第二章

県大会柳葉戦

第18話 第一試合

 またの名を、新人戦。

 神奈川県の各校が個人、団体それぞれに出場し、選手個人の実力とチームの団結力を競い合うこの県大会では、優勝・準優勝の二校が、一月におこなわれる関東大会への切符を手にすることができるという、いわば関東選抜予選大会という名目も兼ねているのである。

 会場は高体連──神奈川県高等学校体育連盟テニス専門部にて決められた基準を満たした学校が選定され、才徳学園や青峰学院高校、柳葉高校も会場校のひとつに挙げられた。

 才徳学園初戦の会場は、湘南地区東湘台高等学校。

 初戦相手は承知のとおり柳葉高校である。


「柳葉高校は、昨年の県予選で初戦落ちするまではシード常連校だった。いくらうちに勝利実績があるとはいえ、実力はたしかなものだ。油断はするなよ」

 と、蜂谷が言った。

 才徳学園の選手登録順は、大神、倉持、杉山、明前、蜂谷、姫川、星丸、天城である。つまり部内戦における実力順なわけだが、団体戦では対戦相手とのあいだに実力の差が出ないよう、この登録上位者順にオーダーを組むというルールになっている。

 予選試合は、S1、D1、S2が必ずおこなわれ、うち二勝を挙げたチームの勝利となる。今年から導入された決勝リーグルールではその後のD2、S3を含む五試合をおこない、勝利試合の数によって順位が決まるという。

 テニスに関してはズブの素人、才徳学園顧問の天谷夏子がぐっと拳を握った。

「みんなのことだからぜったい大丈夫だろうけれど、がんばってね。先生あっちの方で七浦さんといっしょに応援してるから!」

「応援してるでー!」

 伊織も拳を突き上げる。

 では改めて、と大神が紙を広げた。

「柳葉戦オーダーを発表する。S1は俺、D1に杉山と明前」

「うっしゃあ!」

「ッス」

「S2に倉持」

「おう!」

「それと、どうやら今年からベスト4以上は五試合の結果で順位を見るリーグ戦になったらしい。つまり予選で出番はねえが、決勝リーグでは強制的にD2とS3も試合をすることになるわけだ。そのオーダについてはD2に姫川と星丸、S3で蜂谷の予定だ」

 このオーダーが、才徳テニス部における一番メジャーな組み合わせといっていいだろう。

 大神はもちろんのこと、倉持と蜂谷はシングルス要員としてひじょうに安定したプレーを魅せる。D1については、三番手をつかむ実力をもった杉山と、冷静な判断力とコントロール力をもつ明前のゲームメイカーとしての素質がマッチした。

 対するD2のふたりは”自由”のひと言である。星丸のプレーはもともと協調性がなく、入部当初はシングルス向きと思われていたが、蜂谷の提案で姫川と組ませてみると意外にもふたりの息が合った。というのも、姫川もまた協調性のない自由なプレースタイルだったからである。

 お互いがおなじ思考回路で動くのでペアの動きを予測しやすく、前衛がもらした球へのカバー、ポーチへの反応が格段によくなった。それに加えて近ごろは互いの実力に対する信頼感も相まって、ずいぶんと安定したペアに仕上がったのである。

「D1とS2のベンチコーチは俺が入る。が──俺の試合には、七浦伊織」

「んェ」

「お前入れ」

「えっ。うちこの大会でなんか役割あったん!? 手ぶらで来てもうてんけど──」

「別にラケット振れって言ってるわけじゃねえ。シューズがありゃいい」

 ベンチコーチとは、試合中のコート脇ベンチに座って試合を観戦し、チェンジコートの際に選手へのアドバイスや激励を飛ばす役のことである。通常の学校はコーチや顧問、あるいはチームメイトが入ることになっている。

 なにすりゃええの、と伊織が倉持に顔を向けた。

 なにもしなくていいぜ、と倉持はにこっとわらう。

「大神はアドバイスなんざ求めてねえだろうし。ただ、そばで応援してやりゃいいんだ」

「なーんや、つまりはかわいいマネに応援してもらいたいっちゅーことやな。まかしときィ! なんなら旗振って応援したろか?」

「──知ってると思うが、テニスの試合は静かに観戦するのがルールだぜ。くれぐれも興奮してデケェ声出すなよ」

「ほんならどうやって応援せえっちゅーねん」

「拍手だよ拍手ッ」

 とツッコむ倉持に、伊織はフレーメン反応中の猫のような顔をした。

「どういう感情だそれは」

「う、歌っちゃだめなん?」

「歌う気だったのか!?」

「ほら、バレーには一本チャチャチャ、とかあるやんか。才徳の応援歌も作ったろ思てたのに!」

「ここまで公式戦に疎いとはおもわなかったぜ──」

 と、帽子を脱いで汗をぬぐった倉持。

 姫川がエッと首をかしげた。

「姉貴の試合、見に行ったことくらいあんだろ。応援ルールとか教わらなかったのかよ」

「いやそらァ」

 伊織が口ごもったとき、会場にアナウンスが流れた。

 Aブロックシード才徳学園および柳葉高校のS1試合がまもなく開始されるという内容である。該当の選手は指定のコート前へ集合、と聞き、大神がラケットバッグを肩にかけた。

「おしゃべりは終いだ。七浦、来い」

「あ、ハイ。ほな頑張ってくるさかいな!」

「いやなんでお前が頑張んねん。がんばるんは伊織やのうて大神や」

「そうだぞ。お前は静かに試合観戦することだけ、集中していればいいから」

 なおも心配そうな倉持にわらって、伊織は大神とともにコートのなかへ。一礼し、一歩を踏み入れた。

 ワンテンポ後に入ってきたのは、柳葉高校S1の宮向将みやむかいしょうであった。うしろにはベンチコーチとして柳葉高校顧問がいる。

 高橋サンとちゃうんや、とつぶやく伊織に「田中だ」と訂正をいれて、大神は宮向に向き直った。団体戦初戦はセルフジャッジのため、審判はいない。

 ラケットヘッドを地面に立てる。

「フィッチ(どっち?)」

「……スムース(表)」

 宮向の声はちいさい。

 くるりと回ったラケットが、ぱたりと倒れる。ラケットエンブレムは裏(ラフ)を向いていた。ラケットを持ち上げて宮向に見せつけて、大神は空を見上げた。

 いまだ朝の早い時間ゆえ、日光の向きはさほど気にならぬ。

「サーブ」

「では、こっちのコートで」

 公式戦の前には、かならずサービス練習がおこなわれる。両サイド二球ずつ。大神は開けたてのボール缶から二球取り出し、手前側のコートへ入った。

 なんという緊張感であろうか。

 伊織は、すっかり借りてきた猫状態で、ベンチにちょこんと腰かける。コート内で大神からのサービス練習が始まったのと同時に、柳葉高校のベンチに腰かけていた顧問の男が伊織のもとへやってきた。

「よろしくお願いします。柳葉の顧問、立木です」

「アッハイ。才徳のマネージャーやっとります、七浦いいます」

 と、握手をひとつ。

 五十路くらいだろうか。筋ばったその手は妙に青白く、心もとない。テニスなんてしたらいまにも倒れてしまうのではないか、というくらい不健康そうな顔をしている。

 しかし一方で、伊織は以前に蜂谷から聞いたことがあった。柳葉高校が強豪として頭角をあらわしたのは、現顧問の立木が赴任してかららしい、と。ひとつの高校が強豪チームへ育つというのは、並大抵のことではないはずだ。

(人は見かけによらんな)

 と、伊織は口角をひきつらせてわらった。

「しかしついてませんね。また初戦がそちらだとは」

「はあ。おたくの部長さん、ある意味スゴいくじ運持ってはりますよ」

「ハッハッ。ホントにねぇ、まして一年の宮向にいきなり大神くんときた。こりゃあ彼には試練だなぁ──実力的に、こちらのが劣っているのが正直なところですからねえ」

「……負けると?」

「もちろん彼はいま、勝ちに行くつもりで臨んでいますよ。だからといって負けても恥じる相手ではないということです。彼もそう言って送り出しました」

 と、立木は柔和にわらう。

 伊織はコートに入った宮向を見た。相手が大神であろうと、彼は一分の恐れも見せない。人によっては大神の威圧感に圧倒されることもあるというのに。

 僕のモットーは、と立木が言った。

「どんな時、どんな相手でも、自分の実力を最大限に出したテニスをさせること」

「最大限に──」

「みんながみんな、ヒーローみたいに高い壁を前にして楽しめるわけじゃない。けれど、決して自分のテニスを卑屈に思ってほしくない。一人ひとりに素晴らしいものがあるのが、僕にはちゃんと見えていますからね」

 今日はよろしく、と。

 立木はにっこりわらってお辞儀をひとつ。自身のベンチへと戻るために踵を返した。のを、伊織が小声で呼び止めた。

「あの、立木センセ」

「はい?」

「……あ、イエ。その、……よろしくお願いします!」

「ええ」

 サーブ練習が終わった。

 試合は大神サーブよりはじまる。セルフジャッジのため、審判コールもセルフである。大神がベースラインにてボールをついた瞬間から、コート周辺は一気に静まり返った。

 大神が口を開く。


「ワンセットマッチ、才徳トゥサーブプレイ」


 宮向の膝がぐ、と曲がる。

 トスがあがる。大神が息を吐き、ボールが放たれる。

 ここに、県大会予選才徳学園対柳葉高校第一試合の幕が上がった。

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