第4話 新横浜銀行企業戦略第一部

プロローグ


 長く鬱陶しかった梅雨も、中旬には上がりそうである。

充分に雨の恵みを受けた銀杏並木の新緑の葉も、熱い日差しを白く反射させている。いよいよ、本格的な夏の到来である。

 亜里沙は、夏が大好きである。この季節になると、故郷の妻良の岸壁から青い海へ飛び込んだ学生時代の記憶が懐かしく蘇るのだ。

 探偵事務所での収入は、何とか生活がしていける程度ではあるが、それを補うほどの充実感があった。耕介と一緒に働ける喜びが勝っていたのである。


午前十時を五分ほど過ぎた頃、久しぶりにドアをノックする音である。

亜里沙はドアを開けながら「いらしゃいませ!」と、声に出し客を招き入れた。  

所長の野島は外出をしており、亜里沙一人での応対となった。

訪問客は、若い女性である。二十四、五歳であろうか、小花がモチーフのワンピースに白いロングカーデを合わせている。


「どういったご用件ですか?」亜里沙は意識して優しい口調で聞いてあげる。

若い女性クライアントの訪問は、きわめて珍しいのだ。

亜里沙は、「結婚相手の身辺調査の依頼かしら…」と、思っていた。


「実は、彼を捜して欲しいのです…」遠慮がちな小さな声であった。

「もう少し具体的に話してもらえるかしら?」

「すみません…私の名前は、川久保美穂と言います……」美穂は話し始めた。

「彼の名前は、山中健太です。鎌倉市生まれの二十八歳、勤務先は新横浜

銀行の県庁前本店で企業戦略第一部の主任をしています」

美穂と健太は、関内支店時代に知り合い交際三年を経て婚約中であった。

「調査費というのは、お幾らぐらい掛かるものなのでしょうか?」

「そうね~、浮気調査なんかだと割合安く上がるの。その理由は、行動パターンが

決まっていることが多いので、調査にかける時間が短くて済むからなの。

それに比べると、捜索調査の場合はいくら時間を掛けても見つからないことがあるの。その場合は、高額になってしまうかも知れないわ。

三日を目安に考えると、基本料金が三十万円そして成功報酬が後十万円ぐらいかな」

美穂は自分が考えていた以上の金額に、こうべを垂れ、目には涙を貯めていた。

「大丈夫よ美穂さん、私が二日で健太さんを捜し出してあげるから…… もう少し、具体的に話してね……」恋人の安否を心配する気持ちの不安定さを分かっている

亜里沙ならではの言葉であった。

美穂は亜里沙の眼を見つめながら、小さく頷いた。


1 川久保美穂の依頼


 川久保美穂は、新潟県三条市出身の二十五歳である。勤め先は健太と同じ新横浜銀行であるが、部署は違って関内支店勤務であった。

週末になると、光明寺にある美穂のアパートに健太が泊まりに来るという習慣が ここ一年続いていた。

しかし、そんな習慣を破るように、先週の土曜日に限り午後十時になっても健太が現れなかったのであった。携帯も繋がらない状態である。

土曜日に続き、眠れない夜が日曜日も続いた。もしや、という不安な気持ちのまま 月曜日の朝を迎えた。朝一番に本店に確認をしたが、無断欠勤扱いになっていた。

念のため湘南市の自宅に連絡を入れたが結果は同じであった。

「おかしいわね。私はいつもの通り美穂ちゃんの所だと思っていたのに・・・」

携帯から、健太を心配している母親の声が聞こえて来ただけで、不安の解消にはならなかった。

そして、我慢も限界を超えた三日目に、当探偵事務所に駆け込んで来たという事であった。一方、今日付けで山中の上司である桜井昇部長名で捜索願が加賀町署に出されていた。これは、健太の両親が事件性の可能性も考えたうえで、勤め先からの提出を望んだためであった。

新横浜銀行は、地元神奈川に百八十店舗を持つ地銀の最大手で、預金量は十二兆を超えている。しかし、最近は静岡、群馬などの他県銀行の攻勢もあり、預金量は減少気味である。

「あなたや、または知人とのトラブルもなかったと考えていいのね」

「彼が人から恨まれるような人間でないことは、私が一番知っています」

「美穂さん、この事務所に依頼しようと思ったのはどうして?」

「警察の方へは、健太のご両親にお任せしたのです。それよりこういう事務所の方が親身に考えてくれるって友達のアドバイスもあって……」

「分かったわ、任せて美穂さん」

亜里沙は、美穂の話から仕事上のトラブルから派生した失踪ではないかとあたりを付けていた。

 午前中の調査から、所長野島が戻って来た。

亜里沙は、美穂を紹介し依頼の内容を説明すると、これからの具体的な調査の方向性を仰いだ。

「美穂さん、行内に山中健太君と親しい友達や人間がいれば、知っている限りで良いから教えてくれないか?」野島も、仕事上のトラブルと見ていたのである。


 しばらく考えた末に、美穂は三人の名前を書き出し、各々の人物について詳しい説明を加えた。


『 原田 稔・・・企業戦略第一部・後輩

  小池隆文・・・監査部係長・先輩

  小田綾香・・・人事部・同期       』


「ありがとう、美穂さん、きっと手掛かりになると思うわ。少しフォローしてくれると、料金安くなるかしらね~?」

亜里沙は野島の顔を覗き込んだ。野島は、亜里沙の真意を理解したようである。

時計の針は、十二時十分前を指している。

野島は、進行中の浮気調査を後回しにすることにした。依頼者と対象者はすでに還暦を越えている夫婦である。二、三日報告が遅れたとしても彼らにとっては、大した問題とはならないだろうと考えた。

「良し、行こう‼」野島が、先頭で部屋を出る。

「さぁ、美穂さんも手伝ってね」 時間を省略するため二手に分かれることにした。

亜里沙と美穂は、ミニクーパーで緑濃い並木に沿うように県庁前本店へと急いだ。


 レンガ作りの神奈川県庁前に、日本大通りを隔てて新横浜銀行県庁前本店はある。まさに、通用口から外でのランチを求める大勢の行員が、開放感に浸りながら

吐き出されているところであった。

美穂は、行員の集団に視線を向けると眼を凝らし対象物を捜した。

「いました!綾香さんが…」

「美穂さん、彼女に声掛けして!」

「綾香さ~ん!」練習したかのような見事な連携である。

綾香は、健太と同時入社であるから今年で二十八歳のスタイルの良い女性であり、

男子行員の中でも人気が高いという。人事部の所属で健太とは違う部署であるが気が合う仲間という関係であった。このような関係から、健太に関する情報を持っている可能性に賭けたのだった。

「綾香さん、お久ぶりです!」美穂が後ろから声を掛けながら近づく。

不審そうな顔で振り向いた綾香であったが、美穂の顔を見ると笑顔に変わった。

「美穂さん、どうしたのこんな所で?」

関内支店にいた当時、三年下の後輩として配属された美穂の教育係でもあったのだ。

「山中さんの失踪のことで、何か知っていらしゃるかと思って…私……」

美穂は事情を話し、亜里沙を紹介するとランチを食べながらという事になった。

場所は、綾香行きつけの『カフェ・ベローチェ』に決めた。


「山中さんの失踪の件で、何か心当たりがあればお伺いしたいと思っているのですが……』 挨拶もそこそこに、亜里沙は本題に入った。時間が惜しかった。

「私も今日聞いて、驚いているところなんです。同期の中でも健太くん、いえ山中

さんとは特に親しくさせて頂いていたので……。ごめんなさい、変な意味ではないのですけど…」 婚約者の美穂を前に気を使ったと言える。

「いまは部署が違うので、思い当たることがないのです。でも、私なりに調べて見て何か分かればお伝えします。中にいるほど情報も早いと思うので……」

亜里沙は、綾香に礼を言うと二人を残して事務所に戻った。


 一方、野島は、直接小池隆文、原田実の両名に聞き込みをするはずであったが、野島は加賀町署古畑巡査部長に連絡を入れ協力を仰ぐことにした。

「古畑君、ちょっと調べてもらいたいことがあるのだが・・・」

「部長ですか?お久しぶりです。なんでしょうか?」

「部長はやめてくれないかな~」古畑は、野島の捜査官時代の部下であった。

「今日、山中健太さんの『捜索願届』が受理されているはずだが、事件案件として

至急二名の聞き込みをしてもらいたいのだよ」

古畑が確認すると、確かに受理はされていたが具体的な捜査行動には移されていなかった。これが、届け出を受理したとしても警察の通常の動き方である。

届け出を事件性ありとすることで『特異行方不明者』の扱いに変更され、直ちに二名の刑事が県庁前本店に向かうこととなった。

私立探偵は、捜査権を持っていない。捜査権と逮捕権を持っている警察官の特異性をこれ程感じることはないのである。

捜査一課の中村、永田両刑事は、山中の部下にあたる原田稔に勤務中にも関わらず

聞き込みをすることが出来た。


2 失踪捜査


「あなたの銀行から、今朝、山中さんの捜索願いが出されているのですが、失踪に関して何か心当たりはないですか?話された内容は外部に明かしませんので、是非ご協力を願いたい」中村刑事は、原田を会議室に呼び出すと質問をした。

銀行から出された『捜索願届』には、失踪理由に関する具体的な記述がされていなかった。本気度が低いと言わざるを得ないものであった。

「例えば、何か仕事上のトラブルとか・・・」永田刑事がヒントを与える。

 

「・・・分かりました。ここだけの話にしてください。

先輩は、当行と他行との合併話の調査担当として働いていました。もちろんこれは、上司にあたる桜井昇部長の指示によるものです。先輩の調査が進んで行くにしたがって、先輩が強く部長に食い下がる場面がみられるようになったのです。二人の意見の食い違いは、部員全員が認識していたことに間違いはありません。

どうか、今お話したことは内密にお願いします」後輩原田は声を潜めて話した。


続いて、監査部係長小池隆文の話である。

「山中は大学の後輩という事もあって、よく相談に乗ってあげていました。

今回の合併話には、問題がある。もっとよく調べて事実を知る必要があると言っていましたね。でも、上司には受け入れてもらえない様子でした。

でも、私は先輩として注意をしたのです。宮仕えである以上、上司に反旗を翻してまでぶつかる必要はないのだと。組織である以上、上の人間の意向に沿った仕事だけをしていれば良いのであって、それから外れることは望まれてはいないのですから。

彼は、正直者なのですよ。組織の中では、時として嫌われた存在になってしまう」

小池は、組織の中で上手く振る舞える人間であった。上司からは、信頼され出世していくタイプである。しかし、結果として何も生み出せない人間であろう。


 本来銀行は、預かり受けた調達資金を運用し利ザヤを稼ぐのが本業であった。

しかし、近年は利回りが調達資金を下回りマイナスとなっているのである。

投信、保険販売、M&Aなどの仲介ビジネスでしか利益を生み出せない体質に陥っている。この点では、新横浜銀行も例外ではなかった。そこで、合併という新機軸を

打ち出し、そこからの脱出を図っていたのである。


 中村、永田両刑事は最後に、『捜索願届』を出した桜井部長本人からさらに詳しい話を聞くことにした。

「確かに、山中君を注意したことはありますよ。でも、業務上のことですからよくあることなのです。これを苦に、尻尾を巻いて失踪するような柔な男ではありません。正義感が強すぎる面も持っていますが、かえって私は高く評価していますよ。

彼みたいな人材が、組織には必要なのです。企業にとってもです」

桜井部長からは、捜査に繋がるような具体的な話は聞けなかった。かえって、両刑事には、桜井の真意の在りどころが分からずにいたのだ。

しかし、聞き取りは無駄ではなかった。原田と小池の話には、健太失踪の手がかりが隠されていそうであった。この捜査結果は、古畑を通して野島にも伝わっていた。


3 失踪の真相


 その日の夕方に、野島と亜里沙は持ち寄った資料を基に調査会議を開いた。

「小田綾香さんからは、今回具体的な話は聞けなかったの。でも、彼女が行内にいる限り有力な情報源となるわ。今後に期待ね」亜里沙は、ありのままの感想を話した。

「桜井部長は、おそらく何かを知っていると思うな。彼の捜索願いは、かえって

真相を隠すためのカモフラージュかも知れない。ここはもう一度、監査部の小池係長にあたって、健太君が具体的に何を相談していたのか聞く必要がありそうだな」

「亜里沙、綾香さんに頼んで小池係長の携帯番号を調べてくれるように伝えてくれないか?」

「OK!」亜里沙は、早速綾香に連絡を取ると協力を仰いだ。


 早朝、野島は小池に連絡を入れ、より具体的な話を聞きたい旨を話した。

急な依頼に驚いた様子の小池ではあったが、野島の迫力に押された格好となった。

渋々関内駅から銀行に着くまでの十分間であったら、との了解を得た。

「小池さん、出勤前のお忙しい時にすみません。山中さんの無事発見までのタイムリミットが迫っています。ご存じなことをもう少し具体的に話してもらえませんか?」小池は少し戸惑った後、歩きながら話始めた。

「何処まで話してよいのか・・・」

「一人の大事な命が掛かっていると、思って下さい」野島は迫った。

「実は、彼は地銀の日本橋銀行との合併プロジェクトで働いていましてね・・・

会社としては、まず合併ありきでしたが、山中君は合併には慎重な姿勢でした。

上司の桜井部長は合併推進派でしたので、いい関係ではなかったのです。

彼が悩んで私に相談を持ち掛けたのも事実です。でも、我々クラスの人間が会社のためだと思って悩む問題ではないことを忠告したのです。巻かれることも必要だと」

小池は良き家庭人なのだろう。彼の考え方に一概に否定は出来ないと野島は思った。


 *


 日本橋銀行は預金量一兆六千億で、都銀の中でも下位に低迷していた。

しかし、都内に六十店舗を持っていることから、新横浜銀行と日本橋銀行の合併話が実現すれば、お互いに大きなメリットがあった。新横浜銀行としては、都内に八十店舗を持つことになり勢力を伸ばす足掛かりになるのである。

新横浜銀行上層部として、株主の手前これが入念な調査の末の合併であることを示す必要があった。結論は、決まっていたのだ。

上層部は、形式的な調査に留めるよう暗黙の了解のもと、企業戦略第一部内にプロジェクトチームを立ち上げたのであった。

しかし、上層部の思惑とは違い、調査の過程で合併の危険性を知った山中は、プロジェクトリーダー桜井に中止を進言したのであろう。当然桜井は山中の処置に困ったに違いないと、野島は推測した。山中の処置に困った桜井が誰かに相談をしたのだろう。一介のサラリーマンが、人生を掛けてまで自分の手を汚す等考えられないからだ。これが、失踪の原因であることが明らかにされたのである。


 山中健太が自分の意志で姿を消したのではないとすれば、まさしく誘拐事件の発生であった。野島は、古畑に連絡を入れると、推理を詳しく説明をした。

後は、警察が捜査権を使ってどこまで本星に迫れるかである。

野島は、合併される側の日本橋銀行の動きを探るべく、本店のある中央区馬喰町にロメオを飛ばした。


4 日本橋銀行馬喰町本店


 「新横浜銀行さんとの合併話で伺った。是非上席の方とお会いしたいのですが」

野島は、支店長らしき人物に迫った。がさ入れの経験が役立っている。

フィクサーと勘違いした支店長は、慌てた様子で役員室に飛び込んで行った。

役員室から、本部長松井直樹が現れた。五十がらみの温厚そうな人物である。


「わざわざ横浜からいらしたのですか。それは、ご苦労様です。ところで、

探偵さんがどのような御用ですかな?」

野島の不意な訪問にも関わらず、紳士的な応対である。

「非礼をお詫びします。実は、新横浜銀行の行員が一人失踪していまして、誘拐された可能性が非常に高いのです。私は、合併の調査報告がことの要因ではないかと考えているのです」野島は、端的に説明をする。


「お話は、分かりました。しかし、ここでは・・・野島さん、昼飯がまだでしたら

外に行きましょうか?」本部長は、慎重な態度をとった。

二人は、少し離れた東日本橋にある日本料理の『若狭』の個室に入ると続けた。

「野島さん、今回の噂話は、もう広まっているのですか?」松井が口火を切る。

「いえ、新横浜銀行の上層部と一部の行員が知るのみです。これは、山中さんの身を案じた一人の行員がリークしてくれたのです。人の命の方が大事ですからね」


「そうですか、それなら僕も協力しなければいけませんね。

少しお話しましょう。実は、一週間前に新横浜銀行の副頭取佐藤啓吾さんが、突然

当行の内田専務の所に来られましてね。それは、すごい剣幕っだったのです。

両行の合併に支障となるデータが公になるのは困るという事でした。

私としては、当行の問題であれば、それこそ早期にそのデータを解析し問題の把握にあたらなければならないと思っています。それこそが調査の目的ですからね」

松井本部長の話は、まさに正論であった。

新横浜銀行の佐藤啓吾、日本橋銀行の内田篤人の二人が、今回の両行合併の推進者であるのは間違いない。野島は、健太誘拐の実行犯の特定を急がなければならないと、思った。まず考えられるのは、反社の存在である。


「松井さん、日本橋銀行のかかわりのある団体を教えてもらえませんか?」

野島は、単刀直入に言った。

「お恥ずかしい話なのですが、伊奈川組二次団体の熊田組でしょうか。今でも

関りがあるかどうかは、分かりませんが・・・」

「松井さん、そこまで話して頂けたなら十分です。ありがとうございます」


 

 1990年初頭、世の中は好景気に煽られ豊富な資金をバックに、土地の買い占めが

無秩序に行われていた。銀行は、取引先の不動産会社が暴力団と繋がりが強い場合

その発覚を防ぐために、他の住宅販売会社を隠れ蓑として融資を行っていた。

これがいわゆる、迂回融資である。

地権者の抵抗などがあった場合、『立ち退き屋』と呼ばれる暴力団が介入したのだ。

ここに、暴力団と銀行が繋がる下地があった。典型的な利害関係である。

明らかに、日本橋銀行は、熊田組を使い両行の合併の障害である山中健太の排除に出た公算が強い。殺害が目的ではないはずである。説得のための時間稼ぎである可能性も残されていた。


5 山中健太の解放


  亜里沙が、事務所での昼食を終えた時である。携帯に美穂からの着信があった。

「亜理紗さん、いま健太から連絡があって、解放されたそうです」

「良かった!無事なのね。何処にいるのかしら?」

「葉山の『マーロウ』というお店です。お金がないので、迎えに来て欲しいって」

「OK! 了解! 美穂さん、一緒に行きましょう」

葉山は、企業の保養所が集まる三浦半島の付け根にある風光明媚な土地である。

おそらく、閉鎖された建物の一つに拉致されていたのだろう。

亜里沙は早退した美穂を乗せると、葉山に向かった。一時間ほどで着くだろうか。

途中、野島に連絡を入れると、健太の解放と救出に向かう旨を伝えた。

 亜里沙は、狩場ICから横浜横須賀道路に入り、逗葉新道を抜けると葉山御用邸前に出た。後は、立石公園を目指すだけである。 

亜里沙は、この海岸線の美しさに魅せられ何回となく訪れていた。したがって、土地勘があった。しばらく道なりに海岸線をなぞると『マーロウ秋谷本店』が見えて来た。 赤いミニクーパーをゆっくり駐車場に入れる。

店内に入ると、美穂が疲れた様子で海の見える窓際に座っている山中を見つけた。

「良かった、無事で!」美穂が抱き着く。

「うん!」山中の口から、それ以上の声が出ない。

山中が、何かを隠しているらしい様子を亜里沙は感じ取っていた。

美穂が亜里沙を紹介した。

「今回お世話になった、探偵の亜里沙さんなの」

山中がまじまじと亜里沙の顔を見ている。

「あっ、口紅つけるの忘れてる…」亜里沙は、山中の視線を感じると思わず乙女心が出ていた。

「山中さん、落ち着いたら少し話を聞かせてもらえるかな?」

ショック状態にある山中から、いまは無理に話を聞き出さず落ち着かせるのが先決であると亜里沙は判断した。

今頃、野島から桜井部長に連絡がいき、加賀町署に提出されていた捜索願いも取り下げられたころであろう。ミニクーパーは、二人を後部座席に乗せると、名残り惜しそうに葉山を離れ横浜に向かった。二人は、固く手を握り合ったままである。


 三人が山下町の事務所に着き古い木の扉を開けると、野島もすでに戻っていた。

亜里沙が、山中を野島に紹介する。

「山中さん、美穂さんはあなたの身を大変心配されて当事務所に駆け込んでこられた。何があったのか、ここだけの話として打ち明けてもらえませんか?」

野島は、山中を気遣いながら言った。

「ご迷惑をお掛けしてしまいました・・・」山中は、思い出すように話し始めた。

「車の中で、亜里沙さんから少し所長の推理をお聞きしましたが、その通りです。

私は、今回の新横浜銀行と日本橋銀行との合併に向けて、株主に提出する資料作りをリーダーである桜井部長から指示されたのです。もちろん、この合併が両行にとっていかにメリットがあるかという肯定的な資料をです。でも、元となる資料集めの段階で危険性のある事項の存在に気が付いたのです。それは、意図的に隠されていたものでした・・・」 話は続いて行った。


 日本橋銀行の行員の中にたまたま大学時代の同期がいることを知り、資料集めという理由もあって酒を飲む機会があった。山中は、酒の席で知る事になる。

「山中、ここだけの話だけど、うちの銀行の焦げ付きの噂を知ってる?俺も家のローン組んだばっかりだから、夏のボーナス減らされでもしたら・・・」

同期の植原にとっては、単なる酒の上の話であったのだろう。酒の酔いが彼の口を滑らかにしたのである。合併は、極秘事項であったため植原は知る由もなかった。

合併に向かって肯定的な資料の多い中、初めて聞いた否定的な話である。海外投資部の投資した資金五百憶円が回収不能に陥っているという事であった。

「まぁ、これは単なる噂に過ぎないけどね」

山中の顔色の変化に気付いた植原は、酔いがさめ直ちに否定をしたのである。

楽しいはずの酒の席がしらけ、早めの解散となった。

山中の頭からはこのことが離れず、一睡もできずに朝を迎えることになったのだ。


6 反社の登場


 翌日、山中は合併推進のリーダー桜井部長に昨日知り得た情報を報告し、資料作りの前に事実確認をするべきであると、進言をしたのであった。

「そこで、桜井部長の反応はどうだった?」野島は、聞いた。

「部長は、慌てた様子で役員室に入って行ったのです。多分、副頭取の部屋かと」

ここで、桜井と佐藤啓吾が繋がったのである。


 山中は、退社時に通用口で見知らぬ男たちに声を掛けられることになる。

「山中さんですね。実はあなたにお渡したい資料があるのです。是非役立てて欲しいと思いまして・・・。ここでは、人目に付きますので車の中でお渡しします・・・」

山中が、男たちの言葉を信じたのも自然の成り行きであった。そこ結果、拉致された形で葉山の保養所風の建物内に軟禁されたのが真相であったのである。


 そして、男たちに突然開放されたのが、今日の昼前であった。

「山中さん、あなたの解放の条件として約束してほしいことがあるのです。あなたも、察しが付いていると思いますが、今回の日本橋銀行のことです。いいですね?

忘れることです。私は、あなたの可愛い婚約者がキズモノになるという事に耐えられないのです」若頭風の男の口調は穏やかであり、自身の身体が傷つけられる恐怖感は抱かなかったが、男の言った意味を考えていたという。

健太は、話し終えると優しく美穂の身体を抱いた。


 男たちは、明らかに反社会勢力の人間たちであろう。銀行員が、自分と家族の未来を失いかねない行動を自ら手を汚してまで取るとは思えないのだ。人間は本来激情にかられなければ臆病な生き物である。自己保身が強いはずである。

しかし、野島は、反社のとる行動としては違和感が残ると思った。全く、人を傷つける殺気を感じない。脅迫ではなく懇願であると言いかねないのだ。また、早期解放による減刑をねらっているのもあからさまである。


野島は、古畑巡査部長に連絡を入れた。

やはり、桜井部長からは捜索願が取り下げられていた。事件性はなく、本人が仕事に悩んだ末の単独的な行動であったと説明がされていたようである。

捜索願が取り下げられ、本人の無事も確認されていることから警察が積極的に動くことは望むべくもなかった。


 翌日朝一番、野島は靖国通りを抜け柳橋にロメオで向かった。

柳橋は、昔花街であった。明治期には、銀行家、政治家、力士などが利用し隆盛を誇っていた。新橋よりは、格上であるとも言われていたのである。

しかし、戦後の隅田川の護岸改修により美しかった景観が損なわれ衰退の憂き目にあっていた。今は、マンションやビルが無機質に立ち並んでいるだけであった。

そんなビルの中の一つに、熊田組本部がある。

「約束はしていませんが、是非会長にお会いしたいとお伝えください」取り次いだ若い男に、野島は名刺を渡した。

応接間に通されると、会長らしい六十代後半に見える人物が座っている。

熊田組三代目、熊田大五郎は紳士的な男であった。

「野島さんですか、どのようなご用件ですか?」

「会長は、今回の日本橋銀行さんからの依頼は、何時お受けになったのですか?」

誘拐の実行役は、熊田組の人間であると推理していた野島は、カマを掛けてみた。

「野島さん、あなたも大した人ですね。私が知ったのは、昨晩のことですよ。

まったくお恥ずかしい話です。いくら銀行さんからの頼みでも善悪の判断はしなければなりません。いまは、そういう時代です」

「では、会長は知らなかったと・・・」

真偽は分からないが、今回反社のとった行動の違和感が少し分かったような気がした。追手が迫ったとしても、逃げ切れる策を弄している。

「そこにいる若頭が、私に分からないように受けてしまったのです。これをネタに

して、また銀行さんとの繋がりを復活させようとでも考えたのでしょう。

私は、すぐに解放してあげなさいと叱ったのですよ。聞けば、若い行員だという。

逆に、銀行さんに隙を見せれば我々を脅してくる時代ですよ。いやな時代です」

会長の話を聞いていた若頭は、苦虫を潰していた。


 バブルの頃は、まだ大義名分と呼ばれるものが存在していた。

戦後の細分化された地権のせいで、大都市の開発が置き去りにされていた事実があった。土地を集約し大きな建物を建てれば、その周辺に人々の集まるスペースが生まれる。いわば、暴力団が都市開発の必要悪であるという考え方もあったのだ。


「野島さん、最近の連中は素人を騙すことしか考えていないと思いませんか?

苦労して定年を迎え、なにがしかの退職金を手に入れた人間を単なるカモとしか見ていないのですから。投資に誘い、結果一文無しになったとしても自己責任で終わってしまう。連中は、決して損はしない仕組みを作っているのですから・・・

知識のない老人を騙してまで、自分の食い扶持を得ようとしている。まるで、近頃流行りの『オレオレ詐欺』と変わりはしない。そんな親に育てられた若者が日本を背負える訳がないと思いませんか?

野島さん、信じてもらえないでしょうが、うちはいま正業で暮らしているのです。

組は小さくなりましたがね。これも時代の流れですな」


「黒田さん、いいお話を聞かせてもらいました。日本の大人も変わらなければいけませんね。最後に、教えてください。誰の指示なんですか?」野島は、先を急いだ。

「それは、上の二人のどちらかでしょうね」暗示はするが、はっきりと述べてはいない。

「ありがとうございます」

野島は、黒田に礼を言うと頭を下げていた。


7 対決 内田篤人


 野島は、昼前には山下町の事務所に戻っていた。

「所長、お昼何にします?」いつものパターンである

「今度、亜里沙のお弁当が食べたいけどな~・・・」

「いやです~、奥さんでもないし、第一そんな時間ないですよ~!」

「赤レンガの『ココリコ』行きません? 私運転しますから」

野島は、亜里沙といると癒されるのである。午前中の疲れも飛んでいく。


 食事から戻ると、野島は、山下健太に連絡を入れた。

「山下クン、君はこれからのこと、どう考えている?」

「野島さん、僕は誘拐されて脅迫されたと考えているのですけれど、実際警察は動いてくれるのでしょうか?」

「私もその点では、思い悩んでいるところなんだ。彼らはそこまで考えた上での行動だったのだろう。捜索願いが取り下げられている事実からして、いまから告訴しても公判の維持は難しいかも知れないな」

「という事は、誰も罪を償わなくても良いという事になりませんか?」

携帯越しに、山下の諦めた表情が伝わってくる。


「実は今、『退職願い』を書いているところなんです。やめようと思っていて・・・

銀行は僕にとって、憧れの職場でした。大手銀行に勤めているというだけで、知人からは羨望の目で見られ、高潔な人間であるかのように思われていました。でも、今回のことでそんなことは幻想にすぎないことが分かってしまったのです。いや、遅すぎたんです。三十年も前のバブルの頃にすでに暴露されていたのですから・・・」

「山中クン、君の気持ちは分かった。でもな、お金に罪があるとは考えない方がいい。お金を扱う人の心の卑しさに原因があるのだと思うな。社会は、君のような人材を必要としている。提出は、あと一日待ってくれ」


 野島は、熊田組の使いの者であるとして、日本橋銀行の専務取締役内田篤人に面会を求めた。内田は、行内で会うのは都合が悪いという事で、国技館近くの『第一ホテル両国』で午後七時にと、指定をして来たのである。

午後五時になると、亜里沙に今日は遅くなると告げ、食事もとらずに約束のホテルを

目指した。部屋を訪ねると、内田はすでに待っていた。

五十代半ばの狡猾そうな細い男であった。

「山下を解放したとは、いったいどういうことなんだ? 私は、まだそんな指示は

出していないぞ!」

野島は名刺を取り出すと、内田の顔面に差し出す。

「探偵事務所? 謝りに来たんじゃないのか?」内田は、整理が出来ていない。

「熊田会長には、謝って頂きました。若頭が出すぎたことをしたってね」

「あんたは、何が目的なんだ?」

「合併話を潰しに来たんです」

「何~?、俺は帰る」

「少し、話を聞いていただきましょう。内田さん!」思わず刑事時代の癖がでる。

「内田さん、私は、捜査権も逮捕権も持っていません。でも、調査することは出来る。事実を知りたい一般市民としてね。私は、貴方を裁く権利はないが、社会から抹殺する力はあるのです。今は、どんな方法でもあるのは知ってますよね。

真実を話して下さい。そうすれば、何千、いや何万人もの社員やその家族、そして多くの株主が救われるかも知れない。正直に言え! 内田!」

野島の剣幕に、内田が崩れた。


「実は、当行の海外投資部が投資の失敗で巨額の含み損益を抱えることになった。

しかし、これは秘匿事項だった。なんせ、合併事業の大きなマイナスになりかねないからね。この事実を、なぜか新横浜銀行の一行員の知るところとなった。

これを知った新横浜銀行の佐藤副頭取が怒鳴り込んで来たんだ。秘匿事項が漏れたのは私のせいだと言われ、事実を知った行員の行動を止めるのは自分たちで考えろとまで言われたんだ。私は銀行マンだ。自分の手を汚す訳にはいかない。

結局、昔関りのあった黒田組に手を借りることになったという事だよ」


「なぜ、そこまでして、佐藤副頭取が合併に突き進むのかが分からない。結果的に自分の会社が潰れてしまえば、何にもならないではないか?合併を断念するのが、普通だろうが?」野島の正直な疑問である。

「それは、お互いが成功報酬を約束していたからなんだ。合わせて十億ぐらいにはなるはずだった」

「そんな大きな金、何処から湧いてくるんだ?」

「反社を仲介役として、お互いが迂回融資をし合えば可能な事だ。詳しくは言えないが・・・」内田に詫びれた様子は見えなかった。

「このことは、黒田組の会長も知っていることなのか?」

野島には、黒田を信じたい気持ちがあったのである。

「多分知っているだろう。若頭一人の手に負えるものでは無いからね」

「・・・・・。」黒田を信じよう。一度頭を下げた人間なのだから・・・。

「野島さん、私を見逃してくれたら、それなりのことはさせて貰いますから・・・」

「残念ながら、それは私の決めることではない。警察には詳しく説明しておきますから、楽しみに待っていてください。内田さん!」


 所詮、世の中を動かせると勘違いをしている連中なのである。動かせるとしても

自分の金ではない。一時的に預からせていただいている他人の大事な金なのだ。

野島は第三京浜に入ると、横浜を目指しスピードを上げていた。

亜里沙は、食事もとらずに野島を待っているはずである。

ロメオのダッシュボードの時計は、午後十時十分を表示していた。


8  副頭取佐藤啓吾との対決


 翌日、野島は退職願いを提出する山中に帯同した。

行内に入ると、皆一様に驚いたような顔をしている。

声を掛けてくる者、無視をする者様々な反応である。しかし、若い行員の大半が

山中の無事を喜んでいる様子であった。

その中に、小田綾香、小池隆文、原田稔らの顔もある。彼らは、純粋に山中の帰還を安堵した目で見ている。

山中は桜井部長の前に進むと、退職願いを持った手を差し出した。桜井は、責任の一端が自分にあるだけに複雑な表情を浮かべていた。しかし、山中の退職願いを受け取ったのである。これを見た野島は、警備員の制止を振り切り副頭取佐藤啓吾の部屋の扉を思い切り開けた。背後から、「警察を呼べ!」との声が行内に響いた。


「佐藤副頭取、ご無礼をお許し下さい。しかし、山中君が退職願いを持参したことをどう思われますか?」

「失礼な、君は誰なんだ?」声が震えている。

「私は、山中君の失踪調査の依頼を受けた野島という者です。あなたが山中君の誘拐を指示した張本人ですよね。山中君は、調査の途中で日本橋銀行との合併が重大な損失を被る可能性があることを知った。しかし、あなたは会社、そして株主の損失よりも個人の利益を優先したのです。あなたが見ているのは、自分の財布の中身でしかない。個人が汗水流して貯めた一千万をゴミとけなし、感謝の一言もない。

所詮、高利貸しと何ら変わりのないゴロツキだ!」野島は、一気に話した。


「山中の誘拐? 指示? 何のことだか、私には分からない。いい加減なことを言うな!」

「あなたが、合併先である日本橋銀行に乗り込んで指示をしたという証言がある。

合併推進派であるあなたは、合併に不利な証拠を見つけ出した山下君の抹殺を考えたんです。この事件の巨悪はあなたなんだ!」

「私は何も聞いていない。聞いていたとしたら当然中止でしょう。第一、預金者や株主の安全安心が私の信条なのだから・・・」

地に落ちた人間性が、表出していた。周りを囲んでいた行員の間から失笑が漏れる。


「あなた方は、入社時の気持ちを思い出すべきなんだ。顧客に向き合わず上司の顔色伺いが仕事になる。いわば、出世する人間だけが勝ち組と言われ勝者と評価される。確かに金だけは手にすることが出来るだろう。しかし、金を手にするほど卑しくなるのが人間なんだ」行員の中から、拍手が起きた。


野島は、心情を語っていた。

「私は、見ていられなかったのです・・・

一介の青年が会社の将来を憂い、顧客の安全を考えてこの合併に疑問を持った。

むしろ、会社は、この青年の言葉に耳を傾けるべきではなかったのですか?

なぜ、この青年の正義感にこたえることが出来なかったのか、私は残念でならない」

「警備員、早くこいつをつまみ出せ!」副頭取佐藤が叫んだ。

「待ちなさい!」ドアの外で、警備員を制する声が聞こえた。

部屋に入って来たのは、頭取小田幸造であった。

「申し訳ないが、話が聞こえてしまってね」

小田は、六十半ばの威厳があり、かつ温厚そうな人物であった。


「野島さん、この度はあなたの事務所に、本当にお世話になりました。改めてお礼を言いたい。社内では伏せてあったのですが、人事部の小田綾香は私の姪なのです。

今回の山中君の失踪にあたり真相を掴み、そして山中君の無事解放に繋げてくれたことに感謝です。山中君の婚約者の美穂さんと綾香が、そして時としてあなたの事務所の亜里沙さんと逐次連絡を取り合い、私に情報を届けてくれていたのですよ」

「頭取、山中さんの退職願いをお受け取りになるおつもりですか?」野島は、尋ねた。

「いや、とんでもありません。受け取れる訳がありませんよ。彼みたいな人材こそ

これからの銀行改革に必要なのです」野島は、小田の言葉を信じたいと思った。


 一週間後、新横浜銀行で臨時取締役会が開かれ、副頭取佐藤圭吾の取締役解任 そして、桜井部長のプロジェクトからの追放が決まったのである。そして、評価すべきは、日本橋銀行との合併が一旦白紙に戻され、厳密な再調査を行うという議案が決議されたのだった。

同じ頃、日本橋銀行内において、専務内田篤人の取締役解任、そして、本部長

松井直樹の専務昇格が発表されていた。


エピローグ


 数日後、健太と美穂は横浜みなと探偵事務所を訪ねていた。小田綾香も同席であった。

「調査料としてお幾らお支払いすれば、良いのでしょうか?」美穂は心配げである。

「所長、美穂さんが聞いてますよ」報告書を書いていた野島は、聞こえないふりである。

「僕は今、他のことで忙しいから亜里沙に任すよ」都合が悪くなると、いつもこうであった。

亜里沙は、美穂と健太の顔を交互に見ると言った。

「分かりました。発表します! 健太君を見つけ出したのは、当事務所ではないし、迎えに行った交通費しか掛かっていないので、所長のガソリン代を足してみても一万円ってところかしら……」亜里沙は、請求書を書くと美穂に渡した。

「えっ、この金額でよろしいですか?」美穂は、信じられないという表情をした。

野島は、がっくりと肩を落とす。儲からないはずである。当事務所は二人とも『弱気を助け強気を挫く』精神なのだから・・・・・・


「そうそう、健太君係長内定おめでとう」言い出した綾香もうれしそうである。

集まった全員が、久しぶりに晴れ晴れしい気持ちであった。


 野島は振り返っていた。なぜ、山中の無事解放で調査を終了せずに企業の合併阻止まで突き進んでいったのか。元刑事としての犯罪者に対する憎しみであろうか・・・

一つだけ言えることは、青年の持っている正義感が私欲にまみれた人間によって抹殺されかねない社会に対しての怒りであったのかも知れない・・・


亜里沙が久しぶりに鳴る電話を取った。

「所長、例の浮気調査のクライアント、どうなってる?って、言ってますけど……」

「もし、もし~色々難航しておりまして~」しどろもどろの耕介を見たのは初めてである。明るい笑いが事務所の中に広がって行った。



おわり





 
















 



 

  


















 


 







 


 


 






 


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