半神さまは考える。


門扉をくぐる前に、ちらりと振り返った『庭』は静まり返っている――まだ。

(せいぜい奮闘すればいい)

複雑な感情が渦をまく。

にくらしいほどに青く澄んだ世界に背を向け、屋敷の領内へ足を踏み入れる。帰還。

そこが、彼、または彼女自身――の住処であり、牢獄だから。


『――特別製なんだ』


記憶の底から蘇ってくる声がある。

そうその通り。この世界の中で、この屋敷がある領内だけが異質にできている――屋敷の空には夜がある。

もっともここも現世うつしよとは離された、時間の流れの違う幽世かくりよのうちである。人々が暮らす現世とは、もちろん全く異なっている。

その空は今、黄昏の姿を借りようとしていた。

(彼は帰ってこられるだろうか)

ここが黄昏に飽きれば、じきに夜になるだろう。

そうなるまでに帰ってこなければ――


半神はそっと目を伏せた。

(やめよう。こんな期待は――愚か)

屋敷の主体を成す建造物の玄関口まで足を速め、戸を開け放す。こうしておかなければ、古い日本家屋の顔をしたこの場所は境界である門もろとも、気分次第でころころと位置や姿を変えてしまう。

今気分を変えられると困る。ちょうど、彼から一番近い場所に位置しているのだから。

(作った者に似るのだろうか)

そう思ったところで、ふっとため息をこぼした。

今日は何を見聞きしても、ある一点に思考が帰結してしまうようだ。

こうしてやめようと反省したそばからまた、しょうこりもなく様々な思いが浮かぶのを打ち消し続けている。

しかし、開け放った玄関口のあがりかまちに腰かけたままただ待っていると、ぼんやりと外界を眺める二つの目とは別個に焦点を結びはじめるものがある。


半神はそっと己の胸へと掌をおいた。庭で頑張っているであろう彼の言葉を思い出す。聞いた時には耳を疑った――悲しくて。


『……あ゛~、仕事辞めたすぎい』


わたしなら、と思う。

わたしならあんな言葉――


(仕事を辞めるなんて、そんな怠惰が許されるはずない)


どれほどの歳月をここで過ごしたことだろう。

決して投げ出すことのできない役目のためとはいえ、もしわたしが同じことを口にして、それでも許されるなら、あの人にそう告げただろうか。

いや。

多分、言わない。

彼にも。


(痛いほど気持ちがわかるだなんて――)


絶対に言ってはいけないのだから。




「たぁのもおおおおおお!」

ぼくはしゃがれまくった声でこれでもか、というくらいに叫んだ。

気分は完全に道場破りやで、ほんま。

多分今ぼくの顔面は、世紀末覇者みたいなタッチで陰影くっきりはっきり目が合うだけでぽっくりな感じになってるはずや。

しゃあないやん?

こちとら一生分×1000くらいの量のゴッキーたちを始末してきたんやで?

全っ身がすり傷切り傷アザだらけで筋肉痙攣おこしまくってて、ずっぶずぶのずぶ濡れもええとこやのにやで?

全部終わってもあのクソダボワープしてきよらんし、とりま、てくてく歩いてたら門でてきたんやけど、こっからどうせえて?

なんや、怠惰じゃ仕事せいじゃたら煩く言うとったくせに、レクチャーもくそもなしで面接(笑)から現場(修羅場)に直行とか――もう。もうな、限界。

労働者ナめとんちゃうぞクソが!!!

そら顔面の作画も変わるわ――せやろがい!!?(血反吐)


「ぅおおおおおい! 聞こえてへんのかあーい。誰もおらんのおおー?」

全然返事ないから叫びまくってるただ今、なんや知らん変な門のとこにおるんやけどな。

「ぐぉおおむぇええんんんくううだああさあああああアアアいっっ!!」

読みづらくてごめんね。だってさっきから一生懸命ごめん下チャイ☆ 言うてんのに反応ないんやもん。もう疲労ゲージ振り切っててなんぼでもひとりシャウトリサイタルできそうやわ。うそやけど。

「おい誰もなんも反応ないんやったらこのまま入るでぇー? ええんやなあ? また池ポチャしたときみたいにあとから実は立ち入り禁止でしたとか言われても知らんぞ!? おおーいほんまに誰かなんか言うて怖いから! 僕こう見えて怖がりやから! 入っていきなり『入んな死ね』とか言わへんよな? な? これもうほんま入るでっ? ええんやなっっ!? 入るで? 入るで入るで? はいっ――」


とん、と誰かから背中を押される感触。

一歩門の内側に足が入る。

瞬間、ぶわっと世界が後ろ向きに加速したような感覚が全身を襲って、気がついたら右足が門の内側に、左足は門の外にという体勢になっていた。

ぼくはつんざくような悲鳴をあげた。


「ぅあっほおおおお!? 誰や急に押したんってお前しかおらんわな――知ってた!なにすんねん急に押したらぼくの心臓止まるやろぼけ」

「意外に元気ですね」

「元気ちゃうわ!」

「叫んでるのに……」

「テンション振り切らなやってられへんからじゃ!! 」

「うるさいので叫ぶのやめてもらっていいですか?」

(チッキショオオオオオッ……)


滂沱の涙とともに崩れ落ちるぼく。

悔しいっでも逆らえない☆ 何かまたペナルティ課されたら怖いんやもん……。

急に背後に現れたやつは、すたすたとぼくを追い越して先へ。

はっと気づいたらちょっと歩いた先に伝統的日本家屋が鎮座ましましている。

門の外にいた時にはまったく見えなかったのだが、もはや突っ込む気力もない。

この敷地は背後の森とはまた違う場所らしい、ととりあえず簡単に納得しておこう。この短時間で早くもこの奇妙な異世界のルールに馴れはじめているのが我ながら恐ろしいが、次々襲ってくる理不尽に対処するためには馴れるほかない。

(あっ、ここだけ夕方やん)

昼しかない、と言っていたのはあっちの森だけということか?

というか、いよいよここへ連れてこられてからどれだけの時間がたったのか分からなくなった。


(遅刻……とか、もう考えんでいっか。さすがに)

染み付いた社畜脳を静かに殺していると、いつまでも動かないぼくにしびれを切らしたらしいお叱りが飛んできた。

ちょっとちょっとお、戻って来てもうたでーどSがー。

「いつまで呆けているつもりですか? 早くこちらへ――ああ、靴は脱いで下さい」

「え、ここで?」

「そこでいいです。門の近くに置いて――そう『劫火、神苑――』」

ヒュゴッという不穏な風音とともに、靴をおいた体勢から今まさに身を起こそうとしていたぼくの間近で熱源が発生。

ぼっ。

というある種景気のいい音をたてて一瞬で今さっきまでびちょぐちょに濡れてずっしりしていた靴が消し炭になった。

あっ―――

「ぶねーーーっな何すんねん!? え――なんで燃やしたん?」

「汚らしいので――うーん、やっぱり服も脱ぎましょう」

アカーン! 

ぼくはひしっとわが身を抱いてぶんぶんと首を横に振った。

「待って待って待って? 服も燃やす気なん? なんで燃やす気なん当たり前みたいに!」

「だから汚らしいから、と」

「意味不明! つーかお前そんな火ぃ出せるんやったら絶対さっきのゴッキーたち自分でやったほうが早いやつやん! なんでぼくにやらすねん!」

「それも同じ理由です」

「は――?」

「あの、同じことをいちいち聞き返さないでくれませんか――面倒くさい」

最悪やこいつほんま。最低限の説明まで放棄しよる……。

「ほら、さっさとして下さい」

そして俄然ぼくの服を燃やす気でいらっしゃる!

信じられへん。まじサイコやん。



――ぼく、やっていけんのかなあ?



※明日21/06/13は更新しません。次の更新は06/14(月)です。

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