第19話 誇らしい

 宮向将は、一見すると強者には見えなかった。

 大神のサーブからリターン、その後のラリーにおいても、球威が飛び抜けているわけでもない。むしろよく伸びる大神の打球に食らいつくことに必死な様子すら見える。

 妙に弾道が低いゆえ、いまにもネットにかかりそうだ。

 これは本当に楽勝かも、と伊織がほくそ笑む。が、次の瞬間大神の球がネットにかかった。

「えっ」

 おもわず伊織の声が漏れる。

 大神の球がネットにかかるのは珍しい。当然、彼も人間ゆえミスをすることもあるだろう。しかしその場合は、大抵がアウトである。伊織がちらと大神の表情を見た。

 いつものポーカーフェイスながら、彼はボールを拾い上げる際にちらとネットを確認する。ここまででわずか二ポイント目だが、すでに違和感には気付いているらしい。

 対する宮向は、ガットの網目を均等に直すことに集中している。長いラリーの後だというのに、息の乱れがないところを見ると、彼も相当のスタミナを備えている。

 大神のサーブ。

 宮向がリターンする。また低い。ストロークで返す大神の顔がわずかに歪んだ。二、三球のラリーののち、ふたたび大神の球はネットにかかった。

(なんでやねん!)

 と、伊織は内心でツッコむ。

 コート外からも、才徳チームの緊張がうかがえる。二連続で彼がネットするなんて──という動揺からだろう。

(でも)

 伊織は首をかしげる。

 彼のフォームは崩れていない。大神の強みは、長時間のラリーにおいても膝の柔らかさや打点の高さ、面の向きすべてが崩れにくいというところである。ふつうは疲労が溜まって膝が高くなったり、身体が開いたり──とかく、その安定感たるや尋常ではない。

(だとすればあとは、相手の球か)

 伊織はいま一度じっくりと球を見る。

 サーブが返り、ラリーへ。大神の球が気持ち高い弾道を描く。対する宮向はいつものごとく低弾道でそれを返した。

 しばらく互いのベースライン際でおこなわれたラリーであったが、宮向の球がガッとネット上部にかかり、大神側へとこぼれた。コードボールである。

「すみません」

 宮向がつぶやく。

 このポイントによって宮向が1ゲーム先制。まさかの、大神がサービスゲームを落とすという事態に陥った。

 チェンジコートのため、大神が伊織の方へやってくる。伊織がドリンクを差し出す。彼は黙って受け取り、一口。

「大神──」

 と、声をかけて気が付いた。

 彼の顔はわずかにわらっている。ちらと伊織に向いた目が「よく見とけ」と語る。ドリンクをふたたび伊織に預けると大神はなにも言わぬまま反対の片面へと向かった。

「…………」

 1-0ワンラブ

 宮向の小さな声とともに、2ゲーム目がはじまる。サーブは宮向。大神は腰を低く落としてするどくリターンを返す。

 チッ。

 そのとき、伊織の耳に届いたわずかなノイズ。

 チッ。チッ。

 音はボールがネット上を通過するたびに聞こえてきた。しかもなぜか宮向だけでなく、先ほどから大神までもが妙に低い弾道で球を返している。

 チッ。

(あっ)

 伊織がぐっと身を乗り出した。

 見えた。ふたりが打った球の弾道。ボールが飛ぶたび、わずかにネット上部に擦れて回転が変わって──。

 大神を見る。

 彼はとても楽しそうな顔で、低い弾道の球を打ち込んだ。ボールがネット上部に擦れる。目を凝らさねば見えないほどささやかに。これだって、野生並の動体視力をもつ伊織でなければ見逃すところだ。

 ここに擦れてボールの回転が変わっていたために、通常のボールを打つ感覚で返した大神のボールが、いつもと違う弾道を描いていたのである。

(でもそれって宮向サンめちゃ凄ない?)

 伊織は自問する。

 常にネットしかねない緊張感のなか、寸分違わずネット上部をわずかに擦る球を打っている。よほどのコントロール力とメンタルがなければ、そんなプレーをしようとも思うまい。

(せやけど大神も)伊織は大神に目を向ける。

(たった一ゲームで攻略しやがった。おまけにやられたことをそっくりそのままやり返しとるんやから、イヤな性格やわ)

 まこと、末恐ろしい男である。

 宮向も小細工が攻略されたことに気付いたか、次第に球の弾道が高くなってきた。大神の球もいつもの調子にもどる。互いに球威があがる。ようやくここから、本音でのラリー対話がはじまるというわけだ。

 宮向の球威は驚くほどあがった。

 大神ほどではないにしろ、低弾道の球のときに比べると段違いである。

(でもラリーに持ち込んだら、──大神は負けへんで)

 伊織の胸がおどる。

 先日、三十分ラリーをしたから分かる。この男はどんな球にも食らいつき、一度球を交わらせたなら最後、こちらがどれほど対話をぶった切ろうとも決してそれを許してはくれないのだから。

 惚れ惚れするような試合であった。

 宮向はその後、自慢のコントロールによってリターンゲームをふたつ大神から奪取するも、いま一歩及ばず。

 ゲームカウント6ー3で試合は終了した。

 ネットを挟んで握手を交わす。激しいラリーを終えた頬は紅潮し、息もあがっていたが、互いにとても満足げな顔でわらっていた。


 ベンチに戻る大神。

 伊織は、彼のラケットバッグを肩に担いで出迎えた。

「大神ッ」

「よお──見てたか」

「見てた。ばっちり見てたわ! めっちゃおもろい試合やった……」

「そりゃよかった」

 と、大神は伊織からバッグを取り上げ、コートに一礼するとフェンスの外へ出る。出入口に待機していた倉持や姫川、杉山が一斉に大神へ飛びかかった。

「よくやった!」

「さすが我らの大神だぜッ」

「ホンマにいちいちええ試合しよるな自分!」

 ひとしきり髪や身体を揉みくちゃにされ、試合直後よりボロボロになった大神。が、彼は嬉しそうに髪をかきあげて、

「当然だろ」

 と顎をあげた。

 すこし遠くで待機していた一年レギュラーの三名も、ソワソワと大神を見つめている。それに気付いた大神が「勝ったぜ」と手を広げた。

 途端、星丸と天城もワッとよろこんで大神の腕に腰に飛び付いた。明前は控えめに、しかし嬉しそうに大神と拳を突き合わせる。

 ──のを、遠目で見つめる伊織。

 分かってたけど、と言いながらそばに蜂谷が来た。彼の手にはスコアボードが握られている。

「つくづく誇らしい部長だよ」

 蜂谷はわらう。

 伊織はふたたび大神に視線を向けて、

「ホンマやな」

 としみじみうなずいた。


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