第5話 才徳レギュラー
「そらもう。関西だけやない、全国一の実力や。うちは一度も勝てたことあらへん。……えっと、神様?」
「大神だ」
「おーが」
伊織の動きが静止した。
まじまじと大神を見つめて、瞳に好奇心を宿らせる。しばしの沈黙ののち「あんたが」とほくそ笑んだ。
あんたが、とは。
しかし倉持がその意を問う前に、彼女はうれしそうに倉持へ目を向けた。
「せや、愛織と試合したいって話やったんやんな? 今日のお礼もあるしうち声かけたるで」
「ホントか!」
でも、と蜂谷がとなりで浮かない顔をする。
「たしか大神にいま必要なのは、才徳にくる七浦だって如月さん──」
ハチ!
と、杉山が叫ぶ。相変わらずの爆音ぶりに、姫川は耳をおさえながらテーブルの下で杉山の足を蹴った。
「ええねん細かいことは。どや、大神。全国一の腕と言われるヤツと戦ってみたらいいやん。性別なんぞ気にせんと、なあ!」
「ああ──」
「ほんなら愛織に聞いてみるわ」
伊織はにこォ、とわらった。
オリエンテーションがはじまる直前、倉持たちを突き放したときの笑い方だ。杉山は「七浦」と立ち上がる。
「デザートメニューも見てみい。コンビニスイーツとは格がちがうで」
「えー見るぅ!」
「いやおめーら金がねえんだろ。見たら食いたくなっちまうぞ!」
と、倉持が声を荒げる。
ふたりは子犬のように眉を下げ、沈黙のシグナルを大神へ送った。さすがに突き放すかと思いきや、大神はゆっくりと右の手のひらを開くジェスチャーをして「いいぜ選びな」とうながした。
「神様ーッ」
「ホンマの神様やー!」
杉山と伊織は涙とよだれを流し、顔を寄せあってデザートメニューを覗く。
「大神」姫川が呆れた顔でつぶやく。「おまえってやつは」
「初日くらい大目に見てやれ」
「杉山は二年目だよ」
と、蜂谷も肩をすくめる。
それとおなじタイミングで、食堂の入口が騒がしくなった。すこしだぶついた制服を着た若々しい三人衆が、それぞれの席に分かれてゆき、やがて残った三名がテニス部の方にくる。二年レギュラー陣の顔を見るなり、
「ちはーーーッス!」
と、元気良く頭を下げた。
遅かったな、と姫川が席をずれる。蜂谷と姫川に挟まれるように座った一年レギュラーその一、
「ホームルームが長びいちゃって──」
「担任鈴木だっけか。あのセンセ話長ェもんなー」
「ハハ、おかげでめっちゃ腹減りました」
と弁当箱を取り出す。
倉持と蜂谷のあいだの席につくのは一年レギュラーその二、
「
「他校の制服着てる! やるじゃんパイセン」
と、杉山のとなりに座った一年レギュラーその三、
調子のいい後輩の声に、メニューに釘付けだった杉山が顔をあげる。
「アホか、うちのクラスの転入生や。これからテニス部見学するんで、いっしょに飯食うてんねん」
「テニス部見学って、男テニをですか」
と、天城が誕生日席に座る大神を見る。
しかし大神はなにも言わず、代わりに倉持が答えた。
「そいつ七浦伊織っていうんだけど、双子の姉貴が関西じゃ名の知れたテニスプレイヤーらしくてな」
「あ、七浦──」
その名を聞いて、天城も思い当たったらしい。インターハイでの対如月戦直後は、みなが大神のそばに寄っていたから例の発言を聞いていた。倉持はそうだ、とうなずいた。
「そんなもんで、速ェ打球も見慣れてるだろうからよ。男テニを見ても気後れしねえだろうとおもって連れてきたんだ」
「ちゃうよ倉持クン、愛織は関西だけやのうて全国でも一番なんや。そこ間違えんといて」
「あー、わるいわるい」
「どうも七浦伊織です。今日はちょっとだけ練習見学させてもらいますね」
と、伊織が愛想よく一年レギュラーに挨拶するのを見て、大神は「オイ」と口角をあげた。
「デザートは決まったのか?」
「待ってや、あと二択やねん──」
「どっちも食やァいいだろ。どれとどれだ」
「え? 菩薩?」
コレとコレ、と控えめにメニューを指さす伊織に、ふたたび食券機の前に立った大神が、
「転入祝いだ。とっときな」
と、食券を二枚手渡した。
狂喜乱舞して窓口に走る伊織のうしろ姿を見た杉山が、オーガオーガ、と菩薩にすり寄る。
「オレはこれが食いたいねんけど」
「てめーに祝い事があるのか? 今日の飯代きっちり揃えてから言ってこい」
「ぐ──ケチと言いたいのにド正論すぎてぐうの音も出えへん」
と杉山が頭を抱えるあいだに、手にしたトレー上にケーキをふたつ乗せた伊織が席にもどってきた。着席するやザッハトルテにフォークを入れ、まったりと口に運ぶ伊織。
「うがぁーッこれもうまいやん。外れとかないんか……もうあかんうちこの食堂住み着いたろかな」
「わざわざ住み着かなくても、これから嫌ってほど昼飯で食えるだろ──」
「倉持クンは分かってへん。うちはこれから、毎日毎日中華弁当を持たされる羽目になるんや。朝も昼も夜もラーメン、炒飯、エビチリ、油淋鶏、麻婆豆腐に天津飯……あれ、意外と悪ないな」
「なんでそんなに中華ばっかりなんだ?」姫川がかわいらしく首をかしげる。
「弁当作ってくれるおっちゃんが、中華料理しか作れへんからや」
「…………」
え?
という一同の反応をよそに、伊織はぺろりとふたつのデザートを平らげてぐっと伸びをした。
「はぁー満足、ご馳走さまでした! いやホンマに、初日からいろいろありがとう。とくに神様」
「べつに構わねえよ。言ったろ、転入祝いだ」
「ほんなら毎日記念日作ったろか」
「その記念日、オレも混ぜてや!」
調子に乗るな、と倉持が身を乗り出して杉山の頭を押さえつける。姫川と蜂谷はケラケラと笑い、大神もクックッと肩を揺らす。
明前は食い終わったトレーを片手に立ち上がり、天城に顔を寄せた。
「関西人ってやっぱ生まれた星ちがうよな」
「息するように小ボケを挟むとこ、憧れるなァ」
「天城は才徳の良心だ。どうか卒業のときまでそのままでいてくれ」
と、あいだに挟まれて聞いていた蜂谷は陰鬱な顔でつぶやいた。
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