【3話】惨劇

 どんなに拒んでも、次の日は必ず訪れる。


 包み込むような優しい日差しが刺す教室で、瑠樺は窓際の席に座りながら憂鬱な思いで外の景色を眺めていた。

 授業の内容をノートにまとめるのも程々にして、体の不調を紛らわすように外に咲く桜を静かに見つめる。


 風に揺られて静かに花を宙に舞わせる様子が儚く思い、青い瞳を僅かに伏せる瑠樺。

 瑠樺をいじめる夢亜たち三人は、同じクラスの仲間だ。


 朝起きる度に学校へ行くことを拒絶する体にムチを打つ重い体を起こし、瑠樺は込み上げる恐怖を抑えながら学校に通って授業を受けていた。


 ――今日は、何も起きませんように。


 心の中で密かに呟くと、真面目に授業を受ける三人の後姿を見つめる。

 恐怖や不安で冷える手足には気づかないふりをして、瑠樺は授業の続きをノートに写す為にシャーペンを手に取った。



 部活動に専念する生徒が騒ぐ放課後の校舎。 

 昨日と同じ女子トイレで、瑠樺はバケツに入った水を頭からかけられ強い寒気を覚える。


 新学期が始まったばかりの春。暖かくなってきた時期とはいえ、夕方や夜になればまだまだ寒い季節。

 風邪ひかないといいな。なんてどこか他人事のように思いながら、瑠樺は冷えて震える体の熱を少しでも逃がさないようにそっと両手を体に回した。


 三人にいじめられる学校生活。

 そんな生活は三ヶ月ほど前から何も変わらないはずなのに、その恐怖や苦しみは慣れることを未だ知らない。


 瑠樺は三人の様子を伺うために警戒気味に見つめる。

 その時、勢いよく髪を掴んで持ち上げられたことによって瑠樺は痛みで顔を顰めた。


「おい文月、何睨んでるんだよ。自分の立場分かってんのか?」


 そう言うのは、昨日モップを瑠樺の顔に押し付けていた低い声の少女、杏。

 恐らく、瑠樺の伺うような目つきが睨みつけているように見えたのだろう。


 髪の毛が強引に引っ張られ、ちぎられる様な激しい痛みに瑠樺は杏の手を振りほどこうと両手を伸ばす。


「ご、ごめんなさい……! 離して、痛いッ……!」


 謝った事によってやっと解放される瑠樺。

 引っ張られた部分を抑えて怯える瑠樺を見ると、甲高い声の少女である佐奈がくすくすと笑う。


 瑠樺が瞳に浮かべていた大粒の涙を流した、そんな時だった――


「あんたたち、何やってるの!?」


 怒鳴りつけるような声に驚いて、その場にいた全員が声のした方へと視線を向ける。

 女子トイレの出入口。そこにいたのは、仁王立ちで息を切らしながら夢亜たちを睨む一人の少女。


「沙百合、ちゃん……!」


 瑠樺が沙百合と呼んだ少女。――月城 沙百合。

 彼女は全身びしょ濡れな瑠樺を一目見ると、目を丸めて瑠樺と夢亜たちの間に立って両腕を広げた。


「また今日も瑠樺の事いじめてたのね……」


 沙百合は、夢亜たちを突き放すような冷たい声で話す。

 震えているその声からして、怒っているのだろう。


 瑠樺の瞳には沙百合の背中しか映らないが、その声から沙百合の険しい表情は容易く想像できた。


「いつもいつも、どうして瑠樺にこんな酷い事するわけ?!」


「あ、あんたには関係ないでしょう!」


「関係あるわ! 瑠樺は私の大切な友達なんだから!」


 怒鳴りつける沙百合の声が、女子トイレ中に響く。

 ここまでの声量になると廊下まで聞こえそうな勢いだ。


 沙百合の勢いに、怯む夢亜たち三人。

 夢亜は気に食わない様子で瑠樺を一瞬睨んだ後、沙百合に視線を移す。


「私たちは文月に用があるのよ。あんたもいじめられたくなかったら、とっとと失せなさい!」


 大きな声を放つ夢亜に、沙百合は欠片も動じない。

 そして、その言葉を聞いた沙百合はしびれを切らしたのかコツコツとローファーの音を鳴らして夢亜に近づくと、その胸倉を勢いよく掴んだ。

 そのまま鼻がつきそうなほど顔を近づけて、目を合わす。


「今後瑠樺に何かしたら覚えてなさいよ」


 沙百合はそう話した後、夢亜の耳元で何かささやく。

 何を話したのかは分からないが、沙百合の事だから脅したのかもしれない。


 ささやかれた後、表情を真っ青にしながら自分の鞄を抱えて逃げるように走る夢亜。


「ちょっと夢亜ちゃん?! お、置いて行かないでよ!」


 置いて行かれた杏と佐奈も慌てて自分の鞄を拾い上げると、走る夢亜の後を追った。


 何もすることができずに、事が終えるまで無言で様子を見守っていた瑠樺。

 沙百合はそんな瑠樺に振り向くと、心配そうに眉をひそめる。


「瑠樺、大丈夫? ごめんね、助けに来るの遅くなって……」


「沙百合ちゃん……!」


 地面へ座り込む瑠樺に話しかけるため、沙百合はその場へとしゃがみ込む。

 恐怖から解放された瑠樺は、安堵のあまり大粒の涙をぽろぽろと零して泣きじゃくる。


 沙百合はハンカチで瑠樺の頬を伝う涙を拭いながら、瑠樺が泣き止むまで静かに背中をさすっていた。



 カラスの鳴く夕暮れ。泣き止んだ瑠樺は沙百合に途中まで送ってもらうと、手を振ってそれぞれの家路につく。


 沙百合は瑠樺の小さい頃からの唯一の友達で、学校でいじめられている時はよく瑠樺の事を守ってくれる大切な人だ。

 いつも助けて支えてくれる優しい性格である沙百合の事を、瑠樺はいつだって尊敬していた。



 家が近づいてくると、瑠樺は目元をゴシゴシと拭う。

 そして家族に心配させまいと気丈に振舞いながら、重い体で一歩ずつ歩き家を目指した。



 家に帰れば、優しい家族が迎えてくれる。


 それを考えるだけで瑠樺は嬉しくなって、微笑みを浮かべながら家に着く。

 今日も帰りが遅くなった言い訳を考えながら、ゆっくりと玄関の戸を開けた。


「ただいま」


 瑠樺は靴を揃えながら、おかえりの言葉を静かに待つ。

 だが、しばらく経っても返事が帰ってくる事は無かった。


「……?」


 声が届かなかったのだろうか。


 瑠樺は少しの違和感を感じながらもリビングに向かった。


(あれ、誰もいない……?)


 普段なら明るいはずのリビングが暗く、電気がつけられていない事に気づく。

 母親は買い出しか何かに行ったのだろうか。


 蒼汰は自分の部屋にいる可能性もある為、後で部屋に寄ることにして瑠樺は開きっぱなしのリビングに足を踏み入れる。


(今日の夕飯はなんだろう……)


 瑠樺はこの隙に今日の夕食を覗き見ようと、真っ暗なリビングを歩いていた時だった――


 ――ぐちゃ。

 突然足元から放たれる水音。


 何か零れているのだろう。そう考えたが、何故か激しい不快感を覚えて瑠樺は慌てて電気をつけた。

 だが、明るくなった視界に映ったのは――


「なに、これ――」


 白い明かりに照らされて浮かび上がったのは、異様な体勢で倒れる二人の姿。

 そして、あちこちに散らばってシミを作る真っ赤な液体。


 足元にも同じように液体が広がっており、瑠樺はその赤い液体――血を踏んでいたのだ。

 倒れる二人が自分の愛する両親だと認識するには、少しの時間を要したようで。


 その光景に息を詰まらせていた瑠樺は、ハッとした様子で近くに倒れる両親の元へ駆け寄る。


「お父さん、お母さん、どうしたの?!」


 重なるようにして倒れる両親の体を勢いよく揺さぶった。

 涙目になりながら、叫ぶような声で両親に問いかける。


 だが、返事は帰ってこない。


 その時、瑠樺は手を添えていた二人の体が冷たい事に気づく。

 瑠樺は両親の体から手を離し、突然の出来事に言葉を失っていた。


(――蒼汰はどこ?!)


 瑠樺はハッとした様子で蒼汰の存在を思い出すと、立ち上がって辺りを見渡す。


「蒼汰!」


 瑠樺は蒼汰の名前を呼ぶが、返事はない。

 部屋をよく見渡した時、ソファーの裏に足らしき物を見つける。


 床につまづいて転びそうになりながらもソファーに近寄ると、そこには血濡れで倒れる蒼汰の姿があった。

 

「蒼汰?! どうしたのっ、蒼汰!」


 叫ぶような声と共に、瑠樺は蒼汰の体を抱きしめる。

 すると、両親とは違って蒼汰にはまだ温もりがあることに気づく。


「蒼汰……蒼汰っ! 何があったの?! しっかりして!」


 呼びかける瑠樺の声に反応するように、蒼汰は瑠樺に向かってゆっくりと手を伸ばす。


「お姉、ちゃ……」


 蚊の鳴くような声で瑠樺を呼ぶ蒼汰。

 目が見えていないのだろうか、瑠樺と視線が交わることはない。


 蒼汰の伸ばした手が、瑠樺の頬に触れようとしたその瞬間。


 ――蒼汰の手は、床へと落ちた。


「蒼、汰……?」


「いやあぁぁぁ――!」


 叫んだ瑠樺の悲鳴は、部屋に響いて消えていった――

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