第29話

「矢木 美波さん」

「はい、」


 私がそう呼びにいくとすぐ側で待機していた美波ちゃんが私の後に着いて空き教室に入る。


「じゃあ座って」

「はい·····」


 美波さんが座るのを確認すると私は美波ちゃんに話しかける。


「それじゃあ、美波ちゃんは将来、どうやって生きていきたいとかある?何になりたいとか···」

「あ、あの!優美は、何になりたいって···言ってましたか?」

「そう言われても····優美ちゃんはあなたの1つ後ろでしょう?」


 そもそも、それを知っていたとはいえ言えることではない。

 もし知りたいのならば本人に聞けばいいし許可なく必要以上の個人情報は流せない。


「一緒にいたいのかもしれないけどそういうのは本人に聞かないと····」

「違うんです····一緒にいたいんじゃなくて、もう、一緒にいたくないんです···」


 それは私の中で驚愕の出来事だった。

 いつも仲良しで穏やかなようにしか見えなかったからだ。


「な、なんで?何か嫌なことでもされたの?」

「そ、そうじゃなくて、優美はやっぱ天才だから、私、押しつぶされちゃいそうで····」


 詳しく話を聞いてみると彼女の言うことは何となく分かった。

 要するに、いくら自分が努力しても隣にそれを軽々と上回るような天才がいたらいつになっても自分が正当に評価されないと思っていた。

 確かに、その通りになることは少なくもない。


「でも、美波ちゃんは本当にそれでいいの?」

「だ、だって····」

「もし、美波ちゃんと優美ちゃんのやりたいことが同じだったら美波ちゃんは諦めるの?」

「そうしないと私、」


 そう言うと美波ちゃんは泣き出してしまう。

 この場はあくまで三者面談の時に話しが進みやすいようにするための場所なので絶対に就職するとか大学に行ってなになにをするとかを決めなくてはいけない訳では無いので私は美波ちゃんが落ち着いたところで教室に戻す。


「一緒にいたくない···か···」


 そんなことをボソッと呟くが時計を見てみると時間があと少ししかないので早く最後の優美ちゃんを呼びに行く。


「優美ちゃん···」

「はーい!」


 美波ちゃんとは違っていつもの元気さが私に少しの違和感を与えた。


「さて、優美ちゃんはどうやって生きていきたい?どんな仕事をしたいとかある?」


 彼女ならば望んだ職業につけるだろうと思って彼女を見てみると彼女の目は今まで見たこともないほどに冷めていた。

 まるで感情が消えてロボットになったかのように。


「どうしたの?何か気に触った?」

「ねぇ、先生?どうして生きていく前提なんですか?」

「え·····?」


 私はその事に先程の美波ちゃんの時とは違って呆けてしまう。


「ちょっと待って?どういうこと?」


 私は慌てて優美ちゃんに確認する。

 すると冷たい空気とは一変して緩やかな感じのいつもの優美ちゃんに戻る。

 だが、言い分が変わることは無かった。


「そのままですよ〜」


 その事に私はついその態度が頭にきてしまった。


「どういうこと!?ねぇ!」


 しかし、依然として彼女は態度を崩さない。

 あくまで緩やかで、冷酷で、誰にもその内側を覗かせることがない。


「そのままだって言ってるじゃないですか〜どうして先生は私がそのまま生きると決めつけるんですか?」

「そんなの当たり前でしょ!?」

「誰のですか?それは誰の当たり前なんですか?」

「それは、みんなに決まってるでしょ!?」

「じゃあその皆に私が入ってなかっただけの話ですよ」


 彼女には取り付く島さえなかった。

 まるで心のどこかに穴が空いてしまっているように。

 きっとそれは彼女を動かすために必要な大事な歯車が零れ落ちたあとなのではないかと私は思ってしまう。

 彼女はどこかがズレている。

 少なくとも私とは違う。

 そう思わずにはいられなかった。

 しばらくの沈黙の後彼女は話題を変えようと口を開く。


「そういえば、美波ちゃんに泣いた後みたいなのがあったんですけどどうかしたんですか〜?」

「なんでもないわ」


 私は個人情報は教えないようにと端的にそう伝える。


「え〜、まぁでもどうせ私と違う道に進みたいとかじゃないですか?」


 私は言い当てられてしまってつい立ち上がってしまう。


「なんで···」

「そりゃ、あんなに近くにいれば分かりますよ〜。

親しさの中に美波ちゃんが妬みとかを入れてることくらい。

自分が認められないのはあいつのせいだ、本当なら私はもっとできるのに、あんなやついなければいいのに」

「さすがにそこまでは思っていないは····」

「本当ですか?」


 私の頭に浮かんでいるのは2人がニコニコ笑って私に話しかけている場面だった。

 いつものように、


「本当にそれがないと思いました?」

「だって、いつも···」

「はぁ、」


 きっと彼女には私が思い浮かべてる風景が手に取るように分かっているのかもしれない。

 そして彼女はいとも簡単にそれを壊してくる。


「先生は、いい人ですね。

だからみんな、本音を隠してニコニコするんです」


 彼女はいつものような笑顔で私に笑いかける。

 それが本物の笑顔なのかが私にはもう分からなかった。

 優しい先生なら誰もが頼ってくれると思っていた。

 現に、好きな人にどうやって告白しようとか、この大学に行きたいんだけどとか、そうやって相談してくれる人は何人もいた。

 だけど···


「皆そうですよ。

自分が間違ってるなんて誰にも言われたくないんですよ。

多分ですけど進路とかの相談をしてくる人はいたかもしれませんけど誰かのことが嫌いだとかあの子にあんなことしちゃったとかいうのはなかったんじゃないですか?」


 彼女がそれを言ったのと同時に終了のチャイムがなる。

 それがおそらく彼女にとっての最後のチャイムであることはこの時の私は知らなかった。

 チャイムが鳴り響く間、私も優美ちゃんも動かなかった。

 だが、それが鳴り終わると優美ちゃんは立ち上がる。


「それじゃあ行きますね?」

「まって!」


 私は今にも扉を開けて出て言ってしまいそうな彼女を引き止める。


「なんですか?」

「まだ大事な話が終わってないでしょ?」

「でも時間が···」

「だからこの後、少しどこかに食べに行きましょ」


 私にはどうすれば彼女が、彼女たちが本当に笑ってくれるかが分からなかった。

 それでも、そのままいかせてしまえば二度と私の前で笑ってくれないと思ってしまった。

 私がそう言うと彼女は、私の顔を見てこう告げた。


「いいですよ、この後の予定は何一つありませんから」


 ハートを失くしたブリキのロボットはきっと願っていたのだ。

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