合否をお知らせします。
(――池?)
森を抜けた先には池と言うのか泉と言うのか、水辺が広がっていた。
水質は限りなく透き通っていて、あたりには静謐な空気が満ちている。降り注ぐ光が水面に反射しているのが神秘的だ。
鬱蒼とした木々の群ればかりだった景色が一変したわけだが、じっくり観察している暇なんてあるわきゃないよね!(白目)
(あらやだ綺麗ねーつってる場合ちゃうねん――ええい、ままよっ)
ぼくは迷わず透明な水の中に足をつっこんだ。脛まで水に浸かる。
もっと深い所へ――と、跳ねるようにしてじゃぶじゃぶと進む。水底の泥がかき混ぜられ、水が煙るように濁った。
(あのゴキ水いけるんかな……)
頼む――と念じながら後ろをチラと振り向く。もう胸まで水没中だ。
さっきまではあんなに肉薄していたゴキどもが、見る限りいない。
(よっしゃ。やっぱ水は渡られへんのやな?)
さらに辺りを見回して、やはりどこにも見当たらないらしいことを確認。
いつの間にか詰めていた息が、ようやく吐き出されていった。
水中でなかったらへたりこんでたわ。
(あ゛、いっ痛~~~)
ほっとすると、とたんに水が傷口にしみてくるようで声もなく悶える。目じりに涙が滲んだ。心底、情けない言葉がこぼれた。
「どうしよ……」
正直、すぐにでも水から上がりたかった。
大して深い傷でもないが、動こうとすると襲ってくる傷口への刺激でひぃひぃ言ってしまっている。あ、鼻水。
(でもあのゴキちゃんたちがおる限りこっから上がるんは無理か。次は追いかけっこするまでもなくこっちが死ぬわ。体力的にはもう死んでるし……)
こうなると水が綺麗なのが救いだった。近所のため池レベルの透明度だったら破傷風菌ともチキンレースを繰り広げなければならなかったろう。絶対負けるやん。
――その時。
めりめりめりめり、という物音を両耳が察知。
水面に影。舞い落ちてくる木の葉。
嫌すぎるデジャヴに血の気がひく。
とっさに水底に向かって顔面アタックをかました自分を褒めずにはいられない。ぼくえらい。ぼく流石。
突如倒れてきたのは全長30mはあろうかという大木で、すごい勢いで水面に激突してきた。幸いたっぷりとした水に勢いが殺されたようだ。派手な水しぶきがあがる。
深みに来ていたのも水底に逃れたのも大正解やった。おかげで脳天直撃で死亡するという結果は免れた。あっっっっぶね!
またもや胸を撫で下ろしかけた時、はた、と気づく。急いで大木から距離を取る。
視界に、木の幹をびっしりと覆った黒い悪魔どもが――
「ナアアーーーーンデえええええ?!」
じゃばじゃばと水を蹴立ててもっと距離を稼ぐ。
まずい。ほんまに狙われとるんかぼく。
戦慄するのは、さっきは秒で大木をめしゃめしゃ食うてたっぽいのに、今はその様子がないってこと。
どころか、倒れて水に浮かぶ木のそこかしこから、ぼくに最も近い枝に集まってきている。水は嫌なのか、あとは蠢いているばかりだが……。
完全に足場として使いこなしてらっしゃる。
もうやだ。某漫画の火星ゴキたちもウインクで親指立ててくるような知能じゃないっすかこいつら。
心なしか、あるのかどうかも知らないそいつら一匹一匹の目が、無数の視線をぼくに向けているような気さえする
というか絶対にそうだ。だって、
(え、飛ん――)
飛んだ。ゴキ飛んだ。なんかうっすら体積増えたなと思っとったら羽やったわ。あいつらこっちめがけて飛んでくるわ。これ終わったわ。
「っ……!」
再び水中に全身でログインして難を逃れたが、息はすぐに切れてしまうだろう。その前に、とにかく水から出ずに水底を進んで距離をとるほかない。
全身の痛みも忘れ必死で泳いだ。潜れる人間で良かった。
より深くより遠くを目指して泳いでいくと、すぐに立っても足がつかないほどの深さになった。ゴーグルもくそもないので眼球は直に水にさらされている。視界ぼやぼやだ。
(しんど、ムリ――!)
息がもうだめで水面を目指そうとする。
と、ぐっと足を引っ張られるのがわかった――下。
ぎょっとした目に己の足首が映る。ぼやけた視界の中、そこに巻き付いている何かがゆらめいていた。
(こ、んな時に水草て――映画でようある、あるーや、ないっ、の、に――)
意識より先に肺が限界を迎えた。勝手に口が開き、最後の息があぶくとなって儚く消えていく。
(みず、はいって――)
反射とは恐ろしいもので、頭はやってはいけないと分かっていることを肉体がひとりでに実行してしまう。
ぼくは鼻から口から思い切り水を吸いこんでしまった。
(や、ば――)
死ぬ。
その感覚の鮮烈さ。
それはこの日、いやこれまでの人生すべての中で、もっとも強烈に「生」というものの実感をぼくに突きつけた。
何やこれ。
死ぬ瞬間に生きてるって気付くんかい。
あほか?
あほや。
口の中に、水とは違う何かが入ってきた。
明滅しだした世界の中で、やわらかく光っている丸いもの。
一つだけじゃない。二つ、三つ、四つ、あれ――?
気のせいかな。周り中この丸いやつでいっぱいや。
それらはぼくのまわりをふよふよと漂っていた。
かと思うと、そのうちの一つが「また」ぼくの口に入ってきた。
(――なん、コレ)
口の中がカッと熱くなった。
急激に視界がクリアになる、と同時に意識もはっきりとし、身体が勝手に動きだす。一直線に浮上しようと、水面へ。
「ゲホッかはっっは、あっ――ぶな、―――げほげほっぅうえっほ、はあ……」
ぜえぜえ言いながら見回すと――おっしゃあ! 敵おらん!
離れた場所にさっきの大木が見える。ぶうん、というここからでも聞こえるほどの羽音。木の周囲をもやのように取り巻いていたやつらがまた枝葉に戻るのがわかった。やはり長距離は飛べないらしい。
だがそれで安心はできない。あの不思議生命体なゴキもどきどもが、今度はどんな手を使ってくるかわからないからだ。
それに今はまだ立ち泳ぎできているが、あとどれくらいもつかわからない。
どうにかせんとすぐまた、さっきの二の舞なんは自明の理、というやつ。
せやな、うん。
――で、どうせえっちゅうねん!
「つ、詰んでる……ガハッ」
絶望を口に出すと水が口に入ってむせた。また一つ詰み要素を重ねてどうするぼく。落ち着け、落ち着け、何か手が――
「酷い体たらくですね」
「おっ――まえ……!」
ここか。ここで例のダボのおでましなんか。
また水面に影できてぞっとしたとこに、ゴキどものウッディブレイクアタックじゃなかったんはほっとしたけどやな。
なんとぼくの頭上1mくらいの所に、例のサイコ美人が浮かんでらっしゃる。
「おん、どれ――自分だけ浮いとってええ身分、ガハッ、や、のう」
「いい身分なのはどちらです? なぜのん気に水泳を楽しんでいられるのか、理解に苦しみますね」
ひえーコイツ。
殺したるう☆
「ブハッ、ごぼぼぼッ、ひひ、たのし、楽しそうに見えますう? マジでえ? そうそう、そうやねん。めっちゃ楽しいからさこれ、がぺぺっ、ほら水草も美味しいし! 自分もこっちゃおいでえな――沈めたる」
「あいにくですが、水草を食して喜ぶという嗜好はわたしにはありませんので」
美人はそっけもへったくれもあらへん表情でぼくの殺意を一蹴し、ところで、と再び口を開いた。
「――ところで本当に、どういうつもりなのですか? わたしは『対処しろ』と言ったはずですが」
形のいい眉がきゅっとひそめられた。美人はぼくを見、ついで離れたところでぷかついとる木を見るや、おおげさな嘆息。
「まるで使えない。愚鈍、愚劣、愚図愚図の愚図もいいところ。どうしましょうね? このままではあなた、用ナシ――ですけど」
いや。
いや????
『ですけど?』って。
『ですけど?』じゃ、ねーーーーっっっよ!
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