第4話 四次元胃袋
「昼飯を食ったら、レギュラーはコート集合」
とは、朝練終了時の大神のことばである。
つまりレギュラー以外のメンバーは休みでいい、という意味である。これは差別などではなく、夏休みから昨日までの秋休みにかけて、連日過酷な練習を続けてきた部員を労ってのことだった。
いくらテニスが好きな少年たちも、こうもハードな練習が続けば一日くらいの休暇はほしくなるもの。いずれも自他共に認めるテニス狂のレギュラー陣でさえも、たまの休みすら削られて「鬼!」という声が噴出したほどである。
(寝てるだけでも、腹は減る)
くぁ、とあくびをひとつ。
オリエンテーションが終わり、学食に向かおうと腰をあげた倉持のもとに、意外にも七浦伊織のほうから近づいてきた。
「ねえねえ倉持クン」
「おう、七浦」
「部活見学さしてもろてええ? うちテニスは好きやから、見たいねん」
「もちろんだ。なんなら打ってもいいぜ、ジャージ貸すし」
「そこまではええよ、チラッと見るだけ!」
「変に謙虚だな。でもその前に俺たち学食で飯食うんだよ、良かったらいっしょに来るか?」
倉持がちらりと杉山を見る。
ちょうどラケットバッグを肩にかけ、倉持のほうへ向かってくるところだった。いまの会話も聞こえたのだろう、「ええやん行こ行こ」と伊織の肩を叩く。
どうもおなじ関西人に安心感があるようで、伊織も杉山を見るなり満面の笑みを浮かべて「行く!」とうなずいた。
「学食に、ほかのレギュラーも集まっとるやろうから、紹介したるわ。いっしょに飯食おうや」
「あ、でもうち今日お金持ってへん──帰って食べるつもりやってんから」
「奇遇やな、オレもあらへん。大丈夫や神様がいてる」
「てめーいい加減にしろよ!」
と、倉持は杉山のラケットバッグに蹴りをいれた。
二年の教室から食堂まではさほど遠くない。一階にくだって別棟への渡り廊下を通ればすぐだ。
白を基調とした壁と全面ガラス張りのフロア。奥にはナチュラルウッドのガーデンテラスがあり、そこから望める中庭は絶景のひと言。おまけに種類豊富に揃えられたメニューは、ラーメンやうどんなどの定番はもちろん、一般家庭ではそう見ないだろう品目まで多岐にわたる。
およそ高校の食堂とはおもえぬクオリティに、伊織は目が点になった。
「こ、これが私立の力か──」
「ヤバいやろ。ここ一貫校やんか、小等部からとか通うとる奴らって、フツーの顔しとるけどぜったい富裕層よな」
「んなことねーよ。俺も姫川も蜂谷だって小等部からいるけど、みんなフツーだぜ」
「ッカァー! これやから恵まれモンは癪に触るねん。フツーに暮らせるっちゅうことは、それなりに富裕やからに決まっとんねん。金の心配なんざ人生で一度もしたことないやろッ」
と、杉山が地団駄を踏む。
そのとなりで、伊織の腹がいまにも泣きそうな音を出した。鳴った本人は恥じらうどころか、よだれを垂らしてメニューを食い入るように見つめている。
「おなかすいた……」
「オレもや、もう動かれへん」
「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ、フォワグラ・ドゥ・カナール・オ・トリュフ、パトゥルジャン・イマム・バユルドゥ──呪文か? なんで写真がないねん。けどもうラーメン以外やったらなんでもええねん!」
「せや。腹ァ減っとんねんこっちはァ!」
キレた。
ふたり並んで学食メニューに怒りをぶちまけて腹をさする様は、まるで路地裏に取り残された乞食のよう。
憐れな光景に、倉持は財布を取り出す。おこづかいはそれほど多くないが、ここは男を見せるときか──と中身を確認した。そのとき。
倉持の肩がぐいと押しのけられ、低温の涼やかな声が食堂に響いた。
「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナは脂肪の少ねえ肉を使ったフィレンツェ風ステーキ。フォワグラ・ドゥ・カナール・オ・トリュフは鴨のフォワグラにトリュフを添えたもの。パトゥルジャン・イマム・バユルドゥはトルコ料理で坊主も気絶するほど気に入るという意の、茄子にトマトや玉ねぎを詰めたものだ。腹を満たしてえなら前者、こってりと食事を楽しみたいなら真ん中、夏野菜を楽しみたいなら後者だな」
「…………」
「ただ、これからテニスすることを考えれば、フォワグラはよくない。人によってはもたれるぞ」
さあ選べ、と。
ふたりの背後で、ひとりの生徒が両手を広げた。──大神謙吾その人である。
その手中には分厚い財布。
選べ、ということばの前に『俺が奢ってやるからおまえが食べたいものを』という助詞がついていると理解した杉山が、涙目で大神の肩に抱きついた。
「神様ァーッ。今日はホンマに飯抜きになるところやってん、ホンマいつもいつもいつもわるいなァ」
「バァカ。貸しに決まってんだろ、図に乗るな」
「うーん、でもオレはやっぱ冷やし中華やな。食い納めとかんと」
「そっちは?」
大神の視線が伊織に向いた。
登場時のインパクトが強すぎたか、おどろきのあまり呆然とした伊織だが、奢ってくれると分かるや途端に背筋が伸びて、メニューをがっつり読み込みはじめた。
「えっとえっと、せやな──やっぱここはスタ丼とカレーかな。あーでもこっちの唐揚げ定食も気になんねん。ぜんぶいったろかな、よっしゃいったろか。あ、でも人の金や……ふたつに絞らな」
「食えるんなら好きなだけ頼め」
「エエーッホンマに言うてんの!? いくで? ホンマに三つ頼んでまうで? カレーにコロッケ乗せてまうで?」
「構わねえが──食えんのか」
「それは問題ないねん。うちの胃袋四次元ポケットやから」
「…………」
大神は無言で食券を五枚購入した。
一枚を杉山に、四枚を伊織に渡す(おそらく一枚はトッピングのコロッケである)。それから窓口を示して、はやく頼んでこいと言うと、ふたりは飛び上がらんばかりによろこんで、元気よく食事の注文に走った。
大神とともに食堂に来たらしい姫川と蜂谷が、
「けっきょく、ビステッカなんちゃらもパトゥルドゥなんちゃらも頼まなかったな」
「ま、食い慣れたものが一番上手いってことだ」
とつぶやく。
レギュラー陣からすると、大神の大盤振る舞いぶりは見慣れたもので驚きはなかったが、それよりも伊織の注文した食事量はどうしたことか、と目を疑った。とくに、人より少食気味の蜂谷は、伊織が運ぶ三枚のトレーに乗った料理の山を見て青ざめる。
いただきます、と一口食べるや、
「めっちゃうまいやん! 学食なんか、いうて豚の飯のつぎくらいってイメージやったけどなにこれめっちゃうまいやん……」
「学食でなんか嫌なことあったのかよ──」
と、倉持が困惑する。
吸引力の変わらない掃除機のごとく食べ物をかっこみ、杉山が冷やし中華を食べ終えるのとおなじタイミングで、三つの料理を完食した。
ちゃんと噛めよ、といやな顔をした大神に、伊織はパッと顔を向けた。
「ホンマにありがとう、おかげで今日の夕飯まで持ちそうや。あ、うち倉持クンたちのクラスに転入した七浦──」
「伊織、だろ」
「なんだお前、知ってたのか」
倉持は内心ホッとした。
ここで愛織じゃなかったと知ったら、また不機嫌になりかねないと危惧したのだが、無用な心配だったらしい。
蜂谷と姫川も、教師から伊織には双子の姉がいるそうだという話を聞いたという。
なんでも、と大神はにやりとわらった。
「お前の姉貴、関西じゃずいぶん強いそうだな」
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