついているのですか?」

「そういや、ここ一週間ほど連絡が取れていないな」

野島は、携帯に取り込んだ土屋秀樹の顔写真を見せた。

「磐井さん、あなたの言う土屋さんは、この方で間違いないでしょうか?」

「ええ、確かに土屋さんですが・・・、どういった意味です?」

「実は、離婚されているようですが、元奥様から捜索願いが出されていましてね。

それで、仕事関係の方に会って少しでも手掛かりにでもなればと思っているのです」

「野島さん、あなたは、ただの探偵さんではないようですね。私には分かります。まるで、刑事さんの聞き込みのようだ」

「いえ、そう思われたなら、恐縮です。最後に土屋さんがどんなネタを狙っていたのか教えてもらえませんか?」

「・・・、せっかくここまで来たんだ。ただし、オフレコですよ。ある政治家の

大きなスキャンダルですよ。大分前に、噂には上がっていたんですが、いつの間にか聞かなくなって・・・、それを、土屋さんが何か掴んだのか、再び掘り起こしたんですよ。私は、あまり相手を追い込むなって言ってたんですけどね…」


「その政治家というのは、県議会議長では? どこのとは言いませんが・・・、」

「どこから、それを・・・、」磐井は、野島の眼光に刑事を見た。


 すでに、夕方5時を回っている。野島は亜里沙の待つ横浜に向かって帰路についた。またしても大きな存在が立ちはだかっている。野島は、歯がゆいジレンマに落ちていた。小さな、探偵事務所である。本来ならば、亜里沙と野島の二人が食べていける収入を得れば、良しとしなければならないのであろう。愛しい亜里沙を危険な目に合わせてでも、巨悪の存在を暴く大儀がどこにあるのかという疑問であった。

答えの見つからないままの帰還である。



 4  亜里沙の涙の訳


 

「ただいま・・・」

「所長、なんか元気ないですよ! 空振りでした? 私は、バッチリでしたけど」

「そうか、亜里沙は、美穂さんたちを襲った男を特定できたんだな」

「ええ、やはり想像したとおり古澤秀昭の政策秘書だったわ。名前は、小西昌孝なの。美穂さんたちの安全を保障してもらう代わりに、美穂さんたちがこれ以上口外しないことを約束してきたんだけど…」

「そうだな、よくやった。亜里沙としては、これ以上美穂さんたちが男に付きまとわれることを阻止できればクライアントの要望に応えたことになるしな。あとの問題として、小西を司法の手によって裁くかは、美穂さんたちの決断によるだろうからな。

しかし、問題は、そんな小さなことではなさそうだ。小西はどうせ手先として使われただけで本丸は、古澤秀昭にあるのは明らかだよ。もっと言えば、その上に繋がっていく可能性もあるからね。

 俺の方は土屋秀樹さんが、政治家の大きなスキャンダルを掴んだために、拉致された可能性が高いことが分かった。土屋さんの無事は祈るしかないが・・・。この状況から判断すると、その政治家というのは、いまのところ県会議員の吉澤秀昭と判断をして間違いはないだろうよ」


「結果的に、私達の調査が同じところに行きついたという訳ね」

「そういうことだな」

「それで、所長としてはこれからどうするつもりなの?」

「俺としては、どんなに地位が高かろうが、犯罪の事実が明らかになれば、司法の手に委ねたいと思うんだ。これは、俺が元刑事だった性かも知れないな」

「分かったわ。私も協力するわ」

「亜里沙の気持ちはうれしいが、今回は俺一人でやろうと思ってるんだ」

「そんなの厭よ! 私もフォローするわ」

「帰ってくる間、車の中で考えていたのは、このことなんだよ」

「どういうこと?」

「妻の潤子が俺の前から姿を消したのは、俺の捜査のやりすぎが原因だったと今でも思っている。反社による拉致であることは疑いのない事実だろうよ。警察を首になり、この探偵事務所を開いた理由の一つに、潤子の捜索があったことは以前に話した通りだ。もう二度と、愛した女を俺の手から奪われたくないんだ。これが本音だよ」

 

「私は、耕介を一人では行かせない。一人事務所に残されて待ってる人間の気持ちも考えてよ! 心配でしかたないんだから……。またこの港町で、一人ボッチになりたくないのよ。もし、耕介が戻らなかったら、またホステスとして生きて行けとでも言うのかしら…、ホステスが悪いわけじゃないけど……」

「亜里沙は、自分の身に何かが起きてもかまわないというのか?」

「ええ、だって、だって…耕介を愛しているから」亜里沙の目が潤むと熱く流れた。

「分かった。亜里沙をこの港町に、決して一人では残さない。これだけは、誓うよ」

野島は、自分の涙を悟られないよう強く亜里沙を抱きしめていた。



5  違法な職質


すでに午後8時を回っている。

「所長、わたしお腹すいちゃった! 何か食べに行きません?」

「まったく現金な奴だな。さっき泣いたと思ったらすぐこれなんだから」

「立ち直りの早いところが、亜里沙の良いところだと思ってね」


野島と亜里沙は、事務所の戸締りをすると階段を使って下に降りた。

「亜里沙、車取って来るから・・・」

「OK!」

二人のいつも通りのパターンである。亜里沙が、『石川パーキング』の出入り口で待っていると、近くにパトカーが止まっているのが見えた。周辺に特に変わった様子もなく、空気感が変わっているようには思えない。

野島が、パーキングから出て亜里沙を乗せようと助手席のドアを開けた時に、異変が起きた。パトカーが突然短いサイレン音を響かせ動き出すと、野島の愛車『ジュリエッタ』の行く手を遮るようにして止まったのである。野島は、その警察官の顔に見覚えがあった。

 何かが動き始めていた。日常から離れ、夜景の美しさの中で恋人たちが愛を語らい、そして永遠の契りを結ぶこの港町にも深い闇は存在するのであった。




第三章へ続く







  



 


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