第3話 双子の妹

 ────。

 才徳学園高等部二年B組。

 始業式ののち、ホームルームまでひと通り終えた教室。すでに朝練で一汗ながした倉持はもはや眠気も限界である。

 テニス部では杉山がおなじクラスになった。

 が、彼はとっくのむかしに睡魔に負けたようで、ホームルーム中は顔を伏せたままぴくりとも動かなかった。前から二列目だというのに大胆な男だ──と、倉持は苦笑した。

 ともあれ良かった。

 あのインハイ以来、地に落ちた大神の機嫌が最高潮に戻ってきた。これで七浦愛織と一戦交えでもすれば、さらなるパワーアップもできることだろう──と、倉持は窓際二列目の一番うしろという好位置を利用し、安堵と疲労でいよいよ重くなった瞼を閉じる。

「さいごに、今日からうちのクラスに転入生が来ます。どうぞ入って」

 担任の声までも子守唄にかわる。

 ガラリと扉が開く音。ゆったりとした足取りでなかに入る足音。途端に溢れる教室の喧騒。

 大神の救世主ならひと目見ておかねば、と無理やり瞼をこじあけた倉持の視界に、杉山が写った。先ほどまで寝ていたはずの彼はいま、困惑した顔でこちらを見ている。

(なんだ?)

 と、倉持は黒板を見る。

『七浦伊織』

 心地よい眠気は、その瞬間、はじけた。


「大阪から来ました。七浦伊織ななうらいおりです、よろしゅう」


 長い黒髪にすらりと伸びた手足。弧を描く猫目が人懐っこさを感じさせる。

 しかし倉持にはそんなことどうでもよかった。

「わあ関西弁だ」

「制服かわいい~」

「いや本人もかわいい!」

 クラスメイトの称賛も、なにもかもが耳を通り抜け、倉持は唖然とした顔で女生徒を見た。

(七浦──?)

 彼女は笑顔のまま、担任に指定された席に座る。倉持とはそう遠くない廊下側二列目の一番うしろ。

 おもわず目で追っかけていたのだろう、七浦伊織と目が合った。彼女はきょとんとした顔で倉持を見つめ、やがて視線が、机の横に立て掛けた倉持のラケットバッグに移る。

「────」

 瞬間、ひどく嫌そうな顔をした。

 その表情の真意を問う暇もなく、彼女は倉持から目をそらす。担任がホームルーム終了の号令をかけるや、彼女の周囲にはクラスメイトが群がった。

 杉山も倉持の席に飛んで来たが、イヤな顔をされた倉持は混ざるに混ざれず、耳だけでクラスメイトとのやりとりを聞く。彼女はハキハキしたしゃべり方で、ひとつひとつの質問にしっかりと答えた。

「うん、それまではずっと大阪の学校やってん。生まれはアメリカやけど、ちっこい頃に日本にきたんでよう覚えてへんよ。えーっと家はここの最寄り。え? あ、せやで。これな、制服間に合わんかって、前の学校の着てきてもうてん。うんとね、姉弟は──お姉ちゃんがおるよ」

「お姉ちゃん?」

 と。

 倉持の口から、思いの外大きな声が出た。近くにいたクラスメイトの諸星杏奈が「急に入ってきたじゃん」とわらったが、倉持はとうとう立ち上がり、杉山とともに七浦伊織のそばに寄った。

 彼女が目を見開く。倉持は短髪をぐしゃりと搔きつぶし、問うた。

「姉貴って──テニスやってる?」

「…………」

「あっ、ごめんね伊織ちゃん。こいつ倉持っていうんだけど、テニス馬鹿ってゆーか、テニスのことしか考えてないってゆーか」

 と、杏奈がすかさずフォローを入れる。

 しかし転入生は一瞬沈黙したのち、ハッと口をあけると次第ににこやかに微笑んだ。

「よう知っとる。出てたん関西大会やのに──七浦愛織やろ、うち双子やねん」

「やっぱりそうやんなァ! オレ、杉山言うねんけども、中三までは向こうやったから関西ジュニアの大会出とってん。女テニなんぞあんま知らんオレでも、七浦の名前はよう聞いててんからさぁ」

「え! おんなじ西の人いてるやん。えーめっちゃうれしい!」

 といった彼女──伊織は、さらに嬉しそうな笑みを浮かべて、倉持のラケットバッグを指さした。

「テニス部の子ォなんやろなとは思ってん。ふたりともテニスやってんねや。よろしゅう」

「ああ──よろしく」

 普通だ。

 先ほどの嫌そうな顔はなんだったのか、それともただの思い違いか、と倉持は混乱した。するとふたたび杏奈が「えー?」と口を挟む。

「双子のお姉さんは才徳じゃないんだ。どこに行ったの?」

「桜爛」

「桜爛!?」

 ふたたび倉持がさけぶ。

 その反応の良さに、周囲のクラスメイトはわらったが、肝心の伊織はすこし浮かない顔で「うん」とうなずいた。

「もともとうちもそっちの予定やってん。でもわがまま言うてほかのガッコにしてもろたんよ。才徳はとくに知らんとこやったけど、入ってみたらめっちゃ敷地広いし綺麗やし、正解やったわ」

「そっか、お姉さんテニス強いなら桜爛だよねェ。伊織ちゃんもテニス部入るの? うち、女テニってほぼ機能してないけど──」

 という杏奈のことばに、倉持と杉山も眉を下げた。

 才徳学園の女子テニス部は、男子に遠慮してか、あるいはもともと本気の部員がいなかったためか、練習日は多くても週に二日。とくに男子が全国出場してからは、その名を変えて『男子テニス部応援団』として後援にまわっている状態である。

 そのため、本気のテニスをしたい少数派の女子は、部活には入らずに外のスクールに参加して関東ジュニア大会などで腕を試しているという。

 如月の話を聞いた手前、がっかりしやしないか──と倉持と杉山は心配した。の、だが。

 とたん伊織は、弾けるようにわらった。

「やはははっ。いやいや、テニス部入らへんよ。うち中高どっちも帰宅部やってん」

「え」

「うせやん、ホンマ?」

「えっ。そんなおどろくことある? テニスで有名なんはうちやのうて愛織やで」

 それはそうである。

 しかし先日のインターハイ、たしかに如月は『才徳に行く七浦の腕は自分の墨付きだ』と言っていた。その七浦とは、伊織のことではないのか──?

 と、問いかける暇もなく、学期初日のオリエンテーション開始を告げる担任の声が教室に響いた。

 文句を垂れながら、クラスメイトたちがパラパラと自身の席へ戻るなか、倉持は「なあ」と最後に声をかけた。

「部活入ってなくても、テニスはやってんだろ」

「まあ、」

「才徳に来る七浦ってヤツ、テニスの腕はたしかだから一度試合してみろってインターハイのとき聞いたんだよ。だからてっきり」

「聞いたってだれに──」

「桜爛の如月さん。知り合いか?」

「…………」

 と。

 また、あの嫌そうな顔になった。

 しかしつぎの瞬間にはにっこり口角をあげ、

「知らへん。愛織と間違えとるんちゃう?」

 とわらう。

 そんなわけないやろ、そんな顔してからに!

 と、口内でつぶやく杉山とは対照的に、倉持は「やっぱりそうだったか」と落胆する。人を疑うことを知らぬのも、彼の魅力のひとつではある。

 伊織は人懐こい笑みを浮かべながら、

「はよ席戻らなあかんで」

 と威圧的な声色で言った。

 けっきょく大神との試合についてはなにも切り出せぬまま、すごすごと自席へ戻る倉持のうしろで、

「オイオイオイ、いきなり雲行き怪しなったぞオイ」

 と、杉山はめずらしく小声でつぶやいた。

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